谷沢健一のニューアマチュアリズム

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社会人野球の公式戦(その3)

2008-09-16 | ニューアマチュアリズム
 YBCは、初年度の都市対抗予選でコールド負けという屈辱からスタートして、試行錯誤を繰り返しながらも、創部3年目を迎え、曲がりなりにも着実に成果をあげてきたつもりである。「落ちこぼれ選手の集団」という揶揄も耳にしたこともある。しかし、選手たちもスタッフもそんな意識はまったくない。常に上を目指す向上心の強い者たちが大半だ。初年度はトライアウトで「寄せ集まった」せいか、ギクシャクもなかったわけではない。だが、3年目の今は「雰囲気はサイコー!」と言ってくれる選手が多い(お世辞分を割り引いても、かなり高い評価分は残るだろう)。
 金銭を提供してくれるスポンサーがいなくても、選手たちから高い部費を集めなくても、合理的な倹約を旨とする知恵を絞ることで、現在のチーム力まで引き上げられることは証明できた。今年の千葉県のクラブチームは「戦国時代」と言っていいほど、実力が拮抗している。松戸(松戸TYRと千葉熱血MAKING)、東金、市原、野田、銚子、そして我々柏、どこが県代表になってもおかしくない。互いの切磋琢磨の分だけ、全体のレベルもアップしているはずだ。野田の中山監督も昨日の試合の後、「今日は敵同士でしたが、同じ千葉のクラブチーム仲間だから、ともに力を磨き合いましょう」と言い(これは好漢・中山氏の口癖である)、11月初めの練習試合を約束した。その前日には、千葉熱血の河野監督と練習試合の約束をしたし、熱血の南雲部長はYBCの加藤副部長とおなじ教科書出版業界の社長仲間ということで、立ち話ながら懇談もしていた。
 さて、県代表として出場することになった関東クラブ選手権大会だが、開催要領についてわかっているのは、主催は埼玉県野球連盟で、大宮と越谷で行われるということだけである。おそらく各県の代表が決まってから、突然、ほんとうに突然、組み合わせ表が送られてくるのだろう。抽選などによるフェアな組み合わせ決定は行われないのだろう。
 この邪推が杞憂であってくれればよいと思う。事前に組み合わせの枠組みが決まっていれば、選手・スタッフが早い時期に勤務先に休暇願も出せる。休日出勤のある職場が少なくないのは、埼玉県野球連盟のお歴々もわかっているだろう。憎まれるのを承知で書くが「オールド・アマチュアリズム」の弊害の一つが、公式戦の組み合わせの秘密性である。
 憎まれついでに言えば、今回の千葉県連盟の議題も「議題」ではなく、「伝達」に等しかったが、この上意下達も「オールド・アマチュアリズム」の表れと言わざるをえない。さてはて、「ニュー・アマチュアリズム」を唱える者としては、どういう思案を重ね、どういう私案を実行するとよいのだろうか。地道な努力を重ねるしかないのだろうなぁ・・・

社会人野球の公式戦(その2)

2008-09-16 | ニューアマチュアリズム
 残る機会は、都市対抗だけである。今年の都市対抗の千葉県代表3チームのうち、1チームはクラブチーム(松戸TYR)だった。躍進著しい松戸TYRは、都市対抗県予選でJFE東日本と延長12回で1×2で惜敗した。JFE東日本はメンバーを落としていたのかもしれないが、もしそうだとしても少しでもスキを見せれば、接戦になる力を千葉県のクラブチームは持っている。YBCも昨年、企業チームに公式戦で1度だが勝っている。
 この秋の日本選手権の千葉県代表枠は3チームだから、クラブチームにも大いに望みはある。関東クラブ選手権大会の創設と平日の試合のレベルダウンという2つの理由だけで、代表枠3を企業3チームが独占する結果になるのは、どうにも腑に落ちない。なぜ日曜祭日だけで公式戦を行えないのだろうか。平日でないと公営の球場が確保できないのだろうか。それなら企業チームの球場を借用すればいい。それも不可能だというのだろうか。
 この議案の決められた背景の一つに、クラブチーム(サウザンリーフ市原)から、議案と同一趣旨の「要望書」が県連盟理事長宛に提出されていたこともあるという。私はそれを見ていないので、具体的に言及できないが、サウザンリーフ市原は企業チームとは別個グループで活動したいということなのだろうか。残る6チームもそれに右習えしろというのだろうか。いや、そんなことはないだろう。真意がどこにあるのか、私にはよくわからない。
 ひょっとすると、平日にもレギュラーメンバーで試合が出来るのが「社会人」野球である、ということだろうか。だとすると、社会人という言葉について、私が誤解していたことになる。私の考えでは、職場で労働して給料なり報酬なりを得る日が平日であり、そうしているのがまっとうな社会人である。もちろん、企業が社員に野球をさせて、それだけで給料を支払うとしても、それに文句をつける気は全くない。それは企業の自由だからだ。
 ひょっとすると、そういう企業チームの集団が日本野球連盟(JABA)であり、平日にレギュラーメンバーで試合をできないのに、そもそもJABAに加入するのはお門違いだったのだろうか。JABAのAはamateurのAではないのか。今、私の頭の中はちょっと「混乱」している。

社会人野球の公式戦(その1)

2008-09-16 | ニューアマチュアリズム
 9月13日から15日まで開催された秋季の千葉県クラブ選手権(関東クラブ選手権の県代表権もかかっている)が終了した。既にHPに掲載したように、春に続いて優勝できた。全日本クラブ選手権の南関東大会決勝戦で、9回裏に3点差を逆転されてサヨナラ負けした後、改めてチームを整備してきた結果が吉に出ただけに、ほっと安堵した。関東クラブ選手権は第1回であるから、なににつけても最初の大会に参加できるのも、素直にうれしい。この夏の猛暑の中、練習に励んだスタッフや選手たちを労いたい。
 社会人のアマチュア野球は現在、各地で日本選手権出場(11月)の予選が行われている。JABAの公式HPに、各地の予選の進行状況が掲載中である(ただし千葉県は企業の3チームのリーグ戦しか掲載されていない。クラブの7チームは日本選手権の出場資格を喪失させられた。他県はどうなのだろう)。
 この大会に先立って、8月中旬に千葉県連盟の理事会が招集された。YBCからは川島コーチ、小松ヘッドマネに出席してもらった。緊急議題については事前に聞かされていた。その案件は、1、クラブチームだけの関東クラブ選手権が創設されたので、企業とクラブが同じ土俵で争う日本選手権の予選は、企業チームだけで行う。2、関東クラブ選手権は、県予選の1位チームが出場権を得る(千葉県の場合は、この予選の2、3位の順位が来春のクラブ大会予選の組み合わせの際に考慮される)、というものであった。
 YBCとしては断乎反対であると、川島・小松両氏に私の考えを託した。春秋の大会で企業チームと戦うことは、選手たちのモチベーションの高揚に繋がる。ただネックは試合が平日に行われる場合だ。企業チームは平日でもフルメンバーで試合ができる。だが、クラブチームはそうはいかない。それをご存知の企業チームの方々は「平日にまともにメンバーが揃わないのだから、クラブと公式戦で試合しても仕方がない」とおっしゃる。
 誤解のないように予め付け加えて言うが、今回の議題は善意から発案されているにちがいない。クラブチームが休日だけに公式試合を戦えるように、配慮してくれたのだろう。その好意はありがたい。クラブチームだけの大会が増えるのもありがたいことである。しかし、クラブチームが企業チームと公式戦で戦う機会がこれ以上減るのは困惑以外のなにものでもない。

クラブチームと独立リーグ(その4)

2007-10-18 | ニューアマチュアリズム
 今後の予測を端的に言えば、アマ企業球団の衰退を補う形で、クラブチームは一時は増加したが、その存続は容易でなくなるだろう。9月の野球教室で、川口和久氏(広島-巨人)と話を交わした。彼は周知のように、新チーム・鳥取キタロウズの監督になったが、「いや、僕は辞めました。クラブの経費の問題も大きいのですが、他にもね。一度茨城GGに来てもらって有料試合を開催したところ予想だにしない大きな収益があったんです。すると、皆さんが勘違いしてしましてね。自分たちも頑張れば、茨城GGのようなことが出来ると思ったようでして。萩本さんのような特別な人がいない限り、そのマネをしても無理だと考えないんですからね。」
 川口氏は、萩本氏の野球が野球の範疇に入っても、異端に留まるものであることをすぐに悟ったのである。私は、日本野球文化の豊穣化という観点に立てば、萩本さんの野球スタイルもまた許容されるべきだと思うし、実際、茨城GGの岡本代表から試合申込が3回あって、3回とも受諾し、対戦した。正統も異端も両方包括してこそ豊穣だと言うべきである。なぜなら、日本の野球文化はまだまだ貧しいのだから。
 私の右腕とも言うべきYBCのメインスタッフとして、一生懸命指導してくれている久保田コーチも、独立リーグへの選手流出に複雑な思いを抱いているようだ。「週末だけの全体練習や恵まれないグランド確保などに、選手たちの一部は不満なのだろう。高校・大学で部活動に慣れきっていると、インフラが整備されていることなど当たり前だと思っている。企業チームが廃部になってクラブチーム化した場合は、グランド確保が容易だが、それはクラブチームでも例外だとわかっていない。YBCは、月の中旬になると、監督が翌月のグランド確保の交渉に奔走しているのだ。それが何を意味するか、君たちにはわからないか」と、選手たちに訓示したと言うが、どれだけ選手の頭と心に響いただろうか。
 久保田コーチだけでなく、川島・蔵重両コーチも同じ思いだろう。しかし、プロ球団ーアマ企業球団ー独立リーグ球団ークラブ球団というふうに事実上、序列化されつつある昨今の状況下で、もっとも「底辺」で野球組織を維持することは、それなりの誇りと喜びがある。
 その喜びの一つは、大学・高校での野球を終えて、それでもなお硬式野球を続けたいという情熱のある若者たちが、また何人もYBCに飛び込んでくることである。
 さて、来年はどんなチームに飛躍できるのか、去年と今年でレギュラーの半分が入れ替わったように(そして、戦力ははるかにアップした)、きっと有望な雛鳥がフェニーズに加わってくれるだろう。

クラブチームと独立リーグ(その3)

2007-10-18 | ニューアマチュアリズム
 私は、プロ球界が責任を放棄している部分を、ひじょうに微力であるのを承知で少しでもカバーできたらと考え、まがりなりにも僅かずつ実行しているつもりであるが、同じような思い、似たような思いの人たちだっている。たとえば石毛氏だ。ただ彼が立ち上げた独立リーグは、あくまでプロ球界への「選手資源」の提供という意図のように見えたが、石毛氏が離れた今は、いささか経営形態も変化しているようである。
 先日、四国在住の知人と話す機会があったが、「高知球団の経営が危なくなってましてねー。地元の人間は独立リーグなどにあまり魅力を感じていませんでね。若者が少ない給料で野球だけやっていても碌なことありませんよ。もっと野球を基盤としてでも良いから、社会人教育をして欲しいですね」とかなり辛口の言葉が続いた。このブログにも書いたように、YBCの3月四国遠征の際に、私も少しは現状を把握できたが、まさに厳しい口調であった。
 それは、独立リーグ批判というよりも、そこへ集まる選手たちへの叱責だった。確かにうなずける部分も多く、私は反論せずに耳を傾けるだけだった。YBCの若い選手・スタッフをみても、人間として、社会人として未熟な者のほうが多い。彼らに対しては、事細かな言葉で指導するよりも、年長のスタッフ・選手たちの行動と短く適切な言葉で範を示すやり方をとってきた。
 社会人としての教育はむしろ、土日のYBCでの練習や試合でよりも、彼らが勤務する職場で行われるはずだ。それがどうも不十分なのかも知れない。だいたい、首都圏はアルバイトなど不定期な仕事に就くことをはじめ、生活資金を調達するのは他地域よりもはるかに容易である。そのため、少しでも気に入らないことがあると退団して次へ移るというクラブチームを渡り歩く者が出てくる(そのせいか、できるだけ部費を納めずにいて、けっきょく払わずに他チームへ行く者までも現れる。YBCにも4名もいた。情けない限りだ)。つまり、選手の流動性が高くなるのである。企業では、アルバイト社員の教育まで手が回らないのだろう。
 その点で、他地域は異なるようだ。地方にクラブチームが多いのは、一つには選手が一つの職場に定着する率が高いせいかもしれない。地元企業の正社員や既婚者が首都圏のチームより多いと思われるが、どうだろうか。
 オール高崎の三木部長と話をした際、群馬に来年BCリーグ球団が生まれるというので聞いてみた。「うちからBCへ行くのはいないですよ。プロといっても給料が安いですからね。後の保障もないし、うちの選手の状況から言えば冒険ですよ」
 私は「羨ましいね。三木さんのチームに賭ける想いと情熱は人一倍だからなー。選手たちはそれを肌で感じているんでしょう。また機会を見て試合をやりましょう」といって電話をきった。確かに地方には三木氏のような人が率いるチームは多い。

クラブチームと独立リーグ(その2)

2007-10-18 | ニューアマチュアリズム
 彼等の決意を聞いて「推測通りだ」と思った。この2人の実力ならば、昨年BCリーグに入団したYBC出身の4人よりは活躍するだろう。その4人は、残念ながら今レギュラーにさえなっていない。もっとも、うち1人は謹慎処分を下したら退部した程度の選手だし、別の2人は体が故障していて、試合に十分でられなかった選手たちである。
 それにしても、能力の評価基準は難しいもので、自己評価と第三者評価には隔たりがある。また能力は、本人の努力と練習環境と指導陣の指導力とによって大きく変化するものである。プロ野球でもドラフト下位指名者がレギュラーを掴み一流選手になることが多い。しかし、独立リーグやクラブチームから育成選手として指名されプロ入団の夢が叶った選手はまだ数名だし、その彼らも1年で整理されてしまうかもしれない。悲しいかな、ついこの間、それが現実になり、私もよく知る1人が解雇された。プロ球団はビジネスライクだ。けれども、日本野球の最高峰はプロ球団だから、それを目指す者は引きもきらない。それが大相撲とは異なるところだ。
 硬球を一度でも握ったら、軟球では物足りなくなり、体の動く限り、硬式野球をやりたくなる。ところが、その環境がほとんど整っていない。プロ球界のリーダー層の多くは、99%自分の球団のことしか考えない。2004年のスト騒動以降、「ファンを大切に」という掛け声が高まったが、まだ自分の球団のファンを増加させることに精一杯で、野球ファンそのものに目が向くまでにはなっていない。まして、実際にボールを握って野球をやりたい人間たちのことは念頭にない。せいぜい、将来、プロで活躍する可能性のある大学生・高校生に目を向けているだけだ。その高校生にプロが直接関与できないようにしてしまっている原因を作ったのも、プロ側に大きな責任がある。
 しかし、日本の野球文化を「実践」で支えているのは、プロ野球だけでなく、社会人野球・学生野球・少年野球でもあり、むしろ野球人口からいえば、プロ野球は少数派である。そして、企業経済の変化でアマ企業球団が僅少化する中で、かろうじてアマクラブ球団がそれを補っている。社会人野球・学生野球・少年野球のうち、将来のプロ野球界入りの可能性がある部分には日があたっていても、そうでない部分は事実上、無視されている。それを拾い集める役割を果たすかのように、四国次いで北信越に独立リーグが誕生した。つまり、プロ球界は、日本の野球文化を豊かにしようという志向をもっていなかったし、今もまだもっていない。日本の野球文化の豊穣化は、アマ球界が担ってきたし、今も担っているのである。

クラブチームと独立リーグ(その1)

2007-10-18 | ニューアマチュアリズム
 9月の日本選手権千葉県予選を終えたある日、YBCのトップチームの2人から「監督の所に伺いたいのですが、ご都合は如何ですか」と電話があった。彼等の話したいことは推測できた。「おそらく北信越のBCリーグのテストを受けたいのだろう。新たに2球団増え、採用枠が広がるから」と予想はしていた。同時に「それぞれまともな企業に職を得ているのに、退職して北信越リーグに夢を描くのは、20歳台後半という年齢からいって、最後のチャンスと考えているのだろう」と思い、2人の考えをじっくり聞いてみようとも思って、夕食に招いた。
 1人はこう言った。「11月4日にBCリーグのトライアウトが実施されます。受かれば会社を退職します。これまで幾度となくプロ球団(NPB)のテストに挑戦してきました。今でも目標はNPBにあります。とにかく、ボクは毎日でも野球がやりたいのです。給料は10万でも15万でもいいんです。お金ではありません。前のクラブチームからYBCへ移籍してきて、本当に野球の好きな自分が分かってきたんです。YBCに入団したおかげで、南関東大会にも出られ、独立リーグやプロの2軍との試合にも出られました。その対戦で自分の力に自信を持てました。監督に教わった技術も実践でき、かなり身にも付きました。」
 もう1人はこう言った。「どん底からスタートしたYBCが、今どんどん強くなって良い結果を生んでいる途上だというのに、チームを抜けるのは残念です。監督にはよく試合に使ってもらいました。それだけでなく、就職口までも紹介していただきながら、本格的に野球をやりたいために退職してしまいました。BCのテストに受かる保障もありませんが、BCリーグの選手たちからも随時情報をもらっています。ピッチングの組み立てや守りの大切さをYBCで学びました。自分の潜在的な可能性を試してみたいのです。」

NPO法人YBC(その2)

2007-06-23 | ニューアマチュアリズム
 今年に入ると、川島君の活動量は増大した。海外へ出かけることも多い多忙な仕事の合間を縫って、89番のユニフォームを着用し、精力的に一塁コーチにも立ち、ノックや打撃投手も務めてくれている。かつては日本IBMの野球部初代監督として采配を執っていただけに、選手たちへのアドバイスにも、一言々々、含蓄に富んでいる。
 川島君の尽力によって、YBCはNPO法人の登録は終えた。今後は、我々の活動に、更なる前進と行動の責任が要求されることになる。自己利益のためではなく、社会への貢献を使命としなければならない。
 2年後には柏の葉野球場も完成する。その時がはたして、「認定NPO法人谷沢野球コミュニティ千葉」の本格的な地域貢献開始の日になるだろうか。千葉県営柏の葉野球場の建築の目的が達成できるように、行政は動いてくれるだろうか。そして、それにYBCは呼応できるだろうか。県当局は動かずして机上の書類を積み上げるだけで、県民に動け動け、書類を書け書類を出せと命じ続けるだろうか。
 今月二度(2日、16日)実施したオール沼南との野球教室兼合同練習の目的は、我々の理念に即した活動である。YBCのスタッフ・選手とオール沼南のスタッフ(もちろん、熱心な保護者の方々も含む)・選手が、篤志家の提供してくれている手作りの野球場(というより野球広場)という空間を活用して、心と身体を鍛え、野球を通してふれあい、かけがえのない共有感を醸成している。
 YBCが借用するようになって以降、照明灯(というよりも投光器)の数も増やして下さった。そのお礼も兼ねて、YBCは、アーム式打撃マシンを設置して、オール沼南の子供たちにもどんどん使用してもらっている。この打撃マシンは、じつは吉田加工所(プロ球団のほとんどに打撃マシンを提供している知る人ぞ知る最高技術の職人メーカー)が信じられない条件で貸してくださったものである。貸与の際の吉田社長の言葉が「え!? 谷沢さん、YBCにはスポンサーがいないんですか! 手弁当ですか! それでは私も協力させてもらいますよ!」だった。なんと嬉しい言葉ではないか。
 5月16日には、第2グランドに打撃ゲージも設置した。今のところ合同練習時の打撃教室やティーバッティングにしか活用できていないが、さらに、打撃ゲージにドッキングできる組み立て式の鳥かごを製作中である。それなりの出費になるが、できることはやる。
 YBCの行動が稀有に見えて愚かしく見えるとしたら、それは人に「してもらう」、人に「させる」ことに慣れすぎていて、自分は汗も血も涙も流すことのない人たちの持つ目だろう。

NPO法人YBC(その1)

2007-06-23 | ニューアマチュアリズム
 6月8日、総務庁から一通の文書が届いた。谷沢野球コミュニティ千葉がNPO法人(特定非営利活動法人)として認証されたのだ。あとは2週間以内に登記登録の手続きに済ませるだけである。「NPO法人」としてまっとうな活動を続ければ、1年後に「認定NPO法人」の認可がおりるだろう。
 YBC創設準備期(2005年8月)に、加藤副部長と二人で、柏市のNPO設立相談事務所にリサーチに行った記憶が甦ってくる。ボランティアの女性スタッフから丁寧な説明を受けて、一層NPO活動のイメージが膨らんだ。千葉県だけで活動するのであれば千葉県に申請をしなければならないし、二県以上に跨る場合には総務庁(内閣府)の管轄だとその時に知った。どちらにするかの決断は実際の活動を行う中で下すこととして、YBC創設の「設立趣旨」「理念と活動」を作成していった。だからCP会員やNPO contributionという造語は、創設準備段階の過程で誕生し、派生したものである。
 創設時からこのブログを読んでいただいている方々には「さもあらん」と思ってもらえるだろうが、チーム運営だけで身体が幾つあっても足りない状態であった。当初は定期的に理事会を開いていた。様々の課題の中でも、年間スケジュールの決定、年間費用の概算、チームスタッフ・選手の参加形態の確認、スタッフの役割分担、スポンサーシップの考え方等等、それぞれ確定していったが、項目によっては一日も早い改善を求める声も出て、その対応もかなり迅速に実行したつもりでいる。
 チームの状況・雰囲気の変化が顕著な時には、スタッフ・選手にレポートの提出も促した。私と加藤副部長は皆に最小限の共通理解を求め、即座に出来ることとすぐには出来ないこととに分類・整理しながら、一歩前進、半歩後退、半歩前進、半々歩後退を繰り返し、水の流れが澱まぬように気をつけた。
 このような時期に、川島理事と根本マネ(今年3月に退団して熊球クラブへ移籍)が「NPO申請はオレ達がやるよ」と申し出てくれた。とくに川島君(大学野球部の同期生だから「君」呼ばわりをしておこう。ちなみにYBCで私を「谷沢」と呼び捨てにする唯一のメンバーである)のお陰で、遅々として進まなかったものが一気に加速していった。

6大学人気と斎藤効果(その2)

2007-04-30 | ニューアマチュアリズム
 29日、YBCのホソバヤル君(本人はホ「ス」バヤルが正しい発音だという)と曽我晶子さんとの結婚披露宴がモンゴルからご両親を迎えて行われた。久保田コーチをはじめ、YBCの主だったメンバーとともに参会し、若いメンバーが2次会へ流れるのをよそ目に、遅れて神宮球場に駆けつけた。2時間後にはTV局で仕事が控えていたので、その間隙を縫っての移動である。
 斎藤君が予想通り先発で、記者席に入っていくと試合は1対1、4回裏の早稲田の攻撃中であった。走者を置いて斎藤君が打席に入った。2万8千人の観客が目を凝らした瞬間、左翼線に見事なタイムリーが放たれた。以前、落合中日監督と意見が一致したのだが、やはり打者として斎藤君は評価できる。
 その時、私の左肩がトントンを叩かれ、「斎藤は打撃もいいね」と声が掛けられた。振り向くと慶応OBの松尾俊治さんであった。松尾さんとは毎日新聞のアマチュア担当記者時代からご懇意にさせてもらっている。『六大学野球部物語』『神宮へ行こう』などの著書があり、82歳の今も矍鑠(かくしゃく)としている。マウンドに立った斎藤君を「落ち着いているね。ストレートのキレもいい」「早大は選手層が厚いよ。慶応は一人でも怪我したら終わりだ」と言いながらも、六大学人気復活を喜ぶ言葉を残し、満面の笑みを浮かべて、自席に戻っていかれた。
 それにしても、斎藤君がたった一人で、こんなにも球場に観衆を呼べるのは凄いとしか言いようがないが、彼が在籍する4年間に、大学野球界は「アマ野球のすばらしさ・爽やかさ」をファンに伝えられるだろうか。それは4年後に確実にわかるだろう。「学生野球憲章」の精神に自分の行動を照らし合わせることを、選手以上に監督や役員に要求されているのが、昨今の状況である。

6大学人気と斎藤効果(その1)

2007-04-30 | ニューアマチュアリズム
 一ヶ月以上ブログを更新できなかった。その間、アクセスしていただいた方々には申し訳なかったのだが、この一ヶ月はいつにもまして多忙だった。相変わらずのグランド確保のために費やすかなりの時間量、むだだろうと思いながらも頭を下げる回数(加藤副部長には「そこまで頭を低くしなくても。私が代われるものならば……」と言われるがやむをえない)はひじょうに多い。
 加えて(と言うより、本来の)プロ野球解説者と早大客員教授の仕事もプロ開幕と新学期の開始で動き出した。一段落するのがいつか、あまり見当がつかない。
 さて4月28日、神宮球場に行ってきた。六大学野球連盟の報道取材章を持って、東京中日スポーツの席で小原記者と観戦。しかし、お目当ての斎藤佑樹君は法大一回戦で登板せず、ブルペンでの調整ピッチングだけだったが、ネット裏階下の記者席は満席(ヤクルト戦よりも多い)。観客席はこれまでの六大学ファンや学生に加えて様々なファン(殊のほか女性が多い)が斎藤登板を期待している。
 試合は須田投手(4年)が力投し、2対0で早大が完封勝ちを収めた。須田君はリーグ戦初勝利だが、それはまさに斎藤効果というか、一年生に負けてなるものかという先輩の意地が、日頃の鍛錬の成果となって現れたのかもしれない。
 記者席に座っていて楽しみなのは、観戦しながらの雑談である。私達の記者席には学生野球担当の酒井先輩(桑名高-早大-中日)がいらっしゃるので、ゲーム途中に長船さん(長年東京六大学野球連盟のために尽力され、昨年、事務局長を退任)がやってきて、オフレコ話を聞かせてくれる。北京五輪のスタッフ人選やプロアマ金銭授受問題など、自然と聴覚が膨張してくる。
 試合が終了したとき、思わぬ知らせがあって、記者席の面々が唖然とした表情を浮かべた。じつは、この春季リーグ戦から、両チームの監督・選手に記者席後方のサロンに来てもらって、囲み取材(インタビュー)が行われることになった。これまではベンチ周辺や通路などだったから、双方にとって改善されたことになる。
 ところが、このインタビューを早大・応武監督が拒否したのだ。記者たちは強い口調で抗議し、いささか騒然となった。斎藤登板もなかったし、憲章違反問題の早大関与の件は終わったはずだから、拒否の理由がはっきりしない。ただ「応武監督の報道不信はじつに強いらしい」と取材陣が口々に言う。
 連盟事務局もひどく困惑したようで、けっきょく長船さん(勇退したとはいえ、六大学野球連盟GDの要職にある)の出番となり、「試合後の監督・選手のインタビュー取材は義務である」との明確な見解を示して一件落着となった。う~ん、我が母校・早大は、またまたマスコミ取材陣の怒りを深めてしまった、残念。

58歳

2005-11-28 | ニューアマチュアリズム
 今日のスポーツ紙は2人の58歳の記事が目を引いた。江本氏と松岡氏である。もう読んだ人も少なくないだろうが、アマチュア野球に「深入り」する元プロがまた2人増えたのである。
 何せ、58歳すなわち1947年は当たり年と言う人もいて、名球会会員だけでも8人、もし、生まれ年でチームを作ったら、47年組が最強かもしれない。
 もっとも、これはいわゆる団塊の世代だから、数が多くて当たり前かもしれない。ということは、別の面から見れば、ライバルが多かったということでもあり、皆、激しい練習を積んできた者ばかりである。
 天才投手とか天才打者と呼ばれたとしても、それは表側だけで、だれもがファンの目に入らないところで猛烈なトレーニングをしていたのである。
 プライドの強い者は、「俺は練習はほとんどしなかったね」と、その天才ぶりをアピールすることも珍しくないが、私のような者は、足の故障もあったから、野球についての努力は隠しようもなかったし、隠すつもりもなかった。
 それは、今だに続いている。YBCに第1期生として参加する選手諸君も、地道に黙々と、しかし楽しく、トレーニングを重ねてほしい。
 ともあれ、58歳の老人一歩前の我々が、新たな活動を始めるのである。若者よ、がんばれ!
 そして、江本ファイアーバードよ、羽ばたけ! 松岡西多摩倶楽部よ、谷沢前監督なんて忘れて大きく飛躍してくれ!

チャリティ試合(対欽ちゃん球団)

2005-09-18 | ニューアマチュアリズム
 すでに書いたように、10月2日午後1時から、あきる野市民球場で、「茨城ゴールデンゴールズ」と親善試合が行われる。これは、あきる野市市制10周年記念のチャリティ試合で、事実上、私の西多摩倶楽部監督としての最終試合。公式戦ではないし、相手が相手だから、私なりに観衆の皆さんに楽しんでもらえるような趣向をいくつか考えている。と言っても、欽ちゃん、いや萩本欽一氏のようなパフォーマンスは私の柄ではないので、せめて小泉さんの「サプライズ」の100分の1くらいのことができないかと思案中である。だから、試合には1分でも遅れないように見に来てほしい(と書くと、ヒントになるかな)。

欽ちゃん球団=マスコット球団説

2005-09-05 | ニューアマチュアリズム
 欽ちゃん球団こと茨城ゴールデンゴールズについては、毀誉褒貶がかまびすしい。と言うと、え?と思われるかもしれない。一般の野球ファンの人たちの大半は「誉褒」だが、プロ野球関係者は「毀貶」が少なくない。その「毀貶」の最大のものは、「野球は真剣にやるものであり、それを茶化すのは不謹慎だ」という反発である。確かに、審判の判定やコールを冷やかすような欽ちゃんの「声援」は、当のアンパイアからも顰蹙(ひんしゅく)をかっている。野球試合の主役は選手であり、その進行役は審判だからだ。
 私はこう考えている、欽ちゃん球団は「マスコット球団」だと。マスコットというのは、プロ球団のあのマスコット、中日ならドアラ、巨人ならジャビット、ロッテならマーくん・リーンちゃん・ズーちゃん、楽天ならカラスコ・・・(以下省略)である。彼ら彼女らは、選手を励まし、ファンを喜ばせる。欽ちゃん、いや萩本欽一氏は、そのマスコットと同じ仕事をしている。いわば生きたマスコットである。そもそも、中年以上の方はご存じのように、萩本氏がTVで売り出した時、「横走り」という独特の動きで大きな笑いをとった。あれこそマスコットの動きである。
 野球を楽しく見せようという萩本氏の持論は、否定されるべきものではない。楽しいから、アマチュア野球チームなのに入場料をとっても観客が集まるのである。
 ただ、各球団のマスコットは、プレーが中断されているときに演技をするのが鉄則だが、萩本氏は必ずしもそれを守ってはいない。それが「毀貶」をうみだす原因になっている。生きたマスコットはプレーへの介入をどれだけ許されるべきだろうか。それを決めるのは審判だろうか、ファンだろうか。

ニューアマチュアリズム(その4)

2005-09-02 | ニューアマチュアリズム
 (その3)に記した考えに対する反論は、いくつか推測できる。例えば、
1・そんなに野球をやりたければ、元プロだけでチームを作ってやればいい。
2・プロの1年間だけでなく、中学や高校でも野球漬けだったのだろうから、もういいだろう。
3・普通の若者が手にできない契約金や給料でプロになったのだから、それくらい覚悟していたはずだ。
4・日本にしがみつかないで、アメリカに行ってAAかAででもやればいいだろう。
他にもいろいろあるだろう。そこに共通しているのは、「甘えるな! 誰だって自分の特技を生かせないで辛い思いをしているのだ。野球選手だけが特別だと思うな!」という叱咤ではないだろうか。
 この反論はかなり正しいとも言える。少なくともそれなりの正しさを含んでいるだろう。しかし、私なりにそれらに再反論したい。
 (再反論は、この次に書きます。)