いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

麗江・束河2、麗江は今や「艶遭之都」

2013年08月04日 11時48分15秒 | 雲南・麗江の旅
昨日、すごい言葉を耳にしてしまった。
麗江は、なんと「艶遭之都」といわれているそうな。
つまりは「リゾ・ラバのメッカ」????
「艶遭」は、男女の出遭い。


そういえば。
数日前、麗江で町の散策ついでによさげな客桟があれば、中をチェックし、値段なども聞いて回っていたのだが。
ある客桟(民宿)で中年のおっさんがめんどくさそうに出てきて、
「部屋は自分で勝手にみろ。言っておくが、門限は12時、異性の『お友達』を連れて帰ってくるのはご法度だ。宿の風紀を維持するためにな。」
と、なんか意味もなく、最初からいきなりすんごい攻撃口調。
こちらでは、素人女性はあまり化粧しないので、水商売女にでも間違えられて、客でも連れ込むと思われたのかしら、
思いっきり失礼なんすけど、とこちらもぷりぷり怒って、部屋も見ずに出てきた。

しかし「艶遭之都」という言葉を知った今から思い返せば、もおおお、そういう輩ばかりだということねえええ。
しかも別に商売女ではなく、素人の都会の若い娘が。
つまりはバーなんぞで意気投合した男女が、どちらかを部屋に「お持ち帰り」することがあまりにも多く、宿のおっちゃんとしては、頭を痛めていたというわけ。
私の出で立ちが中国的にいえば、ばっちりメイクして着飾って「出動」しているなんて、「やる気まんまん」という解釈??
それもそれで超失礼なんすけど!


しかしまあ。
まるで中学高校の風紀委員のような言いぐさだ。
お金を払って部屋を借りていて、「お持ち帰り」も問題になるというのは、どうよ。
誰に迷惑をかけるわけでもなく、
欧米や日本では、まったく問題にならないことが、この国では、えらい大げさな問題になる。
なおまだ「保守」と「前衛」が混在一体のまま並存しており、「前衛」的な若者らを悩ましているのだなああ。



束河のお泊りが20年ぶりにドミトリー、女子6人部屋であったことは、前述のとおり。
毎日、入れ替わりは激しいが、寝る前に会話が盛り上がることも多い。

最初の夜に出会ったのは、22歳の貴陽出身の元気な女の子。
大学4年生で卒業旅行で来ているという彼女は、
「1年前に麗江に来た時、艶遭やっちゃったーん」とぎゃはぎゃは笑いながら話してくれた。

彼女のお相手は、同じ旅行者ではなく、バーの店員だった地元ナシ族の青年。
山岳地帯でワイルドに育った野生児のたくましさに、がつんとやられちまったらしい。
このあたりは高原だけあって紫外線がきつく、こちらの人たちはひどく色が黒く、男はその分だけワイルドに映る。

しかし1年たって再び麗江を訪れた彼女は、最近付き合い始めたという彼氏と二人で来ていた。
彼氏は大学の同級生。
解体したマウンテンバイクを麗江まで郵送し、これからラサまで二人で自転車で踏破するという。
1年前「あたし、絶対にまた戻ってくるから!」とナシ族青年に約束して帰った彼女は
今回、律儀にも彼を訪ねていったが、あいにく留守だったという。

彼女はそれを幸いに、メモを残して帰り、自らの約束の成就を証明した。
「必ず帰って来るからという約束は、これで果たしたもんね! 留守なのは、私の責任ではないわ」と、
自らに大いに満足し、彼氏と消えて行ったのである。


中国版「セックス&ザ・シティ」といわれるドラマ《好想好想談恋愛》(2003年)にも麗江が出てくる。
ちなみにこのドラマは、「あまりにも奔放な恋愛の描写が風紀を乱す」といって、放送禁止になりましたが。
中国国内では、ネットでみれまっす。

奔放な恋愛を楽しむサマンサの中国版女子は、都会での恋の駆け引きに疲れ、一人で麗江に旅に出る。
そこでレストランを経営する地元の青年と恋に落ち、そのまま雲南に沈没して帰ってこない、という結末になっている。

つまり「前衛」の最前線を行く「都会女子」の「かっこいい結末」という位置づけだ。
金満主義の跋扈する都会であらゆる快楽と贅沢を堪能し尽した果てに行き着く先として。

しかしそれが口でいうほど生易しいことでないことは、異国で「適齢期」中(のつもり!)の我ら日本人女子にもよくわかる。
ドラマでは彼女が麗江で知り合った「都会高学歴・高収入女子」と「地元からほとんど出たことのない低学歴・地元っピー男子」
というリゾラバの果てに成立したカップルが、破綻していく様子を多く目にする、という場面が出てくる。

所詮は、非日常というベールが取れてしまえば、
目の前にいるのは、価値観も経済力も知識レベルも違う見知らぬ相手、というわけだ。
それでも統計学的にいえば、絶対数が増えれば添い遂げるカップルもそれなりに出てくる。

ただその数は、我々の周囲にいる「国際結婚カップル」程度の比率でしか存在しないと思う。
同じ国の中ではあるが、まさに国際結婚くらいのギャップがそこには存在し、成就にはよほどの条件が揃っていなければならないだろう。

非日常の中の「テーマパーク」で出会った、自分にとっての非日常を演じてくれる「俳優」のような存在の相手。
それはあくまでもその環境とシチュエーションが作り出した「ドラマ」でしかない。
忘れてはならないのは、ここは世界でバック・パッカー女子がはまる代表的な場所としてのバリ島やネパール・ヒマラヤの山中ではなく、同じ「国内」だということだ。
「今度、北京(あるいは上海なぞ)に行った時に、あなたに会いに行くよ」と相手がすぐに言える。
何しろ、先進国と発展途上国ほどの格差が存在しても、そこはビザもいらない「同じ国」の中なのだから。

その言葉が出た途端に、娘たちの前をさっとかすめるのは、
自分が今、都会の生活で歯牙にもかけていない、学歴の低く、教養がなく、単純労働にしか従事できない「民工」の小汚い男たち。
そんな青年が北京の「日常」で自分に会いにくる・・・・。
それを想像した途端にざあああ、っと夢が覚めるのである。


ちなみに日本人男性と中国人女性のカップルは毎年1万人前後、
中国人男性と日本人女性のカップルは毎年1000人前後。
離婚率はともに50%程度という。
これがイギリス男性と日本人女性の結婚あたりでは、離婚率が20%程度になる。
やはり日中の通婚はまだまだ乗り越えなければならないギャップが大きい。
「麗江婚」の成就率は、どれくらいだろうか?


あやや。
まじめに歴史のお勉強をしようとがんばっている私の元に、妙な検索記事がひっかかった。
あまりにも笑えない内容なので、ここで独断と偏見の意訳によりご紹介を。

http://wenku.baidu.com/view/98921861168884868762d6a1.html


どこの新聞の切り抜きなんだかはわかりませんが。
地元の新聞でしょうかね。

麗江「艶遇大王」が廃人に。多情女たちを傷つけたことを後悔

2010年2月18日晩、雲南省麗江市古城区の某客桟にて、あるカップルが熱い時間を過ごした後、
若い女は突然ベッド・サイドに置いたかばんの中から1本のはさみを取り出し、眠りこけている最中の男に躍り掛かり、局部を切り取った。
血の海を目の前にして、女は冷笑を浮かべ、通報の電話をかけた・・・・。

情熱的な一度の逢瀬が、なぜ血のショーに様変わりしたのか?
若い女が自首して供述したところによると、男は麗江で有名な「艶遇大王」、その「職業」は麗江を訪れた美しい女性旅行客をハントすることだという。
女は自分がいつの間にか、男の手口にはまり込んでいた、と述懐した。

「結婚が暗礁に乗り上げ。ロマンチックな出会いで傷を癒そうと」

結婚生活が暗礁にのち上げたのでなければ、関咏が麗江に行くことはなく、ましてや瞬く間に麗江でも有名な「艶遇大王」になることもなかった。
今年30歳になる関咏は山東省済南の出身、2004年に大学を卒業後、某広告代理店の顧客部マネージャーを務め、年俸10万元を稼いでいた。
2004年の5月の連休中、彼は同じ会社の美しい出納係のフウ莉と結婚した。
ところが2年後、妻が実は大型顧客が自分に「処分」した元愛人だったことが発覚、
自分と結婚した後も愛人関係が途切れることはなく、続いていたのだ。
憤懣やる方なき彼は、直ちに妻と離婚した。
この挫折の後、関咏はふさぎ込むようになり、仕事をする気力もなくなり、部門の業績はガタガタに下がり、まもなく会社から解雇された。

2007年7月初め、彼は雲南の麗江に気分転換の旅行にやってきて、古城区の文治巷にある客桟に宿をとった。
高原の盆地にある麗江古城は、その美しさ、リゾート地としても有名だったが、それよりも名をはせ、人々を惹きつけたのは、
町中に所狭しと並ぶさまざまな趣向をこらしたバーと茶館である。

そこで出会った男女がここで一夜の熱い逢瀬を演じる。
叱責を受けることなく、隠す必要もなく、バーに置かれている本でさえ『麗江艶遇指南』である。
このため麗江は又の名を『艶遇之都』、『男たちの天国』ともいい、毎年500万人以上の観光客がその名を慕って集まる。

当初、関咏は数日遊べば済南に帰ろうと思っていたが、
この地、この風景、この情、そして離婚の傷が、彼を強烈に艶遇に惹きつけた。
そこでしばらく滞在し、「麗漂族」を決め込むことにしたのだ。
(「麗漂族」、初めて知りましたねー。「北漂族」が、チャイニーズドリームを夢見て北京で貧乏生活に甘んじつつ、頑張る若者。その麗江版ですな)

その後は昼間は寝、夜は「後街5号」、「桜花屋」、「2416」などのバーでナンパに精を出した。
心動かされる女を見つけると、近寄って行ったが、相手は揃いも揃ってまったく脈なしだ。

ある時、彼は失望して客桟の主人・阿龍にこぼした。
若い阿龍は、本質をズバリと言い当てた。
「ファッションがあまりにも凡庸なんですよ。
 今は、『新壊男人』の時代ですよ。 (ぎゃああ。「ちょいワルおやじ」じゃ!! これは完全に日本語から来てません?? )
 できるだけ個性的な恰好をして、トレンディな男、クールな男、ほかにはない男を演じないと出会いの相手には選んでもらえませんよ」

関咏は目からうろこが落ちる思いだった。
直ちに近所の床屋にいき、韓流スター系のウェーブヘアーにし、コロンビアのパーカー、本革のローファーを買い込み、
頭のてっぺんから足のつま先まですべてアレンジしなおした。
自分で見てもエネルギーがほとばしる硬派のロックンローラーのような出で立ちになった。
(どんなんや)

それから関咏は3ヶ月をかけ、古城のありとあらゆるバーを制覇し、蟠踞する腕利きの艶遇のプロ中のプロたちと知り合い、
多くの「テクニック」を学び取った・・・・。

まず艶遇で求められるのは刺激であり、刺激とはミステリアスなものからくる。
そこで自分におしゃれなハンドル・ネームをつけ、同時にできるなら一芸に秀でているのが望ましい。
歌、ダンス、ギターと言ったものなぞは、女たちを惹きつけるにはよい。

次にバーにいる女が全員「その気」というわけではなく、相手を見てこちらの出方を決める能力が必要だ。
年齢ごとに女側の「覚悟」もちがい、相手を見て判断できなければならない。

最も面白いのは、関咏は女たちのバーでのしぐさ、表情から八大料理大系である山東料理、四川料理、浙江料理、湖南料理、広東料理、福建料理、蘇州料理、安徽料理に分け、
さらに相手を「料理」する手段-- 焼く、炒める、蒸す、強火炒め、弱火煮こみ、蒸し焼き、とろ火煮こみ、煮込みを決めていたことだ。

彼が自分につけたハンドル・ネームは「偽装不聊」(話さない振り)。
歌もダンスもできないため、無理やり数百首の唐詩と小話を丸暗記し、「先天的な不足」を補った。

関咏がよくいくバー「千里走単騎」(あいや。あたいの写真にも最初のころ、映ってましたがな)で20歳前後、張柏芝(セシリア・チャン、香港の女優)に似た娘と知り合った。
彼女は音楽に合わせ、激しく踊っているところだった。
こりゃ典型的な辛い「湖南料理」だ、料理は「強火炒め」が必要だぜ、と瞬間的に判断。
そこでグラスを片手に大胆にも目の前に立ちはだかり、お酒をつきあってくれないか、と誘った。
娘は案の定、気軽に承諾した。
関咏は紳士のようにただ娘のダンス、酒、おしゃべりにつきあった。


・・・・・・・と、ここで残念ながら、「試し読み」が終わりですわー。

後ろ髪は惹かれますが、要するに外地から来た大卒の「プチ・インテリ」がどうやって自分を演出し、ナンパ大王になり、
最後に大事なものを切り取られるか、というストーリーなんでしょうから。
大体、主旨はわかったっちゅうことで、もうええんちゃうんでしょうか。

つまりはこのように現地のナシ族男子だけでなく、中国全土から「腕に覚えのある」強者どもがここに集まり、
ほかではいくら努力しても成功の可能性の薄いナンパというゲームに命をかけているか、っちゅう世界があるってえええことですかね。
生産活動もせず、朝から晩までそんなことに精を出すなんて、ご苦労様と思ってしまうが、
それくらい中国のほかの都市では、成功率が低いということでもあり、ここだけがなぜか女たちには「治外法権」と写り、
なぜか男について行ってしまうということねええ。

しかし正気に目覚めた後は、しっかり恨みも残り、
あげくの果てには、阿部定と化すのだから、やっぱり「天国」とは一概にいえないかあああ。






前回からの麺のお店の続き。

このテーマパーク化した町で10元以下の食べ物が見つかること自体、
もうとっても貴重なわけで。らーめん一杯7元。ありがたいっす。

これまたタイトルには、ぜんぜん関係ない味気ない写真で失礼。





あまりに観光地の食事が高いので、ついつい麺だけ、などと主食が中心のメニューになってしまい、野菜が不足してきた。
なんだか気持ち悪いので、明日は自由市場の場所を聞き、きゅうりやトマトなど、そのままかじれる野菜を買って来よう。





らーめんの具に入っていた烏骨鶏の煮汁。
油がれろれろに浮いていますが。
「土鶏」と書いていますから、そのへんでこっここっこと放し飼いにした烏骨鶏のようです。
田舎ならではの楽しみ。



   




人気ブログランキングへ にほんブログ村 海外生活ブログ 北京情報へ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。