第3戦は後楽園球場(年少の人のために記すが、現在の東京ドーム)だった。対戦相手のロッテは、当時は仙台がフランチャイズだったが、日本シリーズを東京で行うという愚を犯してしまった。観客動員など、いくつかの理由はあったのだろうが、それでは仙台のファンが激怒するのは当然である。今でも楽天対ロッテ戦が仙台宮城野球場で行われる時は、その昔話が蒸し返されるという。
逆に私には、柏から友人たちをはじめ少なからぬ人たちが応援に来てくれた。その声援のせいか、私のバットは3ランとソロの連続ホームランをロッテ応援席に叩きこんで、5対4の僅差で勝利した。
甘美な記憶はここまでである。ここから先は3連敗。木樽・金田留広・成田らの投手陣は、今年の中日や日ハムを上回るような強力さだった。とくにまだ初々しかった村田兆治投手が抑えのエースで、急降下するフォークには我々も目を見はった。
とにかく、手の痛みは記憶に鮮明だが、負け試合の記憶は曖昧模糊としている。なぜか、敗北の悔しさをあまり感じなかったように覚えている。それくらい、9年間という長い間、どのチームも成し遂げられなかった巨人の連覇を阻むという喜びが強かったのだ。少年時代、憧れていた川上さんに「恩返し」ができたという気持ちも心の片隅にあった。もし、今年も中日にしろ、北海道日本ハムにしろ、4-1や4-2で敗北したなら、それは実力の差ではなく、勝負への固執が不足しているためだろうと、シリーズが始まる前から心ひそかに思っている。
逆に私には、柏から友人たちをはじめ少なからぬ人たちが応援に来てくれた。その声援のせいか、私のバットは3ランとソロの連続ホームランをロッテ応援席に叩きこんで、5対4の僅差で勝利した。
甘美な記憶はここまでである。ここから先は3連敗。木樽・金田留広・成田らの投手陣は、今年の中日や日ハムを上回るような強力さだった。とくにまだ初々しかった村田兆治投手が抑えのエースで、急降下するフォークには我々も目を見はった。
とにかく、手の痛みは記憶に鮮明だが、負け試合の記憶は曖昧模糊としている。なぜか、敗北の悔しさをあまり感じなかったように覚えている。それくらい、9年間という長い間、どのチームも成し遂げられなかった巨人の連覇を阻むという喜びが強かったのだ。少年時代、憧れていた川上さんに「恩返し」ができたという気持ちも心の片隅にあった。もし、今年も中日にしろ、北海道日本ハムにしろ、4-1や4-2で敗北したなら、それは実力の差ではなく、勝負への固執が不足しているためだろうと、シリーズが始まる前から心ひそかに思っている。