谷沢健一のニューアマチュアリズム

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堀内恒夫君の野球殿堂入りを祝う!(その2)

2008-12-14 | プロ野球への独白
 3年目も変わらなかった。夏のある日、巨人戦を控えた移動日、東京に着いて学生時代から馴染みの有楽町の焼き肉屋さんに立ち寄っ支配人の柳さんが迎えてくれて、「今、堀内が来てるぞ。3人でいっしょに食うか」
 それまで、会話を交わしたこともなかったので、互いに言葉少なく、酒と肉を胃に放り込んでいたが、互いに酔いが回り始めたころ、「谷沢!なぁ、おめぇ、おれのドロップをぜーんぜん打てねーよなぁ」と不意に堀内君が、目線のかなり高い口調で言い出した。いかにも悪太郎の表情だった。酔いのせいもあって、一瞬、左手が拳の形になりかけた。
 だが、打っていないのは確かだから、黙して耳を傾けるしかなかった。「それは、谷沢っ、おれのドロップは2種類ある。おれを打てないのは、低めに落ちるのに手を出しているからだ、あれは見逃せばボールよ。顔の高さから変化するのを狙えばいいんだ」私は左の掌の力を抜いた。もちろん、王さんよりの人間が出来ていたからではない。
 「おれのドロップは、一度浮き上がるように見えるだろう。浮き上がって落ちる瞬間を狙えば打てるよ。」ああそうだ、今まではボール球のドロップに手を出していたんだ。顔の高さに来るのがぎりぎりのボール球だと思っていた。こちらが打つポイントの位置をあれこれ試行錯誤していたのだが、そうではなくて、相手の球の位置がポイントだったのだ!落ち際をたたくのだ!堀内君の一言で、まさに目から鱗が落ちた。
 翌日、マウンドには堀内君がいた。私は4度打席に立ち、4度安打を放った。顔の高さに来たドロップを2安打し、ストレートも2安打した。
 悪太郎に見えた堀内君は、昨夜は「塩返し」の甲府の小天狗だったのだ。甲州の名将・武田信玄の想いを知っていたのだろう。
 1567年、武田信玄が今川氏真との同盟に反すると、今川は北条と連携して「塩留め」を行った。海のない武田領の甲斐・信濃では製塩できず、領民たちは苦しんだ。それを憐れんだ上杉謙信は好敵手の信玄に越後から信濃へ塩を送った。歴史好きなら誰でも知っているエピソードである。
 甲州人の体には、それ以来、「塩留め」のお返しの伝統が脈々と流れているのだろう。それにしても、堀内君が読売巨人軍の監督だったとき、他チームに「今謙信(いまけんしん)」はだれもいなかった。それは堀内君でせいでなかったのだろう。

堀内恒夫君の野球殿堂入りを祝う!(その1)

2008-12-14 | プロ野球への独白
 先月27日、東京ドームホテルで、堀内恒夫氏の野球殿堂入りを祝う会が催された。集まったのは約700人、盛大だった。私と同世代の堀内君が、数々の実績と名声を備えた球界の諸先輩の仲間入りしたのは、実に嬉しい。壇上にあがった堀内ご夫妻は、そういう諸先輩たちから、この上ない祝福の言葉を受けた。中でも印象に残ったのは、ウォーリーの時に続いてまた加藤良三コミッショナーだった。
 加藤氏「堀内君は"悪太郎"と呼ばれた、それは何故か。マウンドの堀内君は、投球の度ごとに帽子が斜めに曲がったり脱げたりした。その姿がいかにも腕白小僧のようだった。長嶋さんも空振りをしたときにヘルメットが飛んだ。その姿を、堀内さんは中学時代に見て、迫力があってカッコイイと感じた。で、自分もプロになって帽子が飛ぶほど全力投球がしたいと思ったそうです」と裏話を披露した。彼のダンディイズムを全力投球と結びつけた、巧みなスピーチだった。
 次に渡邊恒雄氏が登壇した。渡邊氏「"恒"という字は私と同じ。現役時代から何とも言えぬ親近感を抱いていた。"甲府の小天狗"と呼ばれ、有頂天になっていたとき、王君に鉄拳を食らったようだが、私はそんな堀内君が好きだった。堀内君が悪太郎なら、私は大悪太郎だよ」と締めくくった。確かに、「巨人軍選手は紳士たれ」という標語で有名なチームが、渡邊恒雄氏によって変えられたのは事実だ。
 高校時代から、私は堀内君と対戦している。その直球はとにかく早かった。そして、その豪速球しか投げなかった。彼に4年遅れてプロ入りをした私は、彼に完全に抑え込まれ、2年間は対戦成績が1割台だった。彼は速球に加えて2種類のドロップをマスターしていた。私の太股の辺りでがくんと落ちるのと、顔の辺りでいったん浮き上がるように見えたとたんに急激に落ちるのと、このドロップに手こずった。対策法が見つからなかった。

加藤良三コミッショナー

2008-11-15 | プロ野球への独白
 パーティーの冒頭は、だれもがお互いに短い挨拶を交わす。ウォーリーの時も、勿論私は長嶋さん、王さん、新任のコミッショナーら主だった方々にやはり短く挨拶した。団欒もたけなわになった頃、加藤良三コミッショナーが不意に私の所に近づいてこられたのである。駐米大使という外交官のトップに上りつめた方だから、謹厳な口調の人物だろうと勝手に想像していた。
 加藤氏「谷沢さん、CSのプロ野球ニュースはよく見てますよ。解説者の方々のトークを楽しんでます。佐々木信也さん、関根さんと谷沢さんがお出になるときには特に楽しみです。技術的な評論ばかりでなく、様々な観点から深く掘り下げていってくれます」とおっしゃる。嬉しいお言葉であり、「あ、この人はほんとうに野球に惚れているんだ」と直感した。
 さらに「谷沢さんが3割6分9厘を打った時には、どのような心境だったのですか」とおっしゃる。驚いた。細かい数字もご存知だ。私は心の中で襟を正して、長い故障から復帰した年だっただけにいい意味で開き直っていて、投手への読みも大胆で、一打一打に悔いをあまり残さなかった、とお答えした。
 柔らかい表情で時には満面に笑みを浮かべて、興味深そうに聞いてくださる。さすが、世界の最高の政治家、実業家らを相手に外交の修羅場を仕切ってきた方である。すぐにそのお人柄に魅せられてしまった。世辞も追従もまったく苦手の私だから、年功の年長の実力者の歓心を買って、その見返りにおだててもらうことなどは考えられないが、こういう方にはぜひとも褒められたいと思わされてしまった。
 就任早々にWBC監督問題を片付けるなど、前コミッショナーが処理しきれなかった懸案の解決に敏腕を発揮なさっているが、そんなナーバスな立場など微塵もみせず、野球への愛着だけが表出する笑顔だった。
 その日のプロ野球ニュースのゲーム解説は、加藤さんに心をこめてお送りしたメッセージになった。

長嶋、王、杉下、そして…(その3)

2008-11-15 | プロ野球への独白
 司会の吉田慎一郎氏(日本テレビ・元野球中継担当アナ)から私もメッセージをと促されたので、次のような思い出を話した。
 ──試合途中で交代を告げられた。極度のスランプに自分にも腹が立っていた。ぶつけどころもなくベンチ内にあった陶器のコップを激しく叩き割った。それでもおさまらずに、ベンチ裏のボールケースを蹴った。こういう類の行動をする選手は中日には2~3人存在した。そういう時は、ベンチに戻ってから声をよく出していれば、ウォーリーはうなづいて平静に対処してくれた。だが、その日は私は気持ちを戻せず、ベンチにいても声援すらできなかったため、試合後のミーティングでこっ酷く怒られた。
 帰宅して、食事を終えたころ、ウォーリーから電話が入った。たどたどしい日本語で、「ヤザワ!皆の前で激しく怒ってすまなかった。うちのチームは君を叱れば一つに纏まれる。皆がピりッとするんだ。我慢してくれな」という内容だった。私は初めて心底から " Do my best for Wally ! " と誓った。
 その年、広島との試合中、午後9時ころ本田マネが私にある吉報を届けてくれた。延長に入ってもなかなか決着が付かない。15回表を迎え、私が先頭打者。三塁打で出て決勝のホームを踏んだ。勝って常宿の世羅別館に戻るやいなや、マネージャーが全員を大広間に集めた。各テーブルにはビールなどが用意され、ウォーリーが「今夜、ヤザワの家庭に長男が生まれた。ヤザワの一打で勝つこともできた。皆祝ってやってくれ」と乾杯である。
 翌年、ウォーリーの下で中日は20年ぶりのリーグ優勝を勝ち取ったのである。

長嶋、王、杉下、そして…(その2)

2008-11-15 | プロ野球への独白
 中日の監督時代、開幕前には目黒区柿の木坂の自宅にチーム全員を呼んで食事会を開いてくれた。当時の日本人監督では考えられない家族愛に満ちた統率力だった。今日の会場にも奥様、当時15歳だったポール、お嬢さんのエミーのご家族が、皆さんを迎えていた。
 谷沢「ヘイ!ポール、家族も多くなったね」ポール「あの時、選手やスタッフの皆さんと楽しく過ごしたことは忘れません」
エミー「谷沢さん、変わりませんねー。ロスに住んでますので是非いらしてください」懐かしさで1974年(優勝の年)にタイムスリップしてしまった。
 皆さんの祝辞も楽しかった。ウォーリーの来日初打席の投手は杉下さんで、その映像が会場に流された。セフティーバントが見事に決まった瞬間である。杉下氏「フォークで仕留めてやろうと投げたらバントだろう。慌てたね。俺はあまりにも絶妙なので取りに行くのを止めたよ」。
 売り物の激しいスライディングについても、金田氏が「日本の野球を変えたね。観察してたら、リードしながら両手に土を握っているんだ。二塁ベース上で野手に眼つぶしだよ。恐れ入ったね」と、おそらく金さん一流のジョークだろう。
 権藤博氏も「私が年間35勝をした時も、ウォーリーには足でかき回されて、勝ち星をいくつも損をした」と思い出を語った。
 印象的だったのは、巨人時代一番仲の良かった内藤博之氏で、「遠征先でも日曜は教会に行った。私はいつも付き合わされた。あるとき食事会に行くと豪華な御馳走が並んでいた。ウォーリーは御馳走の横に入れ歯を外して置き(フットボーラー時代に総入れ歯にしていた)、黙々と食べた。」その姿はひどく厳しくて、内藤氏以外誰も近寄れなかったそうである。

長嶋、王、杉下、そして…(その1)

2008-11-15 | プロ野球への独白
 白熱した日本シリーズ・第6戦が行われた11月8日、あるパーティに招かれた。所用があったため、定刻の午前11時に5分遅れて、会場の東京アメリカンクラブの扉を開けると、すでに加藤良三NPBコミッショナーの祝辞が始まっていた。
 参集者は100名を超えていたと思うが、中央の壇上には4名の方々が上がっておられた。発起人3人と今日のパーティの主賓である。その4名は、長嶋茂雄・王貞治・杉下茂・与那嶺要の4氏だが、さて主役はどなたか、今これをお読みの皆さんはおわかりだろうか? なお、付け加えれば、もちろん金田正一氏の姿も会場にあったが、主役の盛り上げ役に徹しておられた。
 この暖かな雰囲気に包まれた会は、「Wally Yonamine The Man Changed Japanese Baseball」がこの9月、ネブラフスカ大学出版局から上梓された、その出版記念の会である。
 「思い出の日本野球」の著書もある作家ロバート・K・フィッツ氏が、2003年から3年にわたり取材を重ねて書き上げた著作で、翻訳が待たれている。
 与那嶺要ことWallace Kaname “Wally” Yonamine、通称ウォーリーさんは、ハワイのマウイ島生まれの日系2世で、高卒後アメリカンプロフットボールの名門<SF49ers>に入団した。それは、史上初のアジア系米国籍の選手だった。しかし、何度も負傷したため、野球に転じて、日本のプロ野球に登場した。そのシュアな打撃に加えて(終身打率.311)、NFL仕込みの走塁など、斬新なプレーの数々で日本野球界に旋風を巻き起こした。たとえば、セーフティバントやゲッツー防止のスライディングを日本に持ち込んだのも、与那嶺さんだとされている。
 選手としては巨人、中日、コーチとしては中日、東京(現ロッテ)、巨人、南海(現ソフトバンク)、西武、日本ハム、そして中日監督としては巨人のV10を阻止してリーグ優勝するなど、37年間の長きにわたってユニフォームを着続け、"ウォーリー"の愛称で、多くのファンに愛された。アメリカ人で日本の野球殿堂入りしている唯一の人でもある。

巨人・西武どっちだ?!(その3)

2008-10-31 | プロ野球への独白
 第7、守備力。失策数を見ると、ショートはG坂本(15個)L中島(12個)。サードはG小笠原(ファーストも入れて9個)L中村(22個)、セカンドはL片岡(11個)である。どんなケースで失策したのかはとにかく、中村選手の22個は多い。渡辺監督は守備力を重視したいとコメントしているが、守備力の平尾内野手を状況しだいで起用するだろう。
 また、DHのないセ本拠地では、四番後藤をレフトに起用せざるを得ない。Gラミレスも緩慢な動きと比べれば、後藤の守備でも我慢できるはずだ。(G10 vs L9)
 最後に、シリーズのキーマン。Gは上原、Lは涌井と石井一の二人を挙げたい。
 さて、両チームの総合点は、ジャイアンツ65点、ライオンズ64点であった。果たして目に見えぬ点数がどこにどれだけ潜んでいるか。独断と偏見で採点してみて、結果がこれほど拮抗しているとは、我ながら驚いた。実力は紙一重であるが、7試合の勝ち負けは、ジャイアンツ4.0勝、ライオンズ3.9勝。しかし、3.9勝なんて小数があるわけもないので予想し直そう。
 最終予想はこうだ。3勝3敗の後に僅差で巨人が勝つ。理由は、野球を「楽しむ」ライオンズと、勝負に「執念を抱く」ジャイアンツの違いだ。
 *本音を言うと、どちらにも勝ってほしい。どちらも我がYBCの活動を理解して支援してくれるスタッフがいるからだ。(こんなことを言うのは、解説者失格かもしれないが・・・)

巨人・西武どっちだ?!(その2)

2008-10-31 | プロ野球への独白
 第3、シリーズのローテーション。雨による延期がないとして、Gはおそらく正攻法で、上原、グライシンガー、内海、高橋尚、久保、上原、?グライシンガーの先発。第5戦は中継ぎの東野投手もある。
 Lは涌井、帆足、石井一、岸、西口、涌井、帆足。ポイントは第3戦の石井一投手である。今季11勝10敗のうち、ホームで10勝というまさに内弁慶ピッチャーである。彼をホームで起用するのか、それとも第2戦に先発させて、シリーズで2度登板を考えるか。第2ステージで脆かった同じ左腕・帆足投手をどれほど悲観視するかしだいだ。また、ベテラン西口の故障回復も気になる。確度の高い情報では、今投げ込んでいて先発の準備はできたという。中継ぎが薄いので、帆足投手のリリーフ登板も考えられる。
 両チームとも、ダルビッシュのようなエース中のエースがいないだけに、先発陣の出来が試合を大きく左右するだろう。(G10 vs L9)
 第4、中継ぎ陣。これはGが優る。Lの右打線(主軸は中島、後藤、中村)を、G中継ぎ陣(越智、西村健、東野、豊田)はかなり抑えるのではないか。左の山口投手も機能すれば、東野君の第5戦先発の可能だ。
 Lのほうは計算できるのは3投手(大沼、星野、岡本真)である。このひ弱さをどう補っていくのか。(G10 vs L7)
 第5、ストッパー。Gのクルーン、Lのグラマンはどちらも不安定である。特にクルーンの四球病は短期決戦では怖い。グラマンもシーズン終盤に調子の下降が目立った。(G10 vs L10)
 第6、機動力。盗塁数(G78 vs L107)は明らかにLが優る。Gは30個の鈴木尚、10個の坂本、そして亀井の走りが期待できる。Lは50個の片岡、25個の中島、17個の栗山に加えて、赤田も佐藤友もいる。(G7 vs L10)

巨人・西武どっちだ?!(その1)

2008-10-30 | プロ野球への独白
 辛くもドラゴンズを退けたジャイアンツ、レギュラーシーズン3位のファイターズに苦しめられたライオンズ。ペナントを制覇した両チームが日本シリーズに臨む。CSプロ野球ニュースでは31日に「大胆予想」を展開する予定だ。番組スタッフに私の予想を告げてあるが、放送前に書くというルール違反を承知で、その内容を掻い摘んでお話したい。
 両チームを以下のように分析した。各ポイントを10点満点で採点し、ローテーションとキーマンを推測して、何勝何敗になるか、占ってみた。
 第1、打撃力は、本塁打数に絞るとL198 vs G177。明らかに数値はライオンズ優位である。しかし、西武のオールスターゲーム以後の後半戦は、22勝23敗3分けの借金1であった。その要因は前半戦打ちまくった2人(ブラぜル=24本塁打、GG佐藤=21本塁打)がで離脱したことだ。ブラぜル選手にいたって後半3本しか打っていない。
 おかわり中村君が後半22本を打って46本塁打でタイトルホルダーになったものの、2人の中心打者を欠いたことが、終盤のもたつきを生んだ。特にGG君の故障と五輪の精神的ショックと技術的低下は痛い。ただし、ペナント制覇に至った団結力とチームの明るさは、シーズン当初の下馬評を覆す力を生んだ。(得点力はG10 vs L9)
 第2、捕手のリードと肩。ジャイアンツは誰もが言うように正捕手の離脱が痛い。ところが、第2ステージで鶴岡捕手が光った。投手陣とコミュニケーションをとる努力も懸命にしたようだが、その必死のリードが阿部不在をマイナスにしなかった。しかし、ドラゴンズの荒木君に盗塁4を易々と献上した。足攻(片岡、栗山、中島、佐藤友、赤田等)をどう封じるか。例えば、クイックが苦手のグライシンガーの時、どうするのか。それも見ものの一つである。やはり、細川捕手に一日の長があり、リードでも冷静な判断力が上回っている。(G8 vs L10)

ダルビッシュ・藤川・岩瀬不在のNPB(その2)

2008-08-12 | プロ野球への独白
 そんな中でも、日本のプロ野球の熱戦は続く。CSプロ野球ニュースも毎日放映する。五輪の映像は使用できないために(これも五輪の商業主義)、文字情報だけだ。当然、熱も入らない。
 いや、それでかまわない。五輪選抜選手がいなくても(ついでに言えば、イチローらメジャー組がいなくても)、選手は懸命に戦っている。ここで岩瀬だというところで浅尾が出てくる。いや、そう思ってはいけない。最初から岩瀬のことなど考えずに、さあ浅尾だ、きっと抑えてくれるぞ、と思わねばならない。亡き子を嘆く親は、生きている子に失望される。彼らの心を傷つけ殺してはならない。
 阪神は、藤川がいないことを意識しすぎたのか、ベテランの下柳を7回まで引っ張って、敗戦に至った。12日現在ゲーム差8は、五輪が終わる頃にはいくつになっているだろう。「5厘差(五輪さ)」なんて寒い洒落も頭に浮かんでくるが、ともあれ、今日明日の対巨人2連戦の監督采配が注目される。
 後半戦スタートのDG戦の中継を担当したが、観客は満員であった。五輪期間中は、プロの公式戦は中断して、アマを含めたカップ戦などを企画してはどうかと思っていたが、どうしてどうしてプロ野球興行を支えるファンは健在だ。
 高校野球も地域制に則(のっと)った夏の甲子園大会が五輪に負けない視聴率を稼いでいる。独立リーグも8日はすべてナイターで五輪開会式とほぼ重なったが、四国九州アイランドは観衆5094人、北信越は観衆2587人、両方合わせて7678人、着実にファンを確保している。ついでに言えば、8日夜、プロ野球はどうだったか。五輪代表とパリーグ選抜が東京ドームで対戦した。観衆は20001人。
 日本の野球は、まだまだ他スポーツより支持されている。いくつもの機構・組織がバラバラに存在しているが、それぞれがファンを確保していて、利害が一致すればその時は結びつく。しかし、その土壌は確実に地殻変動しているが感じられる。8日の夜の観客動員数(NBP:独立リーグ=13:5)は、それが表層に現れ始めたことを示していると、私には思われた。

ダルビッシュ・藤川・岩瀬不在のNPB(その1)

2008-08-12 | プロ野球への独白
 8月8日の夜8時8分、私は長野市篠ノ井のホテルにいた。長野五輪の開会式・閉会式が行われた長野オリンピックスタジアムで、翌日、中日本クラブカップ大会が開催されるからである。そのベッドでウトウトしながら、北京オリンピックの開会式を4時間も見てしまった。
 プロローグの論語の「有朋自遠方来、不亦楽乎」から始まる中国4千年の歴史が絵巻物のように繰り広げられた。酔眼ならぬ半睡眼には、黄河流域に発芽した文明が世界へ伝播していったことを中華民族のこの上ない誇りとしてアピールしていたように映った。その迫力が私を眠りの世界から引っ張り出すのだが、人と時と金をかけすぎではないかなぁと感じると、また睡魔に囚われてしまう。五輪祭典は、前回のアテネで五輪の原点に戻るかと思ったが、商業主義と政治性はこれまでに負けぬほど強まってしまった。
 その商業主義と政治性を知ってか知らでか、星野ジャパンは(選手たちの意識は宮本ジャパンらしいが)、13日第1戦を迎える。キューバ、台湾、オランダ、韓国、カナダ、中国、アメリカの7ヶ国の順で、予選ラウンドが始まる。NPBが総力を挙げて態勢を整えただけに、選ばれたメンバーのレベルは、他国の陣容と比較して群を抜いている。順当にいけば金メダルは間違いない。
 難敵は他チームの選手・戦力ではなく、自らに内に潜んでいる。高温多湿に対処しきれぬ体調不良、故障個所の悪化、寄せられる期待の重圧、国旗を背負っているという責任感の過剰、情報の収集と解析の不足、戦略戦術の不統一と不適切などが、万に一つも生じれば、晴れ舞台が悪夢の舞台になる。

東北楽天の格言・箴言(その2)

2008-05-29 | プロ野球への独白
 3階フロアーには選手食堂も設けられていたが、「ほーっ」と目を見はらされたのは壁面である。通路も食堂も壁、壁、壁は隙間の無いほどに、格言・箴言の類が埋め尽くしていた。例えば、「敵を知り己を知る」「捕手はグランド上の監督である」など、誰の言葉かは記されてないが、「野村の眼」や「野村ノート」から抜粋されたものだと思われた。
 小原氏「さすが、野村監督ですね。飯を食う時でも、監督の言葉が飛び込んでくるんだ」
 岩越氏「いえ、これは監督よりも三木谷さんが選手たちの人間形成のために、自ら選んだ言葉が多いようです」
確かに、メジャーの指導者の言葉も畳一畳分ある。
 岩越氏「これは三木谷さんが気に入っているものです」
さすがに米国で学んだ人らしい好みである。
 28日現在、東北楽天は貯金2で、パリーグ3位をキープしている。交流戦も目下5勝2敗とチームの成長は著しい。それが格言・箴言のせいかどうかはしらないが、この球団は手を変え品を変え、いろいろな機会を利用して、野村イズムと三木谷イズムを浸透させようとしているようだ。2か月ほど前に日経のネットで島田オーナー兼社長のインタビュー記事を読んだ時も、それが感じられた。
 ひじょうに小さいとはいえ、私も組織の長であるが、そこで学習しているのは、リーダー個人の思いが集団の成員一人一人の思いに、どのように結びついていくか、である。リーダーは配下を動かす権力を持っているが、だからといって思い通りに配下を動かすとしたら、配下はリーダーのコマにすぎなくなる。
 「一将功成って万骨枯る」は、私の望むところではない。「万骨」でない人たちから見れば、どれほど戦上手の将軍であっても、たった一度の自分の人生が「枯る」なら、名将は殺戮(さつりく)者と同じである。つまり、一骨も枯らすことなく戦いで勝利を納めなければならないという、あまりにも困難な責務を負うのがリーダーだろう。
 大部分のプロ野球選手にとっては、球界に身を置くのは短い期間である。野村監督は、球界から去った後の長い人生でも通用するような思考法を身につけさせようと考えているようだ。他人の吐いた言葉を咀嚼することは誰にだって難しい。野村監督自身がその思いを年々強めているように見える。だからこそ、普段からじわじわと習慣化する工夫をしているのだろう。
 ひじょうに運良く、球界以外の場を知らずに済んでいる者はじつに少ない。野村監督もその一人である。私もそれにいささか近い人生を歩んでいるのだから、学ぶべきことは多い。球団スタッフであれ、スポーツメディアの関係者であれ、そのあたりをじっくりと考えて欲しいと、いつもひそかに願っている。

東北楽天の格言・箴言(その1)

2008-05-29 | プロ野球への独白
 セパ交流戦が始まった5月20日、東京中日スポーツ紙の仕事で仙台に行った。雨が上がり雲間に日が射す夕暮れ時、北国らしい湿った冷たい風が吹いていた。仙台駅の地下は広いショッピングモールが占めていて、地元の名産・名物並ぶ空間は、グルメでもない私でも時を忘却しそうになる。これまで仙台土産で贈って喜ばれたのは「笹かまぼこ」「ずんだ餅(枝豆を擦りつぶして塗した甘味の餅)」である。今回もそれらを選んだ。
 今年からクリネックスが命名権を得た球場は「Kスタジアム」と呼称が変わり、いっそうアミューズメントパークの色合いを濃くしていた。中日サイドのベンチ前で落ち合った小原記者を、球場横に新設された室内練習場の見学に誘った。
 練習場は一塁側スタンド後方にあり、3階建てで、球団オフィスも兼ねていた。ところが、警備員にあっさり拒否されてしまった。球団によっては、警備がすぐに広報やマネージャーや管理部へ連絡するのだが、楽天はそういうサービスはしない方針のようだった。
 小原氏は「せっかく見に来たのだから、広報に頼みましょう」と改めて連絡をとると、運良く球団広報の岩越亮氏が対応してくれ、室内練習場を見せてもらうことになった。
 そこは神宮の室内練習場に様々なオプションを加味したように、私には見えた。一通り拝見して礼を述べ、辞去しようとすると、岩越氏が「折角ですから他もご覧になりませんか」と勧めてくれて、2階フロアーの球団事務所へ赴くことになった。
 谷沢「球団職員が多いですね」
 岩越氏「広報・宣伝・営業・・・球団業務全般が機能しています。他球団と違うのは、球場使用権が楽天にありますので、その業務に優秀な人材を投入しています」
 岩越氏「谷沢さん、選手ロッカーはこちらです」
 小原氏「昨年、メディアへのリリース時には全館のお披露目がありましたが・・」
 岩越氏「じつは、ここまで案内するのはお二人が初めてだと思います」
 ロッカールームには、数人の選手が試合への準備をしていた。元中日の川岸強君が目に入ったので、「ヨォー元気でやってるか。期待してるぞ!」と声をかけると、照れくさそうな顔をして頭を下げてくれた。

予告先発/マリーンズ×ファイターズ戦から(その3)

2008-05-03 | プロ野球への独白
 さて、バレンタイン監督は「今日はウチは成瀬だから勝てる。むしろ相手が明日の先発をぶつけてくれるほうがありがたい。そうすれば明後日(3連戦の最後)の先発は吉川になるだろうから楽だ」と考えたのだろうか。それとも、「相手が中継ぎ投手では一方的なゲーム展開になり、勝利しても両チームのファンが喜ばない」とでも考えたのであろうか。あるいは、「日本には『敵に塩を送る』という賞賛の言葉もありますね」と日本流深情けを身につけたのだろうか。(もちろん、これはジョーク好きのボビーを真似た私の冗談である。)
 結果はどうなったか。この日のスウィーニーは上出来で、6イニングを3安打3四死球の無失点で終え、2ー0でマウンドを降りた。千葉ロッテは8回裏に同点に追いついたが、すぐに9回表に1点失い、結局3ー2の1点差で敗れた。しかも、翌日は3-6、翌々日は1-6と優勝争いライバルのファイターズに3連敗した。結果論で言うのではない。おそらくコーチや選手たちも首をかしげたのではないか。

予告先発/マリーンズ×ファイターズ戦から(その2)

2008-05-03 | プロ野球への独白
 さて、問題なのはスウィーニー投手である。彼はローテーション投手である。試合前のアクシデントが原因だとはいえ、同じローテーション投手を登板させることは妥当だろうか。そしてまたそれを相手チームが受け入れることは妥当だろうか、疑問を感じざるを得ない。
 1995年の西武対オリックス戦で、同じようなことがあった。オリックスの予告先発・佐藤義則君がブルペンで投球練習中、足が痙攣して登板回避となった。仰木監督が東尾監督のもとへきて、代わりに長谷川投手を先発させたいと言ってきた。私はその時西武の打撃コーチで、傍らにいたので、仰木さんにクレームをつけた。「こちらは試合前のミーティングで予告先発の佐藤君対策を十分に練っていたのです。そちらも同じミーティングをしているはずです。それなのにいきなり主力の長谷川君を出してくるのは、道理に反していませんか」「ローテに入っていない中継ぎ投手なら了承しますよ」
 仰木監督は凄い形相で、私を睨みつけてきた。球界の先輩にあたる仰木監督であっても、いうべき事は言わねばならない。こういうやり方をすると仰木マジックではなく仰木トリックと勘ぐられますよ、と喉まで出かかったが抑えた。おそらく私もまた不快感を露わにした顔をしていたに違いない。(ファンにはあまり知られていないが、グランドやベンチでは選手も監督もコーチも喜怒哀楽はひじょうにはっきりと表す。テレビでは、特定の選手や監督の、特定の表情しか画面に映し出さないが、それが大きな誤解を生んでいる。)
 しかし、残念ながら、試合時間が迫っていたせいもあってか、東尾監督が仰木要請を受け入れてしまった。