ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

イングマール・ベルイマン・3~『魔術師』

2019年10月17日 | 1950年代映画(外国)
『魔術師』(イングマール・ベルイマン監督、1958年)を観た。

1846年。
旅芸人のヴォーグレル魔術一座が馬車で森の中を行く。
一行は、座長のヴォーグレル、彼の祖母、男装して弟子のアマンと名乗るヴォーグレルの妻、助手テューバル、それに馭者のシムソン、の五人。
異様な雰囲気のなかを行く途中、男が道に倒れていて、馬車に乗せる。
男は、元役者ユーハン・スペーゲルと名乗り、酒で身を持ち崩し自殺願望があった。

なおも行く一行は、警吏たちに怪しまれて領事エーゲルマンの館に連行される。
館には領主のほか、警察署長のスダルベックと医師ヴェルゲールスがいて、口のきけないヴォーグレルを尋問し、彼の魔術を怪しむ。
警察署長はヴォーグレルに“磁力魔術”の興行許可を与えるが、「明日の日中、館で出し物を見せるよう」言う。
そして今夜はこの館に泊まり外出しないよう命令する・・・

“現代科学の前で神秘は存在するか”
その神秘は行き着くところ、神の存在があるかまで関係してくる。
それを領主たち三人は、ヴォーグレル一座にかこつけて秘かに賭けをする。
領主のエーゲルマンは肯定するが、医師、警察署長は真っ向から神秘=魔術を信用しておらず、ヴォーグレルの化けの皮がはがして嘲笑しようとする。

この作品には、“コメディ”と副題が付いているという。
しかしベルイマンの作る作品は、例のごとく重々しく、決して軽くはない。
それでも、いろいろな恋のモーションを見せることによって多少の明るさはある。

料理番のソフィーアは助手テューバルを誘うし、侍女サーラは馭者シムソンに愛を仕向ける。
そして、子供を亡くした領主エーゲルマンの妻は、淋しさと欲求不満からヴォーグレルを誘惑しようとする。
このような事柄も絡み合って物語は、翌日となる。

警察署長スダルベックは、魔術の舞台裏をさらけ出しヴォーグレルに屈辱を与える。
だがヴォーグレルも、催眠術の誘導によってスダルベック夫人が夫を蔑んでいることを告白させたりする。
それに続く出し物が引き金となって、話はクライマックスへと雪崩打っていく。

二重三重の演劇的構築と言えるストーリー。
それに被さる光と影を用いたコントラストな白黒映像。
強烈に引き込まれるこのような作品ながら、若干、筋の運びに弱さも見え隠れする。
元役者ユーハン・スペーゲルは、途中部屋に現れるまでどこにいたのか。
死んだふりをしたヴォーグレルがユーハン・スペーゲルの死体と入れ替わったとしても、
医師ヴェルゲールスは死体の顔に被せてある布をめくれば、それは誰であるかわかるではないか。
そのような疑問に答えてくれたならばこの作品は傑作と言ってもいいと思う。
コメント (2)
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『ジョーカー』を観て

2019年10月16日 | 2010年代映画(外国)
『ジョーカー』(トッド・フィリップス監督、2019年)を観てきた。

“ゴッサム・シティ”の街は、市衛生局のストでゴミが大量に散乱している状態である。
ピエロ派遣会社所属のアーサー・フレックは、商店の店じまいセール宣伝中に、ストリートギャングの若者から看板を奪われる。
アーサーは必死になって追いつくが、袋叩きに遭ってしまう。
看板を壊されたアーサーは経営者から責められて落ち込み、そのアーサーに同僚のランドルが身を護るためにと、拳銃を渡す。

小児病棟での仕事の時、アーサーはうっかり拳銃を床に落としてしまい、そのために解雇されてしまう。
しょげるアーサーが乗った地下鉄の中では、三人のビジネスマンが若い女性に絡んでいた。
アーサーはそれを制止しようとし、逆に、寄ってたかって暴力を受けて、咄嗟に拳銃を取り出す。
そして彼は、三人を射殺してしまう・・・

「一人の孤独な男が、いかにして“ジョーカー”として巨大な悪のカリスマへと変貌するにいたったか」との謳い文句。
“ジョーカー”とは、勿論、バットマンの宿敵の名。
なぜ、善良で気弱なアーサー・フレックが、社会の外的環境によって“ジョーカー”となるのかが綴られる。

アーサーは、脳神経に損傷を受けていて、緊張すると意思に関係なく突然笑いだしてしまう発作を持っている。
病弱な母親と二人暮らしの彼は、貧困に怯えながらも人々を笑顔にしようと、コメディアンを目指している。
だが、社会の不寛容がアーサーを追い詰めていく。

財政難を抱えた市は、社会保障費を削減する。
そのために、アーサーが受けていたカウンセラーと向精神薬の処方も打ち切られ、格差社会がアーサーを益々追いやる。

この作品は、当然架空であるが、その背景は正しく現在に通じる。
そもそもアーサーの発作は、小さい時の虐待が原因となっている。
一部の富裕層と大勢の貧困層。
アーサーは、殺人を犯すことによって貧困層のヒーローとなって行き、“ジョーカー”となる。
この“ジョーカー”役のホアキン・フェニックスが素晴らしい。
と言うか、真に迫っていて、我知らず感情移入させられてしまう。

久々に、これこそ傑作と言える作品と出会えたと思っている。
なお余談だが、何の説明もないが、後にバットマンになる少年ブルース・ウェインも出てきて、この作品の奥深さに感心した。
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