ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

マルセル・カルネ・6〜『嘆きのテレーズ』

2017年10月28日 | 1950年代映画(外国)
『嘆きのテレーズ』(マルセル・カルネ監督、1953年)を観る。

フランスのリヨン。
裏町の布地店のテレーズは、気弱なくせに傲慢な夫カミーユと、この息子を溺愛する義母に挟まれて、冷たく暗い日常生活を送っている。
ある日、貨物駅に勤めるカミーユは、イタリア人でトラック運転手のローランと知り合い、意気投合して酔い、ローランに家まで送ってもらう。

それ以後、カミーユの家に出入りするようになったローランは、テレーズの立場を知れば知るほど、彼女に惹かれていった。
そして、思いつめたローランは駆落ちを迫る。が、テレーズの方は躊躇し・・・

幼い頃に両親が亡くなった後、面倒を叔母にみてもらっていたテレーズ。
カミーユとは元々一緒に住んでいた従兄妹関係で、テレーズとしては単に妻になっただけの間柄。 
だから、家政婦のような生活に、店の手伝い。
何事にも興味を失って、毎日を淡々とこなすだけのテレーズ。
そこに現れたのが、逞しく男らしいローランだから、テレーズの気持ちもぐらつく。

そのテレーズをシモーヌ・シニョレが、無表情に近い表現で、諦めとやるせなさを表す。

日々に嫌気がさしているテレーズは、叔母親子に恩もあって苦悩するが、とうとう夫に別れを切り出す。
半狂乱になる夫。
カミーユは、テレーズの気持ちを変えさせようするが、それも無駄となると一つの案を思いつく。

パリ行きの列車に一緒に乗り込んだ、カミーユとテレーズ。
それに気付き、その列車に追いつき乗り込んでくるローラン。

その後半の、息も付かせない緊張感の成り行き。
そのサスペンス感が堪らない。
もうこうなると、ラストまでノンストップ。

思い出話になるが、この映画は昔、どうしても観たかった作品の一つだった。
ある時、自主上映グループが、上映してくれてやっと目にすることができた。
その時の感動は、今でも甦るものがある。

特にラストで、午後5時に教会の鐘が鳴るなか、ホテルのメイドが手紙を持ってポストに向かうところ。
二人の運命を決する、このシーンはそうそう簡単に忘れられるものではない。
だから私にとって、“カルネ”と言えば『嘆きのテレーズ』が一番となってしまう。

因みに、上映してくれたグループは後に、独自路線のミニシアターとして現在に至る、「名古屋シネマテーク」であることを付記しておきたい。
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マルセル・カルネ・5〜『天井桟敷の人々』

2017年10月25日 | 戦前・戦中映画(外国)
あの有名な『天井桟敷の人々』(マルセル・カルネ監督、1945年)を再度観た。

第1部、“犯罪大通り”
ヒュナンビュル座の前で余興を楽しんでいたガランスを、パントタイム役者のバティストは、一目で恋い焦がれてしまう。
しかし内気な彼は、ガランスを手に入れる機会を逃がし、そのガランスは野心に燃える役者フレデリックと一夜を過ごす。
片や、劇団座長の娘ナタリーはバティストを愛しているが、バティストがその気になってくれない。

舞台に立つガランスを観た大富豪の紳士モントレー伯爵は、彼女を見そめ、何かあったら連絡してほしいと名刺を渡し・・・

泥棒から人殺しまでする詩人らしきラスネール、何かいかがわしそうな商人のジェリコほか、いろいろな人がいて、
この話には、それぞれの人生模様が一杯、あちこちに散りばめられている。

第2部、“白い男”
あれから、数年が流れて。

物語りは、バティストとガランスの恋愛に絞られてくる。
バティストはナタリーと結婚し、子もいる。
ガランスは、モントレー伯爵と一緒になっていても、バティストが忘れられずにパリに戻ってくる。
パリに戻ったガランスは、人気になっているバティストのパントタイムをひっそりと見に来る。

この辺りからのバティストとガランスの、二人の心情を思うと、映像からひと時も目が離せなくなる。凄い。
その凄いと思う感覚は、作品の全体を包む台詞からも身に染みて湧きあがってくる。
そこには、ジャック・プレヴェールの脚本が、詩的に、文学的要素を含みながら余すところなく発揮されている。

それに加えて、バティスト役のジャン=ルイ・バローのパントタイム。若くはなくても、ガランス役のアルレッティ。
そのほかの役者のそれぞれの個性。
目を瞠るオープンセットと、その膨大な人のエキストラ。

これが第二次世界大戦のさなかに作られたと考えると、やはり、フランス映画史上に残る名作と言われるだけあると納得する。
しかし昔、この作品が有名であるということで身構えて観た時、素晴らしいなと感じても、いまいち、最高峰の映画という認識には至らなかった。
今回、観直して感じることは、映画史上の頂点だとのことに一応同意しても、今後も幾度も観なければ、本当の真の価値がわからないではないかと言うこと。
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マルセル・カルネ・4〜『陽は昇る』

2017年10月24日 | 戦前・戦中映画(外国)
『陽は昇る』(マルセル・カルネ監督、1939年)を観た。

6階建てのアパートの最上階室から、突然、銃声がする。
撃たれた男が、よろよろと部屋から出てきて階段を転げ落ち、死ぬ。
通報を受けた警官が部屋のドアをノックすると、中にいる男フランソワは、威嚇射撃した後、そこに閉じこもる。

警察がアパートを包囲する。
警察と対峙するフランソワは、これまでの出来事を回想していく・・・

フランソワが働いている工場へ、若い女が花束を届けにやってくる。
名は、花屋に勤めているフランソワーズ。
同じ名で、共に、孤児として施設で育ったという境遇に共感するフランソワ。
フランソワはフランソワーズに夢中になり、フランソワーズもフランソワを愛する。

しかしフランソワーズにはヴァレンティンという手品師の相手がいて、ヴァレンティンもフランソワーズを好いている。
そのヴァレンティンには、元々クララという愛人がいる。
クララは、ヴァレンティンに捨てられた腹いせに、フランソワを誘惑する。

二組の男女。その間での、複雑に感情が絡み合った恋の駆け引き。
ただし、内容としては至って単純で、その分、作品に深みが伴わない。

フランソワがヴァレンティンを撃つ。
つい我を忘れてしまって、そうしたということか。
ただ一般的には、逆上したとしても動機が薄過ぎるのではないか。
もっとも、カミュの『異邦人』のように“太陽がまぶしかったので殺人を犯した”という、不条理の世界に照らせば、一概に動機をうんぬん言えないかもしれない。

ラスト。
ジリジリといつまでも鳴る目覚まし時計を、止めてくれる人がどこにもいない。
「詩的リアリズム」作品と言われるカルネの世界。
ここにも、それが表れている。
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マルセル・カルネ・3〜『北ホテル』

2017年10月22日 | 戦前・戦中映画(外国)
『北ホテル』(マルセル・カルネ監督、1938年)を観る。

パリ、サン・マルタン運河沿いの北ホテル。
夜、ホテルの食堂では客が集まり、にぎやかに宴会をしている。
そこへ若い男女が部屋を求めて訪ねてきた。
二階の一室へ案内されたピエールとルネは世をはかなみ、ピストルで心中しようと決心している。

ピエールがルネを射つ。
ベットに倒れたままのルネを見て、ピエールは呆然とする。
隣の部屋で銃声を聞いた男エドモンは、何事が起きたかと、部屋に入ってくる。
そして、ピストルを向け動転しているピエールに、エドモンは“逃げるよう”目で指示する。
ホテルから逃走し、ピストルも捨てたピエールは、鉄道の陸橋から身を投げようとする・・・

愛し合っている、失業中のピエールと孤児のルネ。
二人の、世のなかへの絶望。
そして、死によるこの世からの自由への渇望。
しかしピエールは、自殺もできず自首し、片や、ルネも輸血手術で一命を取りとめる。

回復し、手荷物を取りに北ホテルへルネが来る。
お礼を言い、行く宛てもないルネに、ホテルの夫婦は「ここで手伝ってくれないか」と、手を差し伸べる。

ルネが収監先のピエールに面会に行く。
ピエールは、自殺から逃げたということに自責の念に囚われている。
ルネがいくらピエールを庇っても、彼は、二人の仲はこれまで、と頑なに言ってきかない。

傷心のルネ。そのルネに、労わるように話しかけるエドモン。
エドモンは、射たれたルネを見たその時から、内心、彼女に心を奪われている。
愛を信じ切っていたルネは、過去を振り切ろうとする。
そして、過去を持つエドモンに、どこか知らない土地に連れてってほしいとせがむ。

全身、愁いを帯びたままのルネ。、そのルネ役の“アナベラ”。
このアナベラを見ていると、どんなことでもいいから手助けし、彼女のためにどうにかしてやりたいと思ってしまう。
そんなこちらの気持ちを、影のあるエドモン役の“ルイ・ジューヴェ”が代弁してくれる。
この作品、実にいいなぁと思う。無茶苦茶いい、すごいと思う。

内容は、ピエールとルネ、それに絡むエドモンの話が中心のように思えても、
この北ホテルに関連する客のエピソードもいろいろあって、そのことが作品に深みを増している。

この作品は、何度も観れば観るほど益々味が出る、そのようなカルネのまさしく代表作であった。
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ルネ・クレール・6〜『奥様は魔女』

2017年10月19日 | 戦前・戦中映画(外国)
ルネ・クレール監督がハリウッドに渡って撮った作品、『奥様は魔女』(1942年)を観た。

17世紀後半のアメリカ。
ジェニファーと父ダニエルは魔女狩りの刑で火あぶりとなり、その灰の上に植えた樫の木によって魔力も封印された。
しかしジェニファーは、刑の前、自分たちを告発したジョナサン・ウーリーに復讐するため、
今後代々、ウーリー家の男たちが結婚してもうまくいかず、不幸な目にあうよう呪いをかけていた。

270年経た1942年の現在。
知事選に立候補しているウーリー家の当主ウォレスは、新聞社長の娘エステルとの結婚を明日に控えていた。
稲光りするその時、雷が丁度樫の木に落ち、ジェニファーとダニエルは晴れて自由の身となる・・・

恋の駆け引きのコメディ。

ジェニファーは、ウォレスに婚約者エステルがいるのに、復讐のため、
“男にとって一番の不幸は、結婚が叶わぬ女に恋をすること” それには、魔女の自分に恋をさせようと考える。
その手段は、ウォレスに“ほれ薬”を飲ませること。
だがうっかり、その薬を、ジェニファーが気絶した時にウォレスから飲まされてしまう。

そうなると、さあ大変。
魔女の方がウォレスに恋してしまい、好きで好きでしょうがなく、一緒にもなりたい。
そのやり取りが、観ていて、とぼけた感じもあって可笑しく、楽しい。
そして、ジェニファー役のヴェロニカ・レイクの魔女っぷりが、可愛い気があって何ともいえない。
そればかりか、ラストのハッピーエンドもいい雰囲気で、つい笑ってしまう。

作りとしては軽い感じがあっても、さすがルネ・クレールはツボを押えたまとまりのある、いい作品に仕上げている。
後にテレビシリーズ化された原点である、と言われるだけあって、成程と、これまた無条件に納得してしまう。
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ルネ・クレール・5〜『自由を我等に』

2017年10月17日 | 戦前・戦中映画(外国)
『自由を我等に』(ルネ・クレール監督、1931年)を再度観た。

刑務所からの脱獄を企てていたルイとエミールは、ルイだけが運よく逃げおおせた。
その後ルイは、露店のレコード売りから始まり、ビル内でのレコード・蓄音機の店主、そして今では、蓄音機製造の大会社社長となっている。

一方、漸くのこと、刑期を終えたエミールが野原で自由を謳歌していると、“働くことは義務であり、働くことで自由が手に入る。遊んでいてはいかん”と、
また留置場に放り込まれてしまった。

悲観したエミールは、外からの美しい歌声を聴いてから首を吊ろうと、窓格子に縄を結んだ。
が、格子がはずれてしまい、エミールは脱出する。
逃亡した先の通りの家に、あの魅せられた声の若い娘ジャンヌがいて・・・

歌ありドタバタありの、社会風刺コメディ。

ジャンヌにひと目惚れしたエミールが、求職の列に潜り込んで行った所が、なんと、ルイの蓄音機製造会社。
その工場内で、エミールとルイが再会。
地位を築いたルイはエミールがたかるのを警戒するが、所詮は、刑務所の大の友達同士。

社長のルイがエミールの恋に一役買い、相手のジャンヌも愛想よくしてくれるが、彼女には恋人がいてその気じゃない。
そこが何とも言えないほど、可笑しい。

そんなドタバタでありながら、この作品の風刺は鋭い。
工場内は、ベルトコンベヤ・システムによるオートメーション化。
もたもたしていると、単純な作業なのにベルトが進んで行ってしまう。

観るとわかるように、この辺りはチャップリンの『モダン・タイムス』を連想する。
ただし、『モダン・タイムス』は1936年の作品であり、チャップリンがルネ・クレールの作品をパクったと非難されても、それはしょうがない。
だから当時、製作会社はチャップリンを告訴。
しかし、ルネ・クレールが「尊敬するチャップリンに、私のアイデアを使用されることは誠に光栄です」とコメントし、チャップリンが勝訴したという。

優れた芸術家が、優れた芸術家の作品からヒントを得る。
その結果、偉大な作品が生まれる、それの典型的な例がここにあると思う。

人間性疎外を笑いの中で痛烈に批判し、そして、ラストに至って、おおらかな人間性謳歌をするこの映画は、文句なしの第一級の作品であると思う。
それが証拠に、キネマ旬報の外国映画ベストテンでも当時の第一位となっている。
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ジャック・フェデー・2〜『女だけの都』

2017年10月15日 | 戦前・戦中映画(外国)
『女だけの都』(ジャック・フェデー監督、1935年)を、久し振りに観た。

1616年。
フランドル地方の小さな町ボーム。
町は、明日の祭りの準備に大忙し。
そんな中、ジャン・ブリューゲルは、町長たち幹部の肖像画を描いている。

ジャンと町長の娘シスカは相思相愛の中。
しかし、肉屋である助役が、是非シスカが欲しいと町長に言い寄る。
町長はその気になるが、片や、町長の妻はジャンとシスカを一緒にさせたいと思っている。

そこへ突然、スペインの使者が現れる。
「オリヴァレス公爵が護衛隊を伴ってボームに滞在するから、歓迎の準備をするように」・・・

さあ、大変である。
何しろ町の人は、以前の、スペイン軍による残虐な殺戮が頭から忘れられない。
だから、町長以下、町の幹部はどう対応したらよいかわからない。
そこで町長が考えたことは、“町長が亡くなったので、町が喪に伏しているという案”
よって、スペイン軍は、この町を何事もなくそのまま通過してくれるだろうという想い。

いよいよ、公爵以下の軍隊がボームに到着する。
ビビっている町長以下幹部の男を尻目に、町長夫人たち、女が立ち上る。

女たちの策略、それは何事にも友好的に、手厚いもてなしをすること。

女たちが行う、心のこもった接待の数々。
相手を知ってみれば、なんということはない、多少の羽目を外したとしても、全く紳士としての男たちである。
女たちも、不甲斐ない亭主たちを尻目に、多いにこの日を楽しむ。
その陰で、男たちは隠れてオロオロするだけ。

皮肉たっぷりで、無条件で女性たちに拍手がしたくなる面白さ。
なんと言っても、町長夫人である“フランソワーズ・ロゼー”の立ち振る舞いが素晴らしい。

ロゼーの夫である、ジャック・フェデー。
この監督、ジャック・フェデーはベルギーの人である。
だからその当時の、フランドル地方の町の造りの、よく考えられたセットが目を瞠るほど素晴らしい。
それに実在の画家ブリューゲルも、役作りの一環として話を面白くしている。

ジャック・フェデーの代表作と言えば、当然入ってくるこの作品。
女性の芯の強さ、したたかさを教えてくれる最良の物語である。
昭和10年のこの頃、日本の女性に対する捉え方を考えると、このような女性上位は想像すら出来なかったじゃないか。
そのように考える、おおらかで先進的な作品である。
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ジャック・フェデー・1〜『外人部隊』

2017年10月13日 | 戦前・戦中映画(外国)
『外人部隊』(ジャック・フェデー監督、1933年)をまた観た。

パリ。
ピエール・マルテル(ミュレール)は、恋人フローランスのために、マルテル一族の会社の大金を使い込んでいた。
そのことが発覚し、伯父は、会社がその負債を肩代わりする条件として、ピエールを国外に出すことに決める。

ピエールはフローランスに、遠いどこかへ一緒に行こうと説得するが、彼女は同行を渋る。

北アフリカの外人部隊。
部隊が久し振りに行軍から帰って来る。
宿屋で休息することが唯一の楽しみの、疲れ切ったピエール。
しかしその後で、面倒を起こして監禁の罰を受けるはめになる。

刑が明けたピエールは、同部屋で親友ニコラと酒場へ繰り出す。
たまたまその酒場で歌っていたのが、イルマ。
ピエールには、イルマがまさしく、別れたフローランスにしか見えなくて・・・

ニコラは言う。「部隊に来て、過去を帳消しにする権利を買っている」
人それぞれに、他人にはしゃべりたくない過去を持っている。
ピエールは、フローランスを断ち切ったつもりでいても、その面影に悶々としている。
偶然出会ったイルマ。
ピエールは、瞬く間にイルマを愛し、イルマも恋に落ちる。

しかし、ピエールの運命は定められている。
それは、宿屋の女将ブランシュの占い。
悲しいかな、ピエールのその後は、占いに導かれるように。

後に、幸運を掴み、何事にもイルマと幸せに過ごせるはずとなっても、それを運命のごとく無にすることは、普通一般では到底考えられない。
人はそれ程までに、過去の相手に引きずられるのだろうか。

特異だと思うからこそ、ピエールのとる行動が、強烈な印象となり鮮明に残る。
そしてラスト・シーンの、宿屋の女将を演じる“フランソワーズ・ロゼー”が床に崩れ落ちるところと併せて。

この作品は、『モロッコ』(ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督、1930年)と共にと言うか、それ以上の名作中の名作だと私は思っている。
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ルネ・クレール・4〜『幽霊西へ行く』

2017年10月11日 | 戦前・戦中映画(外国)
再びルネ・クレール監督で、『幽霊西へ行く』(1935年)を観る。

スコットランドがイングランドと戦っていた頃の18世紀。
スコットランドの、グローリー家とマクラガン家は宿敵の仲だった。
グローリー城主は、息子のマードックがマクラガン家に一矢報いることを託して死ぬ。
しかしマードックは、戦さより女性が大好き。
そんな彼は、味方の大砲に当たってあっけなく死んでしまう。

一家の宿願を果たせなかったマードックは、天国へ行くことも許されず、幽霊となってグローリー城内に留まるはめになる。

200年後。
今のグローリー城主ドナルドは、城の維持に借金だらけで苦労している。
そこへ、アメリカの食品王マーティンの娘ペギーが来て、この城を多いに気に入る。
借金の返済を催促されているドナルドは、とうとう、マーティンに城を売ることを決心する。

ところが、マーティンはこの城を解体してフロリダに持っていくと言う。
ドナルドは反対するが、ペギーに恋心を抱いているので、乞われた城の再建工事の総監督を承諾し、アメリカに同行するはめになる。
驚くことに、城から離れられずにいる幽霊のマードックまで、いつしか船に乗って来てしまって・・・

天真爛漫なペギーは、ドナルドが気に入っている。
ただドナルドが、幽霊のマードックとそっくりなために、ペギーは幽霊を見てもドナルドと勘違いしてしまう。

ドナルドとマードックは、一人二役で“ロバート・ドーナット”が演じる。
このロバート・ドーナットは、ヒッチコックの『三十九夜』(1935年)の主演で馴染み深い人。
その彼による二人で会話する場面は、その当時、トリックとしてよくできていたと思うし、その技術はやはり凄いんじゃないかと感心する。

映画を観ていて、楽しいと思うこと。それを教えてくれるのが、この作品。

グローリー城には幽霊がいるらしいとわかっても、マーティンにとっては、そのことがハクが付くとプラス思考。
この幽霊のことでマスコミは勿論、アメリカ、イギリス議会を巻き込んでの議論の的になる。
それを、商魂たくましいアメリカ人が宣伝力として応用する。それが可笑しくって微笑ましい。

マーティンの商売の競争相手のビグロウ氏も出てきて、結果、そのビグロウ氏はマクラガン家の末裔だという話。
だからマードックは、ビグロウ氏に対しグローリー家への侮辱を謝罪させる使命を果たして、めでたく天国へ行くことになる。
ドナルドとペギーも、ハッピーエンド。

この作品の、ラストまでいく流れを書いてしまったが、古典作品の場合、大抵は内容を知っていても当然という場合が多いと思う。
それでも、淘汰されずにいる作品は、やはり何度観ても味わい深いと思っている。
私の場合、十代の若かった頃、船でマードックが現れるシーンを今だに憶えていたりすることと関連して。
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マルセル・カルネ・2〜『霧の波止場』

2017年10月08日 | 戦前・戦中映画(外国)
『霧の波止場』(マルセル・カルネ監督、1938年)を観る。

舞台はフランスの港町、ル・アーブル。
霧の夜道を歩いていた外人部隊の兵ジャンは、途中、トラックに乗せてもらって港に着く。
金も泊まる所もないジャンは、偶然知り合った浮浪者に、岸辺にわびしくポツンと建って人気もない酒場、“パナマズ”に案内してもらう。
食べ物を提供してくれる亭主と一緒に、ジャンが隣りの部屋に入ると、そこには、若い女性ネリーが窓の外を見ていて・・・

兵隊のジャンは、その雰囲気から脱走兵である。
だから、港から外国へ逃亡しようと考えている。
翌朝、港をぶらついていると、“明日の夕方にベネズエラ行きの船がある”ことをジャンは知る。
おまけに運がいいことに、“パナマズ”にいた、自殺願望の画家ミシェルが服や靴、パスポートを残して入水する。

片や、17歳のネリーは、小物店を営む養父ザベルの所から自由になりたい。

うす寒暗そうな雰囲気の港で、後ろめたい兵隊と孤独な少女が愛し合うようになる。
大メロドラマ。ジャン・ギャバンとミシェル・モルガンの相思相愛の劇。

そこに、店の用心棒のリュシアンが何かとからむ。
物語の筋書きが、うまい。
そればかりか、ジャンにいつも付いて回るのら犬が、いい味で効果を発揮する。

ラスト。倒れたジャンに向かって、ネリーが叫ぶ、「ジャン!」
そこへ、船の汽笛。犬が走る・・・

観ていて、しびれるほどのカタルシス。
もう、ムチャクチャいい。最高である。

船の汽笛と言えば、関連で、どうしても『望郷』(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、1937年)のラストを思い出してしまう。
汽船の甲板に立つギャビーに向かって、岸のペペ・ル・モコが叫ぶ、「ギャビー!」
しかしその声は、汽笛によってかき消され、ギャビーには届かない。

デュヴィヴィエ作品には、『商船テナシチー』(1934年)もあり、近々、取り上げていこうと思っている。
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