谷沢健一のニューアマチュアリズム

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10月26日、午後9時36分

2005-10-28 | プロ野球への独白
 10月26日、午後9時36分、突然、歌劇「アイーダ」の凱旋行進曲が鳴り響いた。私の携帯の着信曲である。受話器を耳に当てると、野球解説者仲間の一人(特に名を秘す)の声が響いた。「いやあ、おめでとう。俺の負けだよ。まさか、4連敗とはね」。私は言った、「約束通り、来シーズンは、解説を休業しろよ」。彼は答えた、「とにかく、おまえの勝ちだ。ロッテの日本一を、プレーオフの時から予言していたのは他にいなかったからな」。
 そうなのである。大いに自慢して言うが、ロッテであれ、ソフトバンクであれ、実力は阪神と伯仲しているのは確かだが、どっちが勝つにしても、今年は一方的に見える結果になるだろうと考えたのである。そして、「谷沢野球コミュニティ千葉」という名の組織をたちあげた以上は、やはり千葉ロッテマリーンズの日本一を予言せざるを得ないではないか。
 阪神のアニキを軸とする固定打線と、ロッテの9人軸の日替わり打線。どっちが上だとは誰にも言えない。JFKとYFKと。どっちもリーグ最高の抑えである。先発陣も守備力も捕手のリードも、私にはまったく互角に思えた。とすれば、決め手は「選手の必死さ」である。それが第4戦以外は、ロッテがうわまっていたと思う。
 それは、ソフトバンクとの第5戦で、はっきり獲得されたものではないか。あのとき、ロッテは2連勝した後、2連敗して逆王手をかけられた。それも一時はリードされていた。だが、初芝選手が幸運な安打を放ったときの彼の表情は、まさに彼の最後の「必死」の表情だった。私がロッテの日本一を確信したのはこの時だった。
 31年前、ロッテに敗れて日本一を逸したチームの選手の一人として、心の底から言いたい、「千葉ロッテマリーンズの皆さん、お、め、で、と、う!!」

柏商工会議所訪問

2005-10-24 | YBC創設
 今日は、柏商工会議所を訪問。会頭の長妻三協フロンティア会長、副会頭の坂巻伊勢角代取、同じく萩原ハギワラ社長、上田専務理事というトップの方々とお会いした。会頭は大のスポーツファンと聞いていたが、とくにラグビーには多大な支援をなさっているそうだ。YBCにも、さっそく練習グランドについて情報を提供してくれた。実に心強い支持者になっていただけそうである。
 坂巻副会頭・・・じつは私の幼友達で、いっしょに遊んだ最も仲のよかった「眞ちゃん」である。久々にあったが、「やあ、お帰り」という表情で迎えてくれた。実際、「おう、いよいよ帰ってきたな」と開口一番、嬉しい言葉だった。一気に時間が昔に戻ってしまう。
 帰途、会頭の示唆してくれたグランドを見に行った。名前は公園だが、実際は野球場であり、外野はやや狭いが、高いネットさえ張れば、十分に練習に使えるものだった。市の所有だから、これは市にお願いして、使わせていただこうと思う。さらには、もっと整備してもらえたらと、今から勝手な思いが胸にわいてくる。
 今日の柏行も、収穫があった。また、半歩前進である。

記者会見(柏編)

2005-10-23 | YBC創設
 10月19日、柏市役所記者クラブで第2次記者会見を行った。これは安蒜・高橋両氏が整えてくれたものである。幹事社の毎日新聞をはじめ、読売、朝日、東京、千葉日報の5紙の記者の方々が集まってくれ、質問もどんどんとびだして、こちらの思いも十分に話すことができた。
 どの社も翌日の紙面に記事を掲載してくれたが、「柏への恩返し」というだけでなく、「野球コミュニティ」という発想と概念の新しさを伝えてくれたのは嬉しかった。
 とくに、東京新聞が20日、21日と2日間にわたって報道してくれ、YBCが「柏市での練習場が確保できていないため、準備本部は地元企業への協力を呼び掛けている」と書いてくれたのがありがたかった。冨江記者、どうもありがとう。
 5紙がいっせいに報道した影響はてきめんで、準備本部への電話の問い合わせとこのブログの閲覧数が激増した。ところが、準備本部が手不足のため、電話が通じなかった方もいたはずで、その方々にはただお詫びするしかない。平にご容赦を。
 なお、記者会見の際、本多市長もコメントを寄せてくれた。もっとも、市長選のさなかだから、各紙ともに掲載を見合わせたのかもしれない。
 本多市長のコメント「谷沢コミュニティ千葉が柏市を拠点として活動していただけることになり、大歓迎です。柏市には、柏レイソルをはじめ多くのスポーツチームが活躍しています。柏市も、野球というメジャーな種目が今後市民に溶け込んで活動ができるようにできるだけ協力していきたい。」

第1回トライアウト

2005-10-19 | YBC創設
たった今、第1回トライアウトについて詳細をYBCの公式ホームページ(http://www.ybc2005.com/)に載せました。興味のある人は見てください。なお、当日のスタッフ(申しわけないが、ボランティアです)を募集しています。名乗りあげてくれる方は、メールをください。

記者会見(東京編)

2005-10-19 | YBC創設
 10月17日、早稲田大競技スポーツセンターで記者会見を行った。雨の日だったし、パリーグプレーオフの決戦日だったが、寸暇を割いて取材に来てくれた各社の記者の方々に感謝したい。
 内容は、これまでブログに書いてきたことと大筋で変わりない。ただ、細かい説明ができたのが、私個人としてはよかった。
 とはいえ、「野球コミュニティ」という新しい概念がうまく理解できるように説明できたかどうか、自信がない。
 司会進行は、日本TVの上村哲也君がつとめてくれた。彼はまだ20代半ばなのにトヨタカップなどを担当している敏腕宣伝マンである。たまたま私の教え子であるため、準備本部長などは「谷沢チルドレン」と冷やかし半分に呼んでいる。当日、受付などを手伝ってくれた人たちも「谷沢チルドレン」である。やはり、持つべきものはよい教え子である。
 この会見の内容は、当日のうちに、webでスポーツニッポンが速報してくれた。翌18日には、東京中日スポーツが写真入り2段組の囲み記事で報道してくれた。ありがたいことである。その他、日刊スポーツなど、報道してくれた各社に感謝したい。
 当日深夜、CSプロ野球ニュースでも、牟田ディレクターの配慮で、金村義明氏が私に代わって、この話題を採りあげてくれた。地元・千葉でも、千葉日報が、4段見出しで大きく書いてくれた。
 こんなふうに、マスコミの方々のおかげで、YBCが一人でも多くの人に知られていく。改めて、報道された内容に背いてはならないと、気がひきしまる。

準備本部近くの2社

2005-10-13 | YBC創設
 今日は、準備本部から徒歩10分以内の2社を訪問した。午前中はミズノ本社、午後はベースボールマガジン社。ミズノでは澤課長、堀内氏と懇談。お二方とも快く傾聴してくださった。澤氏は、南柏の住人で(プライバシーを暴いてすみません)、少年野球の指導もしているとおっしゃって、その話に花が咲いた。ほんとうに、YBCと関わりができてしまうような人が、あちこちにいらっしゃる。そういう人たちの期待をけっして裏切らないようにしようと、改めて思う。
 ベースボールマガジン社では、久々に池田社長と野球談。池田氏はさすがスポーツジャーナリズムの総帥の一人だけあって、球界の現状を的確に把握し、かつ将来を見通している。その話のほうがおもしろくて、あまりYBCについて話せなかったが、池田社長はポイントをきちんと理解してくださって、みずからYBCに参加してくださることになった。実に心強い味方である。
 帰りは、丁重に正面玄関まで送ってくださった。その自然さに、ああ、この方からも学ぶことが多いとつくづく感じさせられた。

柏市役所訪問記

2005-10-12 | YBC創設
 今日は、柏市を訪問。本多市長がにこやかに迎えてくださった。うかつにも知らなかったが、「柏市はスポーツによるまちづくりを推進しています」と市の重職の方々の名刺に刷られている。しかも、安蒜ホームタウン推進室長も秘書課の高橋統括リーダーも野球経験者だという。さらには、同席してくださった市議会の重鎮・山中一男氏も捕手として議員チームの要だったそうだ。
 というわけで、「市を挙げてバックアップしますよ」という市長の一言が実に心強かった。野球型競技を中心とした「スポーツ・コミュニティ」という組織の新しさを理解していただき、「柏がその発祥地になるのは嬉しい」とまで言ってくださったので、私も改めて故郷の「まちづくり」の一端を担おうと意を決した。
 かつて2000本安打を記録した時、柏市からスポーツ功労賞を戴いた。市役所を訪ねたのはそれ以来だが、ようやく賞のお返しをできそうである。
 柏市役所の軟式野球チームは、官公庁の全国大会で優勝したり、国体にも出場したという。やはり、柏市も千葉県も野球の土壌は豊饒なのである。
 心温まる市役所を出て、市内の野球場を少し見て回った。紙商健保のグランド、東実健保のグランドは、外から見ただけだったが、よく整備されていた。惜しむらくは、軟式用だった。硬式用の球場が柏にはないのが、残念で仕方がない。乗った個人タクシーの運転手・小浜さんがたまたま若い頃野球をやっていたとかで、あちこちの野球場に詳しく、いろいろ教えてくれた。さすがに、柏は「草の根野球」が根づいている。
 さあ、野球場、練習場、そして室内練習に使える倉庫や屋外練習にも使える遊休地、その探索に精を出さなくては!

柏JC訪問記

2005-10-11 | YBC創設
 柏市は今、市長選の最中である。それに伴ってあれやこれやで忙しいだろうに、柏青年会議所の最高幹部連が時間を割いてくれた。YBCの本拠地・柏の若い世代の代表者として、協力をお願いしたところ、快諾を得た。予想以上にYBCの創設を歓迎してくれたのは、ほんとうに嬉しいことである。
 坂本理事長、岡田次期理事長、そして中沢総務委員長(&柏市議)のお三方は、若々しい発言を聞かせてくれた。私はそれに耳を傾けながら、最高の心地よさに浸っていた。「我々JCは、目上の方々からの指示で行動することが多かったが、YBCの場合、企画の段階から参加できるのなら、こんな嬉しいことはない」と中沢氏は言う。
 まさに、私の思いに叶う言葉だった。私もYBCに集まる人たちに、ああしてくれ、こうしてくれとは言いたくない。逆に、こうしようよ、ああするほうがいいよ、と提案してくれ、それを行動に移してくれるのを期待している。もちろん、組織であるからには、自分勝手は許されない。しかし、新たなもの、これまでなかったものを創りだす時は、遠慮なく、忌憚なく、自由に思考し、発言し、論じ合うものだろう。
 同時に、「こういう利害のしがらみのない活動って、ほんとうに楽しいですよね」と言った坂本氏の笑顔もまた、その志と人柄を物語るものだった。この「楽しさ」こそ私たちと共有する心である。
 柏の地が、新たなスポーツ・コミュニティの発祥地になるかどうかは、柏JCをはじめ、地元の人たちの協力にかかっていると言っても過言でないだろう。そういう意味で、今日のJCの面々との会合は力強い第一歩となった。
 (だから、「谷沢野球コミュニティ柏」でなくても、「柏と言えば、あのYBCの本拠地だろう」と言われるようになろうよ、ね、坂本君! 岡田君! 中沢君!)

女性スタッフ

2005-10-09 | YBC創設
 YBC創設についての問い合わせが多くなってきた。スタッフを希望する人たちも少なくない。その半数は女性である。ある知人は、「女性にもてるね!」と冷やかすが、けしてそうでなく、スポーツに関わる仕事をしたいという女性が増えているのに、そういう場がまだまだ少ないということだろう。
 早大で担当している授業の一つが野球実技だが、今年から受講資格を「女性も可」としたところ、80名中8名が女子学生だった。この10%が女子だという数値は、じつは少ないと思う。高校野球やプロ野球ファンの女性は、もっと大きい数値にちがいない。
 YBCは参加資格を「老若男女」としている。だれでもその人にふさわしいかたちで参加してほしいのである。それに応じる女性が名乗りあげてくれるのは、ほんとうに嬉しい。

プレスリリース+トライアウト+公式ホームページ

2005-10-04 | YBC創設
 YBC創立の正式なプレスリリースは今月17日に行うが、その時に発表する予定のトライアウトについて、このブログのご覧のために「特ダネ」第2弾を発表しておこう。
 トライアウトは11月12日(土)11時受付、12時開始の予定である。場所は読売ジャイアンツの末次部長のご配慮でよみうりランドのジャイアンツ球場をお借りすることになった。参加資格はプロ・アマを問わず、また老若男女も問わず、できるだけ幅広くする予定である。
 なお、詳しくはプレスリリースの日にお目見えする「谷沢野球コミュニティ千葉」の公式ホームページに掲載することになっている。

対茨城ゴールデンゴールズ戦

2005-10-03 | 西多摩倶楽部戦記
 いよいよ最後の西多摩倶楽部戦記である。思いがけない暑さの中、チケット完売になるほど、多くの皆さんが観戦に来てくださった。じつにうれしくありがたいことだ。選手たちも大勢の目で見つめられるという(高校や大学以来)久々の経験で、心が躍ったという。それにつけても、改めて感じ入ったのは萩本欽一という人物の凄さである。控え室で黙っている時は、村夫子というか、どこにでもいる初老の男といった感じだが、いったんマイクを持つと「さすが!」だった。観衆の期待しているものを鋭く感じ取って、瞬時にそれに反応する。実際に、昨日、球場にいないとわからない(ここで言葉にしにくい)様々のパフォーマンスだった。
 おまけに、いつ誰から仕入れたか、なんと試合終了後、観客への挨拶の際に突然「谷沢さん、これが最後の試合だって?」とマイクで言われた。あとは、欽ちゃんのペース。こちらはただその流れに身を任せるだけだったが、それでかえって良かったようだ。そのように欽ちゃんが盛り上げてくれたおかげで、観客の皆さんも試合後30分以上も席を立たずに、グランドに整列していた両軍の選手たちといっしょに私の花道を飾ってくれた。ほんとうにいい思い出をつくってもらえた。あの場にいたすべての人に感謝したい。
 このブログで予告していたささやかなサプライズは、もちろん尾崎えり子君の先発起用である。「相手チームがきっと人気者・片岡安祐美選手を登場させるだろうから、こちらも同じセカンドに尾崎君を」とひそかに考えていたのである。後で知ったが尾崎君のご両親が上京なさっていたそうで、親孝行の「片棒を担ぐ」ことになった。望外のハプニングである。これも後で知ったが鈴木僚君のご両親も山形からおいでだったそうだが、彼を登板させる機会を逸したのはじつに申し訳なかった・・・。
 試合は、接戦になるだろうという予想通り、元ヤクルト-オリックスの副島選手に先頭打者ホームランを浴びたが、敵の2枚看板、山本、仁平両投手(常総学院の選抜優勝投手)を攻めて3-2で逆転勝ちした。東京中日スポーツの西山総局次長も「いやあ、いい試合でしたねえ」とお世辞抜きでほめてくれた内容だった。萩本氏も「情けないね、全然打てないじゃないか」とマイクパフォーマンスで思わず真剣に選手を叱咤するほどだった。
 書きたいことはまだまだあるが、ひとまず、両軍の選手諸君、応援の皆さん、西多摩倶楽部のスタッフの方々、主催・後援の関係者の方々、昨日、あきる野市民球場にいたすべての人々に心からの感謝を申し上げたい。