ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『ピアニストを撃て』を観て

2020年09月09日 | 1960年代映画(外国)
『ピアニストを撃て』(フランソワ・トリュフォー監督、1960年)を観た。

パリの酒場でシャルリがピアノを弾いている。
そこへ、強盗仲間に追われた兄のシコが逃げてくる。
4人兄弟のシャルリは末っ子のフィドと二人で地道に暮らしていて、一方、二人の兄リシャールとシコは悪の道にはまっている。
だから二人は、運送車を襲ってかすめ取った札束を独り占めしようとして、仲間のエルネストとモモから追われている。

店が終わったシャルリは偶然に、ウエイトレスのレナを家まで送っていくことになった。
レナはシャルリに秘かに思いを寄せていて、シャルリも、途中で手を握ろうとしたが臆病なためにできない。
レナの部屋には、シャルリが輝かしかった頃の演奏会のポスターが貼ってあった。

シャルリは、本名をエドゥアール・サローヤンといい、元々、一流のピアニストだった。
彼がピアノ教師をしていた頃、レストランで給仕をしていたテレザと結婚した。
彼女の働く店に興行師シュメルも来て、それがキッカケで、エドゥアールはシュメルによって売り出されて瞬く間に名声を得ていった。
彼の成功の最中、テレザは苦悩し、実はエドゥアールが興業できるようになったのは、シュメルとの肉体関係が引き換えだったと告白する。
そして罪の意識を抱いたままで絶望したテレザは、窓から飛び降り自殺をしてしまった。

シャルリから過去を聞いたレナは、彼を愛し、もう一度エドゥアール・サローヤンに戻るよう願った。
片や強盗仲間二人は、シコの行方を突き止めようとシャルリとレナにつきまとい出し、末っ子フィドを誘拐した・・・

レナはシャルリと店に行き、やめることを申し出る。
そのレナが店主のプリヌと言い合いをし、止めに入ったシャルリはプリヌと戦う羽目になってしまった。
そして、首を絞められたシャルリは包丁でプリヌを刺してしまう。
車で逃げるレナとシャルリ。
隠れ家の近くの雪道でシャルリは、レナに別れを告げる。

リシャルとシコの雪深い隠れ家の辺り。
町に帰ったレナは、舞い戻ってきてシャルリに正当防衛が認められたと報告する。
町へ戻ろうとするシャルリは雪の中にレナを待たせる。
そこへ、フィドを連れた強盗の二人組がやってくる。
撃ち合いとなり、レナが撃たれる。

一見、フィルム・ノアールもの。
そう思って観ていると、筋が脱線だらけで訳がわからなくなってしまった。
最初、シコが追われて逃げ、てっきり主人公かと思えば、中心人物は“シャルル・アズナブール”のシャルリである。
まあ、このような調子で、会話の脱線やシャルリの過去の逸話の物語とかでストーリーはあってないようなもの。
頭がこんがらがってムシャクシャしてしまったので、再度観てみた。

そうすると、わからないと思ったものがスッキリと見えてくる。
どうでもいいような会話のやりとりやカーラジオから流れる歌。
サスペンスものらしい映像の中での、わざとのようなコミカルさ。映画での遊び。
要は、これこそヌーヴェル・ヴァーグそのもので、トリュフォーからすると長編二作目の作品。
それを今回初めて観たわけである。

若い頃、トリュフォーの長編第一作目の『大人は判ってくれない』(1959年)を観た時はその新鮮さに驚き、唸った。
でもこの年になってから、このような作品を初鑑賞すると、面白いことには面白いが何故かしっくりと来ない。
そう言えば、ゴダールの『気狂いピエロ』(1965年)を封切りで観た時、拍手喝采の思いだったが、後年、年を取ってから再度観たら面白くもなんともなかった。
やはり、映画はその時代、その時の年齢に関係するのかとつくづく思った。
だから、昔観たトリュフォーの『突然炎のごとく』(1961年)や『柔らかい肌』(1964年)は、もう一度観て再認識してみたい気もあるが、どうも食指が動かない。
この作品を観て、そんなことを思ってしまった。
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『島の女』を再度観て

2020年09月04日 | 1950年代映画(外国)
『島の女』(ジーン・ネグレスコ監督、1957年)を観てみた。

ギリシャのイドラ島に近いエーゲ海上。
漁師リフの船で海綿とりをする若い女、フェドラはある日、海底で“いるかに乗った少年”を形どるブロンズの彫像を見つけた。
島の医師ホーキンスは彫像が古書に記されてある宝物だと教え、彼女に引き揚げ権利を金持ちに売り渡すよう進めた。
フェドラは自分が経済的に独立し、弟ニコを将来大学に入れたいと思っていた矢先なので心を動かされた。

フェドラは金持ちの外国人を探しにアテネへ行き、アメリカの考古学者コルダー博士に面会を申込み、カフェで待ち合わせた。
が、そのカフェに来ていた古美術蒐集家のパーマリーが博士を出し抜いて、彫像の取り引きを申し出た。
パーマリーはフェドラとイドラ島へ行き、リフを仲間に、彫像の引き揚げにかかった。

一方、コルダー博士も後を追い、フェドラの弟ニコを味方に彫像発見にかかった。
フェドラは内心コルダーに好意を持っていたが、パーマリーの金に目がくらみ、事々にフェドラの仕事の邪魔をした・・・
(映画.comより一部抜粋修正)

美しいエーゲ海を背景にした海洋もののアメリカ映画。
昔、昔これをテレビで観て、そんなにいい印象を持っていなかったので、もう一度観てどんなのか確認してみようと思った。
結果の感想は、出来としてチョットね、という感じ。
内容がなんともご都合的で安易。
結末も、ソフィア・ローレンのフェドラとアラン・ラッドのコルダー博士がめでたし、めでたしとなるが、取って付けたみたいで印象に残らない。

と言っても、取り柄がないわけではない。
やはりエーゲ海の景色を見ているだけで心が解放される。
だから、チャチな物語でもしっかりと最後まで見れる。
それに、何と言ってもソフィア・ローレンの肢体。
そのプロポーションに惚れ惚れとして、見ていて飽きが来ない。
もっとも、この作品をじっくりと観てみたいなと思ったのは、その主題曲を聴きたかったからである。
やはり最高である。
それをYouTubeから貼り付けておきたい。

Sophia Loren Singing and Dancing Greek; Scene from "Boy on a Dolphin"




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『九月になれば』を観て

2020年09月02日 | 1960年代映画(外国)
『九月になれば』(ロバート・マリガン監督、1961年)を観た。

ニューヨークの若き実業家ロバート・タルボット。彼は毎年9月、ローマの恋人リーザとイタリア避暑地の海沿いの別荘で1ヵ月ほどヴァカンスを楽しむ。
だが今年は7月に突然イタリアにやってきたタルボットは、早速「別荘で会おう」とリーザに電話する。
そのリーザ、タルボットがいつまでもプロポーズしないため諦めてイギリス人のスペンサーと結婚しようとしていたところ。
驚いた彼女はとりあえず、急いで別荘に向かうことにした。
 
こちらは、別荘を管理している執事のクラベル。
主人の留守中は別荘をうまく利用しようと、その間はリゾートホテルとして営業している。
そこへ主人のタルボットがやってきて、クラベルは大慌て。
タルボットは、自分の別荘に若い娘たちがはしゃぎながら部屋に入っていくのを見て、ビックリ・・・

タルボットは、何でここに他人であるアメリカの女学生たちがいるのかクラベルに問い詰めるが、クラベルの方はノラリクラリ上手に話を切り返す。
学生の一人、心理学専攻のサンディ。言いくるめるクラベルの話を信じ、戦争で精神がダメージを受けてここのオーナーづもりのタルボットの精神を救おうと頑張る。
しかし残念なことに、このことで真相がばれてしまい、クラベル、クビを言い渡される。

そんなこんなで、そこへ、タルボットが別荘にやってくる道中、車で抜きつ抜かれつした4人組のアメリカ青年もやってくる。

このようにして話は、イタリアの陽光の明るさとマッチしてうまくシナリオに乗り、ドンドン飽きもさせずテンポよく進む。
そしてトラブル続きであっても、これは正真正銘の素敵なロマンティック・コメディとして最後は花開く。

その妙は人間関係。
タルボットとリーザ、サンディに対し車でやって来た青年のトニー、この二組の恋のやり取り。
サンディの保護者気分になったタルボットは、サンディにトニーを寄り付かせないようライバル意識をチラつかせる。
一方リーザは、サンディに恋について示唆したりする。
そのリーザにトニーは憧れに近い感情もある。
その他に、主人トニーと執事クラベルの主従トラブルや、女子学生たちの付添いアリソンとクラベルの恋愛絡みも出てくる。

いずれにしても、青春を謳歌することに前向きの若者たちと、少し上世代のタルボットとリーザの恋愛やり取り。
何とも言えない懐かしさを含んだあの時代のほのぼのとした雰囲気に、無条件に浸ってしまう。
そして、これはいい、と堂々と叫んでもいいやと思ったりする。

タルボットがロック・ハドソンで、リーザはジーナ・ロロブリジーダ。
片やトニーはボビー・ダーリンであり、サンディがサンドラ・ディー。
このコンビが何とも言えない。
もっともこれが縁でボビー・ダーリンとサンドラ・ディーは結婚したりと、オマケがつく。

この作品の主題曲、ボビー・ダーリンの『九月になれば』は、シングル盤のレコードを十代に買って今だに持っている。
だから、昔から一度は観てみたいと思っていた映画である。
それが今ごろになってやっと叶えられたということになる。
それとダブって、ボビー・ダーリンと言えば、彼の半生映画『ビヨンド the シー 夢見るように歌えば 』(ケヴィン・スペイシー監督、2004年)も観ているなぁ、と思い出したりする。

九月になれば / ボビー・ダーリン楽団【YouTubeより】


コメント (2)
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忘れ得ぬ作品・12~『橋』

2020年09月01日 | 1950年代映画(外国)
いつの頃か、多分二十歳頃かそれ以前、テレビで観て強烈な印象を受けたまま記憶から離れない作品がある。
それをもう一度、確認してみたいとDVDを購入した。
題名は『橋』(ベルンハルト・ヴィッキ 監督、1959年)、西ドイツ作品である。

第二次世界大戦末期のドイツのある村。

戦況が悪化していたナチス・ドイツは、人員を確保するために今まで徴兵条件に入れていなかった子供も召集する。
学校に通うハンス、ヴァルター、ジギ、カール、ユルゲン、アルバート、クラウスの7人の少年たちは、
兵士に憧れを抱きながら徴兵されるのを心待ちに、いつも通りの授業を受けていた。

ハンスが音読しているとき、窓から校舎の外を見たヴァルターは、地区長の父親が自分に内緒で母親を疎開させようとするのを見、追いかける。
しかし、母親の乗った列車は発車し、母親とは離ればなれになる。

昼食休みになり、生徒たちは学校から家に帰る。
息子が徴兵されないか心配するジギの母親は、食糧や物資節約のために彼を伯母の元に預けようとするが、ジギはここに残りたいと言う。

父親が床屋を経営しているカールは、使用人のバルバラに好意を抱いている。

名家に生まれたユルゲンは軍人の父を誇りに思い、いつか自分も父のようになりたいと考えている。

ハンスは父親が戦場に行っているためにアルバートの家に同居している。
アルバートは、前線から音信不通の父を心配する母に励ましの言葉をかける。

カールと共に空爆された川を眺めていたクラウスとフランツィスカは、カールが家に帰った後、二人で散歩する。
フランツィスカが好きなクラウスは、時計を病気の母のために売ったという彼女に自分の時計を渡す。

帰宅したカールは、父とバルバラがいい仲なのを見てショックを受ける。

ハンスとアルバートは待ち合わせ場所に向かい、ヴァルターとジギに会う。
そこでジギが川に沈められた酒を発見し、4人だけの秘密として土管に隠す。

昼休みが終わった学校では、女性不信になったカールがクラウスに対してフランツィスカのことを中傷し、クラウスに殴られる。

ボート造りの授業をしているときにユルゲンが遅れて到着し、召集令状が届いたと他の生徒に報告する。
彼はハンスたちにも届いているはずだと言い、やっと戦場に行けると、みんなで喜び合う。

一方、生徒たちが召集されたということに言葉を失った先生は、授業を打ち切り彼らを家に帰す。

召集令状が届いたことに嘆き悲しむジギの母は、彼を匿おうとするがジギは行く気満々だった。
父とバルバラを憎んでいたカールは、二人を罵り急いで荷造りして家を出て、軍の施設に泊まる。
召集前の最後の夕食を母と取っていたユルゲンは、母から父の拳銃を贈られる。
アルバートと二人で荷造りをしていたハンスは、アルバートの母に今までの礼をし、彼女からはアルバートのことを頼まれる。
駅舎で、付き添いのフランツィスカと一緒に空爆の影響で到着が大幅に遅れている汽車を待っていたクラウスは、彼女に作戦で使うかもしれないので時計を返してほしいと頼む。
ヴァルターは、地区長という立場にも関わらず逃げようとしている父を非難するが、肉体関係を持っていたアンニが父とも寝たことを知り愕然とする。

翌日出頭した7人は、早速訓練を受ける。

その頃、生徒たちの身を案じた先生は、隊を率いるフレリヒ大尉と交渉し、この戦争には先がないと話して彼らを後方に置くよう頼むが、大尉からは上の命令には逆らえないと返される。
そして米軍の攻撃が激しさを増すなか、緊急呼集された兵士たちは、中佐から戦場に行くことを命じられる。
だが部下から戦力にならない新米のハンスたちがいることを知らされた中佐は、もう使用価値がなく破壊予定している村はずれの橋を7人に守らせることを許可する・・・
(Wikipediaを修正)

橋を守ることを命令されたハイルマン伍長と、7人の少年兵。
だか、みんなのために早朝、コーヒーを調達に行った伍長は他連隊の兵士からスパイ容疑で射殺されてしまう。
万一の時の指揮官に命じられていたハンス。
ジギが歩哨に立ち、少年たちは橋を防衛するために高揚している。
住民の老人が来て、こんな所で何している、家に帰れと言われたりする。
しかし少年たちは、兵士としての気概があり銃で老人を追い払う。

ちっぽけな橋を守る一行に一機の敵方戦闘機が飛来する。
そして、機銃射撃を受けたジギが死ぬ。

そうこうするうちに、敵方の戦車隊が橋に向かって現れる。
このようにして前線でない場所で、祖国を死守しようとする少年たちに戦争の現実が覆い被さってくる。
必死になって橋を守ろうとする少年たち。
遊び慣れた木から射撃するユルゲンが銃撃され、対戦車砲を持って村の建物に移動するヴァルターもやられる。
カールも死に、一緒にいたクラウスはカールを殴ったことに気がふれたように許しを乞いながら撃たれてしまう。

残ったのは右腕を負傷したアルバートとハンス。
そこへ、橋を爆破するために兵士がやってくる。
無用な橋を必死になって守ってきた少年たち。
それはなんだったのか。
ハンスは銃を突きつけ問い詰め、逆に兵士から撃たれそうになるのをアルバートが背後から撃つ。
しかし逃げる他の兵士からハンスは撃たれてしまう。
「ハンス、家に帰ろう」と、橋の上を引きずるアルバート。
死んでしまったハンスを橋の上に残し、フラフラと歩いていくアルバート。

戦争の狂気の沙汰。
ラストの、1945年4月27日、余りにも些細な事件で軍の記録にも残っていない、という字幕が余りにもむなしい。
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