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「一粒の砂」の、たわごと。
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米・ゼネラルモーターズ社の実験

2013年09月12日 10時26分32秒 | Weblog

「怒鳴っても人間は変わらない!」

「重要なのは人間を変えることではなく、仕組み(システム)を変えること」

「史上最悪の工場を変えたシンプルな教え」

こんなキャッチコピーに惹かれたので、読んでみた。興味深い話だった。少し長いが、お勧めである。 

 

本文;http://www.lifehacker.jp/2012/10/121017fix_the.html 

「怒鳴っても人間は変わらない!」史上最悪の工場」を変えたシンプルな教え

 

誰かがミスをすると私たちは腹が立ち、怒鳴ることもあります。怒る理由はミスをした人の行動を変えたいためです。しかし、いくら怒っても彼らの行動は変わらないどころか、反抗的になることさえあります。100万人以上のメンバーが所属する非営利政治活動グループ「Demand Progress」の設立者で代表のAaron Swartz氏は、「重要なのは人間を変えることではなく、仕組み(システム)を変えること」と述べています。今回はSwartz氏が米・ゼネラルモーターズ社(以下、GM)の事例をもとに「史上最悪の工場を変えたシンプルな教え」について語ります。

 

米・ゼネラルモーターズ社の実験 

米・カリフォルニア州フリーモントにあるGMの工場は最悪の状態でした。当時の労働組合長は「戦いの毎日でした」と振り返ります。「働いている時間より抗議活動をしている時間の方が長かったのです。ストライキは日常茶飯事で、毎日が混乱の連続でした。当時の自動車業界では、フリーモントの労働者は全米で最悪だと呼ばれていたのです」。

 

当時の工場を調査した米・ミシガン大学のJeffrey Liker教授によると「フリーモントの工場で買えないものはない」がキャッチフレーズだったそうです。「セックス、ドラッグ、アルコール、すべてが工場内で手に入りました。昼食や休憩時間になると、賭博などの違法行為も見られました」。無断欠勤は常習化しており、労働者が十分に出勤していないため、製造ラインが動かせないことも多くありました。管理者は、工場近くのバーに入り浸っている労働者たちを引きずり出して働かせたこともあったそうです。

 

会社が労働者に罰を与えれば、すぐに過激な仕返しがありました。会社の車にわざとキズを付けたり、ストライキを始めたり、部品を故意に取り付けなかったりしました。それは会社と労働者の戦争でした。1982年、ついにGMはフリーモントの工場を閉鎖しました。しかしその翌年、トヨタがアメリカで最初の自動車工場を建設するにあたり、GMと提携することが決まりました。フリーモントの工場は再稼働することになったのです。この時、工場で再雇用されたのはGM時代に最悪と呼ばれたあの労働者たちでした。またこの出来事は、「GMとトヨタがそれぞれ同じ労働者を雇ったらどのような違いが出るのか」という、経営史に残る壮大な実験の始まりでもありました。 

 

まずトヨタは、フリーモントの騒がしい労働者を日本に送り、彼らにとっては「全く新しい働き方」を見せることにしました。「トヨタ生産方式」と呼ばれる働き方です。トヨタでは、現場の労働者と管理者は同じチームだと見なされていました。労働者がミスでラインを止めても、管理者が怒鳴ることはありませんでした。それどころか、どうやって労働者を手助けできるか、自ら現場に足を運んで聞きに来ていたのです。フリーモントの労働者にとって、これは信じられない光景でした。当時のトヨタで教育係をしていた従業員はその光景をこう語ります。「フリーモントで30年以上働いてきた白髪まじりのアメリカ人が、涙を流しながらトヨタの労働者を抱き寄せていました。彼らはみんなが協力し合うトヨタの働き方を見て、心の底から感動したようでした」。

 

3カ月後、フリーモントの労働者はアメリカに戻り、工場は再稼働しました。すべてが変わっていました。抗議活動や無断欠勤はすっかりなくなり、労働者たちは仕事に来るのが楽しみだと言うようになったのです。変化はそれだけではありません。過去に全米最悪と呼ばれたフリーモントの工場は、全米トップの工場に生まれ変わったのです。作った車は満点に近い品質評価を受け、製造コストも急減しました。問題は従業員にあったのではなく、仕組みにあったことが証明されたのです。(※1

 

組織は人間だけで成り立っているわけではなく、仕組みがあって成り立つものです。その意味で、組織とは人間を組み込んだ機械のようなものです。「組み立てライン」を想像してみてください。単純に人を集めて、マニュアルと部品を与えてもうまく組み立てられないはずです。逆に、ベルトコンベアの上に部品を載せて、作業者が別々の工程を担当するなど、入念な仕組みを作れば組み立てラインはスムーズに動くでしょう。

 

 

仕組みを作って結果を出す 

仕組みがうまく動かない時、その中の人間に対して怒っても意味がありません。機械が動かない時、部品に対して怒るようなものだからです。もちろん、間違った部品を使っていれば、機械が動かない場合もあります。しかし、それは部品自体が悪いわけではなく、部品の使い方を間違えているだけなのです。

 

人生で達成したい目標があるなら、おそらく何らかの組織が必要でしょう。もし、その組織が自分ひとりだけだったとしても、すべてをひとりでやる必要はありません。組織を作って他人と協力すれば、望んだ結果が起こしやすいのです。

 

例えば、あなたは自宅の裏庭に小屋を作りたいとします。木材を切ったり、ハンマーで打ったりするのは得意ですが、全体的な設計は苦手です。何回組み立てても、うまく行きません。自分で設計方法を学ぶことも解決策のひとつですが、「自分は設計には向いていない」と早々に見切りをつけるのも手です。代わりに、得意な友達に設計を任せて、自分は組み立てに専念します。小屋を作ることが最終目標なので、すべてを自分ひとりで作る必要はないのです。

 

また、運動して健康を保ちたいと思っているのに、面倒でなかなかできていないとします。こんな時、できない自分を責め続けても問題の解決にはなりません。代わりに「運動するための仕組み」を導入しましょう。毎朝ルームメイトにリマインドを頼んだり、時間を決めて一緒にジムに通ったりというのも仕組み作りです。何か課題があっても、すべてを自分ひとりでやる必要はないのです。

 

 

「根本的な帰属の誤り」による思い込み 

1967年、心理学者のEdward Jones氏とVictor Harris氏は、大学生を集めて実験を行いました。

実験は、他の学生が書いたエッセイを読ませた後、ディベートさせるというものです。エッセイを書いたのは架空の人物で、ここではJimと呼ぶことにします。エッセイはキューバ革命の指導者フィデル・カストロがテーマです。ただ、エッセイの書かせ方についてはさまざまな工夫をしました。エッセイは「カストロ擁護」、「カストロ批判」、「Jimが自ら立場を決めた」などの内容で用意しました。集めた大学生にはJimの書いたエッセイを読ませ、Jimが「親カストロ派」なのか「反カストロ派」なのかを判断してもらいました。

 

実験を行ったJones氏とHarris氏は特別な結果を予想していたわけではありませんでした。Jimがカストロ擁護のエッセイを「自ら進んで」書いた場合は親カストロ派だと、反対に擁護のエッセイを「強制された」場合は反カストロ派だと学生たちは判断すると考えていました。しかし、結果は完全に違っていました。Jimがカストロ擁護のエッセイを強制された場合でも、学生たちは彼のことを親カストロ派であると判断したのです。これは信じがたい結果でした。研究者たちは「学生が実験をよく理解してなかったからだろう」と思いました。

 

納得のいかない研究者は、何度か実験を行いました。ついには実験者がJimにどのようなエッセイを書くか指示しているところを録音し、学生に聞かせました。これなら、Jimは明らかに自分の意志で書いてはいないので、本心からそのエッセイを書いたようには思えないはずです。しかし、今回も結果は同じでした。学生はJimのエッセイを読んで、Jimは本心からそれを書いていると思い込んでいたのです。

 

この実験は極端なケースですが、私たちは日常生活でも同じような思い込みをしています。白線をはみ出して駐車してある車を見て、「ひどいドライバーだな」と思っても「急いでいたんだな」とはまず思わないでしょう。コンサートで何度もぶつかってくる人がいたら「迷惑なやつだ」と思っても「他の人が彼にぶつかっているんだろう」とは思わないでしょう。警察官がデモ参加者を殴るのを見て「なんてひどい人だ」と思っても「ひどい訓練を受けたんだな」とは思わないでしょう。このような思い込みは誰でもしてしまうことです。1977年、心理学者のLee Rossはこの思い込みを「根本的な帰属の誤り」と名付けました。つまり、私たちは状況を考慮せずに、他人の行動を性格と結びつける傾向があるということです。

 

 

仕組みを変える 

誰かがミスをすると私たちは怒ってしまいがちです。これではGMの工場で、現場の労働者がミスをすると上長が怒鳴っていたのと同じことです。なぜ怒鳴ったのかと聞けば、「誰でも怒られたくないので、怒られれば次から注意するようになるから」と答えたでしょう。

 

しかし、この説明はあまり説得力がありません。労働者はミスをしたかったわけではないし、ひどい車を作るのが楽しかったわけでもありません。それに、仕事のやり方を変えた途端、全く同じ労働者がしっかりと働くようになったのはまぎれもない事実です。

 

彼らは根っからひどい人間だったわけではなく、普通の人間なのです。仕事がなかなかできないとき、そのことで怒鳴られても仕事をする気になるわけではありません。重要なのは、「人をどう変えるかではなく、仕組みをどう変えるか」ということなのです。必要なのは、「ミスをしても怒鳴らない」という仕組みを作ることかもしれないし、チームに新しいリーダーを引き入れることかもしれません。また、間違えたり忘れたりしないように表示やリマインドをするといった単純な仕組みがあれば十分なのかもしれません。

 

前述のGM工場では、労働者は毎日のようにミスを起こしていました。エンジンが逆方向に入った車、ハンドルやブレーキがない車、エンジンすら動かない車も見つかっていました。当時の管理者は怒鳴ってばかりで労働者を助けることはなかったそうです。労働者は何かの異常に気づいてもどうしたらいいかわかっていなかったため、問題を放置していました。

 

反対に、トヨタの工場では問題を放置しませんでした。組み立てラインの上には「アンドン」と呼ばれる赤いコードがあり、何か問題があればそのコードを引いてラインを止めることができました。コードを引くとランプが点灯し、すぐに管理者が駆けつけて問題を解決することになっていました。

 

この仕組みを導入した成果は工場のいたるところで見られました。労働者の負荷低減を目的としたマットやクッション、使いやすいようにキャスターが付いた道具用の棚、問題解決のために特別に設計された道具など、労働者のための小さな改善が積み重なって大きな変化を生み出していました。

 

あなたが誰かに対して腹が立った時、彼らの行動を変えたいと思うでしょう。しかし、あなたがどれだけ高い役職に就いていても、他人の頭の中までコントロールすることはできません。怒鳴っても彼らの行動は変わりません。GMの労働者のように反抗的になるだけです。

 

他人の行動は変えられません。しかし、それ以外なら何でも変えられます。そして多くの場合、人を変えなくても変化は起こせるのです。


今、求められる時代劇

2013年09月12日 06時00分13秒 | 映画演劇

 

 

最近は韓国ドラマがアチコチで放映されているが、少し見飽きてきた。

アラ古希爺さんにとって、たとえ過去に放映したものであっても時代劇を増やすことに大賛成である。(コスト的には、昔の時代劇作品でも韓国ドラマには太刀打ち出来ないのか?)

 

次の記事をご研究の上、ドラマ制作関係者やテレビ関係者のご一考を御願したい。

 

インターネットに、2011.4.19 22:00の記事である。

 

 大震災以降、テレビはバラエティー番組も復活しているが、「心穏やかならざるこんなときだから、昔の人が困難を克服する話をじっくり見たい視聴者は多い」(テレビ誌ライター)という言葉通り、週末の時代劇が数字を稼いだ。(夕刊フジ)

 

 人気シリーズの完結編として17日スタートした「JIN-仁-」(TBS系、日曜午後9時)は、平均視聴率23・7%をマーク。幕末にタイムスリップした脳外科医の仁が主人公だが、坂本竜馬(内野聖陽)の一言「もういっぺん生まれてきたい。そう思える国にすることじゃき」が象徴するように懸命に生きる姿が心を揺さぶる。

 

 もうひとつ。大人のファンに根強い人気を誇るのが、鬼平シリーズ。金曜プレステージ「鬼平犯科帳~一寸の虫」(フジテレビ系、15日午後9時)は、じっくり2時間枠で見応えたっぷり。視聴率14・3%と同時間帯で健闘した。

 

 「中村吉右衛門演じる鬼平はじめ、三國連太郎、寺脇康文、原田龍二らの鬼気迫る演技・アクションはもちろん、背景の描写も細かい。元祖グルメの池波正太郎らしい“五鉄の軍鶏鍋”など、たまらない」(時代劇通の放送作家)

 

 このところ15~17%台だったNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」(日曜午後8時)も17日の放送で、19・2%に視聴率が再浮上した。

 

 バラエティーを見ても心の底から笑えない今こそ、時代劇枠を増やしてもいいのではないか。”