いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

麗江・束河1、ユースホステルに移動

2013年08月03日 00時31分18秒 | 雲南・麗江の旅
本来なら、大研城の部分でナシ族の歴史について、もう少し深く掘り下げたかったが、
余裕がないので、後回し。。。

大研城に1日滞在しただけで、もう物価の高さに悲鳴をあげた私。
そもそもどうせ一日仕事をしているのだから、どこでもいいのだ。

というわけで、試しに最近、新しく開発中だという噂の束河に移動してみることにした。
束河は、行政区としては、麗江市の中に入っており、大研城からわずか6kmしか離れていない。
やはり古民家群が残る一帯として、大研城に受け入れきれない観光客を新たに吸い寄せて発展中だという。




束河の表玄関。牌楼。


探し当てたのは、ユースホステル。



玄関近くのロビー。Wifi完備だっす。


ここで久しぶりに学生時代以来のドミトリーの宿泊ー。
一部屋8人、二段ベッド4個入り、一晩35元なりー。
まだあたいでもできるのねー、と自分で少し感動した。


ユースホステルは確実に外国人も泊まれるし、そろそろドミトリーに泊まって、「外こもり」を卒業しなければ、というコンセプトもあった。
あとは、パソコンでがしがし仕事のできる快適なスペースがないと、外のカフェはコカコーラ1本35元も取ったり、

長くいると、ぶつぶつ文句いわれたり、フルボリュームで音楽をかけられたり、あまりよろしくない。
だからやはり無料で堂々といれる宿のスペースがもっとも良い。
人の出入りがある程度あって、あまり孤独を感じなくてもすむ場所が。

午後はがしがし仕事をする。
何しろ、原稿を受け取って結構時間も経ってきたので、そろそろ納品しないと。。。

ドミトリーは、20年前とちがい、今は男女だけは分けられ、中国人も外人も区別なし。

20年前は外国人と中国人という区切りで分け、男女はいっしょくただった。
それでも外国人はほとんどが先進国から来ていたので、お金にも困っていなければ、男女交際にも困っていないので、あまりトラブルもなかったのである。




広々とした中庭。




ユースホステルに滞在している人たちは、見事に「国際レベル」である。
20代の若者が多いが、ほとんどは大卒の学歴以上、生活するのは、どんなに低くても2級地方都市まで(武漢、大連、天津レベルまで)。
見た目は先進国の若者とあまり区別もつかない。
服装も垢抜けているし、教養の高そうな面構えももう差は感じない。


そこに地元に残る若者なぞが、何か用事のために入ってくれば、一目でそれとわかるくらい歴然とした差がある。
まさに先進国と後進国が混在する世界だ。

こんなお国事情では、日本でいう「平均」という概念はまったく役に立たない。
「平均収入」、「平均所有率」・・・・。その「平均」に当てはまる人は、ごくわずかであり、遥か上にも遥か下にもかなりの人がぶら下がっている。

このユースホステル、昨日は西洋人も泊まっていたが、今日は一人もまだ見かけない。
ほとんどが中国人の若者だが、特にこんな学校の休みでも大型連休でもない時期に日がなここの中庭でビリヤードなぞを打ったり、

本格的なマウンテンバイクに荷物を載せてたどり着いたばかりという自転車隊などは、
会社に出てあくせく働かなくてもよい、何かの贅沢な条件をもっている。

先ほど知り合いになったここに滞在する男子は、北京でバーを経営しているという。
年は聞いていないが、20代後半くらいだろうか。
今、バーの内装中なので、手持ち無沙汰で遊びにきたという。

または転職の合間に長期旅行している人も多いだろう。
中国は会社に対する忠誠心というモラルはないので、「キャリアの中断」や「ブランク」を怖がらない。

誰でもしょっちゅう首になるし、そこに落ち度があったかどうかなど、誰も追求しない。
落ち度がなくても、首になることがあまりに多いからだ。
ボーナスを払いたくないので、春節前にいったん大量に首を切る、なんて話も聞く。

春節の前後2-3ヶ月は、全土が浮き足立って、あまり業務も忙しくないので、ボーナスに加え、数か月分の給料も節約できるというわけだ。
5月くらいになって、どうしても人が足りないようなら、また雇うなんていうこともあるらしい。

雇う側がそこまで無責任だから、キャリアを中断させたほうもそれで履歴書に傷がついた、ということにはならないのだ。
だから会社をやめて、貯金で数ヶ月、数年ぶらぶらしてもあまりハンディにもならないのだろう。 



   

束河もかなりやばいー!
がんがん工事があちこちで進められ、おしゃれな建物が次々に作られている。










うた歌いの演奏は、麗江よりもさらに早い午後2時過ぎから!
しかも室内で、少しずうずうしく音を外に出す、というのではなく、ライブ自体も外!
隣近所同士の演奏がかぶりまくってわけわからん。

時間が早いのは、麗江は、昼間は周辺の観光地に出かけていて、
夜に帰ってくる人が多いのに対し(麗江は午後4時くらいから、朝1時くらいまで)、
束河は滞在型、または麗江からの日帰り型だからでしょうかねえ。

もおお、とにかく太陽が真上からがんがん照っているのに、歌うわ歌うわ。
まるで町中が毎日、ロックフェスティバル状態。
まさに13億人の経済規模、ってこういうことを可能にするのねえええ。

AV女優の蒼井空のウェイボーフォロワーだって軽く300万を突破するのだから。
(すんません。最近、チェックしていなかったら、蒼老師のウェイポー、今は1400万人だそうで。訂正しまっす。)


少し観光化は進みつつあるが、それでも束河は、このくらいが「ちょうどいい」、と好感が持てる。
道を行く人もまばらだし、バーやカフェのいでたちもあまりグロテスクではない。

まだ田舎者の成金が投資しようと思うほどの損益分岐点に達していないところが、「俗化の蚕食」がましな理由かと思われる。
ややオサレな都会の若者が経営していたり、地元の若者の経営でも都会の知的レベルの高い長期滞在型旅行者の好みを取り入れようという気負いのある人が経営しているのだろう。

これが観光客が増え、「儲かる!」となってくると、あちこちのよそから来た成金の魑魅魍魎が「投資」に乗り出してきて、
地価があっという間に上がり、勢力側の行政も含めた嫌がらせも始まり、
元の経営者らはイナゴの大群にあれよあれよという間に食い荒らされて裸にひん剥かれて去っていくことになる。

かといってあまり「原始の姿のまま」だと、コーヒーも飲みたいし、快適なトイレやバスの揃ったホテルにも泊まりたいというわがままな自分としては、やはり居心地が悪い。
しかしあまりにもグロテスクに進化したら、もうそれは田舎の中国人の趣味に照準が合ってしまうので、もうこちらの出る幕ではなく、遠く遠ざかりたくなる。

そのあたりの「ちょうどいい」状態が、けっこう短く、数年しかない。
その瞬間に居合わせることができるのは、それだけで愛しいことだ。




これに対して、大研城では典型的な中国のバーストリートの歩みを進行中である。
北京の三里屯、後海、南鑼鼓巷にしても、バーストリートは皆そうだが、同じような「イナゴの大群による白骨化」を遂げる。

 段階1、最初は外国人が自らの好みを仕込んで発展させ、ぽつぽつと店ができてくる。

 段階2、「投資」の損益分岐点が訪れ、あっという間にバー経営に思い入れも経験も文化的素養もない経営者に席巻される。

すると、内装やサービス、料理の質などが、「田舎のおっさん」風になり、悪趣味に、似て非なるものになっていく。

 段階3、文化的な素養なしにバーに人は入ってこないので、客引きの兄ちゃんを店前に立てて呼び込みを行い、うた歌いを呼んで歌わせる。
    目立つためには、外にもボリュームをフルでかけまくり、騒音の嵐にする。

  段階4、それでもテナントが高くなりすぎて、なかなか儲けが出なくなるので、果てには姉ちゃんをおいて、奥の部屋で売春を始める。

  段階5、俗化、無個性化、悪趣味化の悪評判がたち、それでいてテナント代は莫大に高いままなので、次第に店子がつかなくなり、空き店舗が目立つようになる。

  段階6、かくして悪趣味な改造に改造を重ねた残骸だけが残る「白骨化」が起こり、いなごの大群が去っていく。


麗江は今、段階3まで進んでいる。でも古い町並み、周囲に簡単に代わりの場所が見つからないという位置づけである以上、4以上に進むことはないとは思うが。



こちらは束河のカフェー。







束河はやはりまだ汚されていない、と感じる瞬間。
この透明な水の流れを見せ付けられてしまうと。。。。。









   



   

  まだまだ建設中。




束河について1日目、最初の昼食は、もう優雅なところで高いものを食べても自分ひとりでは面白くもおかしくもないので、
おもいっきりローカルなところを探す。

この束河ではそれも苦労して探さないと見つからないのだ。
ほとんどがオサレなカフェ風のレストランばかりで。
スーツケースを引きずってがらがらと来た道中に目をつけておいたところ。




ユースで毎日、観光もせずにパソコンばかり見ている男子二人組がいる(私と同じで)。
80-90後ではなく、ぎりぎり70後っぽく、やや年が行っている感じ。
30代前半くらいだろうか。

パソコンには、黒い統計グラフがオンタイムで変化していたから、デイトレードでもやっているのだろうか。
片方の男性が、オリンピック以前の中国を少し引きずっていて、
上下柄物の服を着るわ、そばを通ったら、何週間風呂に入ってないねん、っていう壮絶な臭さ。


写真の重複使用になってしまいますが、このビリヤードをしている二人がそうだっす。
この日は、たまたま上下柄物ではなかったですが(笑)。






20代のバックパッカーの子達は、間違っても上下柄物なんて着ないし、いつもシャワーに入り、頻繁に洗濯をし、清潔に気を使っている。

この上下柄物兄ちゃんは、頭は坊主にしているという、オリンピック前はよく北京の町でもみかけた町の兄ちゃん風。
今のうちのアパートの下の雀荘でたむろしていそうな輩。

もう一人の連れも坊主にしており、こちらは肩の後ろに彫り物をいれ、それを背中の開いたランニングから覗かせるいなせな町のやくざさん風。
ちなみにやくざさん風には見えても、こちらには「如何にも本物のやくざに見える」人はいません。
取り締まりが厳しくて目立ちたくないのでしょうね。大きな組織も作れないし。

こちらもパソコンで黒いグラフを覗いて、デイトレーダーっぽい。
ちゃきちゃきの北京べらんめえ調なので、二人とも北京の町の兄ちゃんだろう。

瞬間的な決断力の果断さ、才覚一本で稼いでいる、っちゅうばくち打ちですかいな。
彼らだけが、怠惰な北京の八旗子弟の匂いをこの山奥に持ち込んでいる。

このムード、おそらく大卒ではないと思う。
こちらでは、高等教育を受けてきた人とそうでない人は、面構えからして違うのは、なぜでしょうー。

ほかの若者たちは、育ちも頭もよいが、まだ世間に出ていませんー、というおぼこいムードを出している中、二人は玄人の、曲者の雰囲気を撒き散らす。
こういう二つの異次元が、同じ空間に存在するのも面白いー。




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麗江・大研城2、バー天国じゃ

2013年08月02日 13時51分44秒 | 雲南・麗江の旅


ろうけつ染めの店。明らかに大理の白(ぺー)族の民芸。
大理に行かずに麗江だけで帰ってしまう人もいますからな。それもありでしょう。


ここから旅の四方山話を始める前に、ナシ族の歴史を調べて、じっくり書こうと思っていたが、
私情ながら、8月はいろいろと所用が多く、しかも翻訳の仕事もごっそりとあり、その時間がとれそうにないので、
まずはお気楽な旅日記から先行していきまっす。




夜の麗江は、北京の後海も真っ青なくらい、隣同士、向かい同士のバーから大音響で生ライブの音が外にあふれ、
互いの音がかぶって、耐えられない雑音の大洪水となっている。
しかし個々の店を見ると、歌手らのレベルもなかなか高く、たいしたものだああ。

北京と違い、音響設備、本格的なドラムやミキシングセットはなく、
主に「人力」に頼った「腕一本」、「のど一本」方式だが、それも古い町並みにはなかなかマッチしていいのではないでしょうか。
しかもここでの演奏の特徴は、特産品の「太鼓」が伴奏に入ること。「ご当地」っぽくてなかなかいいですな。

町にはお土産屋さんに混じって、手作りCD屋さんがたくさんあり、
各バーで活躍する歌手、バンドの音源が売られる。

昼間のバーに入ると、生バンドの代わりに自店のお抱え歌手のCDが流れる。
これもデジタル時代独自の現象。全国的に有名な歌手、洋楽などはかけないのだから、面白い。
日本の「ご当地アイドル全盛」と、基本的には共通する現象でしょうかね。


   
   なぜか一番気に入ったお店。
   素朴なところが、なんだか癒されたんでしょうかね。



中でのライブ。ギターだけでなく、太鼓がついてくるところが、麗江的。



その近くには欧米人が出演するステージさえありまっさー。



上からもどんどん音が降り注ぐ。



    
    昼間もこんな風に、あちこちで太鼓の音が。



宿泊するホテルについては、ネットで調べたが、どうやらあまりにもバリエーションがありすぎ、
特に古民家のお部屋については、インフラや周りの環境など、写真だけではわからないことが多く、
現地で実際に見てみないと後悔するのではないか、と思ったので、敢えて予約はしなかった。

石畳を11cmハイヒールのサンダルで何度もこけそうになりつつ、
石のでこぼこの抵抗でほとんど進まないスーツケースを引きずりつつ、

かなり歩き回り、決めたのが、この宿。
写真は翌朝とったもの。


    

古橋を渡って入っていくので、古橋客桟。


    



    






ホテルの前のとおり。隣や近所のホテルも素敵なムードをかもし出している。



    

周りの雰囲気。


    

案内されたお部屋。
一晩120元。シーズンによって値段がちがうそうだ。







洗面所


   

  お部屋からの眺め。すぐ下を水路が通る。


   



   




部屋は二階にあり、部屋を出ると、バーコーナーもあり。




二階への階段は、昔ながらのつんのめりそうなくらいの急な勾配。




   

   中庭の眺め。むこうの建物も敷地内。2棟の古民家で構成される。



   

   宿のオーナーのおばさま。モンゴル族だそうだ。
   アットホームでおちついた宿でしたー。




中庭のスペース。



到着した2日目、いきなりだらだら生活に入る。
というのは、仕事をかかえてきているから仕方がないのだ。

皆が郊外に観光に出ている間、私はカフェを見つけてパソコンを広げて翻訳。
道行く人々を眺められるのが、せめてもの楽しみ。


麗江のいわゆる「古城」である大研城の中は、テナント代がべらぼうに高いのだろう。
手軽な食事ができる場所はなく、ちょっとした食事でも50元を軽く超える。

普段、北京では13元程度で済ませている私には、ちょっと恐ろしい。
一人だから、複数でシェアするよりも圧倒的に割高になるのは、いうまでもない。

夕方、あまりの物価の高さに耐え切れず、おなかいっぱいにまともな食事がしたい、と城外にふらふらと抜け出した。


少しバスで移動し、やや小汚そうな路地裏にめぼしをつけて入っていく。





せっかくの旅行だから、特産品を食べたいのは山々だが、
一人でコスパフォが悪いのと、あまりの物価の高さに手が出ないー。

というか、おそらく今の時点では、あまり重きをおいていないんでしょうな。
今後、いずれ招待旅行のような形で来ることもきっとあるだろう、とたかをくくっている部分もある。
今回の旅行では、今回でしかできないことをしよう、と目的を集中させた。

というわけで、なぜか四川料理屋。しゃあないやないかあー。



よしよし。こういう普通の地方都市の雰囲気が大事なのよおおお。





このごく普通の感じがええ。


ホイゴーロウ18元、きゅうりのラー油あえ8元、ゴーヤの漬物いため12元、ビール6元











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麗江・大研城1、なぜ突然雲南か

2013年08月01日 13時19分11秒 | 雲南・麗江の旅
    




突然ながら、麗江に行ってきた。
実に20年ぶりと言ってもいい、目的のない一人旅である。
といっても、手元には翻訳原稿を抱えており、貪欲に観光をするというよりは、場所を変えて仕事のモチベーションも上げ、引きこもりの応急処置を施そうという意図。


これまでそういうシチュエーションを想定していなかったので、
手元にはあまりの重さのためにほとんど活用できていないノートパソコン1台しかない。
それでも仕事をしないといけないことを考えると、持って行かないわけに行かないし、その件だけを取ってみても、
がしがしと移動しまくる旅とは行かない。

中国でもかなりノートパソコンの値段も下がり、
台湾メーカや中国国産メーカなどもだいぶいいものが出てくるようになったが(私のも台湾のACERのもの)、
軽さ、性能、コスパフォを考えると、次に買い換えるならやっぱり日本に帰って買うのがいい感じがしている。
そういうわけで、もしこういうノートパソコンを日常的に背負って移動するライフスタイルが長く続くようなら、
また考えよう、ということだ。



    
    テーマパーク化した麗江の旧城内
    バーの名前「千里走単騎」は、高倉健を起用したチャンイーモウ監督の映画の名前。
    麗江が舞台になっている。





麗江を選んだ理由は、ずばり「カフェでパソコンで仕事をしても孤独を感じず、毎日退屈せずにいられそう」だから。

私は学生時代、90年代初めに麗江に来たことがある。
今の壮絶なテーマパーク化ぶりとは比ぶべくもないが、
それでもその当時の文革時代に毛が生えた程度の周囲の中国と比べると、別世界のように「世界にリンク」していた。

大理と麗江は、中国の中でも明確に欧米の「ヒッピーが育てた町」であり、
欧米人や日本人は、ドミトリーで10人部屋に10元/ベッドで泊まりながら、コーヒーには、1杯20元でも払った。

彼らのリクエストとたっぷりある時間に飽かせた「育成」により西洋料理や日本料理を出す店もあったし、
テーラーでは藍染の細かいパッチワークのさまざまな服や小物が並び、北京や上海でも手に入らないような、垢抜けたものが多かった。

カフェでは、ボブマーリーの歌がガンガンと流れ、
マリファナでラリったヒッピーたちが石畳の道をふらふらと千鳥足で歩いていた。

まさに「ベトナム戦争、ゴア、ジョンレノン、オノヨーコ」が、外界から遮断された山奥に忽然と現れたような感である。
それから20年がたち、世界中の工業製品を作りまくって豊かになった中国では、もう様相が違うのは想像できたし、
おそらく外人は圧倒的な中国人観光客の波に呑み込まれて、あまり目立たないだろうなあ、とは思いつつも、
ヒッピーの町としての「名残り」に期待しての出発である。



夜は大にぎわい。麗江の夜。

業務連絡として、旅の予算ディテールを以下にまずはご報告。

北京から麗江までの航空チケット: 合計1000元ほど。
 これは定価ではなく、この日に予約したからこの価格、という浮動レート。
 事実、帰りは1000元以上も高くなっていた。学生が夏休みに入ったこと、ほかの地方が夏に入ったのに、ここが涼しいため、などのさまざまな要素のため。

チケット購入は、いつもの携成旅行ネットで。
ネットで予約すると、家まで送り届けてくれる上、銀行カードを使ってその場で支払いをすることができるため。
急に決心したために、翌日のチケットを購入、一日寝て、そのまま出発ー。
慌しい中、あたふたと旅の用意を進めた。

最近、中国の空のダイヤルは過密すぎて、遅い時間になればなるほど遅れて、離陸時間がずれこむ。
滑走路が大渋滞してなかなか飛び立てないから、後の便にだんだんとしわ寄せが行く。
その事情は身にしみてわかっているので、朝一番の飛行機を予約した。
北京から麗江の直行便、朝6時代の出発だ。
どーだ、これなら着実に一番便だからしわ寄せの来ようもないじゃろ、がははは、と朝4時に起床。
空港に向かったのに----、それでもやはり甘かった。。。

前日の晩、大雨が降り、前の晩に多くの便が足止めをくらい、北京に入れず。
それが朝一番からじゃんじゃんと北京に乗り入れてきたので、滑走路の上の空が大渋滞となり、
飛んでくる飛行機を受け入れるだけで数時間がすぎ、朝6時代の出発便が結局、午後1時代の出発に変更されていたのである。
あーあ。もおおおお。

トイレに行くと、洗面所で歯磨きしたり、顔を洗っている女性たちが列を成していた。
朝7時から空港のトイレでなんで歯磨きやねん???と思っていると、聞いたら昆明から飛んできたという。
ということは、昨晩は空港で徹夜か???
歯を磨いているということは、夜ホテルで寝かせてもらっていないということだろうか。。。
もおおお。ほとんどシベリア抑留輸送のような状態やないか。。。

かくいう私だって、ろくでもなかった。
朝6時の便で朝10時台には麗江に降り立っているはずだったのに、結局北京を離陸したのは午後2時をまわってから。
3時間50分のフライトを経て、麗江の降り立ち、空港を出たのは夜7時近く。
最終的にホテルを見つけ、チェックインできたのは、夜9時を過ぎた頃だ。
こっちも負けじ劣らずシベリア抑留輸送並みじゃああ。


こちらの空の便ってなんでこんなに脆弱なんでしょうな。
昨日、ちょっとぴかぴかごろごろ言っただけでこのていたらく。
そういうトラブルを常に想定してスケジュールを組まないといけないから、効率悪いったらありゃしない。


以前はこういう目にあっても「発展途上国だとわかってきているんだから、仕方がない」と
文句をいう気にもならなかった。
シベリア抑留だろうと何だろうと、承知の上で来ているのだから仕方がない、と。
しかし去年の大規模な集団「さんぽ」以来、その気分は一変した。
そんなに空威張りしているのに、なんじゃい、みっともない、と思わず言いたくもなってしまう。



やっとの思いでたどりついた麗江、旧城内のレストラン。








あまりの物価の高さにぶったまげた。
おかず一つ、ビール、ごはんだけで50元近くした。
北京の近所でこんなしょぼいものを食べたら、半額で済むだろう。
さすが観光地。もおお、覚悟決めないといけませんな。

これはなんとか菜という聞いたこともない名前の野菜。当時はちゃんと覚えていたのに、忘れてしもた。
やっぱりちゃんとメモしておかないといけませんな。
歯応えは、キャベツとエリンギをいっしょにしたような感じ。





麗江古城は、城全部がお土産屋、カフェ、バー、古民家宿しかない、完全なるテーマパーク状態になっている。
もうそこには地元の人の生活はなく、すべてがアトラクションだ。

しかしまあお土産も音楽もすべて洗練されていて、さすがだ。
まさに「中国で観光が究極の状態まで進んで飽和状態になると、こうなる」という標本のような町だと思う。
それが良いか悪いかは別にして。

その発展を何か強力な構想と強制力で目標とす方向に持っていかない限り、そういうことになってしまうんでしょうなあ。
それは高度成長期にある国ではどこでも同じであり、日本にもかつてそういう時代はあった。


私が20年前にここを訪れた時、麗江はナシ族の人々の暮らすごく普通の町だった。
古い町並みが残り、古色蒼然としてはいたが、人々は普通に暮らしていた。

行きかう人々の中で目立つのは、民族衣装を着たじいちゃんばあちゃんたちであり、背中にはかごを背負い、のんびりと歩いていた。

当時からたしかピーター・カフェとかいう西洋人が経営するか、
西洋人に少しお料理を仕込まれた中国人の経営するカフェはあり、少しこじゃれた西洋料理が食べれたりした。

しかしそれだけであり、夜は街灯もほとんどなく真っ暗。
ナシ族のじいちゃんたちの民族音楽のコンサート、という演目はあったが、それ以外はやることもなく、バックパッカー同士でおしゃべりして寝るだけだった。
何よりもの違いは、新市街の大発展だ。これにはたまげた!

20年前、麗江は古城の外は畑が広がっており、本当にごく狭い範囲内での町しか存在しなかった。
それが今は、古城が中国のほかの地方都市に見るような、ごく普通の市街地に完全に取り囲まれてしまい、
その規模は年々大きくなり続けて、古城を呑み込んでしまっている。

古城があまりにもテーマパーク化してしまったので、まだ穢されていないほかの古い町並みに
観光客が移りつつもあり、名前を区別するために、この本来の麗江城は、「大研城」と呼ばれる。

すぐ外には、束河、白沙などのブレイクしつつある古鎮も売り出し中であり、
そこも正確にいえば、麗江の行政区範囲になるため、今では皆がそう呼んで区別している。

以前に古城の古民家に住み、ナシの音楽をかなで、民族衣装で暮らしていたナシの人々はどうなったかというと、
テーマパーク化した古城内の家を外の人たちに貸付け、高いテナント代を稼いで、
そのお金で郊外のアパートを買い、移り住んでいる。

唯一、ほっとするのは、どうやらこの「開発」過程で利権を庶民が奪われることはなかったらしいことだ。
よくあるパターンとして、少しでも金儲けできそうな兆しが出てくると、

地元せいふが「きゅう家屋かいぞう」と銘打って、なけなしの金で住民らを追い出してその不動産を占拠し、
何十倍もの金額でディベロッパーと利益を山分け、庶民はその儲けの蚊帳の外に置かれる、という状態だ。
そういうやり方のために今、全国で激しい闘争がおき、あちこちでてんやわんやとなっていることは、ウェイボーを毎日覗いていれば、だいたいの想像はつく。

麗江の場合、庶民がちゃんと家主のまま、町の発展の恩恵に預かっているらしい。
他の諸外国では当たり前のことでも、場所変われば、それがとても美しく、癒される話に聞こえる。



道端にヤギの解体姿が。どういうパフォーマンスなんしょう。。。


   
   こちらは子豚の丸焼き。これは今後、なんども見かけることになる郷土料理らしい。




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