ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『セールスマン』を観て

2017年06月30日 | 2010年代映画(外国)
やっと、『セールスマン』(アスガー・ファルハディ監督、2016年)を観てきた。

教師のエマッドは妻ラナとともに小さな劇団に所属し、上演を間近に控えたアーサー・ミラー原作の舞台『セールスマンの死』の稽古に忙しい。
そんななか、思いがけないことで住む家を失った夫婦は劇団仲間が紹介してくれたアパートに移り住むことに。
慌ただしく引っ越し作業を終え、『セールスマンの死』の初日を迎えた夜。

ひと足早く劇場から帰宅したラナが侵入者に襲われ、この事件以降、夫婦の生活は一変する。
包帯を巻いた痛々しい姿で帰宅したラナは精神的にもダメージを負い、めっきり口数が少なくなった。
一方、エマッドは犯人を捕まえるために「警察に行こう」とラナを説得するが、表沙汰にしたくない彼女は頑なに拒み続ける。
立ち直れないラナと、やり場のない苛立ちを募らせるエマッドの感情はすれ違い、夫婦仲は険悪になっていく・・・
(Movie Walkerより抜粋)

カンヌ国際映画祭で2冠に輝き、アカデミー賞でも「外国語映画賞」を受賞したこの作品は見逃せないな、と春先から決心していた。
と言いながら、あらすじなどの予備知識はなし。
あるのは、『別離』(2011年)の監督ファルハディが作る作品に不満が出るはずはない、との思いだけ。

観だして、この作品は、イランの住宅事情に関する話になっていくのか、それとも『セールスマンの死』に絡んだ内容なのか、
方向付けの見当が付かず、ひょっとして退屈な思いをするのではないかと不安がよぎる。

が、劇場から帰ったラナがシャワーを浴びようとするところに鳴るインターフォンの場面から、なぜか緊張感が走る。
夫が帰ってきたと勘違いしたラナは、ドアを開けてそのままに。
その隙間のあいたままのドアに、次に起こるであろうことの何気ない暗示。

映画の方向性が定まってくる。

後は、エマッドとラナの微妙な感情のやり取りや周囲の人々の関係性に、グイグイと引き込まれていく。
特に、ラナの身の上に起こったことに、ラナが頑なでいること。
映画は、その事件の内容については何も言わないが、明らかに何が起こったのかは想像できる。
ラナの態度は、イスラムとしての社会性があるとしても、女性としての共通した心理であるような気もする。

この作品の凄いところは、後半はエマッドによる犯人探しの体でありながら、
そこに描かれる内容は、人間の普遍的な感情、これだけは他人に知ってほしくはない、特に身近な者にはどうしても隠しておきたい心理を、
畳みかけるようにあぶり出し、剥き出しにしていくところ。

『別離』が上映された当時、10年に一度ぐらいしか出会わない究極の作品だと私は思ったが、この『セールスマン』もその評価に恥じない作品だと感じる。
第一、これ程までに徹底して人物描写できる映画監督はそうそういるものではない。
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懐かしの曲・3〜『コーヒー・ルンバ』

2017年06月27日 | 音楽
上映されたら絶対行かなくちゃと思っていた作品が、今上映されている。
しかし、どうした訳か映画館に足が向かない。ちょっと、まずいなぁとの意識はある。
そればかりか、DVDで観た作品も途中まで記事を書いて、ほったらかし。

なので気分転換に、懐かしの曲。
やっぱり、アルパと言えば『コーヒー・ルンバ』(ベネズエラ、1958年)。
作曲はホセ・マンソ・ペローニ。そして演奏は、作曲者の甥のウーゴ・ブランコ。

この曲を始めて聞いた時の、何とも言えない新鮮な驚きが今だに印象に残っている。
衝撃と言ったらいいのか。
しかしよく考えると、カバー版の西田佐知子の歌とウーゴ・ブランコでは、どちらを先に聞いたのかは漠然としている。

時は過ぎて、今ではコーヒーの自販機でこの曲が流れたりして、本当に息の長い曲だなとニンマリしてしまう。

下は、YouTubeより拝借。
Moliendo Cafe :Hugo Blanco / コーヒー・ルンバ :ウーゴ・ブランコ
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『トンネル 闇に鎖(とざ)された男』を観て

2017年06月14日 | 2010年代映画(外国)
韓国映画 『トンネル 闇に鎖された男』(キム・ソンフン監督、2016年)を観た。

自動車ディーラーのジョンスは大きな契約を成功させ、妻セヒョンと娘が待つ家へ帰ろうと車で向かっていた。
しかし、車が山中のトンネルに差し掛かると、突然頭上から轟音が鳴り響き、尋常じゃない揺れがジョンスを襲う。
ジョンスの脳裏に不安がよぎった瞬間、トンネルは崩壊し、車ごと生き埋めになってしまう。

ジョンスが目を覚ますと、周囲は巨大なコンクリートの残骸に囲まれていた。
手元にあるのはバッテリー残量78%の携帯電話、2本のペットボトルの水、そして娘への誕生日ケーキだけだった。
一方、トンネル崩落のニュースは瞬く間に国内に広がり、救助隊長のキムらが現場に駆け付ける。
しかし、その惨状は想像を遥かに超えていた・・・
(Movie Walkerより)

ガソリンスタンドから走らせての間もなくのトンネル。
入ったと思ったら異常な音とともに間髪を入れずの崩壊。
余分な能書きがない分、観客は観だしてすぐにパニックを追体験させられてしまう。
そして主人公は、如何に?と続く。

片や、トンネルの外ではマスコミが群がっている。
そうか、今ではドローンを使ったりするのかと、その報道方法に感心させられる。
しかし話が進むと、ことの原因が露わになってくる。
開通してからまだ一か月しか経っていないのに事故。
要は、トンネルの手抜き工事である。
これでは事故に遭遇した者にとっては、命の問題であるからたまったものではない。

ボーリングによる救出作戦が始まるが、これまた、思わぬ位置の間違いによるミス。
救出の希望が閉ざされた時、ジョンスの心理状態はどうなるか。
まさしく誰しもが、そうとしか思えない絶望感。
この絶望感に陥った夫に、妻セヒョンが投げかける言葉は胸に響いて思わず涙が出てしまう。
夫婦の重い愛情の証。

ジョンスにとって希望の命綱は、外部とのやり取りができる携帯電話。
その携帯電話も、いずれバッテリーが切れてしまう。
外部の人間にとって、連絡が途絶えた者が20何日も生存している可能性は考えられなくなってくる。
そうなってくると、世論を背にした政府のエゴがむき出しになってくる。
一人の救出活動と、第二トンネルの工事中止による損害とどちらが重要かという問題である。

この映画の優れている点は、政府やマスコミに対して、随所にさりげない風刺が効いていて、
なお且つ、パニックの最中にユーモアも入れて、観客の心を和ませる。
実際問題として、人間がこんなに長く生きられるかということは別にして、
そこには、これがわずか二作目となるキム・ソンフン監督の卓越した才能が伺える。

それに加えて、出演者がいい。
中でも、夫を想い疲れて絶望の淵に立たされる妻役のペ・ドゥナがとってもいい。
もっとも私としては、韓国女優はこのペ・ドゥナぐらいしか知らないが、
彼女が出演した『リンダ リンダ リンダ』(山下敦弘監督、2005年)を観た時から、印象深いこの人に惹かれている。

この作品は、娯楽を超えた、第一級の大いに満足のいく映画であった。
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『サラエヴォの銃声』を観て

2017年06月10日 | 2010年代映画(外国)
『サラエヴォの銃声』(ダニス・タノヴィッチ監督、2016年)を観てから、だいぶん日にちが経つ。
前回の記事、同監督作品の『鉄くず拾いの物語』から日を開けずにレビューを書き出してみたが、途中放棄になってしまった作品である。

サラエヴォのホテル“ホテル・ヨーロッパ”は、第一次世界大戦のきっかけとなったサラエヴォ事件から100年の記念式典を行うための準備に追われていた。
その日、ホテルにはさまざまな人たちが集っていた。
仕事熱心な美しい受付主任、屋上で戦争と結果についてインタビューするジャーナリスト、100年前の暗殺者と同じ名を持つ謎の男、
演説の練習をするVIP、ストライキを企てる従業員たちとそれを阻止しようとする支配人・・・。
(公式サイトより)

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ。
1914年に発生したサラエボ事件。
セルビアの青年がオーストリア皇太子夫妻を暗殺し、それをきっかけとして第一次大戦が勃発していく。

事件の概略を多少知っていても、私には、事の背景となるセルビアとオーストリアの関係について疎い。
しかし、当事国の人には当然というか、当時の時代背景などは常識の範疇だろうから、この映画には具体的には描かれない。
正直に言って観る側は、その当時から現在に至るまでの知識がないと、深く理解することが難しいのではないか。
と言う訳で、私の場合、言わんとすることにわかったような気になっても、実際は何も理解できていないと思っている。

それに加えて映画は、舞台となるホテルで、サラエボ事件から100周年目のメモリアル・デイに様々な人々が行き交う。
そればかりか同時進行的に、賃金の不払いに不服を唱える従業員がストライキを企てている。
このように内容は、一筋縄ではいかない。
おまけに、「記念式典が行われる予定の高級ホテルで一発の銃声が響き、招待客や従業員たちの運命が大きく交錯していく」という
キャッチコピーが作品の内容を捉えていない。
銃声はあくまで一つのエピソードの内だから、誤ったイメージのキャッチコピーと言わざるを得ない。

私としては、『鉄くず拾いの物語』が分かり易く素直に感激できた反面、この作品は荷が重過ぎたと言わざるを得なかった。
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