谷沢健一のニューアマチュアリズム

新ドメインに移行しました。

四国遠征と石毛氏辞任(その3)

2007-03-16 | YBC前進
 夜9時半にミーティングの予定だったので、鍵山・西田氏らとは夜明けまで飲み明かしたかったが、鳴門へ急いだ。宿舎へ着くと上村コーチが玄関口で待っていた。川島理事兼コーチ(できたてのユニフォームは89番)もいて「選手だけで先にミーティングを開いている」と言う。選手たちは胸にどんなショックを抱えているだろうか?
 ミーティングの最初に、私は「何がわかっていなかったのか」を強い口調で述べた。ゲームを初回から辿りながら、先発した木藤君の配球の悪さを指摘した。捕手・川村君の状況を把握できていないプレー、内外野中継プレーのミス、渡辺君のゲーム感の欠如と失策後の萎縮、投手陣の練習不足と過信などなど、反省点は多過ぎた。投手陣の建て直しが最大の急務である。
 明け方まで雨が降っていたが、翌朝は晴れ間ものぞいてきて「徳島インディゴソックス」戦は実施できた。しかし、淡路島の方から吹き上げてくる風はやけに冷たかった。徳島ISの監督は、地元鳴門工出身で元広島投手の白石静生氏である。赤ヘル絶頂期(1975年頃)に貴重な左腕リリーバーとして活躍した。その白石氏が今年から徳島の采配を執る。
 白石先輩に挨拶に伺うと真っ黒に日焼けした血色のよい顔で微笑みながら迎えてくれた。少年野球も指導しているらしく、子供たちの成績が気になる話をなさっているところであった。
 白石監督「私なんかを引っ張り出してねー。営業からなんでもさせるんだから(微笑)。それをしないと成り立たんでね。徳島の選手たちは特定の練習場もなくて、四国のチームの中でも一番苦労していたかな。今年になってやっと目途が立ったよ」。
 この試合も大敗であったが、香川の選手と同様に徳島の選手たちのハングリーな面(一途に打ち込んでいて遊び半分でない面)が伝わってきて、私は逆に嬉しかった。なぜなら、それがYBCの選手に何かを伝えると思うからである。
 つくづく思う、四国ILとクラブチームは抱える問題点に共通するところが多々あり、無責任に面白がったり説教をたれる野次馬たちに耳を貸さずに、協力・協働する人たちとともに一歩一歩実践し、夢を自らの手で実現するしかないのだ、と。

四国遠征と石毛氏辞任(その2)

2007-03-16 | YBC前進
 試合開始直前になると、慌しい雰囲気に三塁側は包まれた。この遠征に尽力してくれた四国ILの田口マーケティング部・広報担当が挨拶に見えたが、どこか顔色に精彩がない。2試合も組んでもらえたのは田口氏が各チームへ粘り強く交渉していただいたからにちがいない。丁重に礼を述べるだけでなく、現在の独立リーグの状況などお聞きしたいことが山ほどあったが、すぐにグランドから退出されてしまった。
 入れ替わるように見えたのが鍵山誠氏(四国IL専務)と香川OG代表・小崎貴紀氏だった。初対面だったが、鍵山氏は一目で男を惚れさせるような魅力ある方である。39歳と若く、野球が飯より好きでプロ野球人にもリスペクトを持ち続けている人物だった。言葉の端々にも表情にも野球少年のような純粋な面があった。四国IL創設時に石毛氏は、このような方々と意気投合してビジョンを描き使命感を増幅していったのだろう。
 ゲーム後、スタッフと選手たちはバスで徳島県鳴門市に向かったが、私と久保田君は予定されていた懇親の席に、鍵山氏の運転する車で高松市内に行くことになった。車内では鍵山氏とリーグ経営の話が尽きなかった。
 鍵山氏「新人選手の月給は一律10万円です。住居はリーグが用意します。アパートを借りて2,3人続同居させています。やっとプロへ選手を送り出せましたが、地域の皆さんとの交流が重要ですね。ILリーグを理解してもらうために私たちは四国中を回っています。2年間で赤字が4億円を超えてしまい、このままでは存続も危うくなってしまいます。石毛さんはコミッショナーと兼務でしたが、社長のほうを降りてもらいました。経営は私たちがやります。今年から北信越リーグが始まり、来年からは九州独立リーグが創設される予定です。その方面に行く選手も当然多くなるでしょう。四国は大スポンサーも不足しています。だからこそ地域の皆さんの応援なくして成り立たないのです。」
 懇親会まで時間もあったので、鍵山氏が経営するスポーツバーに行った。インターネットカフェやビリヤード、卓球、ダーツ、カラオケなどの複合アミューズメントスポットを四国全県で経営しているそうだ。
 懇親会には西田監督も加わって昔話やら人物評やら四国ILに携わる経緯など酒が入ると口も更に滑らかになった。私も西田氏と意気投合して強かった時代のカープの話に興じ始めると、それを聴く鍵山氏は今日から四国ILの社長となる責任の重さなどわすれたかのように、野球少年そのままの感じだった。
 鍵山社長「谷沢さん、いつでも四国に来てください。谷沢さんが四国に関わってくれたら嬉しいなー」
 私「逆に関東にも遠征にいらしてください。いつでも関東クラブ混成軍をつくってお待ちしていますよ」
香川OGとの試合はひどい惨敗だったが、「香川OGvs関東クラブ混成軍」という土産話は持って帰れるのだから、プランナーとしての私は不合格でないだろう。

四国遠征と石毛氏辞任(その1)

2007-03-16 | YBC前進
 四国アイランドリーグとの2戦は散々の結果に終わった。情けないくらいに投手陣は打ち込まれ、守備陣も防御できずにラグビースコアを刻んでしまった。誇りや自信などの失ったものは多く、得たものは少ないというのでは、さらに情けないから、各自、何かを得て欲しいと願っている。
 また、驚いたことに、当の四国ILの石毛宏典氏が社長を辞任したというニュースが試合中に入ってきた。とにかく、誕生間もない組織にはいろいろなことが起きる。しかし、それは空想や希望や思い込みが現実の中で試され、鍛えられて、事実が具体的に明かされていくことでもある。規模は違うが、YBCも自分自身の力量を見誤ってはならないと改めて思った。
 YBCナイン・総勢30人は早朝7時半に羽田のJALターミナルの南ウイングに集合した。年長の松村君が家族同伴で参加、森君の父親や渡辺君のご両親も、という具合に大所帯になった。
 私は別に指示したわけでもないが、選手たちはスーツにネクタイ姿だった。それに接して、規律正しい社会人として統制がとれていることに安心すると同時に、彼らの四国遠征への気持ちの高ぶりが感じられた。
 今日は空港に到着してから志度球場まで約1時間、13時が試合開始なのだが、こんなに長距離を移動して試合をするのは始めての経験であり、順応の早い選手はだれなのかと興味も湧いてくる。
 ネット裏に通されてすぐにガラス越しに私の目に入ったのは、西田真二氏(広島カープの名外野手)で、今年から香川オリーブガイナーズの監督を務めている。「谷沢さん、こんな遠い所へよくきてくれましたねー」。現役時代とほとんど変わらない体型と天性の明るいキャラの好人物が待ってくれていた。
 そしてコーチを務める加藤博人氏(ヤクルト-近鉄)と柳田聖人氏(ヤクルト-ダイエー)も挨拶にきてくれる。
西田監督「内から2人、育成選手でプロに入りました。あそこにいる27番(堂上捕手)もオリックスから誘いがあるんでよ。皆、目標はプロですけど、結果がでんへんヤツは即クビですわ。それは厳しいですよ。25歳までですね。見てやれるのは」。
 西田氏の言葉を食い入るような眼差しで聞いていたのは久保田、上村のコーチ陣と川島理事だった。
 50分の打撃練習の間に、丸亀市出身の武岡君のご家族が差し入れしてくれた軽食(ありあまるほどたっぷりの量だった!)を摂れたのはありがたかった。そのセットや荷物整理やあれこれと小まめにやってくれるのは、椿本マネ、橋本選手夫人(新婚!)、遠藤君の親しい親しい看護師さん(もちろん女性!)が万が一のことも考慮して点滴器具持参で参加してくれた。

早稲田125とハンカチ王子(その3)

2007-03-10 | プロとアマ
 ブルペンの中央に入った斎藤君は、3,4歩進み出て上級生捕手に帽子をとってきっちりと挨拶した。捕手に緩いボールを投げ始めた彼を見て、基本動作はしっかりと出来ていると思った。
 捕手を立たせたままの投球が約30球、そして捕手へ座ってくれという合図をした。まず、ワインドアップからボールが投げ込まれた。軸足に沿って上げられた左足が上体と一緒に溜められた一瞬の間(タメ)がいい。体は大きくないが、投球バランスの要、パワーの蓄積がそのタメにある。
 全力投球に入って徐々に熱を帯びてくると、「いいボールだ!」と捕手の声が響く。また、逆にストレートに伸びのないと斎藤君にイラつく表情が浮かぶ。
 セットポジションになると、クイック投法はお手のもののようだ。斎藤君の真後ろの位置に移動して見ると、スライダーがまだコントロールされていないようだ。1球だけチェンジアップのようなボールを投げた。
 「今のは何だ」と訊くと「フォークです」と捕手が答えてくれる。応武監督は「昨日あたりから良くなってきました。私はアイツ(斎藤君)と心中ですよ」と言う。その言葉から、リーグ戦の初っ端からの起用があるぞと予感した。
 となれば、大半のマスコミが「六大学はプロよりも熱い!」と盛り上げるのは間違いないようだ。

早稲田125とハンカチ王子(その2)

2007-03-10 | プロとアマ
 ブルペンではA組のピッチングが始まっていた。応武監督がやってきた。「うちの経験者は須田と松下だけですからね」。今年は宮本・山本両君が日本ハムへ入団し、大谷君が社会人野球のトヨタへ進んだ。そのため、リーグ戦の登板経験のある投手が少ない。
 応武監督「法政が2枚、明治が4枚残ってますから春は苦しいと思いますよ。食い合い(混戦)になればチャンスもありますけどね」
 谷沢「1年生を使わざるを得ないね」
 応武監督「今の斎藤の状態では、他の投手たちが納得せんでしょう。むしろ、一浪して入ってきた福井(済美高)がいいですよ」
 確かに福井君のピッチングはストレートの伸びとスライダーの切れがよい。だが、同じコースにコントロールされず、高めに浮いてしまうことも多かった。1年間のブランクが影響しているのだろうか。
 斉藤君がブルペンに入ってくると、取材陣が多数集まってきた。平日なのでファンは少ないが、それでも厳戒な警備がなされており、応武監督も三浦主務もやや神経が過敏になっているようだった。
 主務は私にも「それ以上は入らないでください。他の報道関係者と同じようにしてください」と言う。私は今日はフジテレビなどの取材ではなく(学生投手のTV取材なら私でなく、池田氏や土橋氏らの仕事だろう)、大学に依頼された仕事で来ていることを説明した。投球練習など午前中のメニューが終われば、沖縄校友会の皆さんと一緒に陣中見舞(豚の丸焼き2頭)を贈り、激励するという小イベントを行わなければならない。それは、私の意志でなく、大学当局の指示なのだ。(私だって、明後日からのYBC四国遠征を控えているのに、その準備も疎かにして、母校早大のため、校友会のために東京から沖縄浦添に飛んできたのだ。)
 その連絡が主務に伝わっているのかいないのか、私の説明が耳に入るのか入らないのか、「OBでも入れないことになっています」と言い続ける。
 「大学の行事として頼まれているのを拒否するのは君の判断か?」と訊くと、主務曰く「私の判断でもあり監督の判断でもあります」
 「監督が大学の行事も拒否しろと言ったのか?」とさすがに腹に据えかねてやや強い口調で言うと、主務は「中に入れるのは野球部がお願いした広岡さんと徳武さんだけです」。
 良く言えば愚直、悪く言えば総長も監督以下と考えているらしい主務を尻目に(忙しくて言い争う暇はない!)、斎藤君のピッチングを「拝見」することにした。

早稲田125とハンカチ王子(その1)

2007-03-10 | プロとアマ
 3月8日に「早稲田125フェスティバルin沖縄」が行われた。早稲田大学当局に乞われて、イベントに参加した。これで、沖縄入りは今年4度目となるが、今回ほど忙しい旅はなかった。前日夕刻、那覇空港に到着すると、イベント幹事役の早稲田マン・白石武博カヌチャベイリゾート社長が出迎えてくれた。
 今年10月に早大は創立125周年を迎える。何故125なのか。創設者・大隈重信侯が人生125歳説を唱えたことに依っている。その拘(こだわ)りは、大隈講堂の高さ125尺にも表れている。私はその125周年の募金委員でもあるので、時には総長と、時には単独で、講演など各地の校友会開催行事に駆り出されている。
 今日の予定は、午前中は浦添。キャンプ中の早大野球部への訪問だ。沖縄校友会の皆さんと一緒に激励に行く。15時からは那覇市の前島小学校。地元小学生のために「早稲田in沖縄野球教室」を実施。18時から『今年は早稲田が熱い』というテーマで講演。少しは母校のためになっているつもりだが、はたして・・・
 さて、125周年という記念すべき年に昨夏の甲子園優勝投手・ハンカチ王子こと斎藤祐樹君が入学した。そのせいで、浦添キャンプは、ヤクルトキャンプにまけないくらい、注目を浴びているという。
 グランドに入っていくと、内外野のシートノックの最中だった。目当ての斎藤君は、投手陣10名のうちのB組に入って、外野フェンス沿いをラン二ングしている。近づいて行くと、彼は私の方を見ながら、他の選手に何やらひそひそと「あの方は誰ですか」とでも囁(ささや)いているように感じた。
 新2年生以上の部員は大きな声で挨拶をしてくるが、B組は入学組が多いのだろう、不審そうに半分だけ帽子をとるように頭を下げる。YBCの新人選手と変わらない。私がOBであるのを知っているかどうかわからないが、声をかけてみた。
 「斎藤君、足首を捻挫は大丈夫か?」「はい、ほとんど治っています」「今日はブルペンに入るのか?」「はい、昨日も投げ込みをしたし、今日も投げたいと思います」マスコミの取材陣から毎日受けるような質問をしてみたが、嫌がらずに答えてくれる。
 176cmと聞いていた斎藤君の第一印象は、それよりも「小柄」だった。話しぶりは、静かでクールで控えめだし、ユニフォームの胸と背の「斎藤」の二文字は、他の新入生より小さめで薄かった。遠慮がちに書いたのか、練習量が多くて洗濯も多いのか、理由はわからない。

オール沼南野球教室&合同練習(その2)

2007-03-07 | YBC前進
 嬉しいことに、何人ものYBCの選手たちが目的や意義を理解してくれて参加した。明日のシーレックス戦に選抜出場する予定の者8名も、そのための練習をしたいだろうに、来てくれた。
 9時半にグランドに到着すると、すでに多くの子供たちが外野グランドでキャッチボールをしている。今日を楽しみにしてくれていることが私の胸に伝わってきた。ネット裏には保護者の方々、とくにお母さんたちが手伝いに来てくれていた。昼食に「トン汁」を振舞ってくれるという。
 午前中は野球教室で、いつものように上村コーチ指導のウォーミングアップから始めた。次いで、40数名の子供たちに基本の大切さを話し、YBCの選手たちと「対面礼」を行った。それがセレモニーめいたことで、かなり整然とスタートできた。
 オール沼南の田中理事長と林監督は、グランドいっぱいに広がって受講を始めようとしている子供たちを見て、「私たちは、こうした教室と練習が夢だったんです。いいですね。いいですね」と何度も言葉を発していた。こういう感激の辞をおっしゃってくれると、私も素直にやり甲斐を感じてしまう。野球教室という催しも、時には子供のためではなく、大人の名誉欲のために行われることもあったからだ。
 野球教室は、キャッチボール?捕球?送球?打撃?ティー打撃と元野主将が中心となって、手取り足取りの指導が続いた。純真な子供たちばかりで、良く教育されているという印象が強かった。
 昼食に温かいトン汁をいただいてから、午後からは合同練習を実施した。再びアップをし、体を暖めてから、投内連携?シートノック?打撃の順で進めていくと、いつの間にか日の落ちる時間になっていた。
 今日1日だけで、これまで使用させていただいたご厚意へのお返しができたとは思わないが、充実した時間を過ごせたことに、私の心の内には暖かい安堵感が湧いていた。
 

オール沼南野球教室&合同練習(その1)

2007-03-07 | YBC前進
 3月3日は、オール沼南ベースボールクラブと「野球教室&合同練習」を行った。この1年間、お世話になってきた感謝の思いをこめて、選手たちも参加してくれた。この企画は前々からオール沼南の林監督との雑談の中で語られてはいたのだが、1月に正式に要請があった。「即座に快諾」だった(日程の調整のため、数日後の返事になってしまったが)。
 YBCを創設してから週末の練習場探しは悩みの種で(現在も続いている)、場所が見つからないと練習無しとなる。ただでさえクラブチームは練習量が少なく、普段きちんと自分を律してトレーニングを実践している選手以外は、技量の向上はあまり望めない。その結果、選手間で技量の差がどんどん開いてしまう。
 おまけに、数少ないグランド使用日は、やはり練習よりも試合を優先せざるをえない。そうすると、ますますレギュラー陣と控えグループの差が埋まらない。こんな悩みはYBCだけではないはずだ。
 だから、平日に夜間練習できる場所があるのはじつにありがたい。幸い、YBCはオール沼南の方々のご厚意で週に2日~3日お世話になっている。この練習の積み重ねは大きなものだ。最近は照明灯の数も増えて、キャッチボールやティー打撃が容易になってきた。ただ、仕事を終えてから駆けつけるには、交通の便が良いとはいえず、柏近辺に住んでいる選手以外は疎遠となりやすいのが残念である。

関東クラブ混成軍vs湘南シーレックス(その3)

2007-03-06 | YBC前進
 試合開始直前に、今回尽力してくれた山中球団専務が姿を見せてくれた。しばらく、プロアマの話題に終始して情報交換した。「途中で失礼するけど、頑張ってくれ」と激励をうけてまもなく、試合がはじまった。
 試合の模様はホームページに掲載されているので割愛するが、選手たちには簡単な攻撃サインだけを指示し、走れる人は自分の判断で積極的にアピールしろと促した。三塁コーチを中村氏に、一塁コーチを谷田部氏にお願いした。
 選手は18歳から36歳まで様々であるが、試合前から緊張感が漂っていたので、私はつとめて冗談を言いながら和やかな雰囲気を作るようにしたつもりである。チームメンバーの人選の際に、出場選手2名以外でも、試合に出場できないかも知れないのを承知でベンチ入りしたい選手たちを選出してくれても結構(プロとの試合の雰囲気だけでも経験するのはプラスだろうから)だという旨を各チームに伝達していたが、ベンチ入りの選手たち23名は一体感を持って臨んでいて、その意気込みがヒシヒシと伝わってきた。オールスターゲームの監督の心境で、全員をどううまく起用するか、選手各自がそれぞれ大きなプラスになるような起用をいつどこでするか、予想以上に難しいことだとよくわかった。
 やはり、難所は投手起用である。しかし、全足利の吉澤コーチに大いに助けられた。ブルペンからベンチへじつにタイミング良くやって来て、7人の投手起用をこなしてくれた。残念だったのは、大島君、四日市君にもう少し投げさせてやりたかったこと、杉本君が守備陣のミスで実力を発揮できなかったことなどである。良い感触を残して次の投手にバトンを渡すことができた者とそうでなかった者に分かれたのは、勝負事の必然だろう。
 反省点は、我がYBCの選手に多くあった。木藤、ホソバヤル両投手は本来の力も発揮できず降板したが、これを次へのステップに繋げてくれるだろう。また、終盤に大量失点のきっかけを作ってしまった渡辺君の失策も、彼に今後の練習課題のポイントをわからせてくれたはずだ。
 暖かすぎるほどの気候でお客さんもたくさん応援してくれた。ありがたいことである。さらには、試合出場のできなかったYBCの選手たちが打撃投手やブルペン捕手、バットボーイやファールボール拾いと、裏方に徹してくれたことに感謝したい。試合終了後に、各チームの監督さん、スタッフ、選手と挨拶を交わしたが、真摯な素晴らしい選手たちには深くお礼を言いたい気持ちである。
 もう一度、秋にこのような機会を設けたいし、今度は別の監督の方に采配をとっていただきたいと思う。私と加藤副部長とは、企画の段階から「選手たちの喜ぶ姿が目に浮かぶね」とくりかえし言い合っていたが、そういう選手たちが喜ぶようなプランが際限なく浮かんでくるのが、これまた「厄介」である。
 花粉症対策ですぐにも帰宅しなければならない川島理事、家庭サービスのためこれまた帰宅を急ぐ小松主務、理由は不明だが帰宅するという椿本主務、この3人を除く4人は夜やや遅く、私の自宅近くの中華料理店で反省会を行った。上村コーチの薦め上手もあって、私はいつもより多くビールを喉に流した。ほんとうに心地よい1日だった。

関東クラブ混成軍vs湘南シーレックス(その2)

2007-03-06 | YBC前進
 先発オーダーを発表し、久保田コーチが打撃練習の組分けをしたところへ、八馬マネからお呼び出しが来た。「グランドで田代二軍監督がお待ちです」。
 グランドへ出ると、打撃ゲージのところから駆け寄ってきたのは、おばQ(現役時代の愛称)こと田代氏である。キャンプで真っ黒に日焼けした顔に白いものの混じる無精髭が光っていた。「この時期は選手の数も少ないので、DHの選手が守備についたりしますのでよろしく」と特別ルールの念を押された。コーチ陣の顔も次々と目に入った。波留コーチ、秋元バッテリーコーチ、井上純コーチ、そして最も懐かしい高木由一打撃兼育成コーチがやってきた。
 「お陰様で今日は選手たちが本当に喜んでいるよ。高木君は軟式野球から入団したんだよね」「いえ、皆さんからそのように言われますが、実は硬式なんですよ。淵野辺高校という10人足らずの野球部でお山の大将(投手で4番)でした。相模原市役所の公務員になって野球をやっていましたが、刺激がなくて……。3年ほど経って、友人に誘われて冷やかし半分で大洋球団のテストを受けたんですよ。川崎球場は狭いでしょう。スタンドにポンポン放り込んだら、青田昇コーチの目に留まったんですね。あれから36年も経ちました。クラブチームから、僕みたいのが出てくると嬉しいですけどね」。
 最後に元中日の中村武志コーチがブルペンからわざわざ走ってきた。プロは、やはりどの選手もスタッフも義理堅いし、礼儀正しい。
 関東クラブ混成軍も全員集まった。全員にこのゲームの意義や目的を話をした。「関東リーグ戦構想」は別にしても、プロから学ぶことが第一であり、混成チームの交流を図ることが第二だなどと話をして、小守スポーツマッサージ療院から来てもらった川北トレーナーをはじめスタッフも紹介した。そして、ウォーミングアップの開始である。
 外野のフェンス沿いを歩いていくとセンター後方で、横浜投手陣がダッシュを繰り返していた。その中から「こんちわ」とクリッとした大きな目の選手が挨拶してきた。巨人から移籍の工藤投手だった。彼は、私のユニフォーム姿を上から下まで「ほう」というような目でやや不思議そうに見るので、「似合わないですね」とかなんとか軽口を叩かれる前に、先手を打って冗談を言ってみた。
 「今日は投げてくれるのか」「そうしたいけれど、今日はノースローの日なんですよ。もし投げたら、クルーンみたくなりますよ。昨日、住金鹿島とやりましてね。クルーンは2回で40球ですよ。2人にぶつけました(死球)」冗談にしても恐い話である。
 三浦大輔投手が一緒に走っていた。彼の話を、私が久保田コーチと共に聞いていると、側を山崎?大輔君がキョロキョロしながら近づいてきて「工藤さんですよ!三浦さんですよ!信じられないですよ!!」と叫ぶ。そうだろう、ユニフォームを着て同じグランドにいるとは、同じ大輔とはいえ、山崎君のような高校生には夢みたいなことだろう。
 打者では鈴木尚、石井琢両選手が残留していた。打ち込みをする石井選手をしばらくゲージ横で見ていた。終えてから、「今日の試合に出てくれよ」と声をかけると、まるで真に受けたように「勘弁してくださいよ」と言うので、ついからかい半分に「下半身が開き気味だね。調整は今しばらく掛かるね」とわざと評論家顔して言うと、頭をかいていた。生真面目なのは変わらない。

関東クラブ混成軍vs湘南シーレックス(その1)

2007-03-06 | YBC前進

 クラブチーム6チームもの混成軍とプロとの試合は、たぶん日本野球史上初めてではないかと思う。それが実現した。
 3月4日の朝、京浜急行・安針塚駅から徒歩10分でベイスターズ球場に到着。既にシーレックスナインの声が響いてきた。チーム運営・業務専任部長の山口忠良氏がすぐに来られて挨拶。山口氏からは何度も電話をいただき、その細かい気配りは非常に有難かった。わざわざ「全員の昼食を用意しますよ」とさえ言ってくださったが、胸を借りるのだから、感謝をこめて丁重にお断りした。
 八馬マネージャーがスタッフルームに案内してくれ、「いよいよ今日がやってきたなー」とたっぷりの満足感といささかの不安感と緊張感がスクランブルした。
 ユニフォームに着替えていると、全府中の谷田部監督が入ってきて例の大声で自チームの選手たちの状態を話してくれる。出場必須メンバー2名という制限付きだったが、大挙して8名の推薦をしてきた全府中も、けっきょく体調の優れない選手もいて6名となった。
 そこへ、横浜金港の中村監督が見えられ、東(ひがし)遊撃手が昨日のゲームで怪我をして欠場するという。2日前に(個々の選手をあまり把握していないのを承知で)先発オーダーを決めていたが、やむなくYBCのセカンド・渡辺君を二塁からショートに回して(これがあとで試合を急変させる原因になった)、セカンドに全府中のベテラン西村君を起用することにした。
 先発バッテリーは全足利の大島-植松に決めていた。それを1週間ほど前に栗原監督にメールで頼むと、すぐに返答がきた。
「“25歳以下で予定どおりメニューが消化できている者”という私なりの選考基準を設けて選出し、2人は1月6日から予定通りのメニューを休むことなく消化しいる」とのことだった。栗原監督はなかなか茶目っ気もあって「先週末、2人ともこれまでの疲労の蓄積からか、股関節に違和感を訴えてきているが、『この試合に向けての調整か?』と私は見抜き、『痛いなら出場取消もできる』と言うと、あわてて2人は『大丈夫です!』としか言いません。どうぞお構いなく使ってください」と記されていた。
 また、「大島は体、特に下半身は十分できている。本来、投げ込みたい時期だが、この日のために調整しているようで、ブルペンでの投球数がまだ不十分なため、コントロール面がいまひとつだ。また、今シーズンは腕の位置を下げてややサイドスロー気味での投球を目指しており、フォーム自体もまだ不安定とはいえ、今の状態でも40球程度なら十分いけると思う。植松はリストが強く、タイムリーが打てる打者で、何より強肩が魅力で、課題であるリード面も今後経験を積めば信頼されるようになると思う」と、選手についての情報も懇切丁寧にいただいた。