谷沢健一のニューアマチュアリズム

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長嶋、王、杉下、そして…(その1)

2008-11-15 | プロ野球への独白
 白熱した日本シリーズ・第6戦が行われた11月8日、あるパーティに招かれた。所用があったため、定刻の午前11時に5分遅れて、会場の東京アメリカンクラブの扉を開けると、すでに加藤良三NPBコミッショナーの祝辞が始まっていた。
 参集者は100名を超えていたと思うが、中央の壇上には4名の方々が上がっておられた。発起人3人と今日のパーティの主賓である。その4名は、長嶋茂雄・王貞治・杉下茂・与那嶺要の4氏だが、さて主役はどなたか、今これをお読みの皆さんはおわかりだろうか? なお、付け加えれば、もちろん金田正一氏の姿も会場にあったが、主役の盛り上げ役に徹しておられた。
 この暖かな雰囲気に包まれた会は、「Wally Yonamine The Man Changed Japanese Baseball」がこの9月、ネブラフスカ大学出版局から上梓された、その出版記念の会である。
 「思い出の日本野球」の著書もある作家ロバート・K・フィッツ氏が、2003年から3年にわたり取材を重ねて書き上げた著作で、翻訳が待たれている。
 与那嶺要ことWallace Kaname “Wally” Yonamine、通称ウォーリーさんは、ハワイのマウイ島生まれの日系2世で、高卒後アメリカンプロフットボールの名門<SF49ers>に入団した。それは、史上初のアジア系米国籍の選手だった。しかし、何度も負傷したため、野球に転じて、日本のプロ野球に登場した。そのシュアな打撃に加えて(終身打率.311)、NFL仕込みの走塁など、斬新なプレーの数々で日本野球界に旋風を巻き起こした。たとえば、セーフティバントやゲッツー防止のスライディングを日本に持ち込んだのも、与那嶺さんだとされている。
 選手としては巨人、中日、コーチとしては中日、東京(現ロッテ)、巨人、南海(現ソフトバンク)、西武、日本ハム、そして中日監督としては巨人のV10を阻止してリーグ優勝するなど、37年間の長きにわたってユニフォームを着続け、"ウォーリー"の愛称で、多くのファンに愛された。アメリカ人で日本の野球殿堂入りしている唯一の人でもある。