ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』を観て

2024年03月26日 | 日本映画

『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』(井上淳一監督、2023年)を観てきた。

1980年代。
時代も人も変わった。シラケ世代と言われ、熱くなることがカッコ悪いと思われていた時代。
ビデオが普及し始め、映画館から人々の足が遠のき始めた時代。
それに逆行するように、若松孝二は名古屋にミニシアターを作る。
その名はシネマスコーレ。ラテン語で「映画の学校」。

支配人に抜擢されたのは、結婚を機に東京の文芸坐を辞め、「これからはビデオの時代」と地元名古屋でビデオカメラのセールスマンをやっていた木全純治だった。
木全は若松に振り回されながらも、持ち前の明るさで経済的危機を乗り越えていく。

そこに吸い寄せられる若者たち。まだ女性監督のほとんどいなかった時代。
金本法子は「自分には撮りたいものなんか何もない」と言いながら、映画から離れられない。
田舎の映画青年だった井上淳一もまた映画監督になりたい一心で若松プロの門を叩く。
己れの才能のなさを嫌でも自覚させられる日々。それでも、映画を諦め切れない。
救いは、木全が度々口にする「これから、これから」という言葉。 
今がダメでも次がある。涙だけじゃない。そこには笑いがある。絶望だけじゃない。希望がある・・・
(公式サイトより)

【シネマスコーレ】


開館当時のオーナーは映画監督でもある若松孝二である。
若松は「若い映画製作者が自分の思うような映画を作っても、現実的にメジャー作品を配給する映画館ではそれを上映することが難しい」と考え、
場を提供することを目的として映画館を作りたいと考えていた。
当初は東京の新宿に映画館を開館させる予定だったが、条件の合う土地やビルがなく断念せざるを得なかった。
若松は知人が保有する名古屋駅西側のビルを借り、1983年(昭和58年)2月19日にシネマスコーレを開館した。
支配人として、池袋文芸座にいた「木全純治」が就任し、若松亡き後も館を守り続けている。
(Wikipediaより)

すっごくいい映画を観た、と感激してしまった。
内容は公式サイトからの引用にあるように、若松孝二が名古屋で映画館を作り、それに携わる人達の青春群像。
若松孝二と言えば、数々の作品がある中で私にとって青春時代の神様。
それは以前、ブログ“「ピンク映画」、そして若松孝二へ”に書いたとおりである。

この作品内容のシネマスコーレの話を、当の“シネマスコーレ”で観る。
出演者は俳優が演技するとしてもすべて実在の人達。
その一人、当の劇場に入るためのキップを売っているのが実際の木全純治さん。

「では、肝心の作品の出来は」となるが、ひいき目を抜きにして素晴らしい。
勿論、作品の中で会話される監督等の人物のことが理解できるということもある程度影響しているかもしれないが、文句なしである。
満足して、会場を後にする時、出て来た人たちを見送る木全さんのほんのり笑顔にほだされて、井上淳一監督ほかのサイン入りパンフレットも記念に買った。
パンフレットと言えば、最近はよく、ネットで読める“公式サイト”に誰かの対談、解説ぐらいでお茶を濁してあるのが多い中で、
このパンフレットは値打ちなうえに、120ページ近くもある正しく本に近い代物。
おまけに、近頃見かけないシナリオまで付いていたりしていたりつくせりである。

思い返すと、シネマスコーレができた当時、若松孝二が名古屋に映画館を作るとはどういう意味だろうと不思議な気がした。
それでもマイナーで気になる作品が係ると観に行ったりして、その後、この作品の筋にもあるようにピンク映画がかかるようになって足が遠のいたりもしたが、
それ以降、中国映画の特集を重点的に組んだりしてアジア作品を観るなら“スコーレ”で、という案配になって今に続く。
私はシネマスコーレにとっての決していい観客ではないかもしれないが、それでも色々なミニシアターの経営が危ぶまれているなか、どうか頑張ってほしいと影ながら祈らずにはいられない。

 


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2 コメント

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つかやすさまへ (くりまんじゅう)
2024-03-26 23:18:22
これを観たいですが たぶんこちらでは上映がないと思います。
若松孝二監督の『キャタピラー』という作品を もう10年以上まえに観ました。
寺島しのぶさんが好演しました。
若松監督は交通事故で亡くなったのですね 知りませんでした。
>くりまんじゅうさんへ (ツカヤス)
2024-03-27 01:35:08
コメントありがとうございました。
この作品、四国では香川、愛媛だけみたいですので、もっと全国拡大されて、いろんな人に鑑賞してもらえるといいなと思っています。
若松孝二監督作品は若いころ、ホントにまあ、あんなに夢中になれたもんだと今は呆れるばかりです。
あのアクの強い作品作りが中毒性を醸しているのじゃないかな、と振り返ってみるとそう思います。
一般的には、内田裕也主演の「水のないプール」(1982年)辺りから若松孝二の名が知られるようになったのでないかなと記憶しています。
「キャタピラー」は観ていますが、それ以後の亡くなるまでの作品や「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2008年)などは未見のままですので、いずれ観なければと考えています。
今回の作品を観て、昨年秋に上映され評判になった「福田村事件」(森達也監督)のプロデューサーを、今回の監督井上淳一氏が行なっているので、これも未見のままでは拙いなと思ったりしています。
ついつい自分の思いを書いてしまいました。

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