ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『沈黙 -サイレンス-』を観て

2017年01月25日 | 2010年代映画(外国)
『沈黙 -サイレンス-』(マーティン・スコセッシ監督、2016年)を早速、観た。

17世紀、江戸初期。
幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。
日本で捕えられ棄教したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは、日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。
日本にたどりついた彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、その中で弾圧を逃れた“隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会う。
それも束の間、幕府の取締りは厳しさを増し・・・
(公式サイトより一部抜粋)

30歳の頃、遠藤周作のこの小説を読み、当時、想像もしなかったような衝撃を受けて、その印象が今も残っている。
だから、これだけは観ておきたいと思った。

“隠れキリシタン”に対する、長崎奉行が行う現状を、目の当りにするポルトガル人宣教師・ロドリゴとガルペ。
物語は、そのロドリゴの視点から神の存在を問う。
当然、この作品は娯楽と一線を画する。そして、内容は重く深い。
ということは、観客は受動的ばかりではなく、後で、このことについて少しでも考えなければと思わせる内容である。

「踏み絵」を踏むということ。それは、自分の信仰の主体を踏みにじる行為。棄教・・・。
自分が転ばないために、他人が残酷で悲惨な犠牲になるということの意味は何か。
その時の神の存在。
そして「神の沈黙」。
残酷な、このような状態の時に、なぜ、神は沈黙をしているのか。

究極のこの時、実は、神は沈黙をしているのではなく「沈黙の声」を上げて、信じる人に寄り添っているのではないか、との心の悟り。
やはり、そのテーマは重厚で、この作品はこのようなことを、じんわりと味わえる内容となっている。

しかし、私にとって残念だったのは、期待が先走ってしまって気負い過ぎた結果、本来の映画的評価がわからなくなってしまった。
としても、やはり『タクシードライバー』(1976年)から始まりそれ以降の作品を思い浮かべる時、この力作作品に対し、監督のスコセッシに敬意を表さずにいられない。
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『この世界の片隅に』を観て

2017年01月22日 | 日本映画
観よう観ようと思っていた『この世界の片隅に』(片渕須直監督、2016年)を、やっと観た。

昭和19年、18歳の少女・すずは生まれ故郷の広島市江波を離れ、日本一の軍港のある街・呉に嫁いできた。
戦争が進み様々な物が不足していく中、すずは工夫をこらして食事を作っていく。
やがて日本海軍の根拠地であるため呉は何度も空襲に遭い、いつも庭先から眺めていた軍艦が燃え、街は破壊され灰燼に帰していく。
すずが大切に思っていた身近なものたちが奪われていくが、日々の営みは続く。
そして昭和20年の夏を迎え・・・
(Movie Walkerより)

物語は、小学校低学年のすずが、広島市中心部の町に海苔を届けるためのおつかいに出かけるところから始まって、
すずと夫・周作が、原爆後の戦災孤児の少女と出会い、連れ帰って養子にする覚悟を決めるまでを描く。

視点は、すずの日常生活が主になっている。
このすずの、のほほんとして、おっとりした性格が心地よい。
こんな人が、身近にいたら無条件に大好きになるなと思いながら、映像に成り行きを任してしまう。

時代は戦争末期に向かう。
だけれども、すずのけなげな日々の生き方を見ていると、悲惨なはずの背景がなぜかそうでもないようにも錯覚してしまう。
それほど、すずという人は愛くるしいし、そして、当時の人々は案外このような感じで日常を送っていたのではないかと思う。

でも、シビアによくよく考えてみると、すずの人物像の好もしさは、声を担当している“のん”の力量が大ではないか。
そもそもこの作品は、すずのモノローグによる、すずからの日常の視点が描かれている。
違う人がこの声をやったとしたら、ここまですずのイメージが出来たかどうか。
そう考えると、この映画は“のん”がすべてと、私は思う。

正直に言って、この映画は優れた作品だと認めたとしても、私は、さほど感動できなかった。
キネマ旬報が邦画ベスト・ワンにしていることを考えてみると、そのギャップは何だろう。
勝手な解釈をすれば、戦争そのものが背景とはなっているけれど、そんなに悲惨そうにみえないこと。
そのことがテーマを重苦しくしてなくて、だから、観客に受け入れやすいのではないか。
あくまでも、すずという一個人から見た物語だから。
それが、作り手、ひいては原作者の視点だとも思う。

変な異議をしても、やはり、こういう作品はたくさんの人が観てくれればいいな、と心から思う。
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『幸せなひとりぼっち』を観て

2017年01月20日 | 2010年代映画(外国)
『幸せなひとりぼっち』(ハンネス・ホルム監督、2015年)を観た。

妻を亡くした独り者のオーヴェ、59歳。
かつて地区会長を務めたこともある彼は、頑固で偏屈なおじさん。
そして、近所の人々には規律の厳しい人間。
地域の治安を守るため、誰からも望まれていないのに、共同住宅地を監視し見回りをするのが日課。

ある日、オーヴェは43年間務めてきた鉄道局から、突然クビを宣告されてしまう。
家に帰った彼の脳裏によぎるのは、今は亡き妻の面影。
孤独に耐え切れなくなった彼は、自殺しようと自宅の天井にロープをかける。
しかしその時、隣りの家に引越してきたイラン人・パルヴァネ一家の騒がしい声がする。
その一家の車がオーヴェの家の郵便受けにぶつかって、自殺どころではなくなってしまう。
オーヴェは外へ飛び出すと、烈火のごとく怒り・・・

このイッコクな変わっているおじさんのオーヴェ。
普通、偏屈なおじさんがいたら、煙たくって近づくのも避けるのに、
ここに出て来る人たちは、不思議なことになんやかんやと相談や頼み事をしたりする。
特に、妊婦でもあるパルヴァネなんかは、オーヴェの偏屈さをものともせず、ドンドン依頼する。
オーヴェの方も、無愛想に、ぶつぶつ文句を言いながらそれでも対応し、観ていてその姿に、こちらまで和んできたりする。
その、律儀というか人の良さが表れた、このギャップがまた微笑ましい。

オーヴェは何度も自殺したがる。
亡き妻・ソーニャの元に行きたくって仕様がないのだ。
しかし、何かと邪魔が入ったりして、ちっとも死なしてもらえない。
そこが何ともいえず、可笑しかったりする。

若い頃の、ソーニャとの出会い、その後の結婚。
人を好きになり愛することの、エピソードがとってもいい。
オーヴェって、こんなに不器用でも、根は正直者で、正義感が強いのだ。
この人って本当にいい人だなと、観ていて、いつしか心が温まってくる。

ラストの、オーヴェの笑顔。
この笑顔が人生のすべてを語っていて、良かったねオーヴェ、と拍手を送りたくなる。
そんな、ほのぼのとした心持ちにさせてくれる、とってもいい映画だった。
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『ヒトラーの忘れもの』を観て

2017年01月17日 | 2010年代映画(外国)
題名がまた「ヒトラー」かと思いながら、今回のアカデミー賞外国語映画賞のデンマーク代表ということもあって、
その興味から『ヒトラーの忘れもの』(マーチン・サントフリート監督、2015年)を観た。

1945年5月、デンマークはナチスドイツの占領から解放される。
しかし、デンマークの海岸線には、連合軍の上陸を防ぐためにドイツ軍が埋めた、200万個以上の地雷が残されている。
この無数の地雷を除去するために、捕虜であるドイツ兵たちが動員される。
監督に当たるラスムスン軍曹は、彼らがほとんど地雷を扱ったことのない少年兵であることに驚くが、
容赦なく暴力、罵声を浴びせる・・・

地雷を見つけ出すために、這いつくばって、広大な白い浜辺に棒きれを突き刺す。
そして、見つけた地雷から信管を抜き取る。
防御方法もない、正に、死と背中合わせの作業を黙々とする。
少年たちは、飢えに苦しみながらも、除去作業がすべて終わって祖国に帰れる日に希望を託す。
だが仲間は、突然の地雷暴発で、一人また一人と命を落としていく。

ラスムスンにとっては、憎むべきナチスの残党としての少年兵であるが、
その少年たちとの日常の関わりにおいて、
彼らが地雷除去に取り組む寡黙な姿や、仲間をかばい労わる心情を目の当りにし、徐々に接し方が変化していく。
しかしその感情は、一筋縄にはいかない。

この映画には、戦争そのものや戦闘場面は現れない。
が、戦後処理を通じて、戦争とは何かを鋭く告発する。

相手国兵の、それもただ単に戦争に駆りだされたと思われる少年兵に、その罪を償わせることの意味とは何か。

本来、人間は、見知らぬ間柄であっても、知ってしまえば十分に信頼関係が芽生えるはずである。
それを戦争を起こした国どうしは、敵対関係として、相手国の人間との意思疎通を遮断、分断する。
たとえそれが戦後となっても、何らかの形で、いつまでも後遺症としてわだかまりを残したりするのではないか。
その解決方法は、如何になされるべきか。

この映画は、今の世の中に流れる雰囲気を考えた場合、明らかに、いま観るべき作品である。
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『ビリギャル』を観て

2017年01月13日 | 日本映画
暮れのNHK紅白歌合戦。
何となく見ていて、紅組の司会者・有村架純って可愛くて感じのいい子だなと思った。
という訳で、興味が湧いて正月に早速、レンタル店で『ビリギャル』(土井裕泰監督、2015年)を借りてきて観た。

名古屋の女子高に通うさやかは、偏差値30の学年ビリという成績。
見かねた母に塾へ通うことを提案され、入塾面接で教師の坪田と運命的な出会いを果たす。
金髪パーマに厚化粧、耳にはピアス、極端に短いミニスカートというギャル全開なさやかに面を食らう坪田だったが、
さやかの素直な性格に気付き、ふたりは慶應大学への受験合格を約束することに・・・
(映画.comより一部抜粋)

もとは、投稿サイトに掲載された実話を書籍化した「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」なので、
あらすじはいたって単純。
それに、題名によって結末までがわかってしまっている。
と、言ってしまえば身も蓋もないことになる。
でも、この作品はとってもいいのである。
まず何といっても、“さやか”役の有村架純が最高にいい。
雰囲気がよく出ていて、演技が自然体で上手い。
関係する人々、例えば、両親・弟妹、塾教師、塾の男友達、“さやか”の学校友達、学校の先生など、
出演者すべてが、それぞれの役柄にマッチしていて、観ていて違和感がなく没頭できる。
だからラストに至っては、ギクシャクしていた父親との和解も手伝って、この映画はとってもいいなと手放しで感動してしまうのである。

しかし見終わって、学年ビリで小学4年生ほどの知識レベルの子がなぜここまで頑張れたのか、と考えずにはいられない。
塾の坪田教師との出会い。
このきっかけがなければ、“さやか”は勉強に背を向けた、いわゆる落ちこぼれと一般的に言われる子のまま大人になり、
世をすねた態度が当然と考える人となって行ったのではないか。
教える者が、芯からその子を信じきって、その子の可能性を引き出すこと。
教えられる方もそれに応える形で、自分だって出来るのではないかと、目標に向かって希望を繋いでいくこと。
当然そこには、途中で挫折感も絡んだりする。
それでも、その一歩一歩が勉学の知識ということだけではなく、人間としても成長していくということ。
皮肉なことに、では学校教育とは何か、という問題も自然と透けて見えてきたりする。
教育は教えられる者が学力を身につけ、考える力を養うということが目的として大事だけれども、
指導する者にとっても、その対象から学ばされるという本来の理想の姿を、この映画は示唆する。

そのようなことを、諸々と考えさせてくれた優れた作品であった。
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2016年 キネマ旬報ベスト・テンを眺めて。

2017年01月10日 | 2010年代映画(外国)
キネマ旬報のベスト・テンが発表されたので、少し感じだことを書いておこうと思う。

まずは、その順位(洋画のみ)
1位 ハドソン川の奇跡
2位 キャロル
3位 ブリッジ・オブ・スパイ
4位 トランボ ハリウッドに最も嫌われた男
5位 山河ノスタルジア
6位 サウルの息子
7位 スポットライト 世紀のスクープ
8位 イレブン・ミニッツ
9位 ブルックリン
10位 ルーム

この中で鑑賞できたのが6本。
未見4本の内、上映すら知らなかったのが「ブリッジ・オブ・スパイ」。
監督がスティーヴン・スピルバーグで、脚本がコーエン兄弟となれば、知っていて当然のはずだが知らなかった。
まあ、最近のスピルバーグはあまり興味がないし、と負け惜しみを言ってみる。

どうしても観たいなと思いながら、ついつい行けなかったのが「山河ノスタルジア」。
この作品は、DVDでのお楽しみ。

鑑賞した作品を眺めての感想。
1位の「ハドソン川の奇跡」。イーストウッドはキネ旬上位の常連だから、見方によっては妥当かもしれない。
「トランボ」「スポットライト」も、まあ言われてみればそうかなと思う。
しかし、それよりも「ルーム」の方が上位でしょう、と思う。
扱う内容が違うので一概に比較はできないが、やはり感動が半端ではなかったから。

それらと比べて、ひどいのが「キャロル」。
あのような安易な内容に感動ができる人が不思議でしょうがない。私にとって、この作品は駄作。
「ブルックリン」も、雰囲気はよく出ているが、後半の筋書きが納得できないのでダメ。

それにしても、見渡してみて、相も変わらずのアメリカ映画中心。
いい加減、アメリカを基軸にした物の見方をやめたらと、忠告したくなる。
世界を見渡せば、もっとすごい作品が埋もれている可能性があるし、現実にある。
キネ旬のベスト・テン映画は、良くも悪くも後年まで記録に残るから、選者はそのことに自覚をしてもらわないと困る。

このベスト・テンを眺めて、ふっとそんなことを思った。
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