ポケットの中で映画を温めて

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『わたしは、ダニエル・ブレイク』を観て

2017年03月26日 | 2010年代映画(外国)
これだけは見落とせないと思っていたケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)を観た。

イングランド北東部にある町ニューカッスルに住む大工のダニエル・ブレイク。
59歳の彼は心臓に病が見つかり、医師からは仕事を止められてしまう。
しかも複雑な制度に翻弄され、国の援助を受けられない。
そんな中、二人の子供を抱えるシングルマザーのケイティを助けるダニエル。
それをきっかけに彼女たちと交流し、貧しくとも助け合い絆を深めていくが・・・
(Movie Walkerより)

仕事に誇りを持って実直に生きてきたダニエルは、仕事がしたくても仕事をすることができない。
そのため、生活面の不安に追いやられていく。
手当のための申請書の出し方を教えてくれる頼みの綱の役所は、杓子定規な対応しかしてくれない。
おまけに申請は、触ったこともないパソコンで、インターネットにより行うよう言われる。

これでは誰でも、途方に暮れるより仕方がない。
行政のやり方の冷たさ。
それは、携わっている人間が決して冷たいわけではなくっても、組織の仕組みとしての冷たさが滲む。
それでもこの作品が、温かく感じるのは弱者同士が優しさに満ちているから。
そしてみんな、見えない心で連帯して繋がっているから。
特に、ダニエルがケイティ親子にする行為は、観ているこちらまで自然と二人に応援したくなる。

貧困と格差。これは何もイギリスだけに限った問題ではない。
その問題を、ケン・ローチは声高に糾弾するのではなく、事実を示して観る者の心に静かに訴える。
観ていて、そのことに“そうだ”と頷いてしまうのは、ケン・ローチが弱者にどこまでも寄り添っていることに共感してしまうため。

この作品は正に、稀に見る傑作であると思う。
観た人は、一様にそのことに異存がないではないか、そのように思う。
ケン・ローチが前作で引退表明をし、撤回した後にこのような作品を作る。
そしてこのような作品ができたことに、観る側として感謝に堪えない。
そればかりでなく、カンヌ国際映画祭が最高賞のパルムドールを与えたことにも敬意を表したい。
私にとって、将来いつまでも記憶に残ると確信できる映画がまた一つ増えた。

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