ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『ミナリ』を観て

2021年03月29日 | 2020年代映画(外国)
『ミナリ』(リー・アイザック・チョン監督、2020年)を観てきた。

1980年代、農業で成功することを夢みる韓国系移民のジェイコブは、アメリカのアーカンソー州の高原に家族と共に引っ越してきた。
荒れた土地とボロボロのトレーラーハウスを見た妻のモニカは、いつまでも少年心の夫の冒険に危険な匂いを感じるが、
しっかり者の長女アンと好奇心旺盛な弟のデビッドは新しい土地に希望を見つけていく。
まもなく毒舌で破天荒な祖母も加わり、デビッドと一風変わった絆を結ぶ。
だが、水が干上がり、作物は売れず、追い詰められた一家に思いもしない事態が立ち上がる・・・
(公式サイトより)

ジェイコブは、森の空き地にあるトレーラーハウスを拠点として、その空き地を韓国野菜の畑にしようと夢見る。
片や、妻のモニカは、幼い息子のデビッドが心臓を患っていることもあって、都会に住みたいと不満いっぱいである。
そんな将来に対する考えの違う夫婦が、それでも何とかこのアメリカの地でやって行こうとする。
モニカの妥協点は、韓国にいる自分の母親スンジャを一緒に住まわせること。

スンジャがやって来て、ちぐはぐした感じだった孫のデビッドとの交流がほんの少しずつ流れる。
スンジャは、アンとデビッドを連れて森の中へ入って行き、小川を見つける。
そしてその小川に、韓国から持ってに来た種でセリを育てようとする。
このセリが、題名としての韓国語「ミナリ」となっている。

そのメリハリの効いた映像の中で、妻モニカの生活に対する苛立ち、夫の野菜畑を作る情熱、
畑作りを手伝う風変わりな隣人のポール、祖母スンジャと孫のアン、デビッドの営みが映し出される。
中でも、幼いデビッドの自然体の演技がうまくて微笑ましい。

韓国系移民のジェイコブ一家が、アメリカにおいて生活を安定させようと努力する物語。
その内容は共感を持って応援してしまうが、ただ残念なことに、結末に向かっての物語の想定がついてしまって、
ストーリーそのものが平坦に思えた分、中弛みを感じてしまう。
それさえなければ、素晴らしい感じの作品だと思った。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ノマドランド』を観て

2021年03月28日 | 2020年代映画(外国)
『ノマドランド』(クロエ・ジャオ監督、2020年)を観てきた。

リーマンショックのあおりを受けて、長年住み慣れたネバダ州の住処を失った60代のファーン。
彼女はキャンピングカーにすべての思い出を詰め込んで、車上生活者=現代のノマド(遊牧民)として過酷な季節労働の現場を渡り歩くことを決意する。
行く先々で出会うノマドたちと心の交流を深め、一日一日を懸命に乗り越えながら、誇りを持って生きる彼女の自由な旅は続いていく。
(MOVIE WALKER PRESSより)

工場閉鎖の後、もう誰もいなくなったその地からファーンはキャンピングカーでの生活を選び、去る。
その胸のうちには、亡くした夫への想いの傷も秘めている。
といっても、ギリギリのやりくりのため、行く先々で仕事を探さなければならない。
それはアマゾンでの仕分けだったり、国立公園のキャンプ場での掃除であったりする。
そして切り詰めるために、特に大事なのはキャンピングカーの駐車料金の負担をいかに少なくするかということ。

ファーンと同じような高齢のノマドは予想外に多く、貧しくてもその個々人は一定の集団としてユートピアの雰囲気も醸し出している。
この作品は、そのような生活の、他人との出会いや又会うための別れを一見ストーリーらしさもなく淡々と描く。
と言っても、ファーンに細やかな想いを寄せるデイブや、車のトラブルによって修理費用を工面するために姉に会いに行ったりしての起伏はある。

キャンピングカーによるノマドとしての生活。
原作がノンフィクションと言うこともあってか、この作品はファーンとデイブ以外、実際のノマドの人たちの登場人物によって成り立っていて、
その自然体の物の考え方や生き方は説得力が強い。
それはつい、いつしか観ている側も共感し同化してしまうことになる。

人生における悲しみや喪失感、それらを抱かえながらも他人に束縛されず自分なりの生き方でやってみる。
それを演じるファーン役のフランシス・マクドーマンド。
『ファーゴ』(ジョエル&イーサン・コーエン監督、1996年)の、お腹の大きい妊婦の警察署長が印象深く、あれから随分と年を取ったなと思うけど、
やはりその存在感には敬服する。
そんなことも絡みながら、何かの時にはフッとこの作品を記憶から蘇らさせては寄り添うように慈しみたいと思わずにはいられない。
そしてこの作品の監督が、アメリカで活動しているとしてもまだ40歳にもならない中国人であることに感嘆するばかりである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グラウベル・ローシャ・3~『バラベント』

2021年03月14日 | 1960年代映画(外国)
『バラベント』(グラウベル・ローシャ監督、1962年)を観た。

ブラジルのバイーヤ沿岸で暮らす黒人漁師たち。
その祖先はアフリカから奴隷として連れて来られ、子孫たちは今も黒人密教を崇拝、悲劇的かつ運命論的な神秘主義に囚われ、
神の国を待つ人々特有の従順さで貧困、文盲、搾取などを受け入れている。
イエマンジャーは海の女神でイレースの母、漁師たちを守り、時には罰を下す海の支配者。
“バラベント”とは大地と海が一変し、愛や生活や社会が変貌する激しい瞬間のこと。

と、タイトルの後に字幕が出る。

村の男は都会に出ても仕事はなく、できることは魚を捕ることだけである。
その地引き網漁は網元の親方に支配されていて、村人は食べていけるのがやっとの状態である。

警察に追われ破壊活動分子と思われているフィルミノが都会から村にやって来る。
以前、村人から彼はのけ者にされたが、今は恨んではいなく、反対に彼らを憐れな連中と思っている。
そして、村を親方の支配から解放しようと考える。

フィルミノは、親方が都会から連れてきて育てた青年アルーアンを、親方の言いなりで服従するだけだと感じている。
彼は祈祷師の所へ行き、アルーアンと網に呪文を唱えてくれるよう依頼する。

親方一味は漁の配分が不満ならと網を撤収する。
それを受けてアルーアンは、危険ないかだで魚を捕ろうと海の中を進める。

呪文は失敗し、アルーアンが無事海から帰ってくる。
フィルミノは、アルーアンが女神に護られて神様扱いになるのを恐れて企む。
そして、海が荒れるのはアルーアンが霊を怒らせたからだと煽動する。

二人は対決し、フィルミノは、最後にアルーアンに見逃してやるから同胞を救えと言い、
そこにいる皆にアルーアンに従えと言う。

漁師は網で魚を捕るのが正道だと、アルーアンは都会で働いて網を買って皆の暮らしを変えようと決心する。

因習、民間信仰が深く絡まって、それに合わせての太鼓と合唱などの土着音楽。
物語の筋は、恋愛も絡まっていても多少の単純さが物足りないが、それをはねのける程の得も言われぬ独特のモノクロが、
圧倒的な力強さで画面いっぱいに醸し出されて満足十分の作品であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする