谷沢健一のニューアマチュアリズム

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平日自主練習、そして7人の選手

2006-06-29 | YBC始動
 オール沼南グランドで、初の平日自主練習を行った。隔週練習日の水曜日、その第4週である今日、木立の中のグランドにプレイヤーが三々五々集まるはずだが、私もYBCのマルチ広報・杉村君と柏駅で待ち合わせた。
 梅雨の晴れ間の夕暮れ時、グランドに到着すると、ダイアモンドをトンボで均(なら)している人が見えた。「たぶん林監督だろう」「ありがたいですね。我々のためにグランドを慣らしてくれてますよ」と杉村君と言いあいながら近づき、挨拶を交わした。
 「そんなにお気遣いなさらなくても・・」と言うと、「いいえ、近くにおりますから、いつでも投げますよ(打撃投手)」「照明もあと4灯ばかり増やす予定です。内野ノックもできますよ」、本当に気さくな方でいらっしゃる。
 軽くアップしてから、「川上!久し振りに外野ノックから行くか」、仕事で少し遅れてきた杉野捕手が「オレも入っていいですか」「ようござんすよ。そのかわり遠慮せんからな」と言っているところへ、「カットマンに投げろよ」と山崎大輔君も加わった。
 失礼ながら、林さんが仕事に戻っていった後、いちおう外野グランドをざっと点検したところ、103mあるセンターの奥深くにはノックできないが、90mある左右両翼前はなんとかなる状態だった。で、杉野・川上両君を40分ほど時間をかけて動かした。外野の練習が終わるとただちに内野ノックに移った。サードには、山崎・海老原、ショートに川上、セカンドには大野・杉野の5選手が布陣、ゴロを捕っては一塁へ送球を繰り返す。一塁ベースには、杉村君がこの日のためにかどうかは知らないが、購入したばかりのファーストミットを手にしている。ノッカーの私は汗びっしょりになってしまう。
 夏至の頃とはいえ、7時を過ぎると暗くなるのは早い。さっそく、4灯の照明をつけてノックは続く。足を傷めているのにもかかわらず、グランドまでの順路を憶(おぼ)えるために来た五味田君が、終始ノックのサポートをしてくれた。
 日が沈みきった頃、運送業の仕事を終えた上村(ウエムラではなくカミムラ)君も駆けつけて、キャッチボールから始めてティー打撃を生き生きとやりだした。しばらく試合出場のチャンスに恵まれていないので、次のゲームには出場させてやりたいものだ。
 ティー打撃で、川上君を指導した。走力のある選手なので、打撃を何とかしてやりたい。左打者の特性を生かした左方向へのヒットはでるものの、本人は、「右中間へ打ちたいんです」と貪欲(どんよく)な選手なのだ。長い間「上から叩け」「三遊間にゴロを打て」と口すっぱく教えられてきたそうだが、それが染みついていて、生来備わっている強靭(きょうじん)な下半身を生かしきれないのだ。
  ※打撃の格言「その1」 「下半身(腰)と上半身を連動させるバランス感覚が大事な要素である」
 いずれにしても、平日練習の積み重ねが、自信を持ったプレーを生み出すことに違いない。今年の全日本大学野球を制した「大阪体育大」は、毎日わずか1時間の練習を継続したことで、覇権(はけん)を競って勝者になったという。いかに能力のある選手が集まっているとはいえ、それを生かす指導者がいなければ無に帰す。
 指導者は、選手たちの日々の鍛錬の場で、持論たる理論を理解させなければならない。理論を紐(ひも)解き、それを意識化して実践し、無意識に出来るまで練習させる。これがすべてではないだろうか。その無意識で行うことを、行った後で分析できれば、それに越したことはない。これは日本のスポーツ全般にいえることだ。
 照明をおとす8時頃になって、雷鳴とともに雨も降り出してきた。暗がりの中を急ぎ歩を進めながら、7人の選手たちの成長に期待を寄せないではいられなかった。

対茨城ゴールデンゴールズ戦(その2)

2006-06-15 | YBC始動
 木立に囲まれた「さくら運動公園野球場」に到着すると、茨城GGの誇る豪華コーチ陣が挨拶にこられた。鈴木康友コーチ、松沼博久コーチ、羽生田忠克兼任コーチはいずれも西武ライオンズ出身であり、私とも旧知の間柄である。鈴木コーチは「この天候ですから、グランドに砂を入れます。練習できませんが勘弁してください」と、グランド整備の陣頭指揮を執っていた。雨の中、観客もドンドン増えてきたこともあって、欽ちゃんのマイクパフォーマンスによる「欽ちゃんシート」のお客さんへのサービスが早くも始まった。
 両翼90mとやや小ぶりの球場であったが、硬式対応としてネットも新しく設置され、フェンスなども緑一色に統一されて、ナイター照明も試合直前に点灯された。既存の球場を2、3千万円かけて改装したと聞いて、つくば市の力の入れようが推察できた。
 しかし、ホームページ上で掲載されているように、試合は2回降雨コールドゲームで中止になり、9月9日に再試合を行うこととなった。初回・2回と打線が好調で連続得点し、GGのエース・仁平投手(常総学院・甲子園優勝投手)から3点のリードを奪っていただけに残念である。
 試合は完了できなかったが、YBC流のやり方が随所に発揮されたのではないかと思う。例えば、試合前のセレモニーでは、欽ちゃんからマウンドに招かれ、挨拶を行った私の後に、選手宣誓が行われた。GGは片岡亜由美選手、YBCは15歳の岡竜平選手を選んだ。岡君は「欽ちゃんと欽ちゃん球団を倒したい」と言ってのけた。オーダーも大幅に変えた効果や守備の配置転換などによって、都市対抗予選の大敗の傷も癒えてきたようだ。
 中止決定後のミーティングでは、沼南グランド使用の件を話し、Y-PRIZE受賞者の発表などを行った。私が調達した神宮球場バックネット最前列席28枚だけでなく、主催者側とYBCの支援者(とくに神保町の「いもや」のご主人・粕谷さん、ありがとう!)から戴いた「賞品」を配布できたのはとくに嬉しかった。選手やスタッフたちの日頃の貢献に目に見える物で報いることができるからである。
 「賞品」は食べ盛りの選手たちを慮(おもんぱか)ってか、鰹6本、米10kg、鶏卵100個、牛肉5kg、ビール48本など、すべて飲食物ばかりであり、かつ大量だったので、貰った選手がどうやって持ち帰るか、要らぬ心配をするほどだった。ともあれ、選手・スタッフ全員に配布できたのでほっとしたが、後で加藤副部長に言われた。「監督だけですよ、手ぶらで帰るのは」「副部長もでしょう?」「いや、私は昼弁当が1個余ったので、それを貰いました」これもまたYBC流である。
 ノーゲームとなったが、茨城GGとは3試合組まれており、このようなチャンスに選手やスタッフたちが成長する契機となればまさに幸甚の一語である。

対茨城ゴールデンゴールズ戦(その1)

2006-06-15 | YBC始動
 「気象庁は9日、関東甲信と東北南部が梅雨入りしたとみられると発表した。」こんなニュースが聞こえてきた6月11日、YBCフェニーズは茨城GGとの対戦のために、つくば市のさくら運動公園野球場に乗り込んでいった。
 この試合に先立つほぼ2ヶ月前の4月5日、つくば市の文化ホールにおいて「水戸信金(水戸信用金庫)カップ」開催の記者発表が行われた。
 ゴールデンチャレンジ「水戸信金カップ」の開催概要は、欽ちゃん球団のホームページを御覧になっていただければと思うが、文化ホールに足を踏み入れると、既に到着していた萩本欽一さんの声が楽屋中(スポーツの世界では控室)に聞こえていた。何度となくお会いしている「欽ちゃん」だが、その声に引かれて、私も自分らの控室を素通りし、挨拶に伺った。
 つくば市長、TX(つくばエクスプレス)、水戸信金、つくば市商工会の方々もいらっしゃり、「谷沢さん、TXシリーズ楽しみにしてますよ。一緒に盛り上げていきましょうよ」という声で迎えられた。TXシリーズとは、つくばエクスプレス開通記念として、欽ちゃん球団のホームグランドであるつくば市とYBCの本拠地・柏市(TXの柏の葉キャンパス駅)を結ぶ試合を定期戦として年間3試合行うものである。主催者の話では「水戸信金カップ」の目玉だという。
 記者発表には、千葉熱血の若生智男監督、埼玉硬球の大塚光二監督(元西武ライオンズ外野手)も同席。文化ホールには、約300人の報道関係者と野球ファン(欽ちゃんファン?)が集う中、萩本さんの軽妙な司会進行でスポンサーも行政関係者もタジタジになるほどだった。
 さて当日、東京は朝から雨。8時頃、加藤副部長からの電話が鳴る。「主催者側は、つくば方面は雨も小降りなので、強行したいとのことです」「予定通り、TXの10時に乗りましょう」。秋葉原に集まった面々は、川島副理事、久保田コーチ、ホソバヤル、小田両選手。柏市を過ぎた辺りから、上空は厚い雲に覆われだしたが、つくば市の方角は車内から見ても雲も薄いようだった。車内でひときわ目立っていたのは「水戸信金CUP」の吊り広告で、今日の試合の宣伝が大々的にされていた。

オール沼南ベースボールクラブ(その2)

2006-06-12 | YBC始動
 「オール沼南」はもちろん練習熱心なチームだから、グランド使用は頻繁である。それでも、YBCのために月曜日と金曜日は常時、それに加えて隔週水曜日を提供してくださるという。まさに、干天の慈雨である。柏日体高校といい、オール沼南ベースボールクラブといい、侠気(きょうき)の方々から救いの手がさしのべられるのは、ほんとうに嬉しい。柏の人たちから、まだ見捨てられていないようである。
 予てからの懸案であった平日練習が、制約があるものの、可能となったことは、YBCにとって大きな前進である。
 上記の経緯には、実は訳がある。誤解を招かないためにも、柏北高のような突然の訪問(これには反省している)ではなかったことを一言しておきたい。
 YBCを創設してまもなくであった、準備本部のコンピューターの調子が不具合の時、加藤副部長がホームページで「どなたか助けて欲しい」と乞うたところ、オール沼南の林氏が「いつでも手伝いますよ」とおっしゃってくれたのだった。野球の話にも及んだようで、私もネットでの交わりはあまり信用していなかったが、林氏とのキャッチボールがここまで進展するとは思わなかった。
 6月9日、根本マネを伴って、「オール沼南ベースボールクラブ」の田中宏理事長とお会いした。懇切にも柏駅まで出向いてくださった。全日本少年硬式野球連盟の常務理事でもある田中氏は、ヤングリーグに所属した経緯や約30年に及ぶクラブ運営の艱難辛苦(かんなんしんく)を話してくださった。
 リーグのパンフレットを手に、「子供たちのために何ができるのか」を常に考えておられるのに共感し、野球教室の開催のご要請には、即座に応諾した。私はYBCとオール沼南とは「提携関係」という形で協力し合い、無料野球教室や普段の指導・助言も行うことを約束した。田中氏はYBCの無償精神の先達(せんだつ)だったのである。

オール沼南ベースボールクラブ(その1)

2006-06-12 | YBC始動
 「オール沼南ベースボールクラブ」、柏市でおよそ30年の歴史を刻んでいる。全日本少年硬式野球連盟(中学生主体)のYoung League(ヤングリーグ)関東支部に所属する。
 少年たちの硬式野球は、当初「リトルリーグ」から始まった。特に有名なのは荒木大輔氏(現在西武ライオンズ投手コーチ)を生んだ「調布リトル」である。
 今では、リトルリーグで育った子供たちが、「シニアリーグ」へと階段を上っていく。そのシニアリーグも全国でいくつものリーグに分立している。例えば、その名のとおり首都圏中心の「シニアリーグ」「ポニーリーグ」「Uリーグ」、神奈川の「Kリーグ」、近畿圏の「ボーイズリーグ」、九州では「フレッシュリーグ」、札幌では「ミドルリーグ」等など。シニア(中1~3)の合計は1238チーム。因(ちな)みにリトル(小1~6)は、合計495チームである。これらは、全日本リトルシニア野球のホームページに紹介されているので、一度、見てほしい。
 6月1日、そのヤングリーグに所属する「オール沼南ベースボールクラブ」の林法明監督を訪ねた。目的は、「グランドの視察」と、できれば「土日以外のグランド使用の状況をお聞きして、お借りできないものか」に関してである。練習場所近くのコンビニにタクシーが到着すると、既に待機していたのか、小柄な作業着姿の方が声をかけてきた。「私の車にどうぞ」と言って走り出すと、狭い獣道(けものみち)のようなところに入って行き、「ここは私有地ですから30km以下なんですよ」と言ってるうちに、森林に囲まれたグランドが眼前に広がっていた。
 両翼90m、センターは120mには足りないが、低い柵やネットで囲われ、外野は芝や雑草が入り混じっていたが良く整備されていた。内野のグランドはやや堅い感じであったが、まさに、手作りのフィールドという雰囲気を醸し出していた。ネット裏から一塁側、三塁側にかけて、テントが4~5ヶ所張られており、親御さんたちが見守る光景が想像できた。また、テントに沿ってコンテナがいくつも立ち並んでいた。それに所謂(いわゆる)「鳥籠」(=打撃練習の場所)も設置されていた。右翼後方には、リトルの選手のグランドとして、ダイヤモンドが2面も用意されていた。

選手のレポート

2006-06-12 | YBC始動
 初の公式戦の敗戦は、同じ敗戦でも大敗だっただけに、選手にもスタッフにも浅からぬ衝撃を与えた。ある者は当面の目標を失い、YBCで野球を続けていくことに不安を感じはじめたようだった。また、ある者は、チームメイトを批判的な眼差しで見つめるようになった。しかし、大半の選手とスタッフは、恵まれているとは言えない練習環境の中で、練習のあり方をもっと改善し、技術の向上を強く願っていると私には思われた。
 YBCは創設して半年である。「YBC流」と称するやり方が、選手やスタッフに浸透して理解が生まれ、それが自然に実践されるまでは、さらに時間のかかることは覚悟の上だ、と言いたいのだが、やはり早い効果を待望する選手からじっくりと成果を期待する選手まで、かなりの温度差がある。
 そこで、5月27日の柏日体高での練習日に、選手たちに「私感をレポートしろ」と指示した。テーマは、「これまでのYBCの活動について~今後の目標~」である。選手たちの大部分が真面目に応えてくれた。
 提出されたレポートの内容は、概(おおむ)ね3つの観点に絞られていた。第一は、野球ができる喜びと感謝に溢れているもの。第二は、トップ・セカンドチームとサードチームには、技術と向上心にかなりの差があるから。完全に別個の練習をすべきだというもの。第三は、YBCの活動を強固にするためにスポンサーとなってくれる企業・団体を見つけるよう広報活動に力を入れるべきだというもの。
 いずれにしても、選手たちの声は、「勝ちたい・・」「もっと教えて欲しい」から「野球は楽しい」「僕は生まれ変わった」まで、率直で前向きの声がほとんどだった。このように選手たちが建設的な考えを抱いていることに、頼もしさを感じると同時に、その声にどう応えるか、大きな責任を負っていることを再認識した。
 しかし、残念なこともあった。チームメイトやスタッフを軽蔑するような発言を、不特定の人たちに向けて発言する者がいた。批判と侮蔑とは別個のものである。自らを省みることなくして、人を論(あげつら)うのは、何よりも自分自身を貶(おとし)めることになる。「野球の技術さえ磨けば良い」という者を、昔から「野球バカ」と世間の人々は蔑(さげす)んできたのである。