谷沢健一のニューアマチュアリズム

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58歳

2005-11-28 | ニューアマチュアリズム
 今日のスポーツ紙は2人の58歳の記事が目を引いた。江本氏と松岡氏である。もう読んだ人も少なくないだろうが、アマチュア野球に「深入り」する元プロがまた2人増えたのである。
 何せ、58歳すなわち1947年は当たり年と言う人もいて、名球会会員だけでも8人、もし、生まれ年でチームを作ったら、47年組が最強かもしれない。
 もっとも、これはいわゆる団塊の世代だから、数が多くて当たり前かもしれない。ということは、別の面から見れば、ライバルが多かったということでもあり、皆、激しい練習を積んできた者ばかりである。
 天才投手とか天才打者と呼ばれたとしても、それは表側だけで、だれもがファンの目に入らないところで猛烈なトレーニングをしていたのである。
 プライドの強い者は、「俺は練習はほとんどしなかったね」と、その天才ぶりをアピールすることも珍しくないが、私のような者は、足の故障もあったから、野球についての努力は隠しようもなかったし、隠すつもりもなかった。
 それは、今だに続いている。YBCに第1期生として参加する選手諸君も、地道に黙々と、しかし楽しく、トレーニングを重ねてほしい。
 ともあれ、58歳の老人一歩前の我々が、新たな活動を始めるのである。若者よ、がんばれ!
 そして、江本ファイアーバードよ、羽ばたけ! 松岡西多摩倶楽部よ、谷沢前監督なんて忘れて大きく飛躍してくれ!

ドリーム・ベースボールその3

2005-11-22 | プロとアマ
 さて、試合にはやはり5番ファーストで後半の出場。2打席1安打無失策。なぜか前回とそっくり同じ。安打はレフト線への、我ながら完璧な当たりだった。金田ボス曰く「こら、谷沢よ、素人相手に本気を出すな!」と。また叱られたが、実はボスの内心では「ああ、よかった。素人に負けた試合だが、プロらしさを見せてくれたよ」と思ったらしい。
 後で、ボスが「お前は、ふだん若いもんといっしょにやっているから、体がよく動くんだなあ」と驚き半分に褒めてくれた。膝の調子が悪いボスにとっては、自分自身がまどろっこしいのだろう。
 ボスの推薦だったのか、私は優秀選手賞を苫篠氏(元ヤクルト名内野手)とともにいただいた。その景品は地元産白米10キロだった! (実は、当日の昼食は地元のシェフによる和食で、ご飯がべらぼーにうまかったのである!)
 伊勢崎の皆さん、特に伊勢崎硬建チームの方々、楽しい試合でしたね。

ドリーム・ベースボールその2

2005-11-22 | プロとアマ
 11月19・20日は伊勢崎市野球場で、指導者講習会と地元チームとの試合。この球場には地元の生んだプロ野球草創期の功労者・鈴木惣太郎先輩(早大OBで、日米野球の交流の立役者でもあり、例えば米国進駐軍に接収されていた甲子園、西宮、後楽園の解放を早めた人物である)の碑がある。
 参加したプロOBが全員、碑を見学したが、私は皆が引き上げた後もじっくり碑文を読んだ。読み終えたとき、我知らず自然に帽子をとって深々と頭を下げていた。このような方々がおられたからこそ、プロ野球はわが国で随一のスポーツになれたのである。私たちはぜひともその遺志を継承しなければ、と改めて心に誓った。

ドリーム・ベースボールその1

2005-11-22 | プロとアマ
 ドリーム・ベースボールとは、名球会とプロ野球OB会とが共同参加して催される行事(主催、財団法人自治総合センター)である。元プロと地元アマチュアとの試合と野球教室を主とする。
 年間15会場で行われるが、すべて土日の催しだから、西多摩倶楽部の練習と試合(そして西多摩倶楽部の幹部を通して依頼される地元の行事)を優先していた私は、乞われてもなかなか参加できなかった。
 それで、カネやんこと金田正一ボスに「こら、谷沢よ、たまには俺たちのほうにも協力しろ!」と叱られもした。で、西多摩倶楽部のスケジュールから解放された先月と今月、2回にわたって参加できたのは嬉しかった。
 10月30日は、5番ファーストで出場。2打席1安打無失策で、まあまあだった。遊ゴロでアウトになった時も、打球は完全にヒット性だったが、なぜか我が足では1塁ベースまでが遠く、送球のほうが速かった。すると、観衆から野次の一声、「谷沢っ、真面目に走れ!」
 私も疾走したいのはやまやまだったが、アキレス腱負傷の後遺症かはたまた加齢現象か、アウトになったしだいである。(私はいつだって真面目なんだよ・・・と、いちおう書いておこう・・・)

募集開始!

2005-11-17 | YBC創設
 すでに何人もの方から尋ねられたり、提案されたりしている、曰く「チーム名は柏ヤザーズか?」「チームのロゴは千葉らしく黄色になるんだろ?」「ユニフォームは赤が強そうでいいですよ」等々。
 日テレの上村君のように、YBC創設を発表した翌日に、「谷沢先生、ロゴを作ってみました」と図案を持参した者までいる。(内野をかたどったダイヤモンド形の、なかなか洒落た案だったが、それにしても早すぎる!)
 トライアウトの準備や実施などですっかり遅れてしまったが、ようやく「チームの名称・ロゴ・ユニフォームのデザイン」の公募を行うことになった。これも詳しくは公式HPで公表するが、やはり千葉県の方は明日、朝刊各紙で目にするかもしれない。
 採用者や応募者には、ささやかなお礼の品を用意している。小宮山悟選手などは「僕のサインで良ければどうぞ」と言ってくれたので、それも使わせてもらおうと思っている。持つべきものは隣近所の良き年下である!
 審査は私ひとりが独断と偏見で決定しろと準備本部長をはじめみんなが言うので、それに従い「毒断」と「変見」で決めるぞ!

第2回トライアウト

2005-11-17 | YBC創設
 というわけで、第2回トライアウトを12月4日に行えることになった。詳しくは、明日にも公式HPで公表するが、千葉県の方々は、明日の朝刊各紙で目にするかもしれない。YBC創設の時と同じように、柏市役所記者クラブでプレス発表が許されたからだ。
 今回は前回にもまして記者の方々が温かく迎えてくれ、質問もこちらの説明不足を補うもので大いに助けられた。かつて中日ドラゴンズに入団したとき以来、新聞の報道力の強大さを実感してきたが、いま改めてそれを痛感している。学生時代にもっとマスコミュニケーション学を勉強しておくべきだったと反省させられることしきりである。
 第1回目以上に第2回目は、発表日から実施日までの期間が短いので、記事を掲載していただけるのは、ほんとうに大きな応援になり、ありがたいことだ。

市立柏高校訪問

2005-11-17 | YBC創設
 17日、久々に朝早く起床した。早大での授業のある日以外は、割とのんびり起きるが、今日は市立柏高校を訪れるためである。というのは、柏市教育委員会のはからいで同校のグランドを拝借することになったのだ。
 なにしろ、嬉しいことに「地元の柏で、どうしてトライアウトをしないのだ」というお叱り(?)の声が何人もの方々から寄せられていたが、会場が見つけられないでいた。それが解決したのである。
 同校の玄関前では、石切山スポーツ課長が待っておられた。(創立記念日で休日だというのに、仕事熱心にも勤務しておられた)職員の方の丁重な応対によって応接室に案内されて、鈴木校長とお会いした。校長先生は、我が母校・習志野高校で器械体操部の指導もしていたということで話がはずんだ。やはり、スポーツに関わった方との話は楽しい。
 お借りするグランドを見せていただきに行くと、ちょうど練習が行われていた。野球部は春の選抜大会に出場したこともあるし、夏も甲子園まであと一歩のところまでは進出しているという。それを横目で見ながらネット裏に行った。グランドはやや狭い感があるものの照明設備や室内練習場が整備されて、柏市の力の入れようがよくわかった。
 福島監督が我々のもとに挨拶に見えられ、部員集めの現状や指導の難しさなど語ってくれた。その言葉には指導への情熱があふれていて、優しさと厳しさを兼ね備えた誠実な指導者という印象を受けた。これなら、ネットに掲げられている「つかめ甲子園」というスローガンの実現も夢ではないだろう。
 同校はスポーツ一辺倒ではなく、定期試験直前は部活動の練習は休止するという。たまたま12月4日はそれにあたるそうで、幸運にもその日をYBCが利用できるのである。

柏市教育委員会訪問

2005-11-16 | YBC創設
 トライアウトの快い疲れが回復したので、14日、柏市沼南庁舎を訪問した。今回も高橋統括リーダーが出迎えてくれ、さっそく矢上教育長とお会いした。若き日の矢上先生は柏中に国語教諭として赴任されたのだが、その時、私は3年生だったのだ。その後、先生は野球部の監督として強豪柏中をさらに強化なさった。同行した松田理事(彼も柏中出身)の話では「矢上先生は厳格で、こわ~いと定評があった」というが、どうしてどうして、じつに温厚で、優しい眼差しで接してくださった。
 ひとしきり、柏中野球部の話で盛り上がったが、スポーツ課の石切山課長のてきぱきとした仕切で、話がどんどん進行した。石切山氏のおっしゃるには、市長以下、市の幹部の方々がYBCの練習場探しにいたく配慮してくださって、市の施設をどこまで利用できるか、1月にはほぼ確定してくださるという。
 それどころか、望外だったのは、ほぼ連日使用可能(!)だという場所を見つけてくださったのである。で、さっそく課長とリーダーの案内で現地に向かった。加藤準備本部長などは喜びのあまり、車に乗り込むとき、ドアに頭をぶつけたくらいだ。いささか手入れをしなければならない点はあるが、毎日でも使えるというのは願ったり叶ったりである。吹き付けてくる風は冷たかったが、私もつい口元がほころぶのを抑えきれなかった。

トライアウト私感その3

2005-11-13 | YBC創設
 プロのトレーナー3名、プロのアナウンサー2名、ベテランのマネージャー3名、これは昨日のスタッフの一部である。開始前の準備体操から終わりのクールダウンまで、ヤクルトなどで指導中のトレーナーが担当してくれる、プログラムの進行案内アナウンスがほどよい音量でしかも会場の隅々まで行き渡る、急遽、会場が室内に変更されたのに、何事もなかったように計画を一気に改変して実にスムーズに進行させたマネージメントのすばらしさ、こんな贅沢なトライアウトが他にあろうか。
 あるいは、ピッチングのトライアウトの最中に的確な矯正アドバイスが元プロから与えられる、こんな有意義なトライアウトが他にあろうか(ちょっと自慢しすぎてしまった!)
 こんなにも高い技量を持った人たちが支援してくれるのだから、YBCの新チームの選手たちは幸運だと思う。そして、運をひきよせ、運を使い、運に乗るのはその選手の努力次第である。
 私個人の運と言えば、ボールから飲料水に至るまで、様々の用具や物品を(遠く秋田の方々をはじめ少なからぬ方々から)提供して戴いたのが、望外の運だった。

トライアウト私感その2

2005-11-13 | YBC創設
 参加選手のレベルは予想以上だった。これなら、トップチームは、現在のクラブチームの上位レベルに相当するものになるだろう。選考会議はまだだが、私の内心ではレギュラーメンバーがほぼ確定しかけている。実に好都合なことに、各ポジションに他より抜きんでている選手がいるのである。(昨夜、ベッドの中で、ふと思った。このメンバーで、西多摩倶楽部のベストメンバーと試合をするとどうなるか。たぶん、かなりの接戦になると確信した。)
 プロチームや大学・高校の監督やコーチの方々が「この選手がYBCでやりたいと言っているのだが」と推薦された選手たちもさすがに真剣にその実力を発揮しようとしてくれた。
 ともあれ、これで胸を張って千葉県野球連盟に加入申請を提出できる。さあ、どんなふうにチーム練習を始めるか、私も一段と楽しい気持ちになってきた。

トライアウト私感その1

2005-11-13 | YBC創設
 トライアウトに際しては、事前にいろいろな想いが交錯していた。その一つはもちろんチーム作りである。ゼロから新チームを作り上げるなんて、そうそう経験できることではない。(プロでは田尾氏が、独立リーグでは石毛氏が経験したろうが、田尾氏は先にオリックスに選手の選択を奪われてしまったし、さらに言いにくいことだが球団幹部の意向にも左右されたようだし、石毛氏はリーグの結成という大事に追われてチームの運営指導の現場には立てなかった。)
 当日は、前夜からの雨が残ったものの、開始時には晩秋の碧空が拡がり、爽やかな大気が感じられた。まさに私の心境そのものだった。私はつくづく僥倖に恵まれていることを実感した。グランドは十分には乾かないから、他の場所だったら、中止を余儀なくされただろう。しかし、ここはジャイアンツ球場である。無事に室内練習場で開催できた。室内は暖かかったので、参加選手の体もほぐれ、けがの心配も薄れ(ハプニング第1号はスタッフ=打撃投手が足をつったことだったが)、かえって良かったのだった。

「特ダネ」第3弾

2005-11-10 | YBC創設
 「YBC本部事務所、正式に決定!」
 私の父は戦後まもなく柏駅近くの裏通りで運動具店を開き、長くそれを営んできた。4階建ての小ビルを建てる程度には成功したが、勝てないのは寄る年波で、10年程前に店を閉め、今は悠々自適の生活をしている。
 その旧店の2階を「愚息」のために提供してくれるのである。持つべき者は誠実に生きてきた良き親である!
 父の店には、やや近所にいた小宮山悟君や松沼博久君(言わずとしれた松沼兄やん)などのことを、「よく買いに来てくれたのよ」と亡くなった母から聞かされていたことを思い出す。いつぞや、小宮山君と語り合ったが、彼も「僕の野球用品はぜ~んぶ谷沢先輩の店で買ったんですよ」と言っていた。その一部が私の「日本酒マッサージ」用の酒代にもなっていたのだ(もちろん、冗談ですよ!)。
 戯れ言はさておき、場所は柏駅から徒歩5分足らずだから、来年の事務所開き以降は、柏市はもちろん、近隣の方々には顔を出しやすいことになるだろう。これが地元に根ざす第1歩だと考えている。
 

トライアウト近し!

2005-11-10 | YBC創設
 いよいよ12日のトライアウトが迫ってきた。昨日も2度目のミーティングが準備本部で行われた。高嶋直美さん(マラソンランナーで、近々東京マラソンにも出場します)、川島氏(元IBM監督)、藏重氏(上海のサムライニッポンパイレーツ元主将)、根本氏(前熊球クラブマネージャー)ら8人が仕事を終えて(ひょっとすると途中で抜け出したかも)駆けつけくれた。そのような皆さんの温かい協力によってトライアウトに向けた準備は整ってきた。ありがたいことである。また、当日のスタッフ用のトレーナー25着や、アクエリアス70本が寄付されたり(匿名寄付者は後日発表)、東北のNHKアナウンサーが当日の朝出てきてくれるとの申し出があったり、感謝々々である。
 トライアウト応募者も当初はさほどでもなかったが、締切日(8日)近くには速達などで次々と届き60名を超えた。応募の内訳は投手21名、捕手4名などで、ポジション別の数もバランスがとれている。どんな人たちがジャイアンツ球場に集まるか、明後日が楽しみである。 
 

球場探し

2005-11-07 | YBC創設
 かなり順調に進んでいるYBC創設計画だが、もっとも足踏みしているのは、球場・練習場の確保である。もちろん、他人任せではなく、YBCのスタッフがいろいろ努力をしている。例えば、松田隆氏は、土日祭日は、愛車を駆って、柏市とその近隣の野球場と名の付くところを見て回っている。
 しかし、残念ながら、柏市内の球場はすべて軟式用ばかりで、硬式に使うには高いネットを張るなどの手入れが必要になる。そして、公営の球場には私人が勝手に手を加えることはできないから、すぐに利用するわけにいかない。また、近隣にある硬式可能の球場も、使用申込が多く、抽選などで決めるので、事前の早い時期に練習計画を立てられない。
 このようなことは予めわかってはいたが、生来の楽天家の私とYBCのメインスタッフは「何とかするしかない」とめげずに探してきた。
 中央学院大学(千葉大学リーグの強豪チーム)の菅原監督は「春、沖縄でキャンプをする間は、グランドが空きますから、どうぞ」と言ってくれた。同監督は私と同じ柏中出身、持つべきものは良い後輩である!
 今日は広池学園を訪問した。柏青年会議所訪問の際に会った中沢氏がわざわざ時間を割いて球技施設を案内してくれたが、学園の環境のよさを改めて実感した。中学・高校・大学の体育施設はそれなりのものであり、まだまだ活用の余地があるとのことだった。その「活用」にYBCも加えていただけそうである。
 中沢氏には、他にも柏市の現況などについて教示を受けたが、故郷から少し遠ざかっていた私には、いろいろ参考になるお話だった。