谷沢健一のニューアマチュアリズム

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対茨城ゴールデンゴールズ戦

2005-10-03 | 西多摩倶楽部戦記
 いよいよ最後の西多摩倶楽部戦記である。思いがけない暑さの中、チケット完売になるほど、多くの皆さんが観戦に来てくださった。じつにうれしくありがたいことだ。選手たちも大勢の目で見つめられるという(高校や大学以来)久々の経験で、心が躍ったという。それにつけても、改めて感じ入ったのは萩本欽一という人物の凄さである。控え室で黙っている時は、村夫子というか、どこにでもいる初老の男といった感じだが、いったんマイクを持つと「さすが!」だった。観衆の期待しているものを鋭く感じ取って、瞬時にそれに反応する。実際に、昨日、球場にいないとわからない(ここで言葉にしにくい)様々のパフォーマンスだった。
 おまけに、いつ誰から仕入れたか、なんと試合終了後、観客への挨拶の際に突然「谷沢さん、これが最後の試合だって?」とマイクで言われた。あとは、欽ちゃんのペース。こちらはただその流れに身を任せるだけだったが、それでかえって良かったようだ。そのように欽ちゃんが盛り上げてくれたおかげで、観客の皆さんも試合後30分以上も席を立たずに、グランドに整列していた両軍の選手たちといっしょに私の花道を飾ってくれた。ほんとうにいい思い出をつくってもらえた。あの場にいたすべての人に感謝したい。
 このブログで予告していたささやかなサプライズは、もちろん尾崎えり子君の先発起用である。「相手チームがきっと人気者・片岡安祐美選手を登場させるだろうから、こちらも同じセカンドに尾崎君を」とひそかに考えていたのである。後で知ったが尾崎君のご両親が上京なさっていたそうで、親孝行の「片棒を担ぐ」ことになった。望外のハプニングである。これも後で知ったが鈴木僚君のご両親も山形からおいでだったそうだが、彼を登板させる機会を逸したのはじつに申し訳なかった・・・。
 試合は、接戦になるだろうという予想通り、元ヤクルト-オリックスの副島選手に先頭打者ホームランを浴びたが、敵の2枚看板、山本、仁平両投手(常総学院の選抜優勝投手)を攻めて3-2で逆転勝ちした。東京中日スポーツの西山総局次長も「いやあ、いい試合でしたねえ」とお世辞抜きでほめてくれた内容だった。萩本氏も「情けないね、全然打てないじゃないか」とマイクパフォーマンスで思わず真剣に選手を叱咤するほどだった。
 書きたいことはまだまだあるが、ひとまず、両軍の選手諸君、応援の皆さん、西多摩倶楽部のスタッフの方々、主催・後援の関係者の方々、昨日、あきる野市民球場にいたすべての人々に心からの感謝を申し上げたい。

東京都秋季クラブ大会(その2)

2005-09-14 | 西多摩倶楽部戦記
 東京都秋季クラブ大会最終日。準決勝と決勝である。結果を先に書くと、優勝! 今年はこれで2大会の優勝という成績を収められた。4~6月はなかなか本調子にならず、不本意な成績だったが、7月からはようやくエンジンがかかりはじめて、実力相応の結果を出せたと思う。本年度の公式戦は11勝3敗、勝率.786。企業チームに勝てなかったこと以外は、昨年よりも好成績だったといえる。監督という立場から言えば、いささか不完全燃焼だったというのが正直な感想である。
 しかし、選手諸君はどうだろうか。かなり自信を持ったものが多いのではないだろうか。「これなら、俺はもっとレベルの高いところでできる」と夢をいっそう大きくもてるようになったのではないだろうか。例えば、昨年、クリーンナップを打った東山君と八木君もそうだった。そして、今年は四国独立リーグで活躍している。東山君は打率,304で第2位、八木君は打率,263で第7位だが、8月は月間MVPになった。来年はだれがどこで活躍するだろうか。
 さて、当日はバックネット裏に青島健太氏の姿もあった。試合前、清涼飲料水を手みやげに挨拶に来てくれたが、実はスカウトが目的だった。青島氏は今度、新企業チーム「セガサミー」の監督に就任したのだ。我が西多摩の誰が、来年セガサミーで活躍するか? それは来年のお楽しみですよ。

東京都秋季クラブ大会(その1)

2005-09-10 | 西多摩倶楽部戦記
 東京都秋季クラブ大会の第3日目。西多摩倶楽部はシードされていたので、ようやく今日が初試合。相手は古豪・熊谷組の流れをくむ名門チームの熊球クラブ。当然、エース金森君を先発させた。結果は、こちらの打線が好調で、16-1で勝利した。中盤に大差がついたので、前半に攻撃あるいは守備に活躍した選手を交代させることができた。その起用に応えて濱谷君は2安打を放ってくれた。このように準レギュラーとレギュラーとの間に差がほとんどなくなってきたのは嬉しい限りである。25人ベンチ入りして18人が試合に出場したのは、昨年秋の対全府中戦以来だろう。チーム全体の勝利というのは快かった。
 心に残ったのは、公式戦で初めて先発出場した宇野澤君である。2打席凡退したとき、インコースの球につまって折れたバットを、さらに股でへし折って悔しがっていた。こういう選手は絶対に伸びるはずだ。かつて中日の2軍で悔しがってバットを折っていたブライアント選手を思い出した。彼はシーズン途中で近鉄にトレードされ、なんとその年のホームラン王になったのだ。期待しているよ、宇野澤君!
 6回裏、13-1になって熊球クラブの攻撃の時だった。一瞬、耳を疑うことが起きた。敵のベンチからどっと哄笑が響いた。「う~ん・・・」と思った。確かにアマチュア野球の根底は、野球を楽しむことにあるとはいえ、その「楽しさ」は真剣に競技している中で生じるものである。けっして笑いや滑稽を伴うものではない。ゲームが中断しているときならいざ知らず、自チームの選手が打席で構えているのである。じつに残念だった。

対明治学院戦 試合&試合後

2005-08-11 | 西多摩倶楽部戦記
 試合が始まった。先発はショーン投手。彼の日本での最後の登板になった。期待通り、3回を完封。目立ったのは加藤裕之君で、初回の打席でバスターエンドランのサインを出してみたところ、見事に1、2塁間を抜くヒット。その後の打席も長打を連発した。遅刻した山野辺君をはずして、教職試験のため試合から遠ざかっていた是則君を起用したところ、それに応えて活躍してくれたが、やはりゲーム勘が戻らないのか、1塁へ悪送球というシーンもあった。できるだけ多くの選手をゲームに出場させるというのが、クラブチームの采配の難しさである。サインの徹底ひとつにしても、出場機会の少ない選手にすぐに覚えさせるにはコツがある。その話はまた別に書こう。
 森山監督はベンチに座ってはいたが、学生コーチ(4年生だろう)が采配を執っていた。ゲームは我がチームの選手たちが元気いっぱいで、22対4で勝利した。森山監督の手腕なら、このチームの強化をはかり、来年ももし対戦するとしたら、その時は大接戦になるかもしれないなと思った。
 試合後、指導を受けたいと頼まれた我がチームの香川コーチ(言うまでもなく、近鉄と横浜大洋の名リリーバー)は、熱の入った指導を40分ほど続けた。帰りの車中で香川コーチは、「谷沢さん、1年生でいい投手がいましたよ。水上氏の息子だと言っていました」。「えっ、水上氏ってあのロッテの?!」「ええ、あの水上さんですよ。」つまり、1000本安打を記録し、ゴールデングラブ賞も取っている名ショートストップである。さすがに蛙の子は蛙である。
 一段落したところで、「蕎麦をどうぞ」と食堂に招かれ、暑さで火照りきっていた体と空きっ腹とを十分に満足させてくださった。誰かが「香川コーチが熱心すぎたので、蕎麦が少しのびていますよ」と冗談を言い、笑いを誘った。香川コーチは「選手さえ伸びれば、蕎麦はどうでもいい」と言いたげな顔をしていた。
 その歓待に報いるものは用意していなかったが、たまたまヤクルト対巨人戦の特別入場券を持ち合わせていたので、20枚ほど差し上げることができた。女子マネージャー(10名もいるのですよ!)が一番喜んでいた、という明治学院との試合であった。

対明治学院戦 試合前

2005-08-11 | 西多摩倶楽部戦記
 8月7日、明治学院大とのオープン戦を行った。大学との練習試合は、立教大、東京情報大に次いで3校目である(なお、母校早稲田大はこちらが申し込んでも思わしい言葉が返ってこない)。今、明治学院大は栃木の白鳳大と共に注目されている。それは今年、プロ野球OBが監督に就任したからだ。しかし、申請先の大学野球連盟からは許可がおりていない。白鳳大は、地元出身の藤倉一雅氏(元阪神内野手→ロッテ2軍コーチ)と浅野啓司氏(元ヤクルト投手→巨人)。明治学院大は同大学OBの森山正義氏(元阪神外野手→ロッテ)である。
 ちなみに、藤倉氏は親子2代にわたるプロ選手で、ジュニアオールスターで11回満塁サヨナラヒットを放ちMVPを獲得したこともある。浅野氏は巨人キラーで名をはせた理論派投手。全盛期のONをぴしゃりと抑えて、ヤクルトファンを熱狂させた。森山氏は学生時代に全大学リーグ最多の通算26本塁打を放ったスラッガー。
 さて、試合は11時からだが、集合は9時。グランドはJR戸塚駅から車なら15分と聞いて、いつものように、携帯サイトの乗換案内で調べると、湘南新宿ラインで新宿から44分。だが、万に一つも遅刻しないように、本数の多い東海道線に切り替えて東京駅から乗車した。
 いつもこんな調子で電車を愛用しているのだが、時々、口さがない人たちはあれこれ言うらしい。そう言えば、江戸川大学市民講座に招かれたとき、小林至氏(言うまでもないが、同大助教授兼ホークス球団取締役)が「えっ、名球会プレーヤーが電車でお帰りですか!」とびっくりしていたが、けっきょく彼もいっしょに電車で帰途についたのだった。
 現地に到着すると、グランド(整った球場だった)では明学大選手の打撃練習が終わりかけていて、我がチームも外野のほうに集まっていた。さっそく、女子マネージャーの出迎えを受けてロッカールームに案内された。そこは、大学の総合グランドの管理施設(3階建)のようで、各運動部員がひしめき合っていた。
 グランドに行くと、森山監督が(私よりいくらか年下なので、長幼の序を重視する野球人らしく)わざわざ挨拶にきた。「先月、監督になったばかりで指導する時間もないんですよ。試験中は一切練習は禁止でしてね。このグランドも軟式野球部と併用ですよ。」問わずともいろいろ話してくれる。「今は、首都リーグの2部校ですが、大学当局も少子化なのに野球を強化したい意向のようで。しかし、推薦入学制度はないんですよ。」
 また曰く、「私も本職は伊勢屋という団子屋なんですよ、ボクシングの世界チャンピオンだった輪島さんのチェーン店を任されています。」私が「秋季リーグ戦はベンチ入りできるんですか」と尋ねると、「いや、まだ許可が出ないんですよ。」コーチまでは許すが、監督は認めないというのはどうしてだろう?

プロアマ交流試合・対インボイス戦 試合後

2005-08-03 | 西多摩倶楽部戦記
 試合後、インボイスの渡辺久信監督は、自軍の選手たちにバットを持ってこさせ、それらを寄贈してくださった。これもまたありがたいことだった。渡辺監督は「1番の片山君は初球から思い切りよく振りますねー」と誉めてくれた。さすが台湾球団など多くの選手を見ているだけある。確かに片山君は切込み隊長らしい(かつてのバファローズ黄金時代のトップバッター平野外野手ばりだ)好選手である。
 また、金森君についても「形が一番しっかりしてる」と投手出身の監督らしい見方を述べてくれた。ただ、全体的に上体ばかりに力が入って下半身の弱さが目立つと指摘してくれ、ディフェンスの強化をという提言をいただいた。
 私の心の中には、「たかだかアマのクラブチームが相手だ」という意識を捨てて、真剣に挑んでくれたインボイスのスタッフ、選手の皆さんへの感謝が溢れるほどいっぱいに満ちていた。うちの選手たちも、夢と現実との両方を見せられることで、各自、感じるところ・思うところが多かったことだろう。(ちなみに、観戦してくれたフジテレビのFディレクターも「真剣勝負ですねー」と感想をもらしていた。)
 ほんとうに、西多摩倶楽部にとって、本格的にプロと交流戦ができたことへの満足感、充実感が与えられた一戦だった。この試合が新たなスタートであることは、私以上に、ネット越しに見守っていたプロ球団たる西武とインボイスのファンにも、足場の不安定な三塁側の土手で(うだるような暑さの中で)熱い声援を送り続けてくれた西多摩応援団にも伝わっていたと確信している。

プロアマ交流試合・対インボイス戦 試合

2005-08-03 | 西多摩倶楽部戦記
 試合が始まった。インボイスの先発は東投手、打線は、栗山選手、水田選手、小関選手、高木(大成)選手、後藤選手、おかわり君こと中村選手・・・と、一軍でも実績のある面々が続いていた。西多摩倶楽部の先発はエースの金森君。 
 初回、水田選手にレフト前に運ばれ、直後にワイルドピッチが出て3塁まで奪われた。張り切りすぎているのか、どこか捕手の島原君の動きが堅い。続いて、小関選手に低目のフォークを打たれて1点献上。さらに追加点も取られる。
 3回表、2番関根君の右翼越えのツーベース、3番加藤(裕太郎)君の狙いどおりのセカンドゴロで走者が進塁、4番遠藤君のライト前タイムリーが生まれて3対1となった。そして、3回裏は金森君が0点に抑える。ここまでは、善戦といえた。そこで、できるだけ多くの部員たちに経験を積ませようと、バッテリー2人を交代させた。それが結果として、試合を暗転させた。
 4回からは防戦一方。投手は安田君を投入したが乱調で(生活のかかったプロ選手に死球の被害があってはならないので)降板。続く、斉藤(生一)君も普段の闘志はどこへやら(いつもは相手を威圧するような大声をだすなどのファイトマンだ)、相手の大型打線に圧倒され、打ち込まれた。
 試合は15対1という一方的な展開となった。そんな中、7回にマウンドに上がったノバク・ショーン君(横田基地内の生まれで、9月からはハワイ大学に進学)が、二つの三振を奪った。特に得意のチェンジアップで中村選手に空を切らせたのは見事だった。また、5番手の鈴木僚(りょう)投手、4回から出場の甲斐捕手も貴重な経験を積めたはずだ。

プロアマ交流試合・対インボイス戦 試合前

2005-08-03 | 西多摩倶楽部戦記
 7月31日、大げさな言い回しに響くかもしれないが、我が西多摩倶楽部にとっては歴史的な一日となった。西武球団のファーム、インボイスと対戦したのである。プロと対戦するのは、監督就任早々の昨年2月29日、湘南シーレックスに0対21で敗れて以来だ。あの時はチームも掌握していなかったので、采配らしい采配をする余裕もなかったが、さて、今回はどうなるのかと、何日も前から楽しみだった。
 10時過ぎ、西武第2球場に着くと、我が方の選手たちは外野に集まっていた。彼らからはいつもよりもずっと元気な挨拶の声が飛んできたが、それ以上にインボイスの練習に見入っている選手が目立った。
 この試合の企画がもちあがったのは、5月頃だった。私は、中日対西武(セパ交流戦)の解説でナゴヤドームを訪れた際、伊東監督に話を持ちかけた。「ツトム、お願いがあるんだが」と、つい私は横柄な物言いをしてしまったが(西武のコーチ時代に伊東捕手をツトム、ツトムと呼んでいた癖が出てしまったのだ)、伊東監督は人一倍、応対が丁寧な人柄そのままに、「はい、わかりました」と答えはすぐに返ってきた。そして、すぐにマネージャーを呼び寄せ、ファームの日程を調べさせたのである。伊東監督曰く、「うちの選手たちはいささか甘えている。1軍から2軍に落として鍛えようとしても、逆にファームの方が住みごごちがいいようだ。是非、そんな選手たちに、一生懸命頑張っている倶楽部チームの選手の姿を見せて、刺激して欲しい」。
 そんな伊東監督は、ゲーム前、(当日夜に楽天戦を控えているにもかかわらず)激励のためにロッカールームにわざわざ足を運んでくれた。この心配りには頭が下がる。

第18回JABA一関市長旗争奪クラブ野球大会(その3)

2005-07-28 | 西多摩倶楽部戦記
 最終日の決勝戦は、強敵・オール高崎野球倶楽部と対戦。押し気味に試合を進めたが、0-0のまま延長戦へ。10回表、2死1、3塁で、敵打者が3塁後方に小フライを打ち上げた。これでチェンジだと思った瞬間、大園君が球をグラブに入れながら転倒。球がこぼれて1点献上。ベンチの私の目には、土と芝生の境目にスパイクが引っかかって転倒、ついてない!と見えた。
 しかし、その裏、山野辺君が右前安打、それを飯田君がバントで送り、大園君が右前安打でミスを帳消し、1死1-3塁で、打者が9番の甲斐君。敵の小林投手は球種が多彩であり、追い込んだ後のフォークが決め球だった。代打を考えたが、我が方には縦の変化に強い打者がいない。で、そのまま打たせたら、投手の斜め後ろに高々とフライ。こりゃ、あかんと思ったら、天の助けで、2塁手が落球した上に(本来は2塁に送球すべきを)慌てて1塁へ送球し、オールセーフで1死満塁になった。
 こうなれば、試合はこちらのものになるのが野球というものだ。1番の笠原君が右翼線に2塁打、2者生還で、サヨナラ勝ち。敵失とはいえ、選手たちの歓喜の叫びがベンチ中が響き渡った。監督としては、敵2塁手がかわいそうであり、好投した小林投手が気の毒だったが、選手の喜びに水を差すわけにはいかない。なんといっても全勝する、つまり優勝するということはなにものにも代え難い。こういうことで、選手のモチベーションは一気に上がり、チーム力も高まるものだからだ。
 (ちなみに、後でわかったことだが、大園君のミスは、じつは左スパイクの紐が長すぎて右足でそれを踏んづけて転んだのだった。彼も試合に勝てたからようやくチームメイトに白状したらしい。やはり勝つことはいいことだ!)
 表彰式では、一関市長旗、カップ、表彰状と全員にメダルが授与された。このように形として残るものをいただくのは、私も久々で、思いがけないほどの嬉しさがこみあげてきた。
 まして、その直後、選手たちが胴上げをしてくれた。この時の気持ちは格別の喜びであり、現役時代に味わった感情とはひと味もふた味も違う、ひょっとすると、セリーグ首位打者賞を獲得したときよりも強いかもしれないとさえ感じた。プロ野球界からみれば、ささやかな勝利とはいえ、アマチュアだからこその深い感動を体験できた。
 オール高崎野球倶楽部の三木(みつぎ)監督からは悪びれずに、「今度、あきる野市へ行きますから、もう一度相手をしてください」と言われた。こういうこともまたアマチュア野球(特にクラブチーム野球)ならではの楽しみである。

第18回JABA一関市長旗争奪クラブ野球大会(その2)

2005-07-28 | 西多摩倶楽部戦記
 翌日の第2試合は全日立ドリームズと対戦。同チームは、話題のゴールデンゴールズ(欽ちゃん球団)と茨城県で覇を競い合っている強豪チームだが、我が安田君の強気のストレート主体のピッチングが功を奏して完投。7-2で勝てた。実は内心で心配していたのは、安田君の与死球で、都市対抗都予選でもいささか相手チームに迷惑をかけた。今回、わざわざ招いていただいたのに、「死球禍の安田」などと称せられると困るなと思っていた。しかし、それは杞憂で見事なコントロールで135球の完投勝利だった。
 第3試合は準決勝で、オール江刺と対戦。我が斉藤(生一)君とノバク君との継投で勝利。ここまでの3試合は、投手もよく投げたが、打線も活発で、新加入の片山君が2本の本塁打をうち、主力の遠藤君をはじめ、島原君・飯田君・山野辺君といった面々が好調だった。守備では、控えだった大園君(まだ19歳)を遊撃手に起用したところ、安心できる的確なスローイングで勝利に貢献してくれた。

第18回JABA一関市長旗争奪クラブ野球大会(その1)

2005-07-28 | 西多摩倶楽部戦記
 7月23~25日、岩手県一関市へ遠征。JABA一関市長旗争奪クラブ野球大会に招いていただいたからだ。この大会は今年で第18回目という伝統のあるもので、東北と関東の16チームが参加した。過去には全足利クラブが3連覇したり、WIEN94が2連覇したりしているという、東日本のクラブチーム大会としても有意義な催しである。18年も継続するというのは、はたで考えるより大変なことだと思う。一関市や地元の関係者の方々の長年の尽力には敬意を払いたい。
 初日の第1試合は一関三星倶楽部と対戦。同チームのオーナー、永澤卓三氏によれば、「10年前にはクラブチーム日本一にも輝いた」という名門である。幸い、シダックスの野村監督も「うちのチームにトレードしろよ」とさえ冗談交じりに言っていた我がエース金森君が好調で、7回まで1失点に抑えてくれた。相手の先発、菅原投手のスリークォーター気味の投球をうちあぐねていたが、疲れが出てきたところで、何とか打ち込めた。結果は10-1だった。