ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

清水宏・4~『港の日本娘』

2020年07月31日 | 日本映画
サイレント映画、『港の日本娘』(清水宏監督、1933年)を観た。

横浜(ハマ)。
港を見下ろす女学校に通う仲良しの砂子とドラ。
下校時を狙って、オートバイに乗った青年ヘンリーが二人に近づいて来る。
砂子に声を掛けるヘンリーに、ドラはすねるが、彼に惹かれた砂子はそれ以降、オートバイに乗せてもらい海や山へとドライブを楽しむようになる。

そうしている内、気の変わりやすいヘンリーは、今度は新しい女シェリダン耀子と付き合いだす。
そして、与太者たちとも一緒に行動するようになった。
そんなヘンリーをドラは諭し、隠し持っていたピストルを取り上げる。

ある夜、船で催されるダンスに耀子と行ったヘンリーは、酔いつぶれた彼女とともに教会に入っていく。
そこへヘンリーを迎えに波止場まで来た砂子が、教会のドアを開ける。
酔っている耀子は砂子を嘲け笑う。
砂子は取り出したピストルを、思わずその耀子に向けて発射する・・・

数年後、砂子は長崎、神戸と渡り歩き娼婦になり、ヒモらしき貧乏画家・三浦と一緒になっている。
そして横浜に戻って来た彼女はヘンリーと再会するが、彼は今ドラと結婚している。

砂子のアパートをドラが訪れる。
あばずれですれっからしの砂子、片や、清楚な若奥様のドラ。
若き日、仲良しだった二人が今ではこのような状況になってしまっている。

ある日曜日、砂子はヘンリーの家を訪れる。
レコードをかけヘンリーと砂子がダンスを踊る。
ドラは、生まれてくる子どものために毛糸を編みながら、楽しそうに踊る二人の心中に思いを馳せる。

ドラに促されたヘンリーは、砂子の帰りに付き添う。
二人は散歩しながら、逢瀬を重ねた昔の思い出の場所に辿り着く。
真面目な生活に帰ってもらいたいと言うヘンリーに、砂子はそうしたいが出来ないわと、縋りつく。

画家の三浦は砂子と住むアパートでせっせと洗濯をしている。
そこに仕事にあぶれている隣の女が通りかかり、洗濯を手伝わせて欲しいと頼む。
その隣りの女は、医者からも見放されている病を患い、もう永くはなかった。

砂子は隣室を訪ね、そこに見たのは、自分が傷つけたあのシェリダン耀子であった。
外で雨が降る中、衰弱している耀子は砂子に、ヘンリーやドラのことを聞き、二人の幸せをそっとしておかなければいけない、
そして、あなたは早く真面目な生活に戻りなさいと、諭す。

劇中、ヘンリーとドラの夫婦は、砂子を今の世界から足を洗わせようと努力する。
そのためにヘンリーは砂子を訪ねたりするが、夫が砂子の元へ行くことを知ってしまうドラは、ヘンリーと砂子が二人だけで会うことに不安を隠せない。
元々、女学生の頃の仲良しの砂子とドラ、それに絡むヘンリーの三角関係。
その関係が後半、きめ細やかなサイレントとしてのメロドラマに光り輝く。
その三人に、うだつの上がらない三浦、ヘンリーの元彼女・シェリダン耀子が作品に深みを与える。

それと印象に残るのは、今の物の考え方とずれると感じとれるやり取り。
砂子の、「世間は許してくれるでしょうか」
それに対して耀子の、「待つのよ、許してくれるまで待つのよ、じっと堪えて」
「わかったわ、耀子さん。あたし待ちます。許してくれるまで待ちますわ」と、納得する砂子。
当時の世相、考えの一端をみる思いの会話であった。
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『ロスト・バケーション』を観て

2020年07月26日 | 2010年代映画(外国)
ちょっと気分転換に、サメ映画『ロスト・バケーション』(ジャウマ・コレット=セラ監督、2016年)を観てみた。

医学生のナンシーは休暇を利用して、メキシコの“秘密のビーチ”へサーフィンするために一人訪れる。
そこは、地元の人間しか知らないビーチで、亡くなった母親の思い出の地だった。

地元の青年サーファー2人以外は誰もいない入江。
ナンシーはサーフィンを思う存分楽しむ。

日が暮れかかり、地元サーファーが一緒に帰ろうと誘うが、ナンシーはあと一回と断る。
青年たちが海岸を車で帰る最中、一人で波乗りするナンシー。
しかしその時、突然ナンシーは何者かに一気に水中に引きずり込まれ・・・

海底でもがくナンシー。水中は見る見るうちに紅く染まる。
獰猛な巨大なサメがナンシーを襲う。
近くにたまたま、それこそ巨大過ぎる腐敗したクジラの死骸が漂っている。
大腿部を深く傷つけられたナンシーは、危機一髪でクジラの背に乗り移る。

と、まあ海の中でたった一人、若い女性と狡猾なサメのサバイバル・ゲームが始まる。
そこにあるのは、久し振りに感じる緊張感の連続。

ナンシーは、クジラの死骸から海の中に突き出ている小さな岩礁に泳ぐ。
その岩礁で、医者の卵のナンシーはピアスとネックレスを使って大腿部の傷口を自ら縫う。
観ていて、それはもう、正視できない極限の痛さをこちらも感じてしまう。
それも、ここは海だから塩分による激痛も並大抵ではないはずと、こちらが失神しそうになる。

ただ救われるのは、この岩には羽を脱臼し怪我を負った一羽のカモメがいたこと。
カモメはそこにいるだけなのに、ナンシーとともに運命を共有する。
そのカモメが、なぜか超一流の役者と誉めても言い過ぎでないほどのたたずまいである。

小さな岩礁であるここは、いずれ満潮になれば海に沈み、そうなれば当然サメは襲いに来る。
すぐ近くに浮かぶブイまでが3、40メートル。
岸だってわずか200メートルほどである。
しかし、そんな距離でもいつサメに襲われるのか、と話はハラハラドキドキさせながらドンドン進む。

サメに襲われる作品と言えば、当然『ジョーズ』(スティーヴン・スピルバーグ監督、1975年)となる。
あの作品以来、随分とサメ映画が作られ、それに釣られて2、3作品は観た経験があるが、
『ジョーズ』を越えられるはずはなく、そう思うと見る気もしなくなった。
それを今回、ひょっとしたら面白いかもと観てみた。
答えは正解であった。
まず海の風景等、撮影がバツグンであること。
話の展開、そのテンポも申し分なく、ストーリーへ一気に引き込む力がある。

家族のこと、特に亡くなった母のことも絡ませてあって、内容にふくらみを持たせてある。
もっとも、母親との関係をもっと掘り下げてくれると作品に深みが増すのに、と余分なことも考える。
でも、まぁいいかと満足し、観て儲けたなと感じる作品だった。
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清水宏・3~『簪(かんざし)』

2020年07月25日 | 日本映画
『簪(かんざし)』(清水宏監督、1941年)を観た。

山奥の温泉宿。
ここの2階に逗留している学者先生、傷痍軍人らしき若い男・納村(なんむら)、新婚夫婦、それに2人の孫を連れた老人の4組。
ある日、蓮華講の集団が泊まりにくる。
集団のうるささに、ひとしきり文句をたれる学者先生。

集団が帰った後、学者先生と納村は温泉に浸かった。
その湯船で、納村は落ちていた簪を踏んで足裏を怪我してしまう。
学者先生が宿の主人に抗議すると、簪をなくしたので探して欲しいという手紙が、蓮華講の女性から宿に届く。

宿の主人の連絡で、その女性、恵美がやってきて怪我のことを詫びる。
簪の持ち主は美人である必要があるとの持論の学者先生のとおり、納村のため、恵美が美人だったことに他の逗留者も喜ぶ・・・

実は、恵美は東京で愛人生活をしていて、どうもそれに嫌気が差して再度この旅館に出向いてきたらしい。

納村は、この温泉宿で子供たちと一緒に歩行練習のリハビリに励み、それを見る恵美も自然と長逗留していく。
納村の恵美に対する淡い恋心。

そんな中、意気投合した2階の客たちは、東京に戻ってからも時々常会を開こうと約束する。

学者先生は再びやって来た蓮華講の騒音に怒り帰京し、若夫婦も東京に帰っていく。
納村も足が完治したら帰ろうと考え、子どもの励ましを受けて渓流の細い小橋を渡り、ついに寺への石段も登りきる。
そして、老人と2人の孫も納村もついに帰ってしまう。

戻る家もなく残った恵美は、納村から来た誘いの葉書を読んで、感慨に耽りながら山あいを一人散策する。

納村が笠智衆で、恵美が田中絹代。
二人とも若すぎると思うほど、若い。
それに加えて、小難しい学者先生が斉藤達雄。
斉藤達雄は戦前の小津安二郎作品ではお馴染みで、印象強いのが『生まれてはみたけれど』(1932年)だった。

この作品は『按摩と女』(1938年)とよく似ていて、設定としてその姉妹品と言った感じである。
出来は当然『按摩と女』の方が上だが、それでもこの作品もユーモアと共に愛らしさに満ちあふれている。
そんな微笑ましい一篇であった。
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『ビー・マイ・ベイビー』から『マリーゴールド』へ

2020年07月22日 | 音楽
以前に書いたことがあるが、中学生の時に洋楽ポップスに目覚め、こんな凄い世界があるのかと夢中になった。
当時は1960年代の前半であり、その時期は今でも通用する曲が次から次へと出てきて、まさしく黄金時期。
そんな中でも、今だにYouTubeで聞いて感動するのが、ザ・ロネッツの『ビー・マイ・ベイビー』。
もっとも好いている曲は相当数あるが、やはりこの曲は無条件、手放しでのめり込める。

【YouTubeより】~ Be My Baby - The Ronettes - 1963 -


この頃、やはり年を取ってくると、過去のノスタルジー的なことに目が行ってしまって未来志向が徐々におろそかになる傾向がある。
だから最近の曲で、どんなのがいいのかさっぱり分からなくなってしまっている。
でも久々に心に打たれ感動したりするのが、この『マリーゴールド』。

【YouTubeより】~あいみょん – マリーゴールド【AIMYON BUDOKAN】



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清水宏・2~『有りがたうさん』

2020年07月15日 | 日本映画
以前にも観たことがある、『有りがたうさん』(清水宏監督、1936年)を観てみた。

鉄道のある町まで天城街道を峠二つ越えて走る定期乗合バスが、南伊豆の港町を出発する。
東京に売られてゆく若い娘と母親、いわくありげな黒襟の女、偉ぶった髭の男、その他が客として乗り込む。
運転手は若い青年で、バスに道を譲ってくれる人たちに「ありがとう」と挨拶をすることから“有りがたうさん”と呼ばれている。

出発したバスの車内では、男の客が娘の母親に向かって、「娘さんで良かった、男の子だったら働こうにも働き口がない」と世間話をする。
それを聞いていた運転手も「この頃は毎日失業者が村に帰ってくる」、と合わせる。
それに対して、“有りがたうさん”のすぐ後ろに座っている黒襟の女が、「それでも帰る家がある人は幸せだよ、私なんかは帰る家も分からなくなってしまった」と言う。

そのような人々を乗せて、バスは走って行く・・・

この映画は、オールロケによるため、当時としては先駆的だったと言われている。
そればかりか、車内の人たちの会話と、舗装もされていない山道を行く人々の情景から、その当時の世相が見てとれる。

それは例えば、
すれ違うバスが止まった時に、知り合いのおばさんから「娘さんはどちらへ」、と聞かれた娘の母親が「東京まで」と答えると、
そのおばさんの娘が、「私、東京で“水の江ターキー”を見てきたのよ」とか話す。
また、道を歩いている旅芸人がバスを止めて、後から歩いてくる娘たちのためにことづけを頼んだりする。
そればかりか、村の娘もやはりバスを止めて、流行歌のレコードの購入を依頼したりする。

当時の時代背景は、相当暗い。
産気づいた家に行くために、途中から乗って来た医者は、
「不景気で増えるのは赤ん坊ばっかり。男の子はルンペン、女の子は一束いくらで売られていく。」と話す。
それを聞いている母親と娘。
この17歳の娘は、今まさしく売られていく途中なのだ。

バスがトンネル前で休憩する。
追いかけてきた道路工夫として働く朝鮮労働者の娘は、「道路工事が終わって信州のトンネル工事に行くの」と言う。
「ここで亡くした父のお墓の前を通る時は、時々水をまいてお花を差してあげてね」と、“有りがたうさん”にお願いする。
駅まで送ってあげるよと言う“有りがたうさん”に、娘は、「みんなと一緒に歩くの」と言うのが、印象深い。

“有りがたうさん”は、シボレーのセコハンが安く手に入りそうだから自分でバスの開業をしようと考えている。

二つ目の峠を越える時、
“有りがたうさん”は、「この秋になって、もう8人峠を越えたんだよ。峠を越えた女はめったに帰って来ませんよ」と言う。
彼は、売られていく娘が気になるし、秘かに惹かれている。
黒襟の姐さんはそれに気づいていて、「有りがたうさん、東京にはきつねや狸ばっかりなんだよ。
シボレーのセコハン買ったと思えば、あの娘さんはひと山いくらの女にならずに済むんだよ。
峠を越えた女はめったに帰って来ないんだよ」、と促す。

この黒襟の姐さんが、桑野通子でとっても魅力的である。
“有りがたうさん”は上原謙。
そう言えば、桑野通子の娘、桑野みゆきは若くして引退したし、上原謙の息子、加山雄三は今ではおじいさん。
それを考えれば、随分と古い古い映画だけど、この作品はいつまで経っても共感できる要素がある。
それは、世相を反映しての暗い内容とせず、ユーモアと、上原謙の明るさ善良さが前面に出ていることも関係しているかも知れない。

翌日バスは、売られていくはずだった娘と母親を乗せて、帰り道を港に向かって走る・・・
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清水宏・1~『按摩と女』

2020年07月11日 | 日本映画
『按摩と女』(清水宏監督、1938年)を観た。

按摩の徳市と福市は新緑の季節になると、この山あいの温泉地に南の温泉場からやって来る。
二人はそれぞれの贔屓の旅館を足場とし、徳市が“鯨屋”にあいさつすると早速仕事の声が掛かった。
それは今日ここに来るとき、歩いていた二人を追い抜いていった馬車の乗客の若い美しい女性からであった。
若い女性は、ここに来たわけとか、いつまでいるのかとの徳市の問いに、謎めいた返事しかしない。
徳市は目が見えなくても、東京から来たというこの女性に惹かれていくものがあった。

そんな中、この温泉地で宿泊客が被害にあう盗難事件が起きる。
徳市は、状況からしてどうも東京の若い女性の仕業では、とも思い・・・

清水宏の代表作ということで、成る程と思う。
筋はある程度あるが、一般的な物語としての筋道は問題としていなくって、
それよりも、目くらの徳市と福市が温泉宿にたどり着くまでに、歩きながら目あきを何人追い抜いたとかの拘りのユーモアの方が際立っている。
だから徳市は、学生グループに追い抜かれた腹いせに、思い切り強く按摩をし、そのためこのグループは翌日足が痛くってまともに歩けなるとか、
一方、福市の方は女学生グループから、抜かれまいと頑張ってそのせいで疲れたから、按摩代安くしなさいよと責められるのが面白い。

謎の女性に対しては、馬車で一緒だった若い男大村も、連れてきた甥の少年を介して話をするようになって、徐々に虜になっていく。
この少年は、女性が遊んでくれたりして好きになり、徳市も遊んでくれて好きになるが、大人が相手をしてくれなくなるとつまらなさそうにするところが可笑しい。

何気ないスケッチ風のようでいて、深い味わいがある作りに何ともいいようがない魅力を感じる。
清水宏の作品は、どれか観たはずという程度で記憶が定かでないため、チャンスをみて今後観ていこうかなと思っている。
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成瀬巳喜男・24~『娘・妻・母』

2020年07月07日 | 日本映画
『娘・妻・母』(成瀬巳喜男監督、1960年)を観た。

東京は山の手らしき所。
坂西一家。
長男の勇一郎と妻和子には子がいて、母あき以外に三女春子も同居している。

そんな時、夫と何となくうまく行っていない長女早苗が遊びに来ていて、運悪くその里帰り中に夫が事故で亡くなってしまう。
その後、早苗は離縁され、実家に戻って来て生活費を入れながら住むことになる。
坂西家には、嫁いでいる二女薫や、結婚して他に住んでいる次男礼二も何かと出入りしている。

勇一郎は、妻和子の叔父である鉄本庄介の町工場に資金を投じている。
その鉄本がもう少し融資してくれるよう、勇一郎に金の無心をしてくる。

夫に死なれた早苗は実は、夫の生命保険の金100万円を手にしている。
鉄本に頭を下げられた勇一郎は、早苗から50万円を融通してもらう。
姑とうまく行っていない二女薫は、姑と離れて暮らしたいと早苗に頼んで20万円借りることに成功する。

ある日、鉄本の工場は人手に渡り、本人も行方をくらましてしまった。
実は、融資していた勇一郎は、兄弟にも黙って家を抵当に入れていたため、ことは大事になってくる・・・

元々、早苗以外の勇一郎の兄弟は、いずれの相続の時は、この家の価値を見積もってなにがしかのお金が入るのを期待している。
だから、家を手放さなければいけない家族会議の内容も深刻になってくる。

いつものと言っては悪いが、成瀬特有のお金にまつわるニッチもサッチもいかない話。
そんな中、三女春子の関係で、早苗は醸造技師をしている黒木信吾と知り合う。
早苗、原節子。黒木、仲代達矢である。

黒木は早苗が好きになる。
早苗は黒木に惹かれながらも、若い黒木をやんわりとかわす。
仲代達矢の情熱を秘めた想いが凄い。
とうとう二人はキスをする。
原節子と仲代達矢がキスをするのである。
実際にはしていないかもしれないが、観ている方としては衝撃的な事柄である。

早苗は黒木の将来も考え、見合い相手である京都のお茶の宗家、五条宗慶のところへ嫁ごうと決心する。
なにしろ早苗にとって、実家が売り払われるとなると、母親あきをどうするかということが切実な問題である。
五条宗慶は、一緒になるのなら母親も連れてきていいと言うのである。
この五条宗慶が、上原謙。

片や、勇一郎夫婦。妻和子は、小さなアパートに住むことになってもお母さんとうまくやっていけるのではないかしらん、とそのようなことを夫に言う。
勇一郎が森雅之で、和子は高峰秀子のコンビ。

一方、母親のあきは老人ホームにでも入ろうかなと考えている。

そんな風に、物語は解決を与えずに終わる。
だが、この作品には何度でも観てみたいとの想いをそそられる。
それは、我々の身近な現実の要素が散りばめられていて、そうだそうだと自然と納得させられてしまうからではないか。
小津もそうだけど、このような成瀬の映画にはとっても惹かれる。


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『ユンボギの日記』~大島 渚

2020年07月04日 | 日本映画
『ユンボギの日記』(大島 渚監督、1965年)を観た。
小学校4年生のユンボギは、母が父との不仲で家を出てしまい、父は病気のため仕事ができず、妹2人と弟1人の面倒を見ながら物乞い同然の生活を送っている。
ユンボギは、いつも母が帰って来てほしいと願いながら、日記を綴る。
貧しさに苦しみながらも担任の先生や同級生の同情に感謝し、非行に走らず、懸命に生きている。
ある日、妹のスンナが貧しさに耐えかねて家出してしまい、ユンボギは更に孤独を感じ、いつか母とスンナを探しに行きたいと望む。
(Wikipediaより)

この作品は、大島渚がテレビドキュメンタリーの仕事のために訪韓した際に撮影した浮浪児たちの写真を映像として、
朗読を主にナレーションで綴った短編映画である。

ユンボギの日記(予告編)


映画は短編であるため、内容を具体的に知ろうと思い、
40年前に読んだままの茶色に変色した原作本(イー・ユンボギ著、塚本勲訳、太平出版社・1965年刊)を引っ張り出してみた。



日記は、1963年6月から翌64年1月まで綴られている。

韓国、大邱(テグ)。
ユンボギ 10歳、国民小学校4年。
スンナ・妹 8歳、国民小学校2年。
ユンシギ・弟6歳。
テスニ・妹 5歳。
母は4年前に家出し、父は病気で仕事に就いていない。

内容は大半が、家族が生きるために今日、明日の食べ物をどう手に入れるかということ。
そのために、僅かなお金を手にするため、夜遅くまで喫茶店等を廻ってガムを売る。
しかしこれは、市職員に見つかれば捕まえられて希望園(少年院)に引っ張られてしまう仕事である。
それでもお金が手にできなければ、空き缶を持って他の家々を廻って、ご飯の物乞いをするしか方法がない。
そんなでも、食べ物が手に入らない日が続けば、空腹で行きたい学校にも行けないし、家族のためどうしようと不安が募る。
そんな中、8歳のスンナが「お金をたくさんもうけて帰ってきます。探さないでください」と書き置きをして、家出をしてしまう。

ユンボギは、少しでも多くのお金を稼ごうと、道具を買って“靴磨き”を始めるが、4日後には不良少年によって道具を盗まれてしまう。
こんな八方塞がりの中でも、友達が自分は食べずに昼の弁当をくれたり、また、担任先生は優しいし、金先生も何かと面倒を見てくれる。
だから、ユンボギは学校が好きだ。
日記は、そんな事柄を素直な文章で綴っていく。
そこに滲み出てくるのは、母への思い、スンナへの思い、下の兄妹、父親への思いやり。
しかしなぜこの少年家族を、このような境遇に陥れるのかと身につまされる。

大島渚は、このような境遇の少年が一人だけではない実態を、20数分の作品として的確に表現する。
そして、そこに政治的、社会的な背景をもヤンワリと滲ませる。
そうすることによって、作品の力強さを醸し出している。

大島作品は、すべてとは言わないが60年代後半から70年代にかけて夢中になって観て、過去作品も含めその社会性ゆえに影響を受けた。
しかし残念なことに、作品を発表しなくなった後期以後、和服姿でテレビのバラエティー番組等に出演し、そのふにゃけた感じに失望した。
そして感じたことは、人間は一本、筋を通したまま生き通すは難しいことなのか、それともそれはその人の本来の人間性なのか、ということ。
そう思うほど、若いころ、大島渚には感化されていた、ということである。
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