ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『罪の手ざわり』を観て

2017年02月26日 | 2010年代映画(外国)
中国映画の『罪の手ざわり』(ジャ・ジャンクー監督、2013年)をレンタルで借りてきた。

・山西省
山西省の村の炭鉱作業員ダーハイ。
ダーハイは、同級生で実業家のジャオが、村の共同所有だった炭鉱の利益を独占し、
その口止め料として村長に賄賂を渡しているのではないか、と疑い怒っている。

・重慶市
出稼ぎのために妻と子を村に残したチョウが、帰省する。
チョウの妻は、彼が危険な仕事をしていることを感じていて、複雑な表情で彼を迎える。

・湖北省
夜行バスで宜昌(イーチャン)に到着したヨウリャンがカフェへ向かうと、恋人のシャオユーが待っていた。
妻のいるヨウリャンに、シャオユーは自分と一緒になるか、奥さんをとるか決断を迫る。
風俗サウナの受付係をしているシャオユーは、ヨウリャンと別れた後で勤め先に行く。

・広東省
縫製工場で働く青年シャオホイは、勤務中、仕事仲間に怪我をさせてしまう。
工場長に、怪我人の人件費はお前が払えと言われたシャオホイは、逃げ出すように仕事を辞めて東莞(トングァン)に向かった。
そして、ナイトクラブ「中華娯楽城」で働き出し、そこでリェンロンと知り合う。

物語は、4つの事件がオムニバス風に構成されていて、しかも登場人物が微妙に連動していたりする。
その事件とは、殺人であり、または自殺である。

主人公たちの鬱屈。彼らはどうして事件を起こしてしまったのか。
映画は、その部分をリアルに切り取っていく。
ここに描かれる犯罪は、中国で実際に起きた大きな事件を基にしているという。

犯罪が生まる背景に、急速に変わり続ける中国社会の問題がある。
高度経済成長を続ける一方で、貧富の格差や地方行政の腐敗、また、若者の自殺など。
社会の弱者は、自分の尊厳を守るために、どのような方法をとったらいいのか。
それを、最も安易な方法として、主人公たちは暴力という方法を提示する。

ジャ・ジャンクーの社会を見る眼は鋭く研ぎ澄まされている、そのように感じる秀作であった。
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『ラ・ラ・ランド』を観て

2017年02月24日 | 2010年代映画(外国)
話題の『ラ・ラ・ランド』(デイミアン・チャゼル監督、2016年)を上映し出したので、観てきた。

夢を叶えたい人々が集まる街、ロサンゼルス。
映画スタジオのカフェで働くミアは女優を目指すが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。
意気消沈した彼女は、ピアノの音色に誘われて入ったジャズバーで、弾いていたセブと出会う。
そして後日、ミアは、あるパーティ会場のプールサイドで不機嫌そうに80年代ポップスを演奏するセブと再会。
初めての会話でぶつかりあう二人だったが、いつしか、互いの才能と夢に惹かれ合い恋に落ちていく・・・。
(公式サイトと映画.comから)

まず、冒頭のダンスシーンにビックリする。
それもダンスより、大渋滞の道路でどうやって撮影ができたのか、その不思議さに目がいく。
こんなこともあって、ミュージカル映画は、ワクワク感があって楽しみが倍増する。

物語は、どちらかと言えば、希望を持ちながらもチットも夢が叶えられない若い男女のお話。
それをデイミアン・チャゼルは、丁寧に描いていく。
しかし、丁寧なのはいいが、筋に起伏がないために緊張感がなくなり、途中、中だるみな感じを受けて、観ていてお尻も少し痛くなってくる。

だが、それでも観ていて凄いなと思う。
目を瞠るのが、ライアン・ゴズリングのピアノ。
この映画のために特訓したらしいが、そんなことが出来るんだなと感心してしまう。
エマ・ストーンだって、その表情を見ていると、感情のあり方がよくわかって、上手い女優さんだなと惚れ惚れする。
そして、二人のダンスシーンが素晴らしくって、これはもう最高。
ラストなんて、我知らず自然に感動していて、やっぱり、いい映画を観たなと十分満足した。
でも、もう少し短くして『セッション』(2014年)のようにメリハリを効かしてくれると、傑作になるのになと惜しむ気も働いてしまった。
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『エリックを探して』を観て

2017年02月21日 | 2000年代映画(外国)
『エリックを探して』(ケン・ローチ監督、2009年)があったので借りてきた。

イングランド・マンチェスター。
郵便配達員のエリックは、二度目の妻の連れ子ライアン、ジェスとの3人暮らし。
ある日、エリックは交通事故を起こしてしまう。
怪我もなく、翌日に病院から帰宅できたが、家では子供が好き勝手のし放題。
落ち込むエリックに郵便局の仲間たちが、いろいろと励ますが効果がない。

その夜、エリックは部屋に貼ってあるポスター、尊敬するサッカーのスーパースター“エリック・カントナ”に向かって話しかける。
「俺の憂鬱の理由がわかるか?・・・」
すると驚くことに、エリックの背後に、カントナ本人が立っていた・・・

エリックの憂鬱の理由は、最初の妻リリーのこと。
30年前。恋に落ちて娘のサムも生まれたが、自分の気の弱さからすぐに別れてしまい、それ以後会わずにいた。

それが今になって、子育てしながら大学に通うサムのために孫娘デイジーを預かることになる。
そのことがリリーとも関係し、とうとう再会しなければならない、ということになる。
そして、冒頭の事故。

カントナのアドバイス、自信喪失のエリックに対しての勇気づけ。
とうとう、リリーとの再会。
カントナの励ましと助言で、少しずつリリーとの距離を縮めていくエリック。

しかし、その一方で新たな厄介事が持ち上がる。
ライアンが、ギャングから預かった拳銃を家の中に隠し持っていたのだ。

エリックは家族を守るために、カントナに背中を押され、仲間たちと共に大胆な行動に出て行く。

ケン・ローチは、いつものように社会の底辺に住む人たちに寄り添って、その見る目が温かい。
特に、エリックの仕事仲間たちの、友達を思いやる連帯感が頼もしい。

実際の“エリック・カントナ”が登場し、落ち込んでいるエリックをいろいろと励ますところが、この映画のミソ。
最後のあたりの、みんなでギャングに乗り込んでいくところなんかは、バカバカしいというか、微笑ましい痛快劇。
と言っても、ケン・ローチはツボをしっかりと押えていて、リリーも含め、エリックの家族に対する心持ちにほのぼのとする。
やはり、ケン・ローチ。
ケン・ローチに乾杯。
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『素足の季節』を観て

2017年02月18日 | 2010年代映画(外国)
『裸足の季節』(デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督、2015年)を借りてきて観た。

イスタンブールから1000km離れたトルコの小さな村に住む、美しい5人姉妹の末っ子ラーレは13歳。
10年前に両親を事故で亡くし、いまは祖母の家で叔父とともに暮らしている。
学校生活を謳歌していた姉妹たちは、ある日、古い慣習と封建的な思想のもと一切の外出を禁じられてしまう。
電話を隠され扉には鍵がかけられ「カゴの鳥」となった彼女たちは、自由を取り戻すべく奮闘するが、
一人また一人と祖母たちが決めた相手と結婚させられていく。
そんななか、ラーレは秘かにある計画をたてる・・・。
(オフィシャルサイトより)

下校途中、姉妹5人は、男子の同級生たちも一緒に、海岸で騎馬戦をして遊ぶ。
5人が自宅へ帰ると、祖母が激怒する。
騎馬戦で、股間を男の子の首に擦りつけてふしだらなことをしていたと、近所の人から告げ口があったという。
それ以後姉妹は、“傷物になると結婚できない”と、家の中に閉じ込められてしまう。

観ていて、今の時代でも国が変わるとそうなのか、と驚くような慣習に戸惑ってしまう。
閉じ込められた姉妹は、もう学校にも行かせてもらえないわけだから、やっぱりビックリする。
そして、家で花嫁修業。おばあさんも悪い人ではないから、それが当然のように躾ける。

しかし姉妹は、それこそ今の女の子たちで、自由を満喫したくてしょうがない。
5人がベットで、自由気ままにグチャグチャの形になって身を寄せ合う雰囲気が、何とも言えなくいい。
思春期の少女たちの、自由を希求する輝きと切なさ。

それを、メリハリのきいたドキュメンタリー・タッチで映像に焼き付けていく。
その結果、少女たちの繊細さが手に取るようにわかるように画面に映し出される。

この作品は、パリで映画を学んだデニズ・ガムゼ・エルギュヴェンの長編デビュー作として、
彼女が、少女時代に実際に体験した出来事が投影されているという。
ついでに言えば、これは、トルコ出身の女性監督によるトルコ語作品なのに、
アカデミー賞フランス映画代表に選ばれ、外国語映画賞にノミネートされている。

このような注目に値する作品が初回から作れるという力量は、ただ者ではない監督だと感じる。
今後も注目すべき強力な人が現れたなと思う。だから、つい二度観てしまった。
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『若葉のころ』を観て

2017年02月15日 | 2010年代映画(外国)
『若葉のころ』(ジョウ・グータイ監督、2015年)をレンタルで借りた。

台北に住む17歳の女子高生バイは、離婚した母と祖母の3人暮らし。
チアリーダー部に所属し、高校生活を満喫していたが、最近、親友ウエンと男友達イエとの三角関係に心を痛めていた。
そんなある日、母のワンが交通事故で意識不明の重体となってしまう・・・
(公式サイトより一部抜粋)

2013年、17歳のバイの学園生活でのイエとの関係。
そして、1982年、17歳だった母ワンの学園生活でのリンとの関係。
それぞれのラブストーリー。

バイのイエに対する気持ちと、親友ウエンのイエを思う気持ち。
異性に対する憧れと、心のニュアンスのやりとり。
そのデリケートさと、そこからくる動揺。
そしてそれは、30年前の母ワンにも当てはまる。

娘のバイと、母親ワンが17歳当時の配役は、ルゥルゥ・チェンが二役を務めている。
遠い日の母の青春に思いを馳せるバイは、母に代わって、リンに“会いたい”とメールを送る。
娘と母の物語が混沌とし、その後で、これが一体化してくる。その融合が素晴らしい。

最初は、人間関係がどうなっているかチョッピリ戸惑ってしまったり、バイの母親やおばあさんがチョット若過ぎるなとシビアに観ていたけど、
話が進むにつれて、そんな微々たることは問題外。
“ルゥルゥ・チェン”を見ていると、それがバイであっても、ワンであっても、これが青春なんだなと、50年前の自分をダブらせてしまって心が痛くなる。

そして、『若葉のころ』(ビージーズ)のメロディとともにその歌詞が、この作品の低音主題となって印象を倍加し、忘れられない映画にする。
 
 僕が子供の頃 クリスマスツリーは高かった
 僕たちが大きくなって ツリーは小さくなった
 五月の始め
 あの時のすべてを思い出す

(you tubeより)
FIRST OF MAY (Lyrics) - THE BEE GEES
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『山河ノスタルジア』を観て

2017年02月11日 | 2010年代映画(外国)
観たかった『山河ノスタルジア』(ジャ・ジャンクー監督、2015年)をレンタルで借りた。

1999年。山西省・汾陽(フェンヤン)。
小学校の女教師タオは、炭鉱で働くリャンズーと実業家のジンシェンと幼なじみ。
二人から想いを寄せられていたタオは、三人での友情を大切にしていた。
内向的なリャンズーとは対照的に、自信家のジンシェンはタオの気を引こうとする。
やがてタオはジンシェンからのプロポーズを受け入れ、傷心のリャンズーは街を出ていく決心をする。

生まれた赤ん坊を抱きかかえるタオ。
ジンシェンは、息子をドルにちなんで、“ダオラー”と名付けた。
「チャン・ダラー。パパが米ドルを稼いでやるよ」。
タオはじっと、我が子を見つめていた・・・
(オフィシャルサイトより)

ファーストシーン。
ダンス仲間とタオが楽しそうに踊る、その時に流れる曲。
Pet Shop Boys - Go West [HD]

2014年。
長年の炭鉱労働で肺を壊したリャンズーが、妻子と共に故郷に帰って来る。
治療費もままならないリャンズーに、タオが援助の手を差しのべる。
そのタオはジンシェンと離婚して、今は父親との暮らし。
そして、父親との死別。
葬式に際してのダオラーとの再会。

2025年。オーストラリアのメルボルン。
19歳に成長したダオラーは、中国語が話せなくなっていて、英語が解せない父親のジンシェンと、意思の疎通ができない。
親子の断絶と、アイデンティティの喪失。
自分と同じように異国の地で暮らす中国語教師ミアと心を通わせるダオラー。
そして、いつしか彼は、かすかに残る母親の記憶をたどり始める。

ダオラーが、いつかどこかで聞いたように想う曲。
葉蒨文 (Sally Yeh) - 珍重 (1990)

時の流れの中の、人それぞれの人生の歩み。
タオの心の思い、生き方が、しんしんと胸に響いてくる。
その響き方の共鳴の増幅は、タオに限らず、リャンズーであったりダオラーであったりする。
もっと言えば、ジンシェンも、ミアも。

リャンズーはあれからどうなったのだろう。
ダオラーのこれからは。
そう思うと、この物語が心に、静かにひたひたと沁みとおってきて、いつまでも余韻が残ったままになる。
特にラスト。タオが雪の舞い降る原の中で、一人“Go West”の曲にのせて踊る顔の穏やかさ。

こんないい映画を観れたことに、感謝の気持ちでいっぱいである。
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『シチズンフォー スノーデンの暴露』を再度観て

2017年02月09日 | 2010年代映画(外国)
去年、劇場へ観に出かけた 『シチズンフォー スノーデンの暴露』(ローラ・ポイトラス監督、2014年) が、レンタル店にあったので借りてきた。

イラク戦争やグアンタナモ収容所についてのドキュメンタリー映画で高い評価を得るとともに、当局からの監視や妨害を受けてきた映画監督ローラ・ポイトラス。
彼女は、2013年初め、“シチズンフォー”と名乗る人物から暗号化されたメールを受け取るようになる。
それは、NSA(国家安全保障局)が、米国民の膨大な通信データを秘密裏に収集している、という衝撃的な告発だった。

2013年6月3日、ローラは“シチズンフォー”の求めに応じて、旧知のジャーナリスト、グレン・グリーンウォルドとともに香港へ向かった。
ホテルで2人を待っていたのは、29歳の元CIA職員エドワード・スノーデン。
彼の話の一部始終をローラのカメラが記録する中、驚くべき真実が次々と暴露されてゆく。

NSAや他国の機関が、どのような仕組みでテロや犯罪への関与と無関係に、
あらゆる国民の電話、メールからインタネーットの検索ワードまで、すべての通信記録を収集・分析しているのか。
政府の監視活動にIT企業がいかに協力し、情報を提供しているのか。
驚いたことに、スノーデンは自ら内部告発者として名乗り出ることを望んでいた。
なぜ彼は、自分や恋人の身に重大な危険が及ぶことが予測されたにもかからず、この告発に至ったのか・・・。

当局の追跡がスノーデンに迫る中、6月5日、グレンは彼が契約していた英国紙ガーディアンに最初の記事を掲載する。
そのスクープはたちまち大反響を巻き起こした。
さらに6月10日、スノーデン自身が告発者であることを名乗り出る。
この前代未聞の暴露事件は、全世界にどのような影響をもたらしたのか・・・。
(すべてMovie Walkerより)

アメリカ政府の諜報活動は、9.11以後、テロリストの監視強化という名のもとに、国家機密として全国民をターゲットにしていく。
それだけでなく、世界の重要機関、友好国の要人さえも目標とした。

犯罪に関わりがなくても恣意的に、または意図的に、誰彼の行動を監視できるという完全なるプライバシー侵害。
その行き着くところは、アメリカの政治・経済等の世界制覇としての野心である。
この暴露があって、フランス、ドイツ政府等は抗議を行ったのに、この国の首脳は“これはアメリカの問題だ”としてダンマリを決めこんだ。
オバマ大統領(当時)が非民主的な監視システムを拡大させたのに、これが、何の危機感もない日本政府の態度であった。

このドキュメンタリー映画は、スノーデンの告発そのものを写し撮っているため、
観る者は時代の立会い人の位置に立たされ、それがフィクション映画にない迫力を伴う。
ただ、やはり『暴露 スノーデンが私に託したファイル』(グレン・グリーンウォルド著・田口俊樹ほか訳、新潮社・2014年)を読んでから観れば、
より詳しい背景、状況がわかって、もっと理解し易いだろうと思った。
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『スノーデン』を観て

2017年02月07日 | 2010年代映画(外国)
『スノーデン』(オリバー・ストーン監督、2016年)を観た。

香港の高級ホテル。
ドキュメンタリー映画作家ローラ・ポイトラス、ガーディアン紙の契約記者グレン・グリーンウォルドとの待ち合わせ場所に、一人の青年がやってくる。
彼の名はエドワード・スノーデン。
アメリカ国家安全保障局(NSA)に勤務するスノーデンは、アメリカ政府が秘密裏に構築している、国際的な監視プログラムの機密資料を提供する。

国を愛するごく平凡な若者だった彼は、CIAやNSAで勤務するうちに、その恐るべき実態に直面。
テロリストだけでなく民間企業さらには個人までも対象として、全世界のメールや携帯電話での通話を監視する体制に危機感を募らせたスノーデンは、
キャリアも幸せな生活も捨ててまでリークを決意する・・・
(Movie Walkerを一部修正)

スノーデンについて私は、昨年 “『暴露』と『スノーデンファイル』を読んで” を書いた。
今回のオリバー・ストーンの映画は、この『スノーデンファイル』に大きく依存している。
だから、恋人リンゼイとの関係の比重が大きくなっていて、それが却って作品を観易くしている。

米国の情報収集活動。
テロを防御するという名目で、秘密裡に、膨大な量の通信傍受を行う。
アメリカ国内は勿論のこと、全世界からアメリカに流れてくる私的情報もすべて掬い取る。

政府のために働く「愛国的」な青年、スノーデン。
その政府自身が憲法違反を犯している。
自分がそのことに加担していることへの、疑問と失望。

スノーデンが証拠となるデータを公開し、国民の間に議論を喚起しようとしたことに対し、国・政府側の反応はどうだったか。
“売国奴”の名を被せ、機密漏えい情報容疑のかどで逮捕して社会的の抹殺しようとする。
その言い分は、暴露されたことによって、アメリカの敵を利しただけだ、という理屈である。
そして付いてまわるのが、あれは“売名行為”だという宣伝。

映画のラスト近く、身の危険も顧みず、何をもってしても暴露しようと考えるに至ったスノーデンの言葉を聞く時、
そのひとりの人間の真の勇気に感動せずにはいられない。

それにしても、主役の俳優・ジョセフ・ゴードン=レヴィットが、スノーデン本人に見た目から雰囲気までそっくりである。
このことは、グレン・グリーンウォルド役にしてもそう。
だから、出演者に違和感がない分、なまの実際の人々でないかと錯覚し、自然と内容に溶け込んでいく。
この作品を撮った監督のオリバー・ストーンの、是非、全世界の人々に観て貰いたいという願いが、そして、その自信のほどが見えてくる。
これは、そんなことを感じる、立派で堂々としている優れた作品だった。
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『恐怖と欲望』を観て

2017年02月03日 | 1950年代映画(外国)
レンタルビデオ店の棚を眺めていたら、珍しい作品があった。
それは『恐怖と欲望』(スタンリー・キューブリック監督、1953年)という題名。

どこかの国の戦争。
乗っていた飛行機が爆撃を受けて墜落し、そこは敵地の森の中だった。
4人の兵士は、上官のコービー中尉とマック軍曹、それに、若い新米のシドニーとフレッチャーの二等兵。
彼らは脱出するために筏を作って、森に沿う河を下ることを計画する。

筏作りをしていた時、偵察に出ていたマック軍曹が、敵軍のアジトを対岸に発見する。
双眼鏡で確認すると、そこには敵側の将校もいた。
飛来してきた敵の飛行機を避けて歩む先に、木造の小屋が現れる。
中を窺うと、敵の兵士2人がシチューを食べていて、壁には銃も立て掛けられていた・・・

翌日、河で魚捕りをしていた女に姿を見られた兵士たちは、彼女を捕えベルトで木に縛りつける。
見張りを命じられたシドニーは、彼女に気に入られたいため、何かとあの手この手で話しかける。
が、恐怖のためか、女は何の反応も示さない。

シドニーは、逃げ出す女を射殺し、意味不明なことを口走って駆け出し、行方がわからなくなる。
戦場で、気の触れてしまうシドニー。

マック軍曹は、筏で自分がオトリとなって、コービー中尉とフレッチャーが飛行機を奪う計画を提案する。
「死ぬまでに何かを成し遂げたい、そのためには死んでもいい」。
戦場で、どうにかして空虚感を充実させたいと願望するマック。

内容は、墜落させられた軍用機に乗っていた生き残り4人の、敵地からの脱出劇である。
至ってシンプルな筋であるが、人間性を失っていく兵士たちの姿を描く戦争ドラマとして、野心的な作品となっている。
そして、人々を狂気と恐怖に駆り立てる戦争の影響を、心理面の崩壊からえぐり出そうと、やや未熟ながらも、真剣に正面からとらえている。

一般的に、『2001年宇宙の旅』(1968年)などで有名なこのキューブリック監督のデビュー作、と言われるのは『非情の罠』(1955年)。
今回のこの作品は、キューブリックがその出来に満足できず、自らの手によって封印をした幻のデビュー作だったという。

ただ、この作品の残念なところは、ここが戦場だという緊迫感がどうも感じられず、成程、完璧主義者としてのキューブリックが、
これを封印したがった理由が納得できてしまうところである。

といいながら、やはりキューブリックらしさも垣間見えていたりする。
まず、シャープで洗練された白黒映像に目をみはる。
シビアでストイックな画像と、演出者のその視線。
心理描写を映像として畳み込もうとする演出は、未来の大監督を予測させる。

これで、キューブリックの劇場上映作品13本中、12本は観たことになる。
(後の1本『突撃』(1957年)は観ているのかどうか、あやふや)。
この作品の出来は、正直にいえば、まあ大したことはない、と言えるだろう。
だが、キューブリックのすべてを知りたい者からすれば、喉から手が出る作品だと言い切れる。

そして、ついでながら書いておきたいのは、シドニー兵士を演じていたのが、ポール・マザースキー。
この人が後に、『ハリーとトント』(1974年)や『結婚しない女』(1978年)を監督した人と想像すれば、興味が尽きない。
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