谷沢健一のニューアマチュアリズム

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プロ野球選手の作法/お立ち台

2007-07-12 | プロ野球への独白
 7月11日、西武ドームに行ってきた。6回までロッテが2対1でリード。小野晋吾投手が久々の好投。しかし、7回の頭から25歳のルーキー荻野忠寛(神奈川大-日立製作所)が登板。投手としては小兵だが、4番打者であっても強気に真っ向から挑む小気味のいいピッチングをするので、中継ぎでも勝敗を左右する大事な場面で、バレンタイン監督は30試合も重用してきた。
 今日も7回を荻野君に任せ、薮田-小林雅両投手の必勝リレーを描いていたのだろう。しかし、先頭打者を四球で出塁させた。自分で蒔いたピンチの種を二死満塁に育てたあげく、花を開かせてしまった。二塁に牽制した後の初球、高めに浮いた直球に、3番中島君の豪快なアッパースイングが一閃し、センターバックスクリーンをめざして高々と舞い上がった白球は、逆転満塁弾となってスタンドに吸い込まれた。
 無得点記録を24イニングも続けていた西武は、ようやく5回の1点でそれを解消し、カブレラを欠いた打線の起死回生の一発であった。
 私は痛恨の一発を打たれた荻野君を注視した。マウンド上で暫く動けずにいた荻野君の眼が目深に被った帽子の下にあった。怒りに似た悔しさがメラメラと噴出してくるような眼差しだった。ホームインする中島選手を「次ぎは見ておれ」と睨みつけているように見えた。
 ここまでの件(くだり)は勝負事にはつきものである。明暗がはっきり分かれ、敗者と勝者がそこにいた。ヒーローインタビューが始まった。お立ち台の中島選手はチームメートの勧めで「大きな蝶ネクタイ」を付けて現れた。
 予想外の扮装は新庄選手の影響かもしれない。だが、お立ち台で新庄君はいつでも言葉を用意していた。その予め準備していた言葉群から適切なものを選び出して、心境を豊かな表情とともに語ったものだ。
 7年連続してオールスター戦に選出され、78年もの球宴史で初のランニングホーマーを放ち、MVPを得たイチロー選手は、「球宴もシーズンも6年やった成果が現れている。過去6年間と違う自分がいることを、この試合で感じられたのがうれしかった」と喜びを表現した。MLBはマイナーリーグの選手たちにも、自分を表現する言葉のマナーを指導していると聞いたことがある。私の現役時代はどうであったか。記憶を辿(たど)っても、連盟や球団による指導は思い出せない。
 お立ち台の中島君を見て、急に本塁打が色あせたように感じたのは私だけであろうか。私もTV番組のためにインタビューをしたのだが、ディレクターが「もう一度蝶ネクタイをつけてください」と促した。私は思わず「いらないよ」と言ったが、映像を作る権限はディレクターのものである。回りも騒々しかったし、たぶんディレクターの耳には入らなかったのだろう。
 「エテキ(映像的)には面白い」かもしれない。だが、それはスポーツの面白さではない。いわんや、感動をもたらすものではない。私もそうだが、打たれた荻野君は茶化されたという思いで後味が悪かっただろう。中島君は照れ屋である。言葉数の少なさを蝶ネクタイで補ったのかもしれない。しかし、私の眼には「補い」ではなく「損ない」に映った。
 アマチュア野球でも作法に欠けることに気づくことが多いのは、私も年を取ったのだろうか。