谷沢健一のニューアマチュアリズム

新ドメインに移行しました。

2008年の12の? マリーンズ(その3)

2008-03-14 | プロ野球への独白
 グランドではバレンタイン監督が自転車で各練習場を走り廻り、そこここで二言三言注意していた。目の光が違う。ブルペンで、袴田コーチに小林雅、薮田両投手の抜けた穴について聞いてみた。
 袴田氏「まだ誰を当てるか決まってませんが、左の川崎、服部(トヨタ)、根本(横浜商大)に期待してますよ」
 私「高木晃次君は40歳でもボールに力があるね」
 袴田氏「頼りになりますね」
ピッチングを終えた成瀬投手が胸をそらすようにして挨拶してくれた。昨年は16勝1敗である。胸をそらせていい成績だ。
 私「背番号を変えたね」
 成瀬君「あと一つで最多勝を逃がしたので、17番はその意味合いもあります」
小宮山投手とも顔を合わした。
 私「選手で残っているとは嬉しいね」
 小宮山君「残してもらえてありがたいですけど、冷やかさないでくださいよ」と手短に答えて慌ただしく去っていった。
 野手では習志野高後輩の福浦和也選手も昨年は負傷に泣いたが、今日は打ち込みに精を出している。また一軍に合流している神戸拓光君も張り切っていた。彼は流通経済大の出身で、YBCとも2度ほど対戦し、非凡なバッティングを見せられた。
 マリーンズは総合的にバランスの取れたチームであり、ボビーイズムが選手に浸透している今年も大暴れしそうだ。ただし、ボビーイズムはいったんズレが生じると修復しにくいというきらいもある。ひじょうにクレバーなボビーは、それを知っていて、早め早めに(多くの場合、選手やファンが気づく前に)ズレの補修を行ってきている。それが冴えわたっている限り、ロッテのプレーオフ進出は間違いないだろう。
 今年のロッテの「?」は米国球界がボビーをいつ、どういうふうに誘ってくるかではないかと思う。今や、日本のプロ野球はMBLの動向に大きく左右される時代に入っているのである。「メジャーメジャーと騒ぎまくって、日本のプロ野球をないがしろにしている」と怒る心情ももちろんわかるが、優れたスポーツは最後はナショナリズムを超えるものであることを、そろそろ球界の共通認識にしてもいいのではないだろうか。
 12球団の「?」はこれで終了とする。シーズンの終わりに「?」を検証しようと思っている。
(以下、「コメント」代わりです。米田さん、千葉ロッテマリーンズが最後になりました。遅くて申し訳ありません。上村君は楽天球団に就職しました。YBCにはまだまだ素晴らしい人材がおります。
 オープン戦を観戦に行こうと副部長とも約束していたのですが、私事が重なりまだ実現していません。突然、お邪魔するかもしれませんので、その時は宜しく。)

2008年の12の? マリーンズ(その2)

2008-03-14 | プロ野球への独白
 アップを終えた選手たちが私の前を通っていった。大嶺君が目礼をしてくれたので、「地元でのキャンプは嬉しいだろう」と声を掛けると、「いや!石垣の人はルールを守れないので、恥ずかしいです」と言う。大嶺君の真面目な性格が気を遣わせているだけでなく、石垣人という意識が心底にあるのだろう。
 立花龍司コンディショニングコーチとも久方ぶりに顔を合わした。
 立花氏「オフは筑波大の大学院に通っています。最近、脇腹を痛める選手が続出してますので、何が原因かデータを取り治療の方法も研究しています」
知っての通り、近鉄時代の野茂投手が最も信頼していたトレーニングコーチで、当時から斬新な方法を取り入れていた。特にノーラン・ライアンの肩関節を強化するPNFトレーニングを積極的に採り入れた。
 PNF=Proprioceptive Neuromuscular Facilitation(固有受容性神経筋促通法)はリハビリ技術の一つで、「障害者を含めすべての人間は、未だ引き出されてない潜在能力を持っている」という哲学に基づいている。私もPNFについて少しばかり勉強し、さらに米国にいる長女から詳しく教わったりした。全体の筋バランス、柔軟性、敏捷性、持久力、反応時間などの運動機能の改善と向上に応用できるから、一般臨床だけでなく高度なスポーツの分野でも幅広く用いられるようになっている。

2008年の12の? マリーンズ(その1)

2008-03-14 | プロ野球への独白
 2月4日に訪れる予定の石垣島を東北楽天の久米島に変更したため、2月16,17日の両日に宮古・石垣行きを組み込んだ。宮崎入りする直前に遮二無二設定した。昨年、記念イベント始球式に招いてもらったこともあるし、なにより優勝候補の筆頭でもあるからだ。石垣島は25年前に我々がキャンプを張ったところである。それ以降、プロ球団のキャンプが途絶えていたが、千葉ロッテの手によって復活した。
 12球団の最後を締める沖縄滞在だなと思いながら、オリックスの宮古島から空路、石垣島へ乗り込んだ。日が沈みゆく八重山諸島は一際美しい眺めだ。ホテルで荷を解いてから市内散策に出かけた。10年程前に名球会野球教室で訪れたが、その時はゆっくりする時間もなかった。栄町銀座通りを中心に商店街が広がり、店先や街頭には千葉ロッテ歓迎の垂れ幕やバレンタイン監督以下、選手たちの等身大の像が白色の布に映えていた。島民の皆さんの熱い歓迎振りが伝わる。ちょうどすぐ先には2年前甲子園を沸かせた八重山商工の校舎が位置している。その立役者・大嶺祐太君がロッテ入りして、石垣キャンプが実現したという。
 好天だし、懐かしさもあって、球場周辺を巡ってみた。本球場はスタンドも低く、ファンは選手を間近で見られる。右翼後方に総合体育館、道を隔ててサブグランドと室内ドームがあり、その裏にブルペンが設置されている。広い運動公園を時計回りに進んでいくと、陸上競技場が目の前に見えてきた。「そう言えばキャンプで400mトラックを何本も走らされたなー」と思いながら横の土手を上がると、古ぼけたもう一つの野球場があり、「ここで俺たちは練習したんだ!」とつい叫びそうになった。
 本球場ネット裏の観客席数段分にテントが張ってあった。瀬戸山球団社長がいらしたので挨拶に出向いた。ちょうど、市長と話しているところであった。
 市長「あの時の中日は最下位になりましてね。設備もないところに加えて雨ばかりでした」
 社長「その中日の成績が気になってね。縁起が悪いので、キャンプ地として躊躇しましたよ。あはは」
 私「25年前ですよ。忘れてくださいよ。雨のときは商工の体育館を使いました」
 市長「私は飯より野球が好きでね。今回は不備な点も多々ありますが、設備は良くしますよ。古い球場も改修の予定です」ロッテは長年、鹿児島に根を下ろしていたが、これから当分は石垣島がロッテタウンとなりそうだ。

2008年の12の? ジャイアンツ(その2)

2008-03-11 | プロ野球への独白
 二岡選手がティー打撃をしていた。
 私「どうだい、膝の具合は?」
 二岡君「やっとティー打撃がスムーズにできるようになりました。開幕には間に合わせます」二岡君も小笠原君も左膝を手術したが、二岡君のほうは打撃の際にステップするのが左足なので、回復が早いのかもしれない。
 そこへガッツ小笠原君が柔剣道場内での筋力トレを終えてドーム内に入ってきた。
 私「左膝か?軸足だと辛いなー」
 ガッツ君「ティーをやってもまだ軸足が流れるんですよ」
 私「そんなにひどっかたのか」
 ガッツ君「2年間、ガマンしてプレーしましたから」「去年は人工芝に足を付けると跳び上がるほどの痛みででした」
 私「よく2年続けてMVPを獲れたね」
 ガッツ君「ファンの後押しでやれてただけです」とあくまで彼らしい言葉しかいわない。
 じつは、東京ドームは膝を痛めやすい(と多くの選手たちは思っているはずだ)。人工芝に入っているチップ(木くず)がスパイクに絡んで、必要以上に足首にも膝にもはては腰にも負担がかかるのである。人間工学の専門家のチェックが入っているのかいないのか知らないが、年俸が高い分、選手を大事にする度合いが低いと言われても仕方ないだろう。
 私が授業で使用している早大の軟式野球場は昨年から全面人工芝になったが、チップに土を加えてあるので走りやすいと学生たちには好評である。建設中の柏の葉野球場のように、設計者・施工者・管理者の一存にまかせて、各種の体育関係の専門家のチェックを経ないままに作られると、実際に使用する者にはひどく困ることになる。だが、それは我が国ではどこでも当たり前のことのようだ。(すべきことをしないですませる理由を思いつくことにかけては、天才的な人々が多い……)
 紅白戦では、クルーン投手の足に打球が直撃し、一瞬ヒヤッとさせたが事なきを得た。矢野君の一発が出たし、2年目の若手・坂本勇人内野手の打撃にも光るものがあった。前日、長嶋終身名誉監督が訪れて坂本君を激励したそうだが、今日も早朝から原監督の父君がブルペンや若手の打撃を注視していた。その表情はコーチそのもので、もし東海大学が原貢氏を離してくれれば、アマきっての名指導者がこの球団に関わるかもしれないなどと、とんでもないことを夢想する私であった。
 巨人が日本一になっても、球団側が原監督の手腕をどれだけ正当に評価するかどうか、いささか懸念されるが、今年のジャイアンツの「?}は、「年俸のため以上に監督のために優勝するぞ!年俸のため以上にファンのために優勝するぞ!」という選手がどれだけいるかではないだろうかと、意地悪なことを考えてしまう。

2008年の12の? ジャイアンツ(その1)

2008-03-11 | プロ野球への独白
 2月15日の宮崎は快晴だったが北西風が強く寒かった。サンマリンスタジアムに入っていくと、既に三塁側ベンチ前で張本勲さんが原監督にインタビューを行っていた。おそらくTBSの番組取材だろう。2人の声はかなり大きく、グライシンガー、ラミレス、クルーンといった名前が聞こえてきた。上原先発復帰の話にも笑顔で答えていたが、オフに手術した二岡・小笠原両選手の本隊への合流には時間が掛かりそうなニュアンスの話だった。これで今日の取材目的は決まったようなものだ。
 忙しい原監督とは簡単な会話程度にとどめて、一塁側ベンチの傍らにいる笹本信二球団運営部長や津末英明広報に挨拶した。取材で動き回って練習の邪魔になるかもしれない無礼を述べておいた。
 まず、新加入のラミレス選手に「Gのユニフォームが似合うね」と語りかけると、自ら胸のマークを指差して「ジャイアンツ!僕の夢!夢でした」と片言の日本語で嬉しさを押し殺すように、はにかんだ表情だった。彼らにとってもジャイアンツのブランド力は失われていないと言っているようにも思えるが、A紙のヤクルト担当の口の悪い記者によると「破格な年俸への満足感ですよ」ということになる。
 巨人のキャンプ地は広過ぎて大変である。どこでどんなメニューをこなしているのか、歩き回るだけでもくたびれる。おまけにこの日は寒かった。1時過ぎからの紅白戦で金刃、クルーン両投手の登板予定だったので、「木の花ドーム」で選手たちを待つことにした。以下はやって来た選手たちとの会話である。
 私「君のチェンジアップは指を縫い目に掛けるの?」
 高橋(尚成)君「僕は掛けますね。掛けないと狙ったところにいかない」
 高橋君「沖縄でキャンプを張っているチームの投手は、仕上がりが早いでしょうね」
 私「キャンプ序盤から投げ込んでいるね」
 高橋君「早めに肩を作りたいけど、沖縄から戻っても寒い日があるからなー」と余裕の表情で豊田投手に話を振る。
 ピッチング後で肩とヒジをアイシングしていた豊田君「冷やした後にバッテングしたくねーな…」
 何処からか「豊田!尾花コーチが呼んでるぞ」
 豊田君「谷沢さん!今年は肩の調子もいいですよ」と売り込みも忘れずに飛び出していった。そこへ上原投手がバットを下げてきた。
 私「今シーズンは、先発に戻るんだね」
 上原君「先発でも抑えでも何でもやりますよ」体力も回復してきたのか、五輪を意識したような発言だった。

2008年の12の? ライオンズ(その2)

2008-03-08 | プロ野球への独白
 渡辺監督とは私が西武のコーチ時代、2年間を共にした。当時から気軽にモノを言ってくれる男である。西武の選手から台湾プロ野球に身を転じたとき、たまたま私も台湾野球の視察に行っていて、彼のユニフォーム姿を見ることができた。たまたま登板機会はなかったが、コーチ兼任でブルペンで熱心に投手たちを指導していた。渡辺氏のご家族が日本から来台していたので、水入らずの時間を奪うのは避けて会うことはしなかったが、電話でやや長く語り合った。初めての海外野球経験で、随分苦労しているようだった。それでも、自分の技術と知識が台湾野球に役立っているという自負と気概が感じられた。
 私が西多摩倶楽部の監督していたとき(伊東・前監督に頼んで)ライオンズの2軍に胸を借りた。2軍監督の渡辺氏は2軍で調整中の1軍選手を起用するなど、最後まで真摯に相手をしてくれた。大差のついた試合だったが、手を抜くことはアマチュアチームをバカにすることで失礼だと考えたのだと思う。
 3度の最多勝投手という勲章をもつ渡辺氏の現役時代のピッチングも、ここぞと言うときは常に速球で打者をねじ伏せるものだった。スワローズに移籍して野村再生工場入りしたが、ノムさんの説得にもかかわらず、ついに速球にこだわって技巧派に転じようとしなかった。その翌年、渡台して18勝をあげ、最多勝投手に輝いたのである。新庄選手らのように、ノムさんの理論だけが正しいわけではないことを身をもって示した一人である。
 なにしろ、選手一人一人が違うように、野球の技術理論も絶対唯一の理論はなく、それぞれにふさわしい技術理論がある。この平凡な事実に気づかない人たちが多い。なぜなら、ノムさんをはじめ、多くの指導者は非凡な人たちだからである。自分の非凡な経験と実績が自分自身の理論の正しさの証明だと錯覚する。しかし、それは非凡な能力を持つ自分自身にとって最良の技術理論であっても、他者にはそうとは限らない。実際に、選手時代にはそう感じているはずなのに、監督やコーチをなると忘れてしまいがちである。私はコーチ時代、それを忘れていないつもりだったが、周囲にはそう考えない人もいた。(もちろん、基礎技術には絶対に近い理論があるが。)
 さて、渡辺新監督は、当面は投手中心のチームをつくるだろう。その点にあまり不安はない。しかし、野手のほうは不安材料が少なくない。新外国人のブラゼル、ボカチカ両選手の大活躍がなければ勝ち星の計算をしにくいこともその一つである。
 かつての「最強ライオンズ」の復活はもうありえないという見方が一般的な今、新たなカラーの強いチーム作りが渡辺監督に課せられているが、その「強いライオンズ」という新イメージをどれだけ明確に描けるか、それをコーチ以下のスタッフと選手たちに明確に理解させられるか、さらにはファンにもそれを伝えて球場を足を運ばせられるか、あまりに大きな責務である。ライオンズの最大のカギは、その重荷を渡辺氏が持ち前の明るさで背負い続けられるかどうかであろう。

2008年の12の? ライオンズ(その1)

2008-03-08 | プロ野球への独白
 新生ライオンズのキャンプ地は南郷町。広島カープの日南市から車で約30分だ。その近くの串間市はかつて6年間、私たちドラゴンズがキャンプを張った懐かしい土地である。
 宮崎入りした2月7日、真っ先に渡辺久信・新監督率いる埼玉西武ライオンズのキャンプを訪ねた。グランドに上がっていくと(息が切れるほどの坂道の先の高台に本球場がある)、投内連係の練習が行われていた。このチームも主力の和田、カブレラ両選手が去り、若いチームに切り替わろうとしている。それだけに若々しい元気な声が響く。「空元気で終わるなよ」と憎まれ口を叩きたくなるほど、とにかく明るい声が飛び交っている。
 コーチ陣も黒江ヘッドはさておき、若い潮崎・小野両投手コーチ、打撃はデーブこと大久保博元氏が加わった。森監督時代は鬼軍曹だった黒江さんも、加齢で温厚になったのか、連係ミスが生じても、叱責の声があまり聞こえない。あるいは、選手たちの声にかき消されているのかもしれない。そのせいで、ヘッドコーチの威厳が以前ほど表に出ていないような気がする。
 銀仁朗君や中村君がミスをすると、四方八方から他の選手たちの冷やかしや激励の野次が飛んでくる。2人の緩慢な動きもご愛嬌に見えてくる。私も強かった時代の西武野球を思い出し、ファンはその復活を一日千秋の思いで待っているだろうと思って眺めていた。裏金問題のせいもあってだろう、スカウトだけでなく球団フロントも一新といえるほど交代した。
 昨年はBクラスに転落した。25年ぶりだった。そんなチーム力の低下を吹き払うように、大久保コーチの叱咤激励する姿がひときわ目立つ。解説者とタレント業及びプロゴルファーの3足の草鞋を全部脱いでたった1足だけになった。大久保氏は「谷沢さん、いらっしゃいませ! 元気でやってますよ!」と叫ぶやいなや、風のようにロッカーからグランドへ身軽(?)に飛び出ていった。返事をする暇もなかったので、大久保コーチについて各方面に取材してみた。
 A氏曰く「指導の情熱は人一倍ある」
 B氏曰く「これと思う選手を食事に誘ってしっかりコミュニケーションをとる」
 C氏曰く「これまでの西武のコーチ像の殻を破っている」
 どんな長所にも短所はつきもので、この3氏のことばを裏返しに言うと、「指導が過剰になりやすい」「食事に誘われない選手は無視されているのかとか嫌われているのかと誤解しやすい」「長年のチームカラーに馴染んでいる者には違和感が強い」等の危険性もはらむ。
 しかし、球団首脳と渡辺監督は、多少のデメリットは覚悟して、大久保君ほど天性の明るさをもつ持つ者はいないから、それを最重要視してコーチ就任を要請したのだろう。昨年までのチームのイメージを大幅に変革したいにちがいない。コーチ陣の大幅な入れ替えはそれを意味しているとしか考えられない。原点に戻ってもう一度ファンに愛される、勝つことも大事だが、むしろ勝つこと以前に、内部崩壊した球団組織の再構築を意図しているかのような布陣である。
 刷新と再構築の表れの一つは、西武から埼玉西武という改称である。あまりにも西武という企業色が強すぎたことの反省だろうが、少し遅すぎた。読売巨人軍のように、読売という企業名を薄めるために、巨人ジャイアンツという仮称を前面に出すという手もある。そうすると、青獅子ライオンズという仮称を掲げるのも悪くない。

2008年の12の? ベイスターズ(その2)

2008-03-06 | プロ野球への独白
 そんな大矢監督が昨年の後半、禁令をひとつ発した。横浜OBが試合前に選手食堂へ出入りするのを禁止したのである。何か具体的に大変な事件があったのか、それほどでなくても大小取り混ぜて何度も困ることがあったのか、私にはよくわからない。
 あえて推察すれば、OBが選手へアドバイスすることが頻繁すぎたのかもしれない。それはプラスもあればマイナスもある。ただ、現役の選手たちは球界の大先輩に逆らうことはできないのが不文律だから、自軍の選手たちに余計な神経を使わせるたくないという配慮もあったのではないだろうか。
 横浜スタジアムの選手食堂は、報道関係者用と隣り合わせであるため、選手やコーチとの接触が容易である。調理場を中心とした構造上の問題もあろう。メジャーリーグではロッカールームでインタビューが公然と行われ、IDカードを持っていれば基本的に自由に出入りできる。日本ではそこまでの寛容さはないし、勝敗によってはロッカールームでの選手や監督の言動を見せたくないこともある。
 宜野湾の食堂も同様な構造である。一応、球団関係者以外立入禁止の看板があるものの、OBも気軽に入っていたのだろう。先日、突然、あるOB選手(かつてのスタープレーヤーである)が大矢監督に食堂から追い出されたという。そのOBは凄い剣幕で怒っていたらしい。
 球界の功労者や球団に貢献した先輩をリスペクトする風潮が希薄であることは、私もよく知っている。それにしても、私が大矢監督の立場であったらどうするであろうか。2度目の監督として招かれたのは、やはり大矢氏の真摯な情熱溢れる選手育成が、球団首脳の心をとらえたのであろう。星野氏や落合氏のように一見してわかるような強烈な個性ではないにしても、自分の信頼するコーチが解任されそうな時は、監督の職を賭して守るような一途な性格である。
 だから、これと思う選手をよくコンバートする。その選手自身がどう思おうと、これと見込んで信じてしまえば、それを貫徹するのが大矢監督である。今季はクルーンをさらわれたが、おそらくヒューズという新ストッパーを育てるであろう。ヒューズを含めて6人の外国人を抱える。牛込氏譲りのスカウティングの目で6人を見極め、シーズンのどの時点でだれをどう使うか、それが今年のベイスターズのカギである。
 キャンプ序盤から実践的なシート打撃に時間を割いているのも、その早く見極めたいという気持ちの表れだろう。そういう柔和な表情の奥にある真剣な頑固さを思うと、「大矢頑張れ」と背を押して上げたくなる。横浜にいすわって、連覇してくれよ!

2008年の12の? ベイスターズ(その1)

2008-03-06 | プロ野球への独白
 沖縄の7球団目は宜野湾の横浜ベイスターズ。昨年は2軍の湘南シーレックスが、私たちに胸を貸してくれた。関東の強豪クラブの選抜チームと対戦してくれたのである。さかのぼれば、私がクラブ野球に関わった初めの時に、やはりシーレックスが相手をしてくれた。そして完敗した。クラブチームの一部の自惚れの強い選手の鼻をへし折るには、かっこうなのだ。
 「2軍でもこれだけの力があるんだ。自分の今の力を知って、努力を怠るな」ということを、いちいち言葉で言いたくないからである。野球は(おそらくどのスポーツも)体験が言葉を凌駕する。「一験」は百語に如かず、である。(ただし、様々な体験を試行錯誤しても求めるものが得られずに苦悩している時には、ほんの一語でも黄金のような言葉が「百験」を越えることがあるが。)ベイスターズ=シーレックス球団は、YBCのようなクラブチームのために、機会も知恵も道具も、いろいろなものごとを提供してくれる。
 さて、本家の1軍は、大矢監督の2年目である。昨年はセ・リーグの台風の目となって、Aクラス入りかと思えるほどだったが、途中で力尽き4位に終わった。じつは今年は期待できるのである。10年前も、1年目は5位だったが、2年目はヤクルトと優勝争いをして、惜しくも2位。5→2の飛躍が再現されれば……4→1、優勝だ!
 球場へ行くと、大矢監督が快く迎えてくれて、ベイスターズの話だけでなく、アマ野球の情報なども話題にのぼった。沖縄出身の選手で、アマ野球で活躍する場を探してる者を紹介しようか、とまで言ってくれた。(残念ながら実現しなかったが)。
 彼と私は同期である。ともに同一球団一筋に生きて、ずっと戦い続けた好敵手だった。たぶん、打者谷沢健一の欠点をもっともよく知っていた捕手だと思う。「プロ野球ニュース」でも、意見が合うことは少なく、けっこう議論になった。どちらも理屈好きで頑固だが、そんなことで恨みを抱くような下卑た人間でないから、気のおけない仲間だった。 

2008年の12の? タイガース(その2)

2008-03-05 | プロ野球への独白
 ブルペンに行ったら、ドラゴンズ臨時コーチの杉下茂さんが藤川君にフォークを指導していた。タイガースのあるスタッフは「あれでいいんですか? うちにはありがたいけど……」と言うので、私は「セリーグの覇権争いなんて念頭にないんじゃないか。北京五輪のために今のうちにきっちり教えておこう、というのかもしれないね」と応えておいたが、真意はよくわからない。「じゃあ、谷沢さんもうちの打者に少し教えてくださいよ」と急にこちらへ話が向かってきたが、「なに言ってるんだい。広澤君(打撃コーチ)たちがいるじゃないか」と降りかかりそうな火の粉を振り払った。
 杉下氏の一件でもわかるように、岡田監督は基本的に大様なリーダーである。実戦でもある程度以上に選手の判断に任せているようだ。ここぞと言う時に大きく動くタイプである。タイガースの今年のカギは、この点にあるだろう。つまり、選手がどこまで大人の野球をできるかである。
 監督の顔色をいちいち窺わなくても、監督の言葉の裏を勘ぐらなくても、かなりの部分で自分の野球ができるのである。多くの打者が最も配球を読みにくいという2人のうちの1人である矢野捕手をはじめ、安心して任せられる選手が何人もいる。だが、くだらない些細なことをあれこれ言うタニマチ気取りの雑音が邪魔なチームである。この子供じみた外部のノイズを右の耳から左の耳へスルーさせられるかどうか、大人度の高低が優勝か3位かの分かれ道である。
 私たちに何かと配慮をしてくれる岡田監督が振る舞ってくれた昼食を口に運びながら、この監督にもっともっと横綱相撲ならぬ横綱野球をやらせてやりたいものだ、そういう環境ができればなと、内心で思っていた。

2008年の12の? タイガース(その1)

2008-03-05 | プロ野球への独白
 沖縄本島の「臍」にあたる宜野座村は那覇から車で1時間。インターを降りて10分で阪神タイガースのキャンプ地に到着する。訪問した2月7日は絶好の日和であった。タクシーの運転手さんも2月の経済効果にほくそ笑む。
 運転手「天候が悪いと気になってね」
 私「どうしてだい?」
 運転手「沖縄は雨が多いと言って、他へ離れて行っては困るんですよ」
 私「雨が多いと言ってもどこも室内は完備しているし、気温も10度以下にはならないからね。練習にはもってこいだよ」
 運転手「そう言って頂けると有難いですね」
 私「那覇空港の近くの奥武山(おおのやま)球場も新しくなるんだね」
 運転手「地元では2年後には巨人が来ると言ってます。伝統の一戦が見れるのは楽しみですね」「お客さんはマスコミの方ですか」
 私「まー、そんなとこだよ」
 球場入り口でタクシーを降りた時に気がついたのか、「あー谷沢さんだ」運転手さんは帽子を取って何ともいえない笑みを浮かべた。
 打撃練習が始まったのでグランドレベルに降りていった。FA移籍の新井君と挨拶。私が「ユニフォームが違うぞ!」とからかうと、
 新井選手「似合いませんか」
 私「似合うも似合わないも、兄貴(金本選手)が居ないから君が目立つよ」
そして岡田監督と話をする段になった。
 私「シーツを出したんだね」
 岡田「シーツは眼が悪くなりましてね。変なミスが多かったですよ」「浜中も肩が完治しなくて。パならDHがありますからね、オリックスに送り出しました。」
 そんなやり取りに、黒田編成部長が加わった。パウエル問題、お互いの母校(黒田氏は法大)のこと、沖縄の各市町村とのキャンプ地折衝の苦労話など、キャンプに関わる方々の人物評などを聞くと野球界の縮図も垣間見える。

2008年の12の? カープ(その2)

2008-03-04 | プロ野球への独白
 それにしても、TSS局(テレビ新広島)の皆さんの心籠もる気遣いには頭の下がるほどだった。同道している岡田スポーツ部部長も紹介していただいた。
 谷沢「広島の新球場完成は来年ですか」
 岡田氏「そうです。新幹線口にできますが、市の中心地ではありませんからね。人の導線の変化は読めません」
 神田氏「新幹線からは球場は良く見えますよ。センターの方向をオープンにして球場全体がプラットフォームからも全望できる設計でして」
 谷沢「新球場からは野村謙二郎監督かな」
 神田氏「そうだと思いますよ」
 こんな話をしているところへ球団広報から「ブルペンでピッチング練習が始まります」と知らされると、すぐに神田氏は「若手の前田健太君を見てください。佐々岡の18番を譲り受けたんですよ」と言う。
 早速ブルペンに走った。先発陣の大竹寛投手、青木高広投手に並んで、182cm・70kgのやや細身の前田投手の投球が始まった。ネット越しの捕手後方で北別府氏と拝見した。
 私「ストレート系は伸びのあるボールを放るね」
 北別府氏「ストレートの回転はいいですよ。ただしスライダーをひねって曲げ過ぎですね。ストレートの握りをずらして擦るように投げれんとね、コーナーの出し入れはできません」
 この一世を風靡した200勝投手は、前田君が100球余り投げ込んだ後、呼んでアドバイスを送ることを忘れなかった。それを直立不動して傾聴している18番が、今シーズンのカープのカギ束の一本を握っている。
 カープは、「○○がカギだ」などとは言えない。死命を制するカギが何本もあるのだ。まさにカギ束である。その1本でもブラッシュアップせずに錆を落とせなかったら、おそらく他のカギへ錆がうつっていくだろう。それだけ人材が手薄になったのだ。いみじくも「?」はカギの形をしている。2008年のカープの?は、全選手が昨年より1本でも多く適時打を打てるか、全選手が1点でも少なく失点をくい止められるか、である。人任せでは、真っ直ぐで一途なカープというチームは奈落へ向かってカーブしていくだろう。

2008年の12の? カープ(その1)

2008-03-04 | プロ野球への独白
 ゴールデンイーグルスの項で書いたように、長谷部君の投球振りを確認させて貰ってすぐに本島に戻った。小原格さんがデスク業務で東京に帰り、翌日は高田黄門様と沖縄市の広島キャンプへ赴いた。
 早朝からの雨でグランドが使えず、野手は室内での打ち込みとなった。黒田投手のドジャース入りと新井選手の阪神移籍でマスメディアには目玉が見つけにくい。本部席もガランとして球団職員も皆無であった。誰もいないマウンド。静寂の空間に置かれた打撃ゲージ。
 そんな空気を一掃したのは、テレビ新広島の神田アナだった。彼は部屋に入って来るなり、「谷沢さん、よくいらっしゃいました!」と彼らしい澄んだ明るい声を発する。「いやいや、カンちゃんこそ父の葬儀の折には遠い所まで足を運んでいただいて。ほんとうに有難うございました」
 わざわざ広島から千葉にまで弔問に来てくれたのである。「こういう人の思いを大切にしなければ」とつくづく感じ入ったのだった。悲哀の時に慰安を与えてくれる人、有頂天の時に叱咤してくれる人を、ともに悲しむ人やともに喜ぶ人以上に大切にしなければならない。
 神田氏とはプロ野球ニュースは勿論のこと、G戦の中継では達川氏とコンビを組ませてもらい、神田氏の地元一色の話術に引き込まれて、いつの間にか広島サイドに立つ自分に困り果てる場面もあった。達川氏がカープ側なのだから、私はジャイアンツ側に回らねばならないのだが、熱い思いを柔らかい言葉でくるんだ神田アナの絶妙の語りには、抗すすべもなかった。

2008年の12の? バファローズとホークス(その4)

2008-03-01 | プロ野球への独白
 今後、外国人選手だけでなく日本人選手であっても、代理人との交渉に際しては、従来の慣行で安易に行わず、プロ野球協約に照合しながら慎重に行うこと、これが今回の教訓だが、それよりも、マネーゲームに走っているのはジャイアンツだけでないという印象を球界の内外に広く与えたことは、残念至極であり、暗澹(あんたん)たる思いが心に沈澱してしまう。
 そこで、最も懸念されるのは、バファローズ側の遺恨である。これが開幕後の対戦に、例えば投手起用などに露骨に表れるとしたら、長いペナントレース全体の選手起用や試合運びなどに大きな狂いが生じかねない。それが、今年のバファローズの「?」である。
 そして、かりにそうなった時、バファローズのファンとは違って、ボルテージの高いホークスのファンが黙っていないだろう。監督・コーチの試合の采配や選手の実戦に影響を与えないわけがない。それがホークスの今年の「?」である。
 そうなった時、唯一、ほくそ笑むのは、入場料収入の算盤を弾いている者たちである。遺恨試合とメディアがはやし立て、観客動員数が増えることまで、事前に計算している者が幕の裏側のどこかにいるとしたら、ただただ敬服するしかないのかもしれない。

2008年の12の? バファローズとホークス(その3)

2008-03-01 | プロ野球への独白
 私も、バファローズ側にシンパシーを強く感じ、ますますこの問題をきちんと考えなければと思った。それで、いろいろ取材をし、あれこれ考えてみた。それらを整理すると、
1.バファローズは、従来通りのやり方でパウエル側と交渉した。
2.それは、これまで慣行として球界で(とくにパリーグでは)認められてきている。
3.パウエル側は、これまで近鉄ーオリックスー巨人と契約交渉をして入団してきて、1と2を十分に理解している。
4.プロ野球協約に照らし合わせると、ホークスの契約書は正当である。
が判断条件になる事実である。
 それだけを基に、一連の流れを推測してみると、
5.バファローズのやり方には付け入る隙があると考えた者(または者たち)がおり、それがパウエル側の代理人か、ホークス球団の誰かかである。
6.ホークスとパウエル側の代理人のいずれかが、バファローズを上回る契約条件を相手に提示し、契約が交わされた。
7.パウエル側は、もしバファローズが異を唱えてプロ野球機構やパリーグの裁定によってホークス入りが不可能になったら、「年俸など、稼げるはずだった報酬の損害賠償を請求して、バファローズやNBLに訴訟を起こす」また「米国の選手会に訴え出て、日米間の問題として提起する」と、事情聴取などで明言した。
8.ホークスもプロ野球協約に加えて、パウエル側の〈脅しあるいは交渉技術〉を知って、強気だった。
9.小池会長はバファローズに同情しながらも、〈脅しあるいは交渉技術〉への対処法が思いつかず、ホークス入団を認める「強い勧告」を提示した。
10.根来コミッショナー代行は、小池勧告でも、訴訟を起こされればパウエル側が勝訴すると判断し、いったん小池勧告を無にして、「強い要望」を提示した。
11.根来代行の言う「パウエルの同意」とは暗に〈脅しあるいは交渉技術〉への敗北を意味する。
12.この根来要望の真意によって、バファローズは涙を呑むしかなかった。
というふうに考えてくると、根来代行の「両球団、選手にどういう問題があったかを求めても、解決にはならない。追及する気はない」という言葉の含意が理解できるし、「問題があると思ったことは、実行委員会で言う」という「問題」は、従来の慣行の問題点及びプロ野球協約の問題点を意味するだろう。