ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『ソウルの春』を観て

2024年08月31日 | 2020年代映画(外国)

『ソウルの春』(キム・ソンス監督、2023年)を観てきた。

1979年10月26日、独裁者とも言われた大韓民国大統領が、自らの側近に暗殺された。
国中に衝撃が走るとともに、民主化を期待する国民の声は日に日に高まってゆく。
しかし、暗殺事件の合同捜査本部長に就任したチョン・ドゥグァン保安司令官は、陸軍内の秘密組織“ハナ会”の将校たちを率い、
新たな独裁者として君臨すべく、同年12月12日にクーデターを決行する。

一方、高潔な軍人として知られる首都警備司令官イ・テシンは、部下の中にハナ会のメンバーが潜む圧倒的不利な状況の中、
自らの軍人としての信念に基づき“反逆者”チョン・ドゥグァンの暴走を食い止めるべく立ち上がる・・・
(オフィシャルサイトより)

9代大統領の朴正煕が暗殺された後の、イ・テシン首都警備司令官とチョン・ドゥグァン国軍保安司令官がメインの政治劇。
フィクションなのだが歴史的実話を基にしているので、首都警備司令官は張泰玩(チャン・テワン)であり国軍保安司令官は全斗煥(チョン・ドゥファン)となる。

そして、12月12日の夕方からの“ハナ会”を率いての全斗煥の軍事反乱。
正規軍と反乱軍によるソウル攻防。その時間は9時間ほど。
それをこの作品は、アクションシーンをほとんど使わずに緊迫した会話劇で一気に突き進む。

映画の中で、チョン・ドゥグァンの「失敗すれば反逆罪!成功すれば革命だ!」という言葉。
皮肉なことに歴史は、全斗煥の革命が成功したということになって行く。

当時、全斗煥のクーデターニュースを耳にしても韓国の深い実情は知らず、今回、このようなことが起きていたのかと改めて勉強になった。
当然その後、1980年5月の学生・市民の民主化要求に対する武力弾圧“光州事件”となって行くわけだが、そのことも詳しくは知らない。
それらに関する韓国映画もあることだし、これをキッカケに韓国の現代史を知ってみたいと感じた。

この作品に関して欲を言えば、クーデターを起こすほどのチョン・ドゥグァン保安司令官なのでその役ファン・ジョンミンが、もっとドス暗い内面を秘める演技をすると、
ヒシヒシと迫る威圧感と凄みが表現され、圧倒的な存在感が醸し出されるのではないかと感じた。

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グザヴィエ・ドラン・3~『わたしはロランス』

2024年08月26日 | 2010年代映画(外国)

『わたしはロランス』(グザヴィエ・ドラン監督、2012年)を観た。

カナダ・モントリオール。
国語教師をしながら小説を書いているロランスは、35歳の誕生日を迎え、交際相手のフレッドにある告白をする。
それは、自分の身体の性に違和感を持っており女性になりたいと思っているということだった。
この告白にショックを受けたフレッドは、これまでに二人が築いてきたものが偽りであるかのように思えてしまい、ロランスを非難する。
しかしかけがえのない存在であるロランスを失うのを恐れ、フレッドはロランスの良き理解者となることを決意。
ロランスに女性の立場からメイクなどについてアドバイスするが、モントリオールの田舎町では偏見を持たれ、彼らに対する風当たりは強かった・・・
(MOVIE WALKER PRESSより)

カミングアウトするということ。
女性になりたい願望のロランスはフレッドにそのことを打ち明ける。
ただ、ロランスはその願望があっても男性を好きになるわけではなく、女性のフレッドを深く愛している。
ショックを受けるフレッドはロランスを愛するがうえに理解者として努力する。
しかし、女装したロランスに世間の目は冷たい。
それが故に、ロランスは職を失い、やがてフレッドはうつ病となっていく。

やがて二人は別れ、ロランスは理解者シャルロットを得、フレッドは彼氏アルベールと結婚しレオを産む。
そんなロランスとフレッドだが、内心の愛は変わらない。
再会した二人の、雪積もるケベック州の小島“イル・オ・ノワール”への逃避行。

ロランスは自分に正直でありたいのに、フレッドはロランスを男として愛したい。
その葛藤故にまたしても別れ。
数年後、再びバーで再会する二人だったがそこでも口論になり、それが決定打となり、秋の気配の中、完全に別々の道を歩み出す。

ラストでの、1987年の二人の出会いのシーン。
あれから時は経ち、もうすぐ21世紀、その長きに渡るロランスとフレッドの愛の軌道。

作品は2時間50分近くの長さがあるが、その間退屈さを感じさせない。
要所要所に現れるビジュアル化された映像とか、二人の言い合いにおける素早いカメラの動き。
二人が感情を露わにするロランス役のメルビル・プポーとフレッド役のスザンヌ・クレマンの心情表現の凄さ。

監督のグザヴィエ・ドランは、自身が“ゲイ”であることを自認していることもあってか、感情の機微の表し方がとても20代前半の人間とは思えないほど卓越している。
この作品はとても重要だと感じるので、再度機会を見つけて観てみたいと思う。

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『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』を観て

2024年08月03日 | 2020年代映画(外国)

『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』(グレッグ・バーランティ監督、2024年)を観てきた。

1969年、アメリカ。
人類初の月面着陸を目指す国家的プロジェクト「アポロ計画」の開始から8年が過ぎ、失敗続きのNASAに対して国民の関心は薄れつつあった。
ニクソン大統領の側近モーは悲惨な状況を打開するべく、PRマーケティングのプロフェッショナルであるケリーをNASAに雇用させる。
ケリーは月面着陸に携わるスタッフにそっくりな役者たちをメディアに登場させて偽のイメージ戦略を仕掛けていくが、
NASAの発射責任者コールはそんな彼女のやり方に反発する。
ケリーのPR作戦によって月面着陸が全世界の注目を集めるなか、「月面着陸のフェイク映像を撮影する」という前代未聞の極秘ミッションがケリーに告げられる・・・
(映画.comより)

60年代末までに人類初の月面着陸を成功させると、ケネディ大統領が掲げたアポロ計画。
映画は、そのアポロ計画中のアポロ11号にまつわる事柄を、実は極秘でフェイク映像も撮影していたという内容に置き換えたコメディタッチの作品。
そして、ケリーとコールを中心とした二人のラブストーリーは、よくあるアメリカ映画そのものらしい雰囲気。
クライマックスにあたるフェイク映像で行くか実映像で行くかとなる肝心な重要場面では、少し手抜き過ぎているんじゃないかと思うけど、
まあそれもいいかと認めてしまう、そんな中々面白い作品だった。

それにしても実際問題として不思議なのは、当時ソ連と宇宙飛行競争をしていたとしても、現在の段階で再度月面着陸して月の調査をしようとしないことの疑問。
勿論、莫大な国家予算が必要だとしても、あれから50年以上経った今では飛躍的に科学技術は進歩しているはずである。
それを行なおうとしないから、アポロ11号の月面着陸は、この作品を含めフェイク映像でどうのこうの、あれは嘘で、捏造されたと主張される所以だと思う。

これに関連して、映画『カプリコン・1』(ピーター・ハイアムズ監督、1977年)を思い出す。
有人火星探査宇宙船にまつわる話で、ロケットの打ち上げ寸前に故障が発覚。
関係当局は大掛かりなセットを組んで、人類初の火星着陸の中継映像を捏造するというもの。
随分と昔に観たが、あの作品は傑作で面白かったと今でも認識している。

 

コメント (2)
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