海音寺潮五郎氏の「孫子」は二千数百年前の話である。
これに鞅(おう)という人の話が出てくる。
当時の中国では行政上は徳治政治(徳でもって世の中を統治する)即ち徳治主義だった。
これを捨てて法律万能、信賞必罰の法を、経済的には徹底した統制経済を、軍事的には徹底した強兵主義を取るという方法を秦という国の王に提案し実行した人が鞅(おう)という人だった。
見事に強国となり近隣諸国を侵略したのだった。
ここで小生が特に目に留まったのが連帯責任体制の導入であった。
民に五家ないし十家で組をつくらせ連帯責任を待たせたのである。組の中の一人が罪を犯せば組中が有罪とされる。組中の者の悪事は告発する義務があり、もし知りながら告発しない場合には厳罰に処せられた。
太平洋戦争時や江戸時代には似たような制度がわが国でもあったように記憶しているが、これ等はこの故事を習ったのであろう。
余談ではあるが、鞅(おう)という人は皮肉にも自分がもたらしたこの厳格な法治制度のため悲惨な生涯に幕を閉じたのだった。
人間は、知情意の生き物である。いかに緻密に考えたとしても人の定めた法には欠陥がある。極端な法律万能主義ではいづれ破綻するのである、
結果として戻っていくのは、孔子の謂うバランス主義なのだろう。