稲尾さんは豪放磊落な性格を前面に露出させていたけれども、実は繊細さが本性だったと思う。野球教室でご一緒して感じたのは、子供たちには誰よりも丁寧に指導されることだった。「いいか、指導してもらうときは、耳で聞くなよ。眼で聞くんだ。眼で聞くと教えられていることが眼に焼く付くんだ。耳で聞く者は集中力が足りない」
私の息子はラグビーをやっていたが、よくアドバイスをいただいた。息子が大学2年の時に、名球会ハワイ総会に同伴した。そこでも、「ラグビーよりも野球をやれ。ラグビーはお金にならんぞ!」と冗談交じりに、野球の良さを滔々と話したそうだ。おそらく、4人の子宝に恵まれたが、男児を持てなかったせいか、かわいく思う分、歯がゆかったのだろう。
告別式には1500人の弔問客が参列した。名球会員ももっと参列するはずであったが、同じ日に関西でスポーツメーカー「オニツカ(現アシックス)」を世界有数のメーカーに育て上げた鬼塚喜八郎氏の葬儀があったため、参列できない人が多かったのは致し方ない。
それにしても、酒も人も唄もこよなく愛しておられた稲尾氏だった。十八番「無法松の一生」が聞けなくなったことは寂しい。「小倉生まれで 玄海育ち 口も荒いが 気も荒い 無法一代 涙を捨てて 度胸千両で 生きる身の 男一代 無法松」と口ずさんだあとに、一度ならず「健一、そんなことじゃ、強打者の器じゃないぞ」と言われたものだが、今、私に言えるのは「稲尾さん、あなたはどんな器も比でない最高の投手でした」
私の息子はラグビーをやっていたが、よくアドバイスをいただいた。息子が大学2年の時に、名球会ハワイ総会に同伴した。そこでも、「ラグビーよりも野球をやれ。ラグビーはお金にならんぞ!」と冗談交じりに、野球の良さを滔々と話したそうだ。おそらく、4人の子宝に恵まれたが、男児を持てなかったせいか、かわいく思う分、歯がゆかったのだろう。
告別式には1500人の弔問客が参列した。名球会員ももっと参列するはずであったが、同じ日に関西でスポーツメーカー「オニツカ(現アシックス)」を世界有数のメーカーに育て上げた鬼塚喜八郎氏の葬儀があったため、参列できない人が多かったのは致し方ない。
それにしても、酒も人も唄もこよなく愛しておられた稲尾氏だった。十八番「無法松の一生」が聞けなくなったことは寂しい。「小倉生まれで 玄海育ち 口も荒いが 気も荒い 無法一代 涙を捨てて 度胸千両で 生きる身の 男一代 無法松」と口ずさんだあとに、一度ならず「健一、そんなことじゃ、強打者の器じゃないぞ」と言われたものだが、今、私に言えるのは「稲尾さん、あなたはどんな器も比でない最高の投手でした」