谷沢健一のニューアマチュアリズム

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6大学人気と斎藤効果(その2)

2007-04-30 | ニューアマチュアリズム
 29日、YBCのホソバヤル君(本人はホ「ス」バヤルが正しい発音だという)と曽我晶子さんとの結婚披露宴がモンゴルからご両親を迎えて行われた。久保田コーチをはじめ、YBCの主だったメンバーとともに参会し、若いメンバーが2次会へ流れるのをよそ目に、遅れて神宮球場に駆けつけた。2時間後にはTV局で仕事が控えていたので、その間隙を縫っての移動である。
 斎藤君が予想通り先発で、記者席に入っていくと試合は1対1、4回裏の早稲田の攻撃中であった。走者を置いて斎藤君が打席に入った。2万8千人の観客が目を凝らした瞬間、左翼線に見事なタイムリーが放たれた。以前、落合中日監督と意見が一致したのだが、やはり打者として斎藤君は評価できる。
 その時、私の左肩がトントンを叩かれ、「斎藤は打撃もいいね」と声が掛けられた。振り向くと慶応OBの松尾俊治さんであった。松尾さんとは毎日新聞のアマチュア担当記者時代からご懇意にさせてもらっている。『六大学野球部物語』『神宮へ行こう』などの著書があり、82歳の今も矍鑠(かくしゃく)としている。マウンドに立った斎藤君を「落ち着いているね。ストレートのキレもいい」「早大は選手層が厚いよ。慶応は一人でも怪我したら終わりだ」と言いながらも、六大学人気復活を喜ぶ言葉を残し、満面の笑みを浮かべて、自席に戻っていかれた。
 それにしても、斎藤君がたった一人で、こんなにも球場に観衆を呼べるのは凄いとしか言いようがないが、彼が在籍する4年間に、大学野球界は「アマ野球のすばらしさ・爽やかさ」をファンに伝えられるだろうか。それは4年後に確実にわかるだろう。「学生野球憲章」の精神に自分の行動を照らし合わせることを、選手以上に監督や役員に要求されているのが、昨今の状況である。

6大学人気と斎藤効果(その1)

2007-04-30 | ニューアマチュアリズム
 一ヶ月以上ブログを更新できなかった。その間、アクセスしていただいた方々には申し訳なかったのだが、この一ヶ月はいつにもまして多忙だった。相変わらずのグランド確保のために費やすかなりの時間量、むだだろうと思いながらも頭を下げる回数(加藤副部長には「そこまで頭を低くしなくても。私が代われるものならば……」と言われるがやむをえない)はひじょうに多い。
 加えて(と言うより、本来の)プロ野球解説者と早大客員教授の仕事もプロ開幕と新学期の開始で動き出した。一段落するのがいつか、あまり見当がつかない。
 さて4月28日、神宮球場に行ってきた。六大学野球連盟の報道取材章を持って、東京中日スポーツの席で小原記者と観戦。しかし、お目当ての斎藤佑樹君は法大一回戦で登板せず、ブルペンでの調整ピッチングだけだったが、ネット裏階下の記者席は満席(ヤクルト戦よりも多い)。観客席はこれまでの六大学ファンや学生に加えて様々なファン(殊のほか女性が多い)が斎藤登板を期待している。
 試合は須田投手(4年)が力投し、2対0で早大が完封勝ちを収めた。須田君はリーグ戦初勝利だが、それはまさに斎藤効果というか、一年生に負けてなるものかという先輩の意地が、日頃の鍛錬の成果となって現れたのかもしれない。
 記者席に座っていて楽しみなのは、観戦しながらの雑談である。私達の記者席には学生野球担当の酒井先輩(桑名高-早大-中日)がいらっしゃるので、ゲーム途中に長船さん(長年東京六大学野球連盟のために尽力され、昨年、事務局長を退任)がやってきて、オフレコ話を聞かせてくれる。北京五輪のスタッフ人選やプロアマ金銭授受問題など、自然と聴覚が膨張してくる。
 試合が終了したとき、思わぬ知らせがあって、記者席の面々が唖然とした表情を浮かべた。じつは、この春季リーグ戦から、両チームの監督・選手に記者席後方のサロンに来てもらって、囲み取材(インタビュー)が行われることになった。これまではベンチ周辺や通路などだったから、双方にとって改善されたことになる。
 ところが、このインタビューを早大・応武監督が拒否したのだ。記者たちは強い口調で抗議し、いささか騒然となった。斎藤登板もなかったし、憲章違反問題の早大関与の件は終わったはずだから、拒否の理由がはっきりしない。ただ「応武監督の報道不信はじつに強いらしい」と取材陣が口々に言う。
 連盟事務局もひどく困惑したようで、けっきょく長船さん(勇退したとはいえ、六大学野球連盟GDの要職にある)の出番となり、「試合後の監督・選手のインタビュー取材は義務である」との明確な見解を示して一件落着となった。う~ん、我が母校・早大は、またまたマスコミ取材陣の怒りを深めてしまった、残念。