ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

アキ・カウリスマキ・6~『マッチ工場の少女』

2024年01月27日 | 1990年代映画(外国)
『マッチ工場の少女』(アキ・カウリスマキ監督、1990年)を再度観た。

ヘルシンキの場末。
イリスは、母と義父の三人で暮らす冴えない年頃の女性。
マッチ工場に勤めているが、親は彼女の収入をあてにして働かず、家事までさせる始末。
たまに化粧をしディスコに行ってみたりもするが、誰からも声をかけて貰えない。

給料日、イリスはショーウィンドーで見かけた派手なドレスを衝動買いする。
親に咎められ返品を命じられるが、かまわずドレスを着てディスコに行くと、アールネという男に声をかけられる。
一流企業に勤める彼の豪華なアパートで一夜を共にする二人。

アールネに惚れ、さらなるデートを取り付けようとするイリス。
自宅へ招き両親にまで会わせるが、あの夜のことは遊びだったとアールネは告げる。

後日、妊娠していたことを知ったイリスは、一緒に子供を育てるようアールネに手紙を書く。
しかし返事は、小切手と中絶を求める短い言葉だけだった。
放心して町へさまよい出たイリスは、クルマにはねられ流産してしまう。
さらに追い打ちをかけるように、義父からは母に心労をかけたと勘当される。

兄のアパートに転がり込み、途方に暮れるイリス。
やがて意を決した彼女は、薬局で殺鼠剤を購入し・・・
(Wikipediaを一部修正)

アキ・カウリスマキ作品を初めてこの『マッチ工場の少女』で知って、あれからもう30年以上になる。
記憶も朧気になっているので、もう一度DVDで観ることにしてみた。

固定されたカメラワークの中での変化の少ない人物の動き。
それに伴う最小限の会話。
要は、対象となる画面の中の人物を見ながら、今何を思い考えているのかを観客に想像させること。
そのことを30数年前に観たとき、それまでに見たことがない手法に驚きと戸惑いを覚えた。
だがそれ以降慣れ親しんでしまった今観ると、成る程と違和感を全く感じない。

それにしてもこの作品、あのカウリスマキのとぼけた感じのユーモアが一切なくって、へぇと思った。
ただ、背景のテレビ画面から中国の天安門事件の映像が映し出されていたりすると、それに対してのメッセージはないのだけれど言わんとする主張が読み取れる。
声高には言わないけれど、常に社会の出来事を意識すること、そのことが作品の中にない交ぜとなって表われる。

ラスト、マッチ工場でいつも通り働くイリスの元に、二人の刑事がやって来てイリスを連れていく。
この場面に関連して、なぜかフゥッと自然に思い出されるのが、『太陽はいっぱい』(ルネ・クルマン監督、1960年)のラストだった。





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アキ・カウリスマキ監督作品

2024年01月25日 | 目次・アキ・カウリスマキ作品
1.『希望のかなた』を観て
2.アキ・カウリスマキの『枯れ葉』を観て
3.アキ・カウリスマキ・1~『コントラクト・キラー』
4.アキ・カウリスマキ・2~『白い花びら』
5.アキ・カウリスマキ・3~『ハムレット・ゴーズ・ビジネス』
6.アキ・カウリスマキ・4~『真夜中の虹』
7.アキ・カウリスマキ・5~『パラダイスの夕暮れ』
8.アキ・カウリスマキ・6~『マッチ工場の少女』
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アキ・カウリスマキの『枯れ葉』を観て

2024年01月24日 | 2020年代映画(外国)
『希望のかなた』(2017年)を最後に映画監督の引退宣言したアキ・カウリスマキだったので、次の作品はもうないと思っていたら、
『枯れ葉』(アキ・カウリスマキ監督、2023年)が今、上映中と知り慌てて観てきた。

北欧の街ヘルシンキ。
アンサは理不尽な理由で仕事を失い、ホラッパは酒に溺れながらも、どうにか工事現場で働いている。
ある夜、カラオケバーで出会った2人は、互いの名前も知らぬまま惹かれ合う。
だが、不運な偶然と現実の過酷さが、彼らをささやかな幸福から遠ざける。
果たして2人は、無事に再会を果たし、想いを通い合わせることができるのか・・・
(MOVIE WALKER PRESSより)

アンサはひとり住むアパートで、働いているスーパーマーケットからこっそり持ち帰った消費期限切れの惣菜で食事をする生活を送っている。
片や、金属工場で働くホラッパは、人付き合いが苦手で勤務中には隠れて飲酒したりする。
ある夜、ホラッパは年上の同僚のフオタリに誘われてカラオケ・バーに行きアンサに出会う。
ふたりは惹かれ合うところがあっても、ホラッパは声をかけることができない。

アンサはギリギリの生活の中で、職場のスーパーの期限切れのパンを1個ポケットに入れていたことが見つかりクビになる。
次にやっと見つけたパブの皿洗いの仕事も、初の給料日にオーナーが麻薬の密売で警察に捕まってしまいダメになる。
そこへホラッパが店に飲みに来て、ふたりは再会する。
ホラッパは勇気を出してアンサをお茶に誘い、その後でゾンビ映画を観る。
そして別れ際、アンサから電話番号を書いたメモをもらったホラッパだったが、生憎メモをうっかり落としてしまう。

そのあとホラッパも勤務中の飲酒がばれてクビになりと、ご都合主義的にストーリーは流れるが、淡々とした寡黙な映像の中に現われる人物の心の動きがよくわかり飽きない。
それに加えて、一見、陰気臭い内容を、随所に散りばめられた音楽が和ませる。
特に「竹田の子守唄」や「マンボ・イタリアーノ」の曲、おまけにチャイコフスキーの「悲愴」なんかもこれはと言う場面に流れて盛り上げてくれる。
そればかりか、例のアキ・カウリスマキ独特のとぼけた感じが随所にあって、クスクス笑いしてしまう。

労働者3部作『パラダイスの夕暮れ』(1986年)『真夜中の虹』(1988年)『マッチ工場の少女』(1990年)に連なる『枯れ葉』だと言うことだが、特に『パラダイスの夕暮れ』によく似た感じだなと思う。
しかし典型的に違うのは、世相を反映し、アンサが部屋で付けるラジオから流れるロシアによるウクライナ侵攻のニュース。
そのような背景の世の中で、貧しい生活を送りながらも生きる希望を捉えていて、とっても愛おしい気持ちを抱かせるいい作品だった。
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『PERFECT DAYS』を観て

2024年01月21日 | 2020年代映画(外国)
『PERFECT DAYS』(ヴィム・ヴェンダース監督、2023年)を観てきた。

東京スカイツリーが近い古びたアパートで独り暮らしをする、中年の寡黙な清掃作業員・平山は、一見、判で押したような日々を送っている。
毎朝薄暗いうちに起き、台所で顔を洗い、ワゴン車を運転して仕事場へ向かう。
行き先は渋谷区内にある公衆トイレ。
それらを次々と回り、隅々まで手際よく磨き上げてゆく。

一緒に働く若い清掃員・タカシはどうせすぐ汚れるのだからと作業は適当にこなし、通っているガールズ・バーのアヤと深い仲になりたいが金がないとぼやいてばかりいる。
平山は意に介さず、ただ一心に自分の持ち場を磨き上げる。
作業をつづけていても、誰からも見て見ぬふりをされるような仕事。
しかし平山はそれも気にせず、仕事をつづける・・・
(Wikipediaより一部抜粋)

清掃作業の仕事をしながらの平穏な暮らし。
その日常の中に、部屋の中に置いてある小さな植木に水を吹きかけることや、移動中に聴くカセットテープからの古い曲、木々をフイルム式の小型カメラで撮ることが混じる。
そして、銭湯での一番湯と、その後での地下商店街での飲みながらでの軽い食事や読書の楽しみ。
そんな単調そうな毎日の繰り返しの中にも、微妙な変化はあって生活は流れていく。
他人から見たら一見詰まらなそうにみえる人生を、平山は十分に充実させて生きている。

木が好きな平山に“木漏れ日”のイメージが被さる。
光と影のモノトーンは静かに揺れ動き、平山の人生もそれに同調する。
一風変わった人たちと混じり合う都会の風景の中で平山は幸せを感じる。

見終わって、起伏は無くってもこんな人生もいいなと感じる。
それと同時になぜか、役所広司よりか出番の少ない三浦友和の方に強烈な印象を受ける。
それは平山の過去の掘り下げが浅く、もっと深ければスナックのママの元夫である三浦友和との対比がより鮮明になったのでは、と思うからかも知れない。
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