束河3日目。
持ち込んだ4本の原稿のうち、昨日やっとこさ2本を送り出した。
今日は残りの2本をなんとかやってしまいたい。
昨日あたりから昼はネットのつながりがあまりよくない。
どうやらユースホステル全体の容量自体があまり大きくないのに、大勢の人で共有しているかららしい。
でも夜になると、またよくなってくるので、これは昼間の間にオフラインでできるところまで原稿を仕上げ、夜にオンラインでしかできないことを残していくしかない。
今日、2本の原稿がすべて終われば、やっと完全フリーになれる!
今日は午後、白沙に行ってみたい。
束河から6kmほどの距離にあり、欧米人らはそこにいるらしい。
彼らはテーマパーク化した大研城(つまり、いわゆる麗江)にはもはや寄り付かず、自分たちだけの楽園を見つけ、そこに溜まっているらしいのだ。
午後になり、まだ終わっていないが、いいかげん翻訳も集中力が切れてきたので、
夜仕事をすることにして、せっかくなので、観光に出かけてくる。
前から予定していた白沙村へ。
バス亭をあちこち聞きながら探し当て、ローカルバスに揺られること4-5駅分。
あっという間についてしまった。
束河からはレンタサイクルで行く人が多いが、ひとつはレンタサイクルは1日20元、バスなら往復2元の費用の差、
それと自転車に乗ると、日焼けしまくること、その対策の装備に自信がないこと、
フリルの広がるマキシ丈のスカートをはいているので、チェーンに絶対巻き込みをやらかすことが予想できること、などを考えて私はバスにした。
地元のバスの中。
民族衣装を着たナシ族のおばあちゃんもいまっさ。
外は田園風景
大研城ができる前、白沙はかつてナシ族の都が置かれていた時期もあるという。
詳しいことは、また後から歴史篇で見ていきたいが。。。
白沙に入ると、客桟などはまだ建設中で、長期滞在の場所はみつからなかった。
だからこちらに移ってくるというプランは中止。
あまりにも「秘境」すぎて、あまり人がいないので、これまた寂しすぎる。
しかしまあ。あちこちで一斉にカフェ、バー、客桟を内装しまくっており、
まるで統一オープン日にでも合わせるのではないか、と思うくらい建設中、内装中の店が多かった。
これは半年から1年くらいであっという間に束河の「汚染度」にはなるな、という匂いがむんむん。
町の入口にある門。象徴的建築ですかね。
なんだか、20年前の大理の町中を思い出させるような、素朴な土産物露店。
すでにオープンしているバー。
一階だけオープンし、2階がまだ工事中のカフェ。
こちらも準備中。
開発ラッシュの合わせ、民家物件の張り紙がたくさんありまっさ。
一旗揚げようというよそ者が、こういうところで商売を始めるのでしょうな。
これも。
町の中を歩いてみると、あちこちで新しい建物をたてておりまっす。
これは自分で住むというよりも、テナントとして貸し出すためのものでしょうな。
【2018年1月追記】
2017年に白沙を旅された記事があります。
【雲南散歩2017】麗江古城からバスで行く「白沙鎮」のお粥的な味わい
おお、あの時の白沙がこんな風に発展したんだー、
ゴージャスなホテル、泊まってみたいー! とワクワクしてしまいました。
************************************
一通り、ぐるりと歩くと、白沙は見るところもなくなってしまった。
1-2時間ほどぶらぶらし、ぼちぼち束河に引き返すことにする。
この数日、座ってばかりな上に脂っこい中華ばかりで少し気持ち悪いので、少し運動のために歩くことにした。
バス路線に沿って歩き、疲れたら、バスに乗ろうという考えで。
すると、畑の中はあちこち建築中の家だらけ。
工事の人に何を立てているのか、と聞いた。
ベーシック・スタイルは、正面三間の2階建て。
このおじゃれたカーテンの感じなどは、如何にも都会からの移住者風。
地元の人の家ではない、という匂いがぷんぷん。
北京か上海あたりからの移住者ではないのだろうか。
これで建築費はいくらなのか、と聞くと、大体20万元くらいという。
それを10年、20年単位で貸し出すのだという。
こちらは土地の売買はできないので、あくまでも「貸し出し」ながら、数十年という長期。
白沙村からあまり離れていない範囲のところの新築が一番多く、少し遠くに離れると、もうさすがにない。
ということは、やはり客桟にする目的が多いらしい。
今のところ、値段は大体年間5万元くらい、最低10年からというパターンですって。
つまり貸す側は、なんとか20万元をあちこちから工面して用意することができれば、50万元を手に入れることができるというわけだ。
このにわかな一斉ブームは、いったいどういうことだろうか。
景気よくでっかい建物立てておりますなああ。
こちらも玄関がすでに出来上がっている。
立派な構えじゃ。
テナント募集の文字。
地元の人に聞いたところ、客桟(民宿)として想定しているものが多いという。
なぜこんな辺鄙な田んぼの中に、と思うが、確かにわかる気もする。
世界遺産であり、目玉の大研城のキャパがもう一杯一杯なのは事実だ。
わずか2㎞四方程度の小さな城に13億人の中国人が殺到するのだから。
大研城内の古民家を改造した客桟は、絶対数が少なく、客室数も少なく、大型バスも乗り付けることができない。
ツアーで来ているような中国人団体は、どうやら様子を見ていると、古城の周辺の普通の市街地のビルのホテルに泊まっているようだ。
城内の客桟では、多くの客室を一気に確保するのが難しく、割引もないのだろう。
しかしいくら安いツアーだからといって麗江に観光に来ているのに、ビルのホテルに泊まるのは、いくらなんでも味気ない。
というわけで、こういうニーズも出てきたのではないだろうか。
縁もゆかりもないただの田んぼの中に建てるよりは、歩いて行ける距離に白沙という古い町並み保存区があり、
カフェやバーまでのんびりと散歩していけるのだから。
やっぱりこういうときは、13億人の消費規模を見せつけられますなああ。
作っても作ってもまだ需要があるという。。。。。
あの大研城内の押すな押すな、のアホみたいな人ごみといい(しかも何の祭日でもない、普通の日に)
日本では考えられないスケールだ。。。。
持ち込んだ4本の原稿のうち、昨日やっとこさ2本を送り出した。
今日は残りの2本をなんとかやってしまいたい。
昨日あたりから昼はネットのつながりがあまりよくない。
どうやらユースホステル全体の容量自体があまり大きくないのに、大勢の人で共有しているかららしい。
でも夜になると、またよくなってくるので、これは昼間の間にオフラインでできるところまで原稿を仕上げ、夜にオンラインでしかできないことを残していくしかない。
今日、2本の原稿がすべて終われば、やっと完全フリーになれる!
今日は午後、白沙に行ってみたい。
束河から6kmほどの距離にあり、欧米人らはそこにいるらしい。
彼らはテーマパーク化した大研城(つまり、いわゆる麗江)にはもはや寄り付かず、自分たちだけの楽園を見つけ、そこに溜まっているらしいのだ。
午後になり、まだ終わっていないが、いいかげん翻訳も集中力が切れてきたので、
夜仕事をすることにして、せっかくなので、観光に出かけてくる。
前から予定していた白沙村へ。
バス亭をあちこち聞きながら探し当て、ローカルバスに揺られること4-5駅分。
あっという間についてしまった。
束河からはレンタサイクルで行く人が多いが、ひとつはレンタサイクルは1日20元、バスなら往復2元の費用の差、
それと自転車に乗ると、日焼けしまくること、その対策の装備に自信がないこと、
フリルの広がるマキシ丈のスカートをはいているので、チェーンに絶対巻き込みをやらかすことが予想できること、などを考えて私はバスにした。
地元のバスの中。
民族衣装を着たナシ族のおばあちゃんもいまっさ。
外は田園風景
大研城ができる前、白沙はかつてナシ族の都が置かれていた時期もあるという。
詳しいことは、また後から歴史篇で見ていきたいが。。。
白沙に入ると、客桟などはまだ建設中で、長期滞在の場所はみつからなかった。
だからこちらに移ってくるというプランは中止。
あまりにも「秘境」すぎて、あまり人がいないので、これまた寂しすぎる。
しかしまあ。あちこちで一斉にカフェ、バー、客桟を内装しまくっており、
まるで統一オープン日にでも合わせるのではないか、と思うくらい建設中、内装中の店が多かった。
これは半年から1年くらいであっという間に束河の「汚染度」にはなるな、という匂いがむんむん。
町の入口にある門。象徴的建築ですかね。
なんだか、20年前の大理の町中を思い出させるような、素朴な土産物露店。
すでにオープンしているバー。
一階だけオープンし、2階がまだ工事中のカフェ。
こちらも準備中。
開発ラッシュの合わせ、民家物件の張り紙がたくさんありまっさ。
一旗揚げようというよそ者が、こういうところで商売を始めるのでしょうな。
これも。
町の中を歩いてみると、あちこちで新しい建物をたてておりまっす。
これは自分で住むというよりも、テナントとして貸し出すためのものでしょうな。
【2018年1月追記】
2017年に白沙を旅された記事があります。
【雲南散歩2017】麗江古城からバスで行く「白沙鎮」のお粥的な味わい
おお、あの時の白沙がこんな風に発展したんだー、
ゴージャスなホテル、泊まってみたいー! とワクワクしてしまいました。
************************************
一通り、ぐるりと歩くと、白沙は見るところもなくなってしまった。
1-2時間ほどぶらぶらし、ぼちぼち束河に引き返すことにする。
この数日、座ってばかりな上に脂っこい中華ばかりで少し気持ち悪いので、少し運動のために歩くことにした。
バス路線に沿って歩き、疲れたら、バスに乗ろうという考えで。
すると、畑の中はあちこち建築中の家だらけ。
工事の人に何を立てているのか、と聞いた。
ベーシック・スタイルは、正面三間の2階建て。
このおじゃれたカーテンの感じなどは、如何にも都会からの移住者風。
地元の人の家ではない、という匂いがぷんぷん。
北京か上海あたりからの移住者ではないのだろうか。
これで建築費はいくらなのか、と聞くと、大体20万元くらいという。
それを10年、20年単位で貸し出すのだという。
こちらは土地の売買はできないので、あくまでも「貸し出し」ながら、数十年という長期。
白沙村からあまり離れていない範囲のところの新築が一番多く、少し遠くに離れると、もうさすがにない。
ということは、やはり客桟にする目的が多いらしい。
今のところ、値段は大体年間5万元くらい、最低10年からというパターンですって。
つまり貸す側は、なんとか20万元をあちこちから工面して用意することができれば、50万元を手に入れることができるというわけだ。
このにわかな一斉ブームは、いったいどういうことだろうか。
景気よくでっかい建物立てておりますなああ。
こちらも玄関がすでに出来上がっている。
立派な構えじゃ。
テナント募集の文字。
地元の人に聞いたところ、客桟(民宿)として想定しているものが多いという。
なぜこんな辺鄙な田んぼの中に、と思うが、確かにわかる気もする。
世界遺産であり、目玉の大研城のキャパがもう一杯一杯なのは事実だ。
わずか2㎞四方程度の小さな城に13億人の中国人が殺到するのだから。
大研城内の古民家を改造した客桟は、絶対数が少なく、客室数も少なく、大型バスも乗り付けることができない。
ツアーで来ているような中国人団体は、どうやら様子を見ていると、古城の周辺の普通の市街地のビルのホテルに泊まっているようだ。
城内の客桟では、多くの客室を一気に確保するのが難しく、割引もないのだろう。
しかしいくら安いツアーだからといって麗江に観光に来ているのに、ビルのホテルに泊まるのは、いくらなんでも味気ない。
というわけで、こういうニーズも出てきたのではないだろうか。
縁もゆかりもないただの田んぼの中に建てるよりは、歩いて行ける距離に白沙という古い町並み保存区があり、
カフェやバーまでのんびりと散歩していけるのだから。
やっぱりこういうときは、13億人の消費規模を見せつけられますなああ。
作っても作ってもまだ需要があるという。。。。。
あの大研城内の押すな押すな、のアホみたいな人ごみといい(しかも何の祭日でもない、普通の日に)
日本では考えられないスケールだ。。。。
さらに道路は舗装なし。
ってなところが交通事情なんでしょうか?
このバスはエアコンはないですね。
北京や上海、または第二線都市あたりでもエアコン・バスもあります。
たいていはエアコンなしのバスの2倍の運賃を取ります。
と言っても今、北京などはバス代が世界一安く、リチャージカードなら初乗りが0.4元、市が損益分を補てんしているといわれていますから、
エアコンつきで0.8元になろうが、皆、あまり考えずに気軽に乗っていますが。
地方に行くほどそういう行政の保護がなくなりますので、
バスもやや高めになるのが一般的です。
といっても初乗り1元程度ですが。
ここはかなり田舎なので、ローカルバスはやはりエアコンなしですねー。
道路は少し反射していますが、舗装されていました。
少しわかりにくいですが。。。。
でも紫外線とクルマからの安全が最優先ですね。
お気をつけて~
おばあさんは、民族衣装も特徴的なのですが、あの背負っているかごがいいですよねー。
実際は、ビニールひもで編んでいるし、中には針金が通してあるし、十分に現代的なものなのですが、
あの形状がとっても南方っぽくて私は好きです。
いま過去ログを順番に読ませていただいています。。。
話題が幅広くてバラエティに富んでいますので、時間がかかかってます・・・笑
ほんと写真もキレイで素晴らしい~読み応え満点です~
おそらくあまりにマニアックなので、一般受けはぜんぜんしない内容だと思っています(汗)。
また仕事の合間にやっていることもあり、
大きな仕事が入ると、ぼこっと数か月も手を付けられず、新たに書き始めると、
前に途中で放り出した内容を完成させずに、次のテーマを始めてしまったりして、中途半端ですみません。。。
しかしブログは、かおりんパパさんのようにコメントを下さる方々にとっても励まされ、読んでくださる方がいると思うと、かろうじて挫折せずに継続することができます。
少なくとも少しずつ形にしていくことが大切かなあ、と思っているので、
引き続き、お付き合いくださいませー。