いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

麗江・ログ湖1、モソ族の村へ

2013年08月06日 11時36分15秒 | 雲南・麗江の旅
束河4日目、翻訳原稿もほぼ終わりに近づき、白沙も今日の半日だけで大体見学が終わってしまった。
これ以上、ここでやることを思いつかないので、そろそろ移動することにした。

次の目的地は、モソ族のいるロゴ湖ですかね。
ここは行っておく価値があるでしょう。
かの有名な通い婚の風習を続けるモソ族の暮らすエリアである。

20年前の学生時代、当時はまだロゴ湖エリアは、あまりにも未開で観光の交通手段がなく、行き着くことなく帰ってきた。
今はガンガンと観光路線バスが走っており、ロゴ湖のまわりはモソ族の経営するホテルやレストランやバーで大賑わいということなので、ぜひ20年前のリベンジなのだ。

ちょうどユースホステルからバスが出るというので、乗ることにした。
往復160元。復路は1週間以内に電話から予約すれば、好きなときに帰ることができるという。
往復で買った方が割引になるということで、買うことにした。

バスに乗って運転手に雑談を仕向けると、なんとラッキーなことに運転手もモソ族だという。
39歳、松田優作っぽいワルワルなムードを出す伊達男風じゃ。
道中、自らの「夜這い奮闘人生」をがんがんと話してくれ、車内はやんややんやとこれを煽り立てて、拍手喝さい。
バスの大半を占めたおぼこい漢族の学生らの目を白黒させたのだった。


モソ族はチベット系なので(ナシ族の一派。ナシ族もチベット族もともに古代羌族の出だからということ)、チベット仏教を信仰し、家族に男の子が数人いれば、必ず一人をラマにするという。
戦前のモンゴルなどの記録を読むとそういう話が良く出てくるが、
現代(少なくともアラフォーの運転手さんの小さいころ)にも、しかもチベットの話ではなく、それ以外の場所にもそういう風習があったと聞くと、ちょっと感動。

特にこの数年、規制が厳しくて外国人のチベットへの接触はそんなに気軽ではない。
旅行に行くにもいろいろ制限がつくし、安くもないらしい。
そんな折にかろうじてこんな「チャラい」観光地でその文化の痕跡にでも触れると、感慨深いものを感じる。

兄弟の中で自らラマになりたい、と立候補する人がいなければ、モソ族の中では家長に当たる祖母が指名することになるそうだ。
運転手のちょいワルさんはこれから待ち受けている華やかな夜這い人生を思うと、宦官のように一生女性を抱くことなく終わる人生など真っ平ごめん、と、
祖母から指名されないかどうか、戦々恐々としていたいう。

幸いにもお兄さんが自分が行くしかない、と自ら犠牲になることを買って出てくれたので、彼はほっと胸をなでおろした。
その時、彼は15歳。お兄さんはひとつ上の16歳。


   

 モソ族の(元??)色男、運転手さん。


バスの中では、ちょいワル運転手さんによる独壇場が続く。
彼の「夜這いネタ」に皆が、時々合いの手を入れつつ、どんどん話を引き出す。

本格的に運転手さんの「夜這い人生」が始まったのは意外にも遅く、22歳からだったという。
兵役に行き、帰ってきたのが22歳だったからだ。
「夜這いを始めたばかりの若者は、それは苦労の多い、大変な思いをするもんだ」。

年上の若者に「弟子入り」し、夜這いのいろはを教わる。
「今の若者は、甘いね。携帯やQQや、いろいろなツールがあるから、
俺たちがしていたような待ち合わせのための合図の段取りの仕方など、そういう技術がなくてもやっていける」。
と、アナログ時代にぶいぶい言わせた夜這いの達人としては、この安易に便利な世の中が納得いかないらしい。

「それから大切なのが、犬を手なずけることさ。
 わんわん吠えられて、家の人たちが全員起きてきたら、もう一巻の終わりだからな。
 そこで夜這い人生はもう終わりよ」。

つまりまずは日中に二人でこっそりと這っていく時間、門を開ける際の合図などを決める。
せっかくそこまで段取りしたのに、男が闇に紛れて忍んでいった時に犬に吠えられてはならないのだ。

「夜這い」は、あくまでも「夜這い」でなければならず、もし家族が起きてきて見つかってしまえば、
そこで「結婚」が成立し、女側の祖母が筆頭となり、荘厳な「誓い」の儀式がただちに始まってしまい、そこで「夜這い人生」は終了。
永遠の愛を誓わされ、妻以外の女性とは、交際できなくなる。
だから本当に添い遂げたい相手を見定めるまでは、決して犬にわんわん吠えられてはならないのだ。

犬を手なずけるために日ごろからえさをあげたり、かわいがったりして、
吠えられないようにするという「下準備」も「夜這いテクニック」の中に入っており、
そういうことは、兄貴分が弟分に手取り足取り指導していくのが、民族の伝統なのだそうだ。

「あなたもその後、弟子を取ったの?」と聞くと、
「おう。とったわいさ。皆、なかなかの腕に育ったぞ」。



    

ログ湖への道中のスピンカーブ、つづら折りの坂道。
バスはこのスポットでとまって、皆が写真撮影をするが、日本人の私にとっては、日本にはこの程度のつづら折りはいくらでもあるので、珍しくなーい。



それから充分に訓練を積んで一人前の「夜這いかけ」に成長した彼は、
「俺は最盛期には一晩で17人も夜這いを梯子したもんさ。全員、とびっきりの美人だ」。

「夜這いは、本当に大変な仕事さ。
家族が寝静まる夜中の1-2時まで待ってやっと這って行き、家族が起き出す夜明け前までに抜け出さないといけない。へとへとになるよ」

「ある日、夜這いであまりにも消耗して(笑!)、あっと気がついたら、もう日が高くなっていた。
家族はもちろん全員起きているから、女の子の部屋から出ようにも出られない。
そのうち尿意を催してどうしようもなくなってくるし、肉体の限界さ。
女の子に瓶を何本も持ってきてもらって、やっと用が足せた。夜になって抜け出す時には、こけて足までくじいて数週間寝て過ごす羽目になったよ」
と、夜這いは体を張った、一筋縄では行かない、体力も気力も技術も要求される大変なお仕事なのだ。

「ある弟分なんか悲惨さ。
犬の手なずけが甘くて、わんわん吠えられた。女の家族はその晩は何知らぬ顔で黙認したが、
次の日に地面に灰を巻いて足跡で証拠をつかみ、そのまま儀式を強行されて、結婚させられた。
技術の詰めが甘いとそういう目に遭うのさ」

「粋な夜這いというのは、誰にも二人の関係を嗅ぎ取らせないようにすることさ。
中には自分の寝た相手を公言する馬鹿男もいるが、そういうのはみっともないね。」
と、「夜這い」の美意識、プライド、あるべき理想の姿、といろいろと哲学があるのねええ。

どうやらこのお仁が並々ならぬ「ワル」オーラむんむんなのは、このような壮絶な「夜這い修行」で鍛え抜いたためらしい。
道理で漢族と比べ、「スケこましたるでええ」という雰囲気をムンムンに出しているわけだ。
手練手管の権化の風情が全面に出ているのは、厳しい訓練の末に培われたものだったのね。
格闘家、武道家が佇まいからして一般人と違うのと同じように??
モソ男たち、おそるべしだあああ。
参りましたー。


  

運転手さんの夜這い人生談義で盛り上がる社内。


モソ族程度のフェロモンの出し方は、ラテン諸国なら屁にもならん程度のものかもしれないが、
何しろここは中国である。

草食民族と肉食民族では、やはりタンパク質の摂取量に比例してフェロモンの強さが違う気がするのは、私だけだろうか。
しかも儒教の影響のある国は、愛の表現が動物的であることを忌むので、余計にモソ族の「ラテン」な乗りが際立つ。


閑話休題。
ちょいワル運転手さんの夜這い人生に話を戻そう。

そんなふらふらと夜這い人生を満喫していたちょいワル運転手さんもついにこの人、と決めた女性ができる。
2歳年上、この人に決めようか、とおぼろ気ながら考えてはいたが、何しろ二人ともまだ若い。
彼もこっそりあちこちの夜這いをかけ、彼女もあちこちの男を受け入れて、互いにそれが重なると、信頼関係が崩れ、結局は別れることになった。

どうやら実は本気で惚れていたらしく、この傷はかなり深かったようだ。
「それ以来、もう二度とモソ族の女とは付き合わない、と誓った」。
「漢人は俺たちをフリー・セックスだと勘違いしているが、俺たちの男女関係だって、恋愛感情の上にしか成り立っていない。それを間違えないでほしい」

・・・・って。
それは私が、よく日本女は皆AV女優みたいにやり放題だと思って近づいてくる馬鹿中国人男どもに向かって言いたいのと同じセリフだああ。

つまり日本も夜這い文化が根底にあるので、彼らの行動の意味や心理はよくわかるし、
中国人(漢人)がAV大国・日本として、描いている幻想の種類は、モソ族に対して抱いているイメージともよく似ているということだ。


「運転手さん、子供は何人?」と学生の一人が質問。
「一人さ。もう40近いのに、子供が一人しかいないのは、あれから愛の迷走を続けたからだ」
「あの別れ以来、1-2年はうまくいくのだが、3年目になると、どうしても立ち行かなくなる」。

「じゃあ、子供のお母さんとは、どういう関係?」
「女房は君たちと同じツーリストだったんだよ。四川出身の漢族さ。
 ログ湖に遊びに来たところを走婚(夜這い)をかけ、引き止めて何日かいっしょにいた。
 その後、彼女は帰っていったが、十数日ほどすると戻ってきたんだ。
 戻ってきたということは、何か面倒なことが起こったに決まっているから、これはまずい、と思ったが、案の定妊娠したという。」

彼女は当時まだ20歳そこそこで世間のことを何もわからないおぼこい女の子だったからどうしていいかわからず、途方にくれてやってきた。
彼女のお姉さんは二人の仲に断固大反対だというので、お姉さんをログ湖に招き、一族郎党に引き合わせ、心づくしのもてなしで迎えた。
それでもお姉さんはなお大反対。麗江に行き、子供を下ろすことになった。

病院で手術の順番を待っている時、彼ははたと強い衝動に駆られた。
自分たち仏教徒は家畜を殺すときでさえ、念仏を唱えて殺生をした罪深さを償うために供養するのに、ましてやこれは人間の子であり、自分の子供だ。
いかんいかん、何かが間違っている、と。
そこで手術を中止、四川にとび、あちらの両親に会いにいき、もう一度説得に当たり、ようやく結婚を許してもらえた、ということだった。


  

窓の外は、険しい山道が続く。



今、彼はログ湖と麗江をバスで往復する仕事をし、おくさんと子供を麗江に住まわせている。
本来、モソ族は男女ともに籍を入れることはなく、愛という感情の上のみに成立した男女関係を誇りにするそうだが、
漢族であるおくさんは、当然のこと
「何の名分もないなんて」
と、悲しそうにするので、今は入籍しているという。

左手の薬指には、キラキラした金の指輪がまぶしい。
同車の漢族学生らに「運転手さん、お金持ちねえ」と、からかわれていた。
身に着けるものに本物の貴金属にこだわる習慣は、日本には今時あまりないので、面白かった。

そんな彼の今の一番の心配事は、3歳の息子のことだ。
「麗江で漢族の中で育てば、走婚(夜這い)のできないでくの坊になっちまう」

モソ族にとって夜這い技術のない男というのは、言葉をしゃべることのできない人間のようなものだということなのだろう。
これはまずい、と本気で案じているのだ。

子供の民族登録は、両親のどちらの民族でも選べるが、彼は当然のこと、息子をモソ族として育てたいと思っているようだ。


たとえば、日本人のお家芸といえば、なんと言っても一糸乱れぬ阿吽の呼吸で紡いでいくチームワーク、団体行動だが、
これは物心がついた時からの長年の厳しい鍛錬により培われるものであり、
成人してからいきなり訓練を始めても一朝一夕に習得できるものではない。

だから大人になってから日本に来た外国人は、
最後までなかなかそのチームワークの一員になれないし、
子供のころやってきた外国人もこっぴどく「いじめ」という洗礼を受けつつ、その技術を習得していくことを強いられる。

それと同じように、おそらく彼らの夜這いの技術も小さい頃から訓練していかないと、身につくものではないということなのだろう。

バスに乗ったとたん、ログ湖につく前から、いきなり濃厚なモソ族の話を聞くことができ、大満足であった。





出発の朝まで激しい雨が降っていた。
道中はそのせいで土砂崩れであちこち道がふさがれており、ごろごろと落ちている岩をよけつつ、踏みしめつつ進む。
道路脇も雨で崩れてきた石ころだらけ。




人気ブログランキングへ にほんブログ村 海外生活ブログ 北京情報へ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。