谷沢健一のニューアマチュアリズム

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探せ、合宿地!(その2)

2006-01-29 | YBC始動
 「捨てる神あれば、拾う神あり」がYBCである。銚子市教育委の方が「旭市が球場を建設したばかりですよ」とおっしゃる。これが神の声だった。
 旭市生涯学習課体育振興班の柴田敦主事には大感謝である。短時間の間に敏速に動いてくださって、球場使用申込やら宿舎の手配やら、あれこれひじょうに懇切に教示してくださった。
 かくして旭市国民宿舎「飯岡荘」の野口圀男支配人ともお会いでき、宿舎も確保できて、わずか数時間で「YBCフェニーズ2月合宿」の大概が決まったのである。
 またまた、YBCは新たな人たちのすてきな助力を得られた。ほんとうに私たちは、人と運とに恵まれている!

探せ、合宿地!(その1)

2006-01-29 | YBC始動
 「2月に合宿をしようか」と、ふと私が洩らしたとたんに、CPの何人かが動き出した。「館山はどこも埋まっています」「鴨川も芝を養生中です」という調査結果が次々ともたらされた。う~ん、こりゃあダメかと思っていたら、我がYBCの誇るマネージャー三羽烏(3馬鹿ラス、ではない)の一人、根本マネが茨城県神栖市の波崎を見つけてきた。根本マネは加藤副部長と連係して、すばやく宿泊地と球場をおさえたという。
 2月27日午後、根本マネと下見に現地へ赴いた。が・・・愕然・・・球場整備が不十分すぎる・・・。ここでくじけてはフェニックスの名がすたる! 「すみません、私の調べがまずくて」としょげきっている根本マネの肩を叩いて、まずはダメ元でお向かいの銚子市役所教育委員会へ電話をした。銚子には市営球場があるはずだ。しかし、そこは工事中だという。銚子には他に適当な場所がない・・・

目処(めど)は5月19日

2006-01-25 | YBC始動
 YBCフェニーズとともに千葉県野球連盟に加入が決まったのは、千葉熱血MAKINGである。若生智男監督と山根部長が同席した。若生監督(プロ通算121勝の名投手)は私よりほぼ一回り上の大先輩だが、マスターズリーグで先発登板もするという御仁で、我がYBCの香川HCコーチも脱帽しかねないほどである。
 その大先輩の方から近づいてこられて、「谷沢さんのところと、ぜひとも試合をやりましょうよ」と柔和な笑顔でおっしゃる。「はあ、是非とも」と即答した。
 総会後の懇親会では、松戸B.C TYRの小枝監督からも「練習試合を」と言われたが、その前に公式戦で対戦しそうである。総会資料によると、最初の公式戦は次の通りである。
 5月19~21日 都市対抗県1次予選(兼 全日本クラブ選手権千葉県大会)
 5月27・28日 都市対抗県2次予選
さあ、この大会を目処に練習再開である。
 

雛鳥の詩

2006-01-25 | YBC始動
 5か月前に1羽のフェニックスが卵を産んだ。3日前、その卵が割れて、フェニーが顔を出し産声を上げた。そして今日、雛鳥は卵の殻から飛びだした。
 1月25日午後6時、千葉県野球連盟総会の会場に部長兼監督と副部長が招じ入れられ、川嶋理事長から「YBCフェニーズの加入が了承されました」と告げられた。
 不死鳥の雛鳥は、他の鳥とは違って親が餌を与えてくれるわけではない。どんなに弱々しくとも、殻を割って飛びだし、冷たい外気にふれてからは、自らの力で生きていかなければならない。
 選手たちよ、不死鳥こと火の鳥は、自らの炎で近づくものを焼き尽くしてしまう恐ろしさを習性としている。だから、常に孤独である。だが、程良い近さを保つものには快い暖かさを与え続ける。
 優しくしてくれる者に甘えず、しかし、その怖さに怯えて逃げることなく、この雛鳥と程良い近さを保ちながら一歩一歩、地を歩み、ついには太陽をめざして天空に羽ばたけ!

発会式御礼(その3の続き)

2006-01-24 | YBC始動
 嬉しいことに、このブログに毎日アクセスしてくださる方がおられるようで、こんな問い合わせがメールであった。「抽選会の景品の色紙の提供者を知りたい!」というものである。
 なるほど、確かに、色紙をわざわざ贈呈していただいたのだから、それを紹介しないのは非礼である。というわけで、抽選会の景品をご披露し、御礼に代えたい。
バレンタイン・千葉ロッテ監督
秋山・ソフトバンク二軍監督
野村・広島カープ内野手
立浪・中日ドラゴンズ内野手
清原・オリックス内野手(オリックス入団前だったので、氏名だけのサインというひじょうに珍しい色紙だった!)
古田・東京ヤクルト監督(なんと、ヤクルトではなく東京ヤクルトという球団名を入れた最初の色紙なのだ!)
高津・前ホワイトソックス投手
三井ガーデンホテル柏・お食事券(これはYBC谷野投手の手に渡った!)
(株)江戸清肉まんセット(5ケース)(高橋社長、ありがとうございました!)

発会式御礼(その6)

2006-01-23 | YBC始動
 最後になるが、裏方で活躍してくれたスタッフの方々にも礼を言いたい。たっぷりと用意されていたご馳走もろくに口に運べずに式の進行を支えてくれた人たち(名前は一々挙げないが、私の心には深く刻み込まれている)にはいくら感謝してもあまりある。
 加藤準備本部長の「ほとんど打合せもしなかったのに、よくもまあ、こんなスムーズに進行できるとは! YBCのスタッフ連中は、驚きを通り越して呆れるほどだ」という賞賛の言葉を、私の言葉に代えておこう。
 (まだ、興奮が残っているので、感謝すべき人たちや事柄がまだまだ漏れているはずだが、今すぐ出てこない。その粗漏をお詫びする。)

発会式御礼(その5)

2006-01-23 | YBC始動
 選手たちにも礼を言わねばならない。というのは、私の決めた「YBC流背番号決定方式」を受け入れてくれたからである。背番号とユニフォームはプレイヤーにとって深くこだわるものの一つである。どれだけ強く拘泥するかは、一般の人たちには理解しにくいだろう。その理由の一つは中学・高校・大学の野球部にある。野球の強豪校であればあるほど、多くの有望な選手が入部する。だが、その中で限られた選手しか背番号を与えられない。甲子園大会のTV中継などで、スタンドでユニフォームを着用した部員たちが大声で応援する姿が映し出されるが、かれらの背には番号がない。そして、その多くの選手たちは背番号を付けることなく卒業していく。私は運良く最初から最後まで背番号を付けられたが、それでも番号を何番にするかは深いこだわりをもってきた(このことについてはYBC会報『月刊フェニフェニ』創刊号の「川上×谷沢対談-16番を承け継ぎし者」を参照していただきたい)。
 当然、選手たちも絶対にほしい番号があるはずだ。例えば、王さんに憧れて1番を付けたいというふうに。だが、考えてほしい。私も川上氏(「川上さん」などと気安く書けるわけがない)の16番を長く心の内に潜めていて、今ようやく付けるのである。それもご本人の謦咳(けいがい)に接し、ご教示をうけ、お許しを乞うての上である。それでもなお「身の程をわきまえていないのではないか」と心がひきしまってしまう。
 どうか、選手諸君よ、私そして君たちを支えてくれるスタッフの期待を受けとめて、錬磨し成長し、実力で獲得してほしい。

発会式御礼(その4)

2006-01-23 | YBC始動
 サプライズ・ゲストの数人はやはり多忙で来られなかったが、小林至ソフトバンク・ホークス取締役兼江戸川大助教授がわざわざ福岡からかけつけてくれた。あいかわらず、生来の温顔をさらにほころばせながら、「おめでとうございます」と律儀な挨拶をしてくれた。
 じつはもう一人、現役のプロ野球関係者が駆けつけてくれたのだが、ひじょうに残念ながら皆さんにご紹介できなかった。というのは、当日は柏とは別の場所いることになっていたからである。そこを抜け出して会場にまで来てくれたことは感謝以上の想いを私に与えてくれた。
 もっとも多忙なのは政治家の方であろうが、桜田副大臣と長浜代議士がわざわざ祝ってくださった。とくに桜田副大臣は本多市長の開会宣言を承けて、閉会宣言を発してくださった。副大臣は大の野球好きだそうで、少年野球の後援者らしい祝辞をくださった。

発会式御礼(その3)

2006-01-23 | YBC始動
 多忙すぎる方々も、わざわざ豪華な花や祝電をくださった。その全員の方々をここに列挙するスペースがないが、白井総長、永井教授をはじめ、早稲田大学の諸先輩のお気持ちはじつに嬉しかった。後輩の小宮山悟氏も花輪だけでなくサイン入りグラブやら優勝記念の背番号14番のTシャツ(それも4枚も)やら色紙(これはハワイで書いてくれた)やら、ずいぶんたくさん提供してくれた。おかげで「お楽しみ抽選会」の景品がいっそう豊かになった。
 抽選会は、その直前の「背番号決定会」で熱くなった一部選手の気持ちをなだめたようである。とはいえ、幸運のくじ引き役の池井名誉教授の手は、かなりスタッフびいきで、引くカード引くカード、次々とスタッフのCPナンバーばかりで、私はあやうく「池井先生、同じ所のカードばかり引かないで・・・」と言いかけそうになったが、その時、ようやく招待者のカードを引いてくださり、ほっとした。もともと池井先生は思いがけないことをおやりになるのが好きで、なにしろ慶大教授の身でありながら、渡米してキッズ・ベースボール・スクール(夏休みに開講される子どものための長期野球教室)の生徒になったりする方なのだ。

発会式御礼(その2)

2006-01-23 | YBC始動
 柏市の関係者の方々も、招待状の発送が遅かったのにもかかわらず、ご多忙な日程を割いて臨席してくださった。本来なら、いろいろな方々に祝辞をいただくべきであったが、そのための時間があまりなくて、失礼をすることになったのに、それを笑って許していただいたのは、まさに海容の一語に尽きる。そういう非礼はYBCという組織の性格上いたしかたがないことで、飲料もノンアルコールにしたのも、そのせいである。
 池田ベースボールマガジン社社長も、おそらくジュースを持っての乾杯の音頭取りというのは初めてだったろう。その簡潔だが直截なご祝辞はすばらしかった。「スポーツ選手は煙草を喫うべきでない」と冒頭におっしゃった。残念ながら、二三の選手がロビーで喫煙していた。おそらくそれを諭そうとお考えになったのだろう。代表評議員として監督に代わっておっしゃってくださったのである。もし、アルコールが入って、もっと舌が滑らかになれば、さらに含蓄に富み、かつ鋭利なお言葉を拝聴できただろう。

発会式御礼(その1)

2006-01-23 | YBC始動
 感謝・・・今、私の心はこの二文字で埋め尽くされている。
 発会式の開始前、控室に入ったときから、スタッフをはじめ、定刻よりかなり早くおいでになった招待者の方々と言葉を交わす、その中に暖かい皆さんの気持ちが私の胸の中へ流れ込んでくる、私はその時からずっと感動に浸り続けることになった。
 心を尽くして準備をしていただいた遠藤支配人をはじめ、三井ガーデンホテルの方々にまず最初に感謝したい。天空の間の中央に掲げられた「谷沢野球コミュニティ千葉」の隷書体の文字とその背景の緑と黄色、どこかで見たぞと思ったら、YBC公式ホームページのタイトルを忠実に再現してくれたのだった。こういう細やかな心配りこそホテルマン・スピリットとでも言うのだろう。
 柏市役所の方々も、本多市長をはじめ、多くの方々が足を運んでくださった。市長の「ここに谷沢野球コミュニティ千葉の発足を宣言いたします」という力強い発足宣言を、私はけっして忘れないだろう。しかも、「市長、勝手ながらYBCの名誉顧問に就任していただけませんか」というお願いも、快く「結構ですとも」と即座に快諾していただいた。まさに順風満帆の船出だった。
 矢上教育長も、YBCの吉田、金澤、阿部の3選手を招いて「市立柏高のOBとしてがんばれよ」と激励しておいでだった。そのお顔は私が中学生だったときの矢上先生そのものだった。
 

朋有り、遠方よりメール来たる

2006-01-18 | YBC始動
 YBCをたちあげてから、ほとんど毎日のように嬉しいことがある。その大半は思いがけない人からの思いがけない申し出である。今日も、準備本部に嬉しいメールが入っていた。まったく未知の人からの「CP希望」のメールである。曰く「北海道からですが、よろしかったでしょうか。是非、応援したいと思っています。」
 「よろしかったでしょうか」とは、なんとつつましやかなことか!「(谷沢野球コミュニティ)千葉」と名乗ってはいるが、もちろん日本全国、いや世界各国、いや宇宙のどの星の人でも大歓迎である(もっとも、火星人=タコは、4タコを連想するので、やや迷惑だが)。むしろ遠方の方であればあるほど、その心意気をありがたく思う。札幌篠路のバイソンズさん、必ずいつかは北海道遠征をするので、その時はベンチへどうぞ!

「谷沢走」と「背番号の悩み」は終わらない

2006-01-18 | YBC始動
 師走は先月で終わったはずだが、「谷沢走」は終わりそうにない。なにしろ、発会式は近いし、練習は土日のみとはいえ、事実上、丸一日費やすし、ユニフォーム類は製作業者の方(何度も準備本部に足を運んでくれて助かりましたよ)との細かいツメに入ったし、来月の練習、とくに合宿の計画を練らなければならないし、同時にプロ野球のキャンプ取材のスケジュールを決めなければならないし、日本ティーボール協会総会の基調講演原稿を用意しなければならないし・・・その合間に冠婚葬祭がいくつかあるし(おっと「葬」は誰がそうなるか、まだ決まっていないが)。というわけで、走り続けている。
 だから、電話は頻繁にかけたりかかってきたりである。今朝も香川理事ことYBCフェニーズヘッドコーチと合宿の打合せを電話でしたが、その際、香川HCが「選手たちが、自分の背番号をしきりに気にしていますよ」と、いかにも遠回しに言う。選手たちに親身という点では随一のHCだから、まだ結成したばかりのチームだというのに、選手たちは投球技術だけでなく、様々な相談を時には深刻に時には気軽にしている。これは西多摩倶楽部の時もそうだった。
 YBCの背番号の決め方は、かなり難しい。選手の数は、今年はさておき、来年は100人を超えるかもしれない。それに、現在のスタッフもほぼ全員、自分も背番号をつけたいと声高に(つまり、私に聞こえるように)言っている。となると、例えば背番号199番などということになりかねない。さて、皆さん、あなたならどうします?

1月の練習第2週目(その2)

2006-01-15 | YBC始動
 練習場所の近くに荒川があり、その河川敷にサッカーグランド1面と野球場3面と多目的広場がある。それを練習初日に発見し、ウオーミングアップなどに拝借した。実は、そこは川口西中の管理する施設で、事後承諾になったが、同中野球部監督の親切なお心のおかげで、存分に使わせていただいた。河川敷でも川口市の手入れがいいので、十分な運動施設になっている。もっとも、荒川のこの部分は、国土交通省の治水対策が他よりも整備されているのだろう。
 これで川口市の方々に借りができたが、機会があればそのお返しをしなければと思っている。根拠地にまともな施設を持てない「ジプシー球団」は、いつもこのように皆さんの厚意に甘えてばかりいることになるのは残念だ。
 (「ジプシー球団」と書いたが、私と準備本部長は「神出鬼没球団」と自称している。トライアウトは神奈川県と千葉県、初合同練習は東京都、そして年度初めの練習会は埼玉県・・・これを神出鬼没と言わなくて何と言うべきか!)
 というわけで、「谷沢野球コミュニティ南関東」と名称変更しようかという冗談が、YBCのスタッフの間ではやっている。

1月の練習第2週目(その1)

2006-01-15 | YBC始動
 1月の練習も第2週目が終わった。昨日は午前10時から午後8時半まで、今日も午前10時から午後6時まで、2日間で18時間半だから、選手以上にスタッフの疲労は大きかっただろう。
 トレーニングコーチは、今週は勝原君が主導したが、先週の阿部君とはまたひと味違う流儀で、とくにゲームの要素をとりいれて選手を楽しませる点などは、なかなかのものだ。ほめ過ぎかもしれないが、阿部・勝原両君のコンビネーションと技量は、今のYBCの選手たちにはもったいないほどであり、選手たちはluckyである。
 これまでの4回の練習ではっきりしてきたことの一つは、4回皆勤の選手はいずれも体力が徐々に向上していることである。そして、その誰もが練習熱心であり、真面目であることだ。午前10時から12時までで終わるはずの第1班の者が、午後6時過ぎまで練習をし続けもする。その持続する意志こそ成長の第一条件である。
 また、単純な反復練習によって基礎技術を身につけることは当然に大事なことだが、同時に、工夫も必要である。今、行っているスローイング、キャッチングの練習にしても、スローイングの際、ボールの握りをそのつど変えてみることも悪くない。むしろ投手などはそれは必須といってもいい。