谷沢健一のニューアマチュアリズム

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2008年の12の? マリーンズ(その3)

2008-03-14 | プロ野球への独白
 グランドではバレンタイン監督が自転車で各練習場を走り廻り、そこここで二言三言注意していた。目の光が違う。ブルペンで、袴田コーチに小林雅、薮田両投手の抜けた穴について聞いてみた。
 袴田氏「まだ誰を当てるか決まってませんが、左の川崎、服部(トヨタ)、根本(横浜商大)に期待してますよ」
 私「高木晃次君は40歳でもボールに力があるね」
 袴田氏「頼りになりますね」
ピッチングを終えた成瀬投手が胸をそらすようにして挨拶してくれた。昨年は16勝1敗である。胸をそらせていい成績だ。
 私「背番号を変えたね」
 成瀬君「あと一つで最多勝を逃がしたので、17番はその意味合いもあります」
小宮山投手とも顔を合わした。
 私「選手で残っているとは嬉しいね」
 小宮山君「残してもらえてありがたいですけど、冷やかさないでくださいよ」と手短に答えて慌ただしく去っていった。
 野手では習志野高後輩の福浦和也選手も昨年は負傷に泣いたが、今日は打ち込みに精を出している。また一軍に合流している神戸拓光君も張り切っていた。彼は流通経済大の出身で、YBCとも2度ほど対戦し、非凡なバッティングを見せられた。
 マリーンズは総合的にバランスの取れたチームであり、ボビーイズムが選手に浸透している今年も大暴れしそうだ。ただし、ボビーイズムはいったんズレが生じると修復しにくいというきらいもある。ひじょうにクレバーなボビーは、それを知っていて、早め早めに(多くの場合、選手やファンが気づく前に)ズレの補修を行ってきている。それが冴えわたっている限り、ロッテのプレーオフ進出は間違いないだろう。
 今年のロッテの「?」は米国球界がボビーをいつ、どういうふうに誘ってくるかではないかと思う。今や、日本のプロ野球はMBLの動向に大きく左右される時代に入っているのである。「メジャーメジャーと騒ぎまくって、日本のプロ野球をないがしろにしている」と怒る心情ももちろんわかるが、優れたスポーツは最後はナショナリズムを超えるものであることを、そろそろ球界の共通認識にしてもいいのではないだろうか。
 12球団の「?」はこれで終了とする。シーズンの終わりに「?」を検証しようと思っている。
(以下、「コメント」代わりです。米田さん、千葉ロッテマリーンズが最後になりました。遅くて申し訳ありません。上村君は楽天球団に就職しました。YBCにはまだまだ素晴らしい人材がおります。
 オープン戦を観戦に行こうと副部長とも約束していたのですが、私事が重なりまだ実現していません。突然、お邪魔するかもしれませんので、その時は宜しく。)

2008年の12の? マリーンズ(その2)

2008-03-14 | プロ野球への独白
 アップを終えた選手たちが私の前を通っていった。大嶺君が目礼をしてくれたので、「地元でのキャンプは嬉しいだろう」と声を掛けると、「いや!石垣の人はルールを守れないので、恥ずかしいです」と言う。大嶺君の真面目な性格が気を遣わせているだけでなく、石垣人という意識が心底にあるのだろう。
 立花龍司コンディショニングコーチとも久方ぶりに顔を合わした。
 立花氏「オフは筑波大の大学院に通っています。最近、脇腹を痛める選手が続出してますので、何が原因かデータを取り治療の方法も研究しています」
知っての通り、近鉄時代の野茂投手が最も信頼していたトレーニングコーチで、当時から斬新な方法を取り入れていた。特にノーラン・ライアンの肩関節を強化するPNFトレーニングを積極的に採り入れた。
 PNF=Proprioceptive Neuromuscular Facilitation(固有受容性神経筋促通法)はリハビリ技術の一つで、「障害者を含めすべての人間は、未だ引き出されてない潜在能力を持っている」という哲学に基づいている。私もPNFについて少しばかり勉強し、さらに米国にいる長女から詳しく教わったりした。全体の筋バランス、柔軟性、敏捷性、持久力、反応時間などの運動機能の改善と向上に応用できるから、一般臨床だけでなく高度なスポーツの分野でも幅広く用いられるようになっている。

2008年の12の? マリーンズ(その1)

2008-03-14 | プロ野球への独白
 2月4日に訪れる予定の石垣島を東北楽天の久米島に変更したため、2月16,17日の両日に宮古・石垣行きを組み込んだ。宮崎入りする直前に遮二無二設定した。昨年、記念イベント始球式に招いてもらったこともあるし、なにより優勝候補の筆頭でもあるからだ。石垣島は25年前に我々がキャンプを張ったところである。それ以降、プロ球団のキャンプが途絶えていたが、千葉ロッテの手によって復活した。
 12球団の最後を締める沖縄滞在だなと思いながら、オリックスの宮古島から空路、石垣島へ乗り込んだ。日が沈みゆく八重山諸島は一際美しい眺めだ。ホテルで荷を解いてから市内散策に出かけた。10年程前に名球会野球教室で訪れたが、その時はゆっくりする時間もなかった。栄町銀座通りを中心に商店街が広がり、店先や街頭には千葉ロッテ歓迎の垂れ幕やバレンタイン監督以下、選手たちの等身大の像が白色の布に映えていた。島民の皆さんの熱い歓迎振りが伝わる。ちょうどすぐ先には2年前甲子園を沸かせた八重山商工の校舎が位置している。その立役者・大嶺祐太君がロッテ入りして、石垣キャンプが実現したという。
 好天だし、懐かしさもあって、球場周辺を巡ってみた。本球場はスタンドも低く、ファンは選手を間近で見られる。右翼後方に総合体育館、道を隔ててサブグランドと室内ドームがあり、その裏にブルペンが設置されている。広い運動公園を時計回りに進んでいくと、陸上競技場が目の前に見えてきた。「そう言えばキャンプで400mトラックを何本も走らされたなー」と思いながら横の土手を上がると、古ぼけたもう一つの野球場があり、「ここで俺たちは練習したんだ!」とつい叫びそうになった。
 本球場ネット裏の観客席数段分にテントが張ってあった。瀬戸山球団社長がいらしたので挨拶に出向いた。ちょうど、市長と話しているところであった。
 市長「あの時の中日は最下位になりましてね。設備もないところに加えて雨ばかりでした」
 社長「その中日の成績が気になってね。縁起が悪いので、キャンプ地として躊躇しましたよ。あはは」
 私「25年前ですよ。忘れてくださいよ。雨のときは商工の体育館を使いました」
 市長「私は飯より野球が好きでね。今回は不備な点も多々ありますが、設備は良くしますよ。古い球場も改修の予定です」ロッテは長年、鹿児島に根を下ろしていたが、これから当分は石垣島がロッテタウンとなりそうだ。