谷沢健一のニューアマチュアリズム

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YBC納会(その4)

2006-12-29 | YBC始動
 紅二点の参加もあった。一人は遠藤君とひじょうにひじょうに親しい女性で、ビンゴゲームでバットをゲットしたのだから、彼への貢献度は大である。
 もう一人は12月の練習からマネージャーとして手伝ってくれている椿本智子(のりこ)さん。元野主将の会社の同僚で、その明朗快活さで、これから増えるYBCの管理業務を明るくこなしてくれるだろう。
 試験が終わったKOボーイの小田君も参加した。投手なのに内野をやらされ、バットを同じ義塾生の金沢君に借りたものの、それを見事に折ってしまって悄気(しょげ)ていたが、神は彼の素直さに心打たれたのか、ビンゴで賞品のバットを当てさせた。
 ひときわ異常といってもいいほどに騒いでいたのはホソバヤル君である。皆の言葉尻をとって再三再四チョッカイを入れていたが、突然、大声で「昨日、入籍しました」とこれ以上ない満面の笑みで叫んだ。YBCに協力してくれている柏市の会社に就職もできたし、生活の基盤ができたことがほんとうに嬉しいのだろう。
 スタッフでは川島理事がきてくれた。来年はユニフォームを着てグランドに立ってくれるそうで有り難い。背番号も88番を選んで、今作成中である。
 このような光景を満足しながら見つめていたのが久保田コーチであった。週末の家族サービスを犠牲にして、私の右腕となって本当に良くやってくれた。
 最後に加藤副部長にも感謝したい。社員たちから「YBCにスタンスを置きすぎですよ」と小言を言われながらも、熱狂的な近鉄ファンだったその思いを、今度はYBCに向けているようだ。身の丈に合った経営を目指しているところに、厳格なイメージの副部長の姿が存在する。
 中締めには、小松マネージャーを指名した。多忙な中、YBCの仕事も黙々とやってくれている。来年もよろしくお願いしますよ。
 ともあれ、納会の準備は主に多忙な上村コーチと山崎sr君が整えてくれ、大いに盛り上がって終わった。
 YBCの諸君!今年は本当にご苦労様でした。良い年をお迎えください。2007年1月6日が練習始めです。来年は皆期待しているぞ!

YBC納会(その3)

2006-12-29 | YBC始動
 納会は予想以上に盛り上がり、感慨深い刻(とき)を過ごした。
 雛鳥の高校生3年生、川上、安達、内村トリオが再び野球の楽しさを体験して巣立っていく。
 17歳の岡少年も逞しく成長している。
 中日の小田捕手が提供してくれたミットをプレゼントしたにもかかわらず、「捕手はやりたくない」と言っている樫田君もいつのまにか元気良くビンゴゲームを仕切っている。
 就職斡旋で悩んだ高木君もすこし痩せたが、納会スタッフの一員だ。
 北信越独立リーグに合格した杉野君もいた。「YBCに恩義を感じているので今日は顔を出しにくい」と言っていたそうだが。「レギュラー捕手を持っていかれるのは痛いが、選手の希望と夢が第一である」と私が告げると、顔を紅潮させていた。心なしか目が潤んでいたようにも見えた。
 同リーグに意外にも不首尾だったのは木津君だ。彼は地肩も強く、身体能力も優れているのに。引き続きYBCでプレーして欲しい選手の一人だが、最近の練習の出席率が低いところをみると、たぶん迷いがあるのだろう。アメリカ独立リーグの「サムライ球団」に参加した経験もあるだけに、どこに行くにしても、プライドをもってもっともっと野球を勉強してほしい。
 新加入の森君(帝京大)、渡辺君(千葉工大)も参加した。彼らが加わったので内野の布陣は引き締まる。
 永島君(神奈川BBトリニティ)もすでにクローズドテストに合格している。先日、私も江藤省三氏にも「良い選手を出してくれてありがとう」と直に礼を述べたのだが、まだ退団証明書が出ていない。しかし、「捕手をやってみるか」と誘い水を掛けると「ミットを買います」と即答だった。彼は外野手だが、最近内野手用のグラブを購入したばかりなのに、その意欲はすばらしい。

YBC納会(その2)

2006-12-29 | YBC始動
 午後5時からの納会には32名が集まった。最初のスピーチで語ったのは、「YBCを創設して丸1年が経過した。スタート時と今日とでは、顔ぶれがだいぶ違っている。それは、最初YBCに期待以上の欲求を抱きすぎて、結果を早く求めすぎる選手が何名かいたことからだ。それは当然とも言えるが、私はチーム造りを丹念に地道に行うことが、何年か先に実を結ぶと信じていた。だから決して勝つことを急いではいなかった」ということである。
 当初から不穏な言動をみせていたあるコーチは潔く<斬った>。ネット上であからさまにチーム批判をした選手には、一ヶ月の謹慎を命じた。その選手は何の反省も無く辞めていった。また、辞めていった選手で部費未納のままででいる良識のなさにもガッカリしている。その折々にブログ上に真実を書きたかったが、柔軟に対処してきたので、愚痴ることはやめよう。
 さまざまな出来事があった中で、30名以上が集まった。私はこの席でキャプテンを任命することにしていた。チームのキャプテンは選手たちの総意で決定するのが最善の方法であると考えていたのだが、なかなか決まらずにいた。
 そこで、私はYBC創設から苦楽を共にしてきた木藤君を指名した。
私「木藤、やってくれるか。どうだ」
木藤君はスクッと立ち上がって「僕は投手陣を建て直すことに集中したい。元野をキャプテンにして、遠藤と僕がサポートをしていく方がいい」
私は選手たちの精神的支柱である松村君に発言を促した。
松村君「監督が決定することではあるが、木藤がそこまでチームのことを考えているのだから、元野キャプテンは賛成だ」
私が「皆はどうだ」といい終えぬうちに、全員から大きな拍手が起こった。元野君と遠藤君は9月からの入団であったため、創設時のメンバーに私は気を使ったつもりだが、二人は皆から人望も信頼も得ていることに改めて安堵した。かくして、初代の正式な主将は元野天心君に決定した。

YBC納会(その1)

2006-12-29 | YBC始動
 12月23日、YBCの納会を柏駅前のイタリア料理店で行った。
 11月末、柏日体高での練習後、トレーニングルームで選手たちと話をしていた時、選手から納会の話がでた。
元野君「クリスマスあたりは皆、暇してますから・・・」
遠藤君「23日なら、練習なしで納会だけの方がいいですよ」
大野君「YBCとしては初めての宴会ですね。選手だけでは春先にやりましたけどね」
木藤君「女性には全く縁がありませんから、歓迎ですよ」(クリスマス頃は暇だという意味?)
山崎?sr君「僕が会場を探してみます」
「おいおいちょっと寂しいんじゃないのか、艶(つや)っぽい話の一つもしろよ」と思ったが、ともあれ23日に決まった。東京事務局に戻ってから、ホームページ上で伝達することとなり、予てからYBCの企画担当者でもあった上村コーチに、幹事役として任せることにした。
 当日、お昼頃、私は東京事務局にいた。加藤副部長とハワイの土産話をしているところへ、山?崎sr、武岡、大野の3君が現れた。「今、ミズノの本社に行ってきたんですよ。バーゲンセールだったもんで」
 副部長「いい所へきた。納会のビンゴゲームの商品を持っていってくれ。名球会から戴いたスパイクケース、ミズノ製バットもあるぞ。それに監督がゴルフコンペで獲ったルームランナーだ」
 三人には運搬賃代わりに「放心亭」で馳走し、私の現役時代の話やら、YBCの話題などで盛り上がった。

名球会ハワイ総会(その3)

2006-12-19 | プロ野球への独白
 私は毎回、勤勉に出席している。35年連れ添った女房や娘の希望に「忠実」だからだ。今回は、娘はニューヨークの大学講師の仕事があって、休暇が取れず、ホノルルには来られなかった。子どもたちと孫には大甘の私としては、内心、かなりガッカリしているのだ。女房もまた同じである。
 ゴルフ大会の撮影が終わるやいなや、ショッピングに付き合うことになる。なにしろ、海上スポーツに興味の湧かない私はハワイに来ても1度も塩水に体をつけたことがない。
 クリスマスセールで大賑わいのアラモアナショッピングセンターでアーケードの下をぶらついていると、ひょんな方と巡り会った。森・元西武監督である。新しい奥様もごいっしょで、紹介してくださった。いささかの衰えもなく、むしろ少しスマートになられ、若返ってお元気そうだった。
 「懐かしいね。もう、こっちに住んで4年になるよ。マンションもこの近くなんだ。昨日も、キヨ(清原)とタクロー(石井)が訪ねてきてくれたよ」とおっしゃる。
 森さんには、西武に打撃コーチとして呼んでいただき、森流の厳しい野球をふれさせてもらった恩義は忘れられない。来年は、必ずマンションをお訪ねすべく、住所を教わって別れた。

名球会ハワイ総会(その2)

2006-12-19 | プロ野球への独白
 私もご多分に漏れず、引退後のある時期、ゴルフに夢中になったこともあった。だが、とくにアマチュア野球に積極的に関わるようになってからは、ゴルフの回数は極端に少なくなった。
 やはり野球のほうがゴルフよりもはるかに集中できて楽しいからである。今ではスコアも100を切れば良いと思っているくらいで、かつてのゴルフ仲間との付き合いも滞っている。
 だから、TBSの番組である「ハワイ名球会ゴルフ大会」も今ひとつノリきれない。娯楽なのだから、ワイワイと「バカ」になって楽しめばいいのだが、そうなりきれない自分になんとなく嫌気がさすこともある。
 TBSとしては、視聴率のとれる長嶋、王両氏にスポットを当てて番組を作りたいのは当然だから、カメラクルーはそればかりを追う。両氏が欠席の時は、やむなくそれに代わるゲストを招いたり、例えば「笑いのとれる」言動をできる会員などにカバーを強く期待することになる。それが嫌で欠席する会員がいるのも公然たる事実である。
 ハワイでなく国内で、総会でもゴルフ大会でも行えばいいと言う意見もあるが、年に1回のハワイ旅行を楽しみにしている会員の家族が少なくない。これもまた公然たる事実である。
 気兼ねなく楽しめるように、名球会の予算でハワイ総会を行うとしても、現行の税制では経費と認められず、各自、かなり割高の出費になりかねない。けっきょく、テレビ局が番組製作費として出費してくれるから、実施できているのだ。

名球会ハワイ総会(その1)

2006-12-19 | プロ野球への独白
 14日から参加していたプロ野球名球会の仕事も終えて、明19日、ハワイ・ホノルルを後にする。今回は、名球会員30名+杉下茂氏と各自の家族だった。(ついでに記せば、某有力会員から「つき合いの悪い連中だ」と1年間、言われる羽目になった欠席会員はと言えば、長嶋、王、野村、小山、江藤、張本、広瀬、門田、福本、野茂、立浪、佐々木、イチローの諸氏)
 到着した日は、恒例で、宿泊先のハレクラニホテルで、名球会総会が行われた。9月に逝去した梶本氏への黙祷から始まったが、続く金田代表幹事の発言には驚かされた。毎回仕切ってきたハワイでの総会について、他のメンバーに託すことが発表されたのだ。
 「今年は大病をしてしまった。体力の衰えをひしひしと感じている。長島も王も同じである。今後はこの4人に協力して進めてもらいたい」
 この4人とは、新代表幹事・山本、新幹事・高木・山田・有藤の各氏だった。総会行事だけでなく、会の運営の全てを禅譲するのかどうかは定かでないが、名球会も変革の時期が来てしまっているようである。
 「あまりに金田さんに頼りすぎていた、もっと早く世代交代が必要だった」と言うつぶやきが数人の口から洩れた。天皇カネヤンと称せられた金田さんの体の衰弱ぶりをみるにつけても、たしかにそうだと私も思った。
 決算報告の後、事務局から次期年度の活動予定が報告されたが、山田氏が「毎年、ゴルフ大会がTBSで撮影・放映されているが、我々の本職の野球試合をやってもいいのではないか」と提案した。
 それに呼応して、「マウイ島でメジャーOBとゲームをやったなあ」とか「カウアイ島で三角ベースもやったぞ」などと思い出を語る発言が飛び交う中で、ある会員が「我々は野球はできん。新入会員との年齢差が開くばかりだしなあ」と大声で言った。
 それを聞いた工藤、古田、高津それに石井(琢郎)といった面々は苦笑いを浮かべていた。なにしろ、彼らは現役なのだから。

YBCブックス「硬論軟論」(その2)

2006-12-08 | YBC始動
 対談企画はとんとん拍子に決まり、3月に3度対談した。各回とも4時間ほど録音された。3回目は、池田氏がWBCの視察を終えてから日程を設定し、その土産話も新鮮に聞くことができた。"神様”こと川上さんを訪問した時に帯同した杉村主務が、3回とも録音につきあってくれて、長時間に及んでテープを根気良く起こしてくれた。形となった新刊をもって労苦をねぎらいたいと思う。担当編集者の心筋梗塞など不幸な事情などにより、出版が遅くなったが、改めて池田社長のご協力に感謝申し上げたい。
 構成(話題)も内容も、歯に衣(きぬ)着せぬものとなっている。これまで、誰もが触れなかった事柄も語られている。私自身も池田氏にうまくリードされて、つい発してしまった事柄もある。とにかくご購読願いたい。
 本の結びにこうある。
  池田氏曰く「どんなに硬い野球の話をしていても、最後はやっぱり子ども時代の野球経験に還っていくんですね。」
  谷沢曰く「うん、子ども時代の軟らかい心に戻ってしまう?野球少年?の時代に。」
 第二弾、三弾の構想はすでに浮かんでいる。雲間に見えるその光景は、池田社長や仲間たちと野原で三角ベースを楽しむものかも知れない。ひょっとすると、そんなところに21世紀の野球は還っていくのだろう。池田氏の言葉は重くて厚い。

YBCブックス「硬論軟論」(その1)

2006-12-08 | YBC始動
 ようやくYBCブックスの一冊目が出版される運びとなった。タイトルは「硬論軟論~21世紀の新野球~」である。これは、3月にWBCが始まった時に、多忙なベースボールマガジン社社長・池田哲雄氏と日程をやりくりして実現した対談の活字化である。
 この経緯もひょんなことがきっかけとなった。シーズン中はあちこちの球場で顔を合わし、よく会話を交わしていたが、池田氏は私に対して大学の先輩後輩の間柄から、一歩下がって接してくれていた。しかし、ご自身はスポーツ界のオピニオンリーダーであり、ベースボールマガジン社は日本のスポーツジャーナリズムを創造した組織として歴史を刻み、池田氏が果たしてきた伝統の継承と発展は尊崇されるに充分である。
 昨年のYBC創立の時、私と加藤副部長は東京事務局に近いベースボールマガジン社に池田社長を訪ねて、YBCの代表評議員をお願いした。幸い、快く引き受けてくださり、1月の発会式にも出席していただけることになった。その折の歓談で、池田社長の野球界への熱い思いを聞かせてもらい、これまで以上に意気が投合し、話は弾んだ。
 池田氏は、加藤副部長とも同じ出版人としてのよしみも通じあって、まさに胸襟を開く会話が続いた。スポーツの現場の様々な事柄を詳細に把握している池田氏の言葉に感じいって、副部長は提案した「池田さん、谷沢監督と対談しませんか。YBCブックスの第1弾として、今のようなおっしゃったような話を、思う存分、語っていただきたい」「それは面白い、是非やりましょう。写真なども提供しますよ」