ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

成瀬巳喜男・3~『秀子の車掌さん』

2020年01月31日 | 日本映画
『秀子の車掌さん』(成瀬巳喜男監督、1941年)を観た。

甲府近辺ののどかな田舎。
“甲北乗合バス”を運転する園田とその車掌、おこま。

競争相手として“開発バス会社”がこの路線に乗り入れてきてから、たった1台きりのそれもおんぼろ車の“甲北バス”にはさっぱりお客が乗らない。
今日も無人客でバスを走らせていると、停留所でもない所で、男が手荷物をいっぱい持って呼び止めた。
後でおこまが、乗せなければよかったかな、と反省していると、
次の停留所では、5人の子ども連れの母親が赤ちゃんもおぶって、ニワトリの籠と一緒に乗ってくる。
そして、男と母親は、「“開発”の方はきれいで速いけど、こちらは空いているから、荷物が多い時は丁度いい」なんて話している。
おこまとしては、これだけいっぱいになっても20銭しかならない、とぼやくしかない。

おこまが仕事から下宿に帰ると、おばさんが、「あなたの会社、評判が悪いみたいだから、早く辞めた方が得じゃない」とか言うが、
おこまは、今やめるのは寂しい、と思っている。
夜になっておばさんは、ラジオの“遊覧バスの名所案内”の放送を楽しみにし、おこまも一緒に聞く。

翌日、おこまは園田に、甲北バスでも名所案内をしたらどうだろうと相談し、それを受けて園田は社長の了解を得に行くことにした・・・

バスと言っても今では想像できない程のちゃっちい代物で、そのバスをおこまは、男と子連れの母親が乗っているというのに止めて、実家の母親に届け物をする。
そうかと言うと、バスからニワトリが逃げ出し、みんなで降りて捕まえたりする。
こののんびりさがたまらなく微笑ましい。

社長から“名所案内”の許可を得ると、ガイド・アナウンスの原稿を考えなければいけない。
それを、旅館に逗留している作家の井川に頼みに行く。
井川は気よく引き受け、原稿ができるとアナウンスの仕方まで伝授。
挙げ句の果てに、翌日、バスに乗り込んでの実地研修まで行う、張り切りよう。

物語は単純だが、井川は謝礼をいらないと言っていたのに、当然のごとくチャッカリ受け取ったりとか、
随所にユーモアある場面が散りばめてある。
一番は、勝見庸太郎の、太っ腹でお人好しそうで、どうも腹黒そうなところもありそうな社長が光っているし、
何しろ、この作品は17歳の高峰秀子が成瀬巳喜男とコンビを組んだ最初の作品である。
要は、今で言うアイドル映画の一種みたいな感じで楽しい。
その後高峰秀子は、成瀬巳喜男の後半の作品にかけて計16本も出演することになるのを考えると、大したものだとつくづく感心する。
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成瀬巳喜男・2~『噂の娘』

2020年01月30日 | 日本映画
『噂の娘』(成瀬巳喜男監督、1935年)を観た。

東京、下町の老舗である酒店。
店主の健吉は婿養子で、危機に瀕している今の灘屋の経営をやり繰りしている。
長女・邦江は、この店をどうにか立ち直らせようと、妻に先立たれている健吉と共に頑張っている。
この家族は他に、邦江からみて隠居した祖父と妹・紀美子がいて、店には使用人もいる。

邦江は和服が似合う古風な女性、片や妹の紀美子は洋服を着る今風のモダンな娘で、二人は腹違いである。

ある日、叔父が邦江の縁談話を持ってくる。
この縁談が上手くいけば経済的に助かるという思惑もあり、邦江は叔父と、それに紀美子も同行させて相手の佐藤新太郎と見合いをする・・・

父・健吉にはうどん屋の店を持たせている妾のお葉がいる。
お葉に好意を持っている邦江は、もし自分が結婚したら家を出て、その代わりにお葉が正妻となって家に入って欲しいと思っている。
だが、紀美子の方はお葉のことをよく思っていない。

邦江の縁談は、あらぬ事か、新太郎が妹の紀美子の方を気に入ってしまった。
そして、二人はこっそりと付き合い出していた。
邦江はそれを知らない。

昼間から店の酒を飲む祖父は、酒の味が落ちていると、飲むごとに言う。
祖父の味覚が鈍ったのか、それとも本当に灘屋の味が悪くなったのか。

このような話が絡んで、後半一気にクライマックスとなる。

邦江が二人の仲を知る瞬間。
水上バスに乗った邦江が、ふと見上げ、橋の上に紀美子と新太郎がいるのを目撃する。
その紀美子も川を行く船上の邦江に気づく。

そして、物語は終盤へと雪崩打つ。

叔父からの電話で、紀美子と新太郎のことを健吉が知る。
そこへお葉が家に来る。
健吉は、邦江に悪いだろうと、紀美子を問い詰める。
紀美子をお葉の前に連れて行く。
お葉が紀美子の母親だと明かされる。
ショックを受ける紀美子。

邦江が望んでいた、健吉と紀美子とお葉の3人が、この家で一緒に暮らしてほしいとの願いは崩れ去る。

そこへ、追い打ちを掛けるように、警官が訪ねてくる。
警官は、署まで健吉を連行しようとする。
酒に違法な混ぜ物をしていたことが発覚したのである。

灘屋という老舗が崩壊していく瞬間を、1時間以内でまとめ上げる成瀬巳喜男の手腕はただ者でない。
この作品の感想は、“真の傑作である”という一言しか見当たらない。
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成瀬巳喜男・1~『女優と詩人』

2020年01月29日 | 日本映画
『女優と詩人』(成瀬巳喜男監督、1935年)を観た。

東京の郊外。
詩人・月風(げっぷう)は童謡を書いているが売れず、女優である妻・千絵子の収入で暮らしている。
隣りには、保険会社員の夫と妻・お浜が住んでいる。
お浜は噂好きで、今日も月風の所にやって来て、「向かいに若い男女が越して来たので、挨拶の“引っ越し蕎麦“が来るだろう」と期待したりする。
近所のたばこ屋の二階には、これまた売れない作家の能勢(のせ)が住んでいて、月風と仲がいい。

千絵子の帰りが遅いある晩、お浜が来て、「夫が、一人で飲むのはつまらないから呼んで来てほしがっている」と月風に言う。
お浜の家で二人が飲んでいると、お浜が夫に「近所に越してきた若い夫婦の所へ今から保険を勧誘していらっしゃい」と言う。
夫は億劫がり、それでも渋々出掛けて行ったところ、意外にも契約があっさりと取れる。
気をよくした夫は、お浜にビールをどんどん持ってこさせる。

いつも妻に頭が上がらない月風は、酔って帰って来て、千絵子の写真に向かって悪態をついたりしていると、そこへ丁度彼女が帰ってくる。
千絵子は、嫌なものを見るようにして別室へ寝に行くのだった・・・

月風と千絵子。
隣りのお浜と亭主。
それに能勢。
この5人による、コミカルでユーモラスな家庭喜劇。

特に、
翌日、お浜が千絵子の芝居の初日キップほしさに、丼に入れたダイコンをお裾分けに来て、丼を返すのはいつでもいいと月風に言ったのに、
キップがないとわかると、丼を今すぐ返してちょうだい、と言う場面の面白さ。

そして、
芝居の初日が迫っているのにセリフをちっとも覚えられない千絵子が、月風相手に稽古をやり出す。
居候を絡めての夫婦ゲンカの場面。
そこへ能勢が訪ねて来て、その様子にビックリ。
理由がわかった能勢は、二階に居候させてほしいと月風に頼み、許可を得たので荷物を取りに行く。
その話を聞いた千絵子は怒り、大喧嘩。

荷物を取ってきた能勢は、それが先程の芝居の続き場面と思い、何事かと来たお浜と一緒に面白がって見物。
芝居と現実が同じ筋書きでの大ゲンカ。
それが可笑しくてしょうがない。

その後で、追い打ちをかけるように、
若い夫婦が心中事件を起こし、生命保険に入れたばっかしに損してしまうとお浜は夫と喧嘩する。
そこがまたまた可笑しい。

いずれにしてもラストは、すべてメデタシ、メデタシで微笑ましい。
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ジャック・ベッケル監督作品

2020年01月28日 | 目次・ジャック・ベッケル作品
1. ジャック・ベッケル・1~『幸福の設計』
2. ジャック・ベッケル・2~『エドワールとキャロリーヌ』
3. ジャック・ベッケル・3~『現金に手を出すな』
4. ジャック・ベッケル・4~『エストラパード街』
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ロベール・ブレッソン監督作品

2020年01月28日 | 目次・ロベール・ブレッソン作品
1. ロベール・ブレッソン・1~『ブローニュの森の貴婦人たち』
2. ロベール・ブレッソン・2~『田舎司祭の日記』
3. ロベール・ブレッソン・3~『スリ 〈掏摸〉』
4. ロベール・ブレッソン・4~『抵抗 -死刑囚の手記より-』
5. ロベール・ブレッソン・5~『バルタザールどこへ行く』
6. ロベール・ブレッソン・6~『少女ムシェット』
7. ロベール・ブレッソン・7~『ラルジャン』
8. ロベール・ブレッソン・8~『たぶん悪魔が』
9. ロベール・ブレッソン・9~『湖のランスロ』』
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イングマール・ベルイマン監督作品

2020年01月28日 | 目次・イングマール・ベルイマン作品
1. イングマール・ベルイマン・1~『沈黙』
2. イングマール・ベルイマン・2~『鏡の中にある如く』
3. イングマール・ベルイマン・3~『魔術師』
4. イングマール・ベルイマン・4~『不良少女モニカ』
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『リアル・フィクション』を観て

2020年01月26日 | 2000年代映画(外国)
『リアル・フィクション』(総監督キム・ギドク、2000年)を観た。

人通りが多い公園で、青年が電話ボックスの会話を盗聴しながら似顔絵を描いている。
描いた絵を下手だと破られたり、ショバ代を要求するチンピラに殴られても、反抗せずに黙々と描く。
その青年を、若い女がデジタル・カメラで撮影する。

撮影するカメラの女が青年を誘う。
行き先は小さな劇場で、そこには“もう1人の私”がいて、その男は青年の心の中に眠っている怒りや憎しみを蘇らせけしかける。
そして、青年に芽生えてきた暴力性をもとに、過去にひどい目にあわせた者たちを復讐するよう拳銃を渡す・・・

青年は、自分に屈辱を与え善良な庶民の生き血を吸う蚊のような奴らを殺害するため、街に出る。

憎悪と怒り。

花屋を営みながらその店の中で浮気をしている現在の恋人。
小さな漫画房を営むかつての恋人の、相手だった中国ヘビを輸入している男。
今は精肉店をしている、下士官訓練でいじめた軍隊の時の男。
冤罪である強姦罪で、毎晩蹴り続け拷問した刑事。
ショバ代を要求するため公園を縄張りとするチンピラの3人。
そして、なぜかカメラで撮影している若い女まで。

それらを次々と、殺しにかかる。

その後、青年はまた公園で絵を描く。
そこでは、ショバ代を要求するチンピラ3人が、それを払えないぬいぐるみ屋を殴り倒し、怒ったぬいぐるみ屋は一人を刺し殺す。
と、いうように映画的な現実とフィクションが交じり合い、その境目がわからなくなる。

この作品は、各々のシークエンスを12人の監督が担当し、それをわずか3時間20分で撮影させたという。
そうなると、内容的に雑でバラバラな作りではないかと観る前に不安が走ったが、脚本をキム・ギドクが担っているためか、違和感のない作品となっている。
そういう点も踏まえ、若干こじんまりとしているとは言え、さすがキム・ギドクだけあるな、と感心した。
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『オクジャ/okja』を観て

2020年01月25日 | 2010年代映画(外国)
動画配信のNetflix(ネットフリックス)で、『オクジャ/okja』(ポン・ジュノ監督、2017年)を観た。

アメリカの巨大企業であるミランド社。
“餌も排泄物も少なくて環境に良く、食べておいしい豚”であるスーパーピッグの繁殖に成功し、その26匹を世界中の畜産家に預ける。
そして、最高経営責任者であるルーシーは、最も優秀なスーパーピッグを決めるコンテストを10年後に開くことを宣言。

10年後、韓国の山深い一軒家。
少女ミジャは、スーパーピッグの“オクジャ”といつも一緒に行動し、他に家族としては祖父しかいないが平穏な日々を過ごしている。
そんな中、ミランド社の社員である叔父のムンドが、コンテスト審査員のウィルコックス博士を連れてやってくる。
オクジャを目にしたウィルコックス博士は、その容姿に惚れて即、オクジャの優勝を告げる。

そして、「スーパーピッグコンテスト」開催場のニューヨークに向けて、オクジャは連れ去られて行く。
そのオクジャを救うためにミジャは、必死に走り追いかけ・・・

ソウルにあるミランド社に行くミジャ。
ちょうどその時、トラックで無理やり運ばれていくオクジャの姿。
トラックの屋根に飛び乗るミジャ。
そこに現れる、謎の覆面集団。

このようにしてミジャによるオクジャの救出劇が始まる。
絡み、ミジャ同じようにオクジャを救おうとする覆面集団。
この集団、“ALF”という動物愛護団体で、40年に渡り動物を虐待から救ってきたいい人たち。

活劇は続く。
その中で、オクジャの母豚について、アリゾナ生まれで現在チリにいるというミランド社の情報は大嘘であることがわかってくる。
実体は、遺伝子組み換えでスーパーピッグが作られ、その食肉を事実どおり販売しても売れないために、それを隠し工作して消費者を騙そうとしている。

大量のスーパーピッグがニュージャージーの施設で精肉に加工されていく。
オクジャもそこに運び込まれ、あわやの危機一髪がクライマックス。

筋書きは案外と単純だが、カバに似た大きなスーパーピッグ“オクジャ”の愛らしくとぼけた感じのキャラクターが、作品全体を包み込み引きつける。
だから、ミジャのオクジャに対する気持ちもよく理解でき納得させられる。

人が生きていくために他の生物の命を奪う。
そのことを、食肉処理工場の場面を通して描写し、人間と動物との関係、ひいては巨大企業による資本主義社会のカラクリも考えさせるが、
全体としての印象は、単純に楽しめる作品だな、という思いだった。
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『成瀬巳喜男 映画の面影』を読んで

2020年01月19日 | 本(小説ほか)
『成瀬巳喜男 映画の面影』(川本三郎著、新潮選書:2014年刊)を読んだ。

“戦前の松竹では「小津は二人いらない」と言われ、戦後の東宝では名作を連打しながら、黒澤作品の添え物も撮った監督”
このように言われる成瀬巳喜男(1905~69年)の映画を、著者・川本三郎は全体を12章に分け本質を見極めようとする。

東京下町生まれの成瀬巳喜男は、父親が没落士族だったため家が貧しくて中学校に進めずに、技術者を育てる工手学校を出、
15歳で松竹蒲田に小道具係として入社する。
2年後に池田義信の助監督につくが、中々監督には昇進できず、入社から10年間下積みが続いた。
1930年にやっと監督デビューし、翌年ごろから認められていくが待遇は良くなかった。

1934年、東宝の前身であるPCLに移籍し、初トーキー映画を監督する。
翌年、『妻よ薔薇のやうに』を監督し、批評家から高い評価を受けて『キネマ旬報』ベスト1に選ばれる。
そのような職業監督としての成瀬の作品は、亡くなるまでに合計89本(サイレント24、トーキー65)にも及ぶ。
川本三郎はそれらの作品群の中から共通項を探り、成瀬の監督としての特徴を浮かび上がらせていく。

まずは、本人が貧乏を経験しているせいか、お金の話が多いということ。
それも男が女から金を借り、恋愛にまでお金の話が出てきて、金額さえ明確にする。

成瀬の映画は、大半が女性を主人公とした“女性映画”であり、ただ、恋愛物語を撮ってもメロドラマを描くことは苦手だったという。
そして、男女の組み合わせは、逞しく自立しようとする女性と頼りない男たちのパターンであったりする。

家庭を描く時、下町の個人店の設定が多い。
それは、一家みんなが貧しいながらも働いている姿が見えるからである。
その貧しい暮しをユーモアで包み込み、悲惨な状態としては捉えない。
また、作家・林芙美子とは作風の肌が余程合うのか、6本の原作を映画化している。

成瀬の作品では、美しい女優が常に出てくるが、『鰯雲』(1958年)では、その美しい女優にモンペ姿で野良仕事をさせる。
内容は、都市近郊の農村で起きている“壊れゆく家族”の様で、それを日常の出来事として捉えていく。
そして、それと絡めての恋愛映画とする。

『妻』(1953年)、『山の音』(1954年)、『乱れる』(1964年)ほか、作品には未亡人が多く登場する。
特に、戦争未亡人を設定することにより戦争の影を意識させるが、決して戦争そのものの作品は作らなかった。

『銀座化粧』(1951年)を代表するように、東京の昔ながらの下町の路地を舞台とし、そこに生活する庶民を描く。

『あらくれ』(1957年)は、成瀬の持ち味である叙情性からすると異色で、自立心の強い女性の流転の話で、
もっと、真の異色作として、暴れる女性としての『あにいもうと』(1953年)があるということ。

貧乏ギャグや子供ギャグを使ってのユーモアが、生活実態の微笑ましさを醸し出し、
そこでは、人の失敗を許し慈しみたいという、“弱者”への成瀬の思いが表されている。

川本三郎は、この他にも多くの作品を取り上げ、その内容を具体的に示して関連性を挙げていく。
そこにあるのは、著者の成瀬巳喜男に対する共感であり、その共感は二人に共通する“心のやさしさ”に基づいている。

ビデオレンタルが始まる以前は、旧作品の鑑賞方法は名画座でのリバイバル上映か自主上映、それかテレビ放映だけであった。
そんな中で、溝口健二、小津安二郎、黒澤明、木下恵介などはある程度観ることができたが、
成瀬巳喜男の作品となるとトント目にすることがなかった。
だから、成瀬作品は『あにいもうと』、『銀座化粧』、『浮雲』(1955年)ぐらいしか観た記憶がない。

残念なのは、『妻よ薔薇のやうに』は長い間ビデオに録画してあったが、題名が気に食わないと感じて観ずに消去してしまった。
今後ひょっとすると、もう、観るチャンスがないかもしれないと思うと、悔やまれてしかたがない。
いずれにしても、余裕ができた日には成瀬作品をまとめて観てみたいと、この本によって刺激を受けた。
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『パラサイト 半地下の家族』を観て

2020年01月16日 | 2010年代映画(外国)
『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ監督、2019年)を観た。

日の光も電波も弱い、半地下住宅で暮らすキム一家。
父のキム・ギテクはこれまでに度々事業に失敗しており、計画性も仕事もないが楽天的。
元ハンマー投げ選手の母チュンスクは、そんな不甲斐ない夫に強く当たっている。
息子のギウは大学受験に落ち続け、娘のギジョンは美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない。
しがない内職で日々を食いつないでいる貧しい彼らは、皆、普通の暮らしがしたいと願っていた。

ある日、ギウを訪ねて、受験を勝ち抜き今や名門大学生となった友人ミニョクがやってきて、留学する間、彼に代わって家庭教師をしないかと持ち掛ける。
受験経験は豊富だが学歴のないギウが向かったのは、IT企業の社長パク・ドンイクの自宅である、高台に佇むモダンな建築の大豪邸だった・・・
(Movie Walkerより一部抜粋)

新作なのでこれ以上筋を明かせないのが残念だけど、話の内容といい、テンポといい非常に面白く、スクリーンから一時も目が離せない。
コメディぽく話を進めて行き、それを観ている方はクスクスしながらそれがいつしかサスペンスとなる。
観客はただハラハラ・ドキドキ。トドメはアクション。
と、その物語り作りのうまさ。

折角このような作品を上映しているというのに、それを観ないとは勿体ないし、損じゃないだろうかと、つい人に勧めたくなる。
そして、カンヌ国際映画祭の最高賞“パルムドール”を受賞したことが当然だ、と納得する内容を作ったポン・ジュノに脱帽するしかなかった。
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