ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

清水宏・8~『花形選手』

2020年11月22日 | 日本映画
『花形選手』(清水宏監督、1937年)を観た。

関と谷は大学陸上部のランナーで好敵手。
中でも関は校庭で昼寝していても、ひとたび起てば力を発揮する花形選手である。
学生たちは演習のための行軍に出発した。
いつしか村童たちも従っている。
突撃で一番乗りの谷が、子供たちを煽って「勝った方がいい」と囃し立てて関を怒らせる。
落伍した木村と付き添った森を捜しに戻った関は、男女の子供を連れた若い門付け女に出会う。
関は女の子に柿を与えた。

夜、木賃宿や民家に分宿した学生隊。
女の子が柿が原因で病気になった。
女は薬代に窮して一夜、体を売らねばならぬ。
関は行商人たちに絡まれるが、森と木村に任せて女の後を追う。
そこへ出て来た学生隊一同。
隊長の難詰。谷の友情の鉄拳制裁。

翌朝、彼らは帰路についた。
昨夜の行商人たちは追われていると思って、一散に逃げて行く。
今度の突撃は関が勝った。
グラウンドに戻れば秋の競技大会も間近い。
(「映畫読本 清水宏」より)

大学の軍事教練のために大勢が道を進軍していく。
その道で彼らが追い越していく人やすれ違う人たち。
これと言った物語らしい起伏のある筋があるわけでもないが、ここには典型的な清水宏の特徴が出ている。
ロケーションによる移動撮影や、それによって映し出される風景。
ユーモアを交えた内容の爽やかさ。
そのユーモアを醸し出すのが、花形選手の関・佐野周二と谷・笠智衆。

印象的なのは、女の子が腹痛になり夜間やって来た医者に払う治療費がない門付けの女。
そこへ、木賃宿の婆さんから客から指名が入っていると言われ、女は仕方なく出かけようとする。
居合わせていた関は、その様子を見て「芸人がお座敷に行くのになぜ三味線を持っていかないのだ」と詰め寄る。
女は言い訳もせず、ひと言も喋らない。
外に出た二人は、やはりひと言も喋らず沈黙する。
その二人が歩んでいる所へ行軍の隊長たちが来て、逢引きしていると思う隊長は叱責し、谷は関を殴る。
それに対して、関は言い訳をしない。

何気なくサラリと描かれるシーンだが、それが反って強い印象を残す。
清水宏の作品にはよく、貧しい浮浪の旅人などが出てくるが、今回の場合、まだまともに世間を知らない学生の関が現実社会を知る切っ掛けとなっている。 
そして、映画は一見暢気そうな軍事教練を描いているが、時代はその後、果てしない戦争一色の社会に突き進んでいく。
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清水宏・7~『風の中の子供』

2020年11月07日 | 日本映画
『風の中の子供』(清水宏監督、1937年)を観た。

小学校5年生の善太と1年生の三平兄弟は、夏休みを迎えて大はしゃぎだった。
ところが2年生の金太郎が、三平の父親が会社をクビになり警察に連れて行かれるとよからぬことをいい出した。
不安な三平は、兄の善太や母親にことの真相を問うがはっきりしない。
父は会社を辞め、私文書偽造の嫌疑をかけられてどこかに連れていかれてしまった。
三平の不安はつのった。

やがて三平はおじさんの家にあずけられ、ホームシックにかかって、いたずらばかりをしておばさんを困らせた。
柿の木に登ったり、タライに乗って流されたり、母や兄の住む町へ行くという曲芸団の一行にもぐりこんだりする三平にほとほと手をやいたおばさんは、
三平を母のもとへ追い返した。
親子三人でなんとか生きて行こうと奮闘する母の気持ちなど知らない三平は、相変わらずいたずらばかりして・・・
(「映畫読本 清水宏」より)

兄の善太は学校の成績も良く親の言うことにも素直、それに引き換え弟の三平は、勉強は好きでなくやんちゃで小さい子たちを引き連れたガキ大将的タイプ。
そんな小学生の兄弟に父親の仕事関係の事情が被さってくる。
それが父親のいない生活苦と変化し、やんちゃな三平に対しても否応なく影響してくる。
そんな状況を三平を中心として描いていく。

あまり勉強をしない三平は、父親の昼弁当を会社に届けに行くお手伝いを、母が兄の善太ばかりにさせてやらせて貰えない。
やっと念願の弁当運びをさせて貰えた三平が会社で見たのは、他の者たちから糾弾されて意気消沈している父親の姿。
三平は、窓の外で好奇心で覗いている子供たちから、見えないようにブラインドを閉める。
子供の世界では知らない大人の世界を垣間見た三平の行動。

父親がいなくなった生活のために、町医者の叔父の家に引き取られる三平。
随分と離れた所で寂しさいっぱいの三平だが、そこはやはり子供、やることが天真爛漫で叔父叔母をハラハラさせる。
傑作なのは、ほかの子たちが、三平がタライに乗っていて流されたと叔父に知らせた後の場面。
叔父は馬で川に流される三平に追いつき、着の身着のまま助ける。
三平は助かるがタライは流されていく。
三平のひと言、「僕泳げるから、あれ取ってこようか」。
客観的にみればこの川の深さは大したことでないことがわかったりする。
それを子供の視点から見た軽さが、ユーモアも絡んで微笑ましい。

そして叔父の家から帰された三平は、母と共に医院での住み込みの仕事に赴くが、こんな小さな子では仕事にならないと断られる。
帰り、途方に暮れた母は「三ちゃん、お母さんが死んだらどうする」と言い、それを聞く三平は「僕、叔父さんの所へもう一度行き、イタズラももうしないよ」と約束する。
幼い子が大人の世界を意識し、今までの遊びの世界から目覚めようとする。
この子に、早急に現実の世界をまだ教え込まなくてもと、心が痛む。

作品の出来を丁寧にみれば、大人の世界の掘り下げがなく子供世界との対比が弱いかもしれない。
しかし、子供の日常の生き方はこのようであったと想わせる描き方は、その素朴さと相まってなぜか郷愁に近い懐かしさを覚える。
そしてラストではホッとさせられる、そんな貴重さの清水宏の代表作といわれる作品であった。
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