ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『鉄くず拾いの物語』を観て

2017年05月31日 | 2010年代映画(外国)
レンタル店で『鉄くず拾いの物語』(ダニス・タノヴィッチ監督、2013年)を借りてきた。
ダニス・タノヴィッチといえば、『ノー・マンズ・ランド』( 2001年)の監督である。だから当然に、期待が膨らむ。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナに暮らすロマの一家は、貧しくも幸福な日々を送っていた。
ある日、3人目の子供を身ごもる妻・セナダは激しい腹痛に襲われ病院に行く。
そこで医師から今すぐに手術をしなければ危険な状態だと、夫・ナジフに告げられた。
しかし保険証を持っていないために、 鉄くず拾いで生計を立てている彼らにはとうてい支払うことのできない手術代を要求される。
妻の手術を懇願するも病院側は受け入れを拒否。
「なぜ神様は貧しい者ばかりを苦しめるのだ」と嘆きながら、ただ家に帰るしかなかった・・・
(オフィシャルサイトより)

物語は至ってシンプルである。
場所は、寒々と雪が残っているロマの家族が住んでいる辺鄙な村。
妻が流産し、お腹の胎児は掻爬しなければならない。
しかし、保険証がないために手術代の大金が払えない。
病院としては、お金が払えなければ手術はしないと言う。
「せめて、分割でも払わせてほしい」と、夫が懇願しても拒否される。
身に危険が及ぶことが、それも切羽詰まっている状態であるのに、ビジネスとして処理されていく。

タノヴィッチ監督は、保険証を持っていないロマの一家が、命が危険な状態にあるにも関わらず、
費用を支払えないことを理由に診察を拒否されたという事実を新聞で知り、この実情を訴えるために映画化しようとした言う。

それに絡んで、時間的制約もあって劇映画でありながら、実際の人物が映画の中で本人の役を演じる形の再現ドラマとして、
脚本もなく、この事件の詳細をドキュメンタリー・タッチで9日間の撮影で仕上げる。
そして、当然のことながら、ほとんどの場面は実際の場所で撮られたという。

監督は言う。
「その意図するところは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの差別を示すことです。
社会について、あらゆる種類の疎外や差別について、私たちは議論を促すだけでなく被害者の置かれた状態を感情的に理解し、
“自分たちはどんな人間になってしまったのか”を自身に問うために、この話を描かなければならないと思いました」

「ボスニアにいるロマの人々は、90%以上が正式に雇用されていません。
ボスニアに暮らすロマの人たちは、この映画のセナダさんのように、多くの人が病院に行けない状況におかれています。
また、ロマだからというわけではなく、雇用がない貧しい家庭の家族には、ボスニアでは誰にでもありうる事です」

「互いに理解しようとしない、違う視点を理解したくないという意識が、さまざまな問題の原因になっているではないでしょうか。
私たちは制度のためにあるのか、それとも制度が私たちのためにあるのか、そもそものところを問いかけたいと思います」

この作品は2013年ベルリン国際映画祭で、銀熊賞(審査員グランプリと主演男優賞のダブル受賞)を受賞。
わずか日本円で230万円ほどで作られた映画が、世界で脚光を浴び、無名の素人が主演男優賞を受賞するという快挙を成し遂げ、
そして、忘れられないイメージを与えてくれるのが、どこにでもありそうな幼い二人の少女の仕草である。
再現ドラマと安っぽくは言えない、濃厚な日常が垣間見える印象強い作品であった。
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「山口敬之氏」に関連するメモ書き

2017年05月30日 | 社会一般
山口敬之氏のスキャンダルについて、メモしながら整理しておきたいと思う。
言葉としてスキャンダルがいいのかは、よくわからないが。

山口敬之氏の職歴。
1990年4月、TBSに入社。
2013年からワシントン支局長。
2015年4月にワシントン支局長を解任。
2016年5月にTBSを退社。
以後、フリーランスのジャーナリスト。
2016年6月に『総理』を上梓。

※ 安倍政権ご用立てのジャーナリストとして有名。

2017年5月、2015年4月の準強姦疑惑が「週刊新潮」で報道される。
その内容は、
2015年4月3日に、ある女性が山口氏と面会し、翌朝レイプの被害に遭ったという。
(具体的内容は省略)

4月30日、高輪署で告発状を受理。
6月8日、山口氏を逮捕しようと成田空港に行った捜査員から「上からの指示で逮捕できなかった」との情報。
8月26日、山口氏、書類送検される。
翌年2016年7月22日、「第三者の目撃やビデオなど直接的な証拠がないと(起訴が)難しい」と、嫌疑不十分で不起訴処分。

では先の、「上からの指示」という、指示した人物は誰か。

中村格(いたる)警視庁刑事部長(当時)。
中村格氏の職歴。
1986年に警察庁に入庁。
民主党政権時代に官房長官の秘書官を務める。
2012年12月、自民党に政権移行するが、2015年3月23日までそのまま官房長官の秘書官を続投。
菅官房長官から、将来の警察庁長官とまで称される。
2015年3月23日から2016年8月22日まで、警視庁刑事部長。
2016年8月22日から、警察庁刑事局組織犯罪対策部長。
共謀罪の法案が成立すれば、摘発を統括する部署はまさしくここになる予定。

今年5月10日、山口氏は自身のフェイスブックで、「私は法に触れる事は一切していない」、
「当局の厳正な調査の結果、違法な行為がなかったという最終的な結論が出ている」などと、週刊新潮の報道に反論。
この投稿に、安倍首相夫人・昭恵氏が「いいね!」を押す。
これに対して、ネット上で炎上。
昭恵氏、「いいね!しただけで、あんなに責めなくてもね(笑い)」。
安倍首相、「まぁ昭恵もね、悪名は無名に勝るっていうしね(笑い)」。

週刊新潮が山口氏に対して質問状を送ったところ、山口氏が相談のため北村滋・内閣情報官に転送しようとして、そのメールを週刊新潮に誤送信。
北村滋・内閣情報官とは。
名実ともに安倍首相の懐刀で、内閣情報調査室のトップを5年も務めたベテラン。

昨日の5月29日、被害女性が検察の不起訴処分を不服として、検察審査会に審査を申し立て。
その後で、女性が「結果が私にとって受け入れられるものではなかった。捜査で不審に思う点もあった」と不服申し立ての理由を、実名で記者会見。
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懐かしの曲・2〜『ひき潮』

2017年05月26日 | 音楽
昨日に続いての、懐かしの曲。
前回がアルパだったので、その関連でハープ曲。
曲は『ひき潮』。
1953年、ロバート・マックスウェル自身の作曲、そして演奏。

Ebb Tide - Robert Maxwell, His Harp And Orchestra
コメント (2)
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懐かしの曲・1〜『カスカ-ダ』(ディグノ・ガルシア)

2017年05月25日 | 音楽
毎年のことになるが、気候が良くなってくると映画から遠ざかってしまう。
観たい作品がないわけではない。
それでも足が向かわなくなるのは、自分としてはやはり良くないことだなと思ったりする。

そんな思いのなか、昔、夢中になった曲がやたらと懐かしくなったりする。
というわけで、今でも持っているレコードの、気になる曲をYouTubeで探してみた。

曲は、パラグァイのアルパ名手・ディグノ・ガルシアの『カスカーダ』。
題は「滝」の意味で、1952年のアルパ(インディアン・ハープ)の大ヒット曲。

Cascada - Digno García


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『暗黒街の弾痕』を観て

2017年05月10日 | 戦前・戦中映画(外国)
購入したままで、置きっぱなしの『暗黒街の弾痕』(フリッツ・ラング監督、1937年)を観てみた。

法律事務所の秘書をしているジョーは、結婚するのを姉から反対されている。
その相手のエディ・テイラーが出所し、出迎えるジョー。
二人は早速結婚し、新婚旅行に出かける。
しかし、行った先の宿屋の主人に、エディが前科者であると気付かれて宿から追い出されてしまう。

それに追い打ちをかけるように、エディは、トラック運転手として働き始めた運送会社からもクビにされる。
そのことを知らないジョーは、気に入った郊外の家を買う決心をし、引っ越しを始める。
エディはどうにかして職を見つけようと必死になるが、どこも前科者には冷たい。

雨の日。
現金輸送車が銀行に到着した時、毒ガスマスクの強盗に襲撃される。
翌日の新聞記事に、現場に落ちていた帽子にはエディの頭文字が入っていると出て・・・

刑務所を出たばかりのエディーは、将来に向かって希望に燃えている。
片や、新妻となったジョーも新生活に夢を馳せる。
祝福されるべきはずの二人。
しかし現実は、偏見のある人々が二人の思いを壊していく。

無実の罪でのエディーの投獄。
冤罪。
となれば、人間の心理状態は、他人に対してどのようになるのか。
真犯人が判明して、信頼している神父の説得にエディーはどう立ち向かったか。

世の中、世間は、このようにして善良な男女を、本当の犯罪者に駆りたてる。
そして、悲劇は邁進する。

エディーを演じる若き日のヘンリー・フォンダがいい。
ヘンリー・フォンダだから、普通の若者が状況しだいで凶悪犯になっていっても不思議でない、と思わせる説得力がある。

ネタは、ボニー&クライド。
実在のボニーとクライドは、『俺達に明日はない』(アーサー・ペン監督、1967年)のイメージが近いとすると、エディとジョーの本作は善人そのものである。
だから、作品としては別物と考えたほうがいいのではないか。
それでも、ナチの恐怖から亡命したドイツの巨匠ラングがアメリカでこれを作り、古典的名作だと言われれば、今観ても納得してしまう説得力は十分にある。
古典と名がつく作品は、後にできる作品を評価する基準を知るうえでも、やはり目にしておくべきだと再認識をした。
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