ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『希望は絶望のど真ん中に』ほかを読んで

2016年05月31日 | 本(小説ほか)
ブログ「新・「言葉の泉」」の、ろこさんが『戦争絶滅へ、人間復活へ』(むのたけじ・聞き手黒岩比佐子著、岩波新書・2008年)を紹介されていたので、
『希望は絶望のど真ん中に』(岩波新書・2011年)、『日本で100年、生きてきて』(朝日新書、2015年)と共に読み終えた。

正直な話、ろこさんの紹介があるまで、「むのたけじ」というジャーナリストが存在するということさえ知らなかった。
太平洋戦争で日本が敗戦したその当日、「われわれは間違ったことをしてきたんだから、きちんとけじめをつけるべきだ」と、ひとり朝日新聞を辞職した人。
そして、1948年から秋田県で週刊新聞「たいまつ」を創刊し、その地域新聞を30年間発行し続けた人。
だから、どこを読んでみても、言う内容の言葉自体の重みが違う。

「今見る日本のていたらくは、今はじまったことではない。
同様また共通の状態は、すでに過去に幾度も現れていた。現在は過去の子どもだ。」と言い、
「戦後の歩みが日本の現状を生んだ直接の要因なら、根本の要因は1931年の満州事変という中国への侵略開始から
連合国のポツダム宣言への屈服に至る十五年戦争の時期に存在していた。」と分析する。
「つまり、私たちの国を今の姿にした根本の要因は、・・・少なくとも十五年戦争当時まで引き返して、
そこから吟味しなければよみがえる活路は作れない」と、力説する。

「今の世は明るいものは余りに少なく、暗いものは余りに多く見えるが、両者は別個のばらばらではない。
絶望と見える対象を嫌ったり恐れたりして目をつぶって、そこを去れば、もう希望とは決して会えない。
絶望すべき対象にはしっかと絶望し、それを克服するために努力し続ければ、それが希望に転化してゆくのだ。
そうだ、希望は絶望のど真ん中、そのどん底に実在しているのだ。」
それがホントだ、と気付くようになったのは90歳代になってからだ、それだけの経験を必要としたのだ。と言う。

「自分にも言い聞かせているけど、中途半端なことはするな。迷ったらやめろ。
やろうと思ったら死に物狂いで頑張る。奇跡なんてない。奇跡は自分でつくる。
そう思って生きれば、日本社会はみるみる変わると思うんです。」

「私は90歳以降は、1年ごとに生きるのが大変になった。それでも頭だけはしっかりしている。
年をとればとるほど経験と知恵は重なる。それを生かしていける。死ぬ時が人間てっぺん。今もそう思っている。」

『戦争絶滅へ、人間復活へ』が93歳、『希望は絶望のど真ん中に』は96歳の時の刊行。
『日本で100年、生きてきて』は94歳から100歳までの聞き書きで、去年の刊行。

鋭い批評精神にただただ自然と頭が下がり、その「むの」さんから見れば私なんかまだまだ子供である。頑張らなきゃと思う。

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『サイの季節』を観て

2016年05月27日 | 2010年代映画(外国)
イランから国外亡命したクルド人監督、バフマン・ゴバディがトルコで撮影した『サイの季節』(2012年)を観た。

1977年、イランの首都テヘラン。
詩集『サイの最後の詩』を出版したクルド系イラン人の詩人サヘル・ファルザンは、妻ミナと仲睦まじく暮らしていた。
そんな中、お抱え運転手であるアクバルが横恋慕し、ある日、激情にかられてミナに告白。
それを理由にアクバルは、集団暴行を受けて夫婦から離される。

1979年、イラン・イスラム革命が起こり体制が一変する。
ミナに執着するアクバルは、サヘルが反体制的な詩を書いたと事実無根の密告をした。
それにより、サヘルは国家転覆罪で禁固30年の刑に、ミナも共謀罪で禁固10年の刑に処せられる。
アクバルは、新政府の指導者的存在という立場を利用して、ミナに早期釈放を持ちかけるが、ミナは頑なにこれを拒む。

10年後、刑期を終え出所したミナは、服役中に授かった双子の子供とともに夫の釈放を待ちわびていたが、
ある日、サヘルが死亡したとの通知を得る。
打ちひしがれるミナの前に、まだ思いを引きずるアクバルがやってくる。

2009年、サヘルは30年の間、拷問にも耐え抜いて、やっと出所することができた。
しかし、彼は政府により死亡扱いにされている。
長年、心身ともに痛めつけられ、抜け殻のようになっていたサヘルだったが、最愛の妻ミナへの思いを胸に、彼女の行方を捜し始める・・・・

この映画は、クルド人詩人サデッグ・キャマンガールをモデルに描いた実在の話である。
しかし、ゴバディ監督はそれを社会劇とはせず、サヘルとミナの孤独感、喪失感を焦点にして描く。
この二人の無感情に近い沈黙の表情に現れる30年の歳月の悲しみが切ない。
と言っても、二人のそれぞれの思い、感情を喚起させる意図か、全体に会話が極端に少ない。
そして映像を主体に、時代を前後に織り交ぜながら物語を進めていく。
そのため、映像と映像のつなぎでピンと来ないというか、よくわからないところがある。
だから、もう一度見直してみた。

映画は作り手の思いと、それに対して、情報として受け取る側の処理能力が十分に追いつかない場合がある。
だから、その疑問を持って再度観てみれば、わからなかった部分が納得できる場合がある。
まさしく、この映画はそのような作品であり、観直した結果の印象は言い難いほど味わい深い。

空からたくさんの亀が逆さに降ってくるシーン。
車の中に馬が首を突っ込んでくる、その時の目のクローズアップ。
そのイメージが、原作の詩と繋がっている。

ラストで、広いひび割れた平地の遥か向こうの方にいる者は誰か、アクバルか。
そこに向かってサヘルが歩いて行く。
死んでいるはずの二人が、そのようにして画面の奥に向かっていく。
それは何を意味するのか。そのことに対する感想は、人それぞれだろうと思う。
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『サンドラの週末』を観て

2016年05月24日 | 2010年代映画(外国)
『サンドラの週末』(ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督、2014年)のDVDをレンタル店で借りた。

サンドラが家で横になっている時、携帯電話が鳴った。
電話は会社の同僚のジュリエットで、「会社側の提案で、従業員がボーナス1000ユーロを受け取るか、
それともサンドラを復職させるか、を投票した結果、16人中14人がボーナスに投票した」と言う。
サンドラとしては、職を失えば夫の稼ぎだけではとうてい家賃が払えない事態となる。

ジュリエットはサンドラを何とかしようと思い、二人で社長と掛け合う。
が、この不景気で両方は無理と社長に言われる。
しかしあの投票は、主任の横やりがあったための結果だから、公平な投票をとジュリエットが依頼すると、
月曜日に、無記名の多数決という再投票の了解を社長から得る。

復職に向け、翌土曜、日曜をかけてのサンドラの説得が一人ずつ始まる・・・・

サンドラは、うつ病のために休職していたが、その間、仕事は16人で十分にやっていけると社長は判断した。
だから、社長としては17人も従業員はいらないという訳である。
サンドラの方も病気が完治しているとしても、このような重大な事柄に対して、それこそまた憂鬱になって精神安定剤が手放せない。
そんなサンドラに対して夫も何かと協力し、サンドラはそれをバネにして、やっとの思いで一人ずつ訪ね、復職する方に投票してもらえないかと頼む。
しかし、同僚たちとしても決して裕福ではない。1000ユーロは大金である。
中には、ボーナスに投票した自分が恥ずかしいと、後悔する者もいるが、
それぞれに事情があり、サンドラへの投票を申し訳なさそうに断わったりする。
くじけそうになりながらも説得してまわったサンドラに、月曜日が来る。

投票の結果を書きたいが、やはり言わない方がいいと思う。
その結果をしゃべってしまえば、いろいろの思いから感想を具体的に書けるけど、やっぱり止めておこうと思う。
ただラストシーンだけを言うと、サンドラが歩いていく後ろ姿に、吹っ切れたすがすがしさが漂っていると思った。

ベルギーの監督・ダルデンヌ兄弟は、社会状況を背景にそこで営む人々をさりげなく描きながら、その個々の人間に対する観察眼が鋭い。
いままでの作品を振り返ってみても、裕福ではない人々を客観的に冷静に画面に映し込んできた。
その駄作のない映画作りに、今後も安心して観れて、全面的に信頼のおける監督だと私は思っている。
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『緑はよみがえる』を観て

2016年05月19日 | 2010年代映画(外国)
またミニシアターで映画を観てきた。題名は『緑はよみがえる』(エルマンノ・オルミ監督、2014年)である。

1917年、冬。第一次世界大戦下のイタリア・アルプス、アジア―ゴ高原。
雪の山中に、イタリア、オーストリア両軍ともに塹壕を掘り戦況は膠着していた。
敵は姿を見せないが、その息づかいが聞こえるほど近くにひそんでいる。
劣悪な環境の塹壕に押し込められた兵士たちは、いつ落ちてくるかもわからない砲弾に怯え、戦意も失い、家路につくことだけを願っていた。
彼らの唯一の楽しみといえば、家族、恋人から送られてくる手紙だけだ。

そんな時、厳しい戦況を知らない平地の司令部が出した理不尽な命令を携え、少佐と少年の面影を残す若い中尉が前線へとやってくる。
通信が敵に傍受されているため、新たな通信ケーブルを敷けというのだ。
命令を受けた大尉は、「土地の起伏も考えず地図をなぞっただけの計画だ。
この月明かりの下で外へ出れば、狙撃兵の餌食だ!」と強く抗議し、軍位を返上してしまう。

後を任されたのは何の経験もない若い中尉だった。
彼は、想像とは違う戦争の酷薄さと、無力感に打ちのめされながらも、母への手紙にこう綴る。
「愛する母さん、一番難しいのは、人を赦すことですが、人が人を赦せなければ人間とは何なのでしょうか」と・・・・
(公式ホームページより)

ファーストシーンで、雪深い有刺鉄線の向こう側から手前に向かって、イタリア兵がナポリ民謡を歌う。
それに対して、こちら側の兵がほめたたえ、もっと歌ってくれるよう催促する。
だから、この映画の主体はこちら側にいる兵たちかな、イタリア映画なのに、と思考がこんがらがる。
それに輪をかけて、シーンからは、イタリアがどこの国とどこで戦争をしているのかの説明は一切されない。
映画自体で状況が説明されないと、その言わんとする内容が、国や世代とかで意味不明の事柄となってしまう。

塹壕の向こうには見えない敵がいる。
この塹壕の中では、いつ敵に襲われるかわからない不安感が漂っているはずなのに、なぜか兵たちの表情は静かである。
会話が少ない分、個々の兵の心境が実感として伝わってこない。
と思っているうちに、寝不足があるのか私は眠くなってきてしまった。
これではいけない、ましてやエルマンノ・オルミ監督の作品を、意識して観にきたから。
あの『木靴の樹』(1978年)や『楽園からの旅人』(2011年)で、監督“オルミ”の作風は多少知っているつもりである。
だから作品全体は、当然ゆったりと静かに流れると予測していた。
そしたら、思ったとおりの雰囲気で、それはそれでいいのだけれど、睡魔の方が勝ってくる。

“オルミ”は、父にこの作品を捧げているように、父の戦争体験を描くことによって、
戦争の愚かさと、それに対する人間の命の尊さを描いているはずなのに、私の観賞態度がなっていなかった。
そのため、“オルミ”の思いが深く読み取れない。

わずか76分の作品なのに残念な鑑賞になってしまったので、DVD化されたら再度観直そうと思っている。
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『縞模様のパジャマの少年』を観て

2016年05月14日 | 2000年代映画(外国)
ブロガーで、読者登録させて頂いている「紡希(さき)&グライセンのちょっとブレークしましょ。らららん!」さんから、
『縞模様のパジャマの少年』(マーク・ハーマン監督、2008年)を紹介頂いたので観てみた。

第二次大戦下のドイツ・ベルリン。
8歳のブルーノは、ナチス将校である父親の昇進により、住み慣れた我が家を離れ、殺風景な土地に越してくる。
遊び相手もなく退屈していたブルーノは、ある日、有刺鉄線のフェンスで囲まれた奇妙な“農場”を発見する。
そのフェンスの向こう側には、ブルーノと同じ年のシュムエルがいた。
日中でもなぜか縞模様のパジャマを着て、いつも腹を空かせているシュムエルのために、
ブルーノは母親の目を盗んで食べ物を運び、フェンスを挟んで言葉を交わしながら、二人はささやかな友情を築いていった・・・・
(Movie Walkerより一部抜粋)

社会的な現実に対してまだ何も知らない子供にとって、関心ごとはまず友だちを作ること。
だから、自分がドイツ人で相手がユダヤ人であろうと、有刺鉄線を挟んで分け隔てなく遊べる。
映画は、そんな友だち関係のために、ユダヤ人はおろかブルーノも含めた悲劇がラストで待ち受ける。
もちろん、主人公はブルーノだからそこに焦点が当たっているけれど、言わんとする内容はホロコーストである。
ただ作品の出来としては、このラストの肝心なところが弱く演出不足が否めないが、そこは大目に見るよりしょうがない。
要は、内容の重大さがそれを補っていると捉えた方がいいんじゃないかと思う。

映画の中のブルーノは純真無垢のままであるが、
現実問題として、そもそもこのような子供が、人生の過程おいてどのような経過をたどって、人種差別者となったりしていくのだろうか。
親や周りの環境からの影響か。教育、政治、宗教はどの程度関わってくるのか。
父親は、強制収容所所長だから、当然収容所の中で行われていることは知っている。
しかし母親は、嫌な臭いの出る煙突の煙の意味を、父親の部下から聞いて初めて知る。
知らなければ、すぐそこで残虐な行為が行われていようとも平気でいられるのである。
無知のままでいたなら、平然と差別しながら自分の考え方を正当化できるということを暗示する。

このことは何も外国での事とか、過去の事とかの話ではない。
最近、偶然に他人のブログで「また帰化朝鮮議員たちのバカどもが騒ぐだろう」と罵倒する女性の記事を読んだ。
これって、どういう意味だろう。
議員は公人だから、名指しし理由を示して批判すればいいはずなのに、十把一絡げにして抽象化する。
言葉を画一化し、自分が優位だと仮定して、目に見えない相手を見下ろすその心持ち。
当然、ブログにこのように書くということは、その言葉を使うことに共感を持つ人がいると前提しているはずである。
だから、堂々と書く。そして、同じ思いを持つ人間が呼応しながら、ひとつの隠語的な共通認識を作っていく。
使っている言葉の意味を吟味しないで、無意識下にため込み、イザという時に攻撃材料として使う。
このようにして、差別言語が固定化されていく。
これは、何も人種差別だけの問題とは限らない。他の差別でも事は同じだと思う。

この映画を観終わって、このような事を連想し、一般市民、国民にとって差別と戦争の関係とは何か、と考えさせる作品だった。

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『オマールの壁』を観て

2016年05月11日 | 2010年代映画(外国)
昨日観たもうひとつの作品が『オマールの壁』(ハニ・アブ・アサド監督、2013年)。
パレスチナ映画である。観るチャンスが少ない国の映画でも、優れた作品が埋もれていたりする。
この作品は、どこの国と比較しても遜色がないというか、それ以上の最高作品であった。
このような映画を観ると、観客におもねった商業娯楽作品の薄っぺらな内容など観る気がしない。
第一に映画に対する取り組みかた、意気込みが全然違う。そんな力強い感動作品である。

パレスチナ、ヨルダン川西岸地区の分離壁が横断する町。
イスラエル軍の監視を避けて壁をよじ登るオマールは、壁の向こう側の、幼なじみで親友のタレクとアムジャドに会いに行く。
この三人は“自由の戦士”として、イスラエル軍への襲撃作戦を考えている。
オマールはタレクの妹ナディアを好いていて、将来、彼女との結婚を夢みている。
ある日、イスラエル軍から不当な暴力、侮辱を受けたオマールと、タレク、アムジャドは検問所の狙撃を実行に移すことにした。
指揮官役がタレク、狙撃役はアムジャド、そしてオマールは逃走時の運転手である。
ことは決行され、アムジャドは一人を射殺した。
しかし数日後、事件はどこの誰が行ったか不明なはずなのに、イスラエル秘密警察が襲撃してきて、オマールは拘束されてしまった・・・・



イスラエル兵射殺犯を知ろうと凄まじい拷問を加える秘密警察。
それでも親友のために自白しないオマール。
生きて出獄できないオマールに、ナディアも地獄行きだろうと脅すミラ捜査官。
犯人はタレクのはずだから捕らえるのに協力するよう、強要するミラ捜査官。
やむなくスパイになることを条件に出獄してくるオマール。
しかし、オマールは裏をかき、タレクとアムジャドと共に秘密警察をおびき寄せ襲撃する計画をたてるが失敗。
GPSも使ってすべて秘密警察に監視されているのだ。
真のスパイがどこかにいる。それは誰か。疑心暗鬼の三人。

このような内容をハニ・アブ・アサド監督は、政治映画としてではなく、サスペンスあふれるリアル感で推し進める。
重要なのは、オマールのナディアに対する思いと、アムジャドとナディアの何らかの関係。
謎解き映画にパレスチナ・イスラエル問題が底に横たわっている。

分離壁は、何もパレスチナとイスラエルを分離しているわけではない。
パレスチナの町そのものに分離壁があり、その住民を切り裂いている。
この現実を踏まえて、映画は的確な構成力とリアルタッチな演出で、ぐいぐい観る者を引きつける。
そして、作品から受ける感想は、もっと大きな問題も含めどんどん膨らんでいく。
これはまさしく傑作の部類にあたいする映画である。

ハニ・アブ・アサド監督といえば『パラダイス・ナウ』(2005年)。
自爆テロに向かう2人のパレスチナ人青年を描いた作品である。
この作品も再度観直して、イスラエルとパレスチナ問題について認識を新たにしなければと思っている。
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『孤独のススメ』を観て

2016年05月10日 | 2010年代映画(外国)
観たい映画が重なる時がある。丁度それが今で選択に迷うが、時間の都合で2作品をミニシアターで観てきた。
その一つが『孤独のススメ』(ディーデリク・エビンゲ監督、2013年)。
しかし、この邦題がひどい。映画を愛する者だったら絶対に付けないような題を平気でつける。
これほど素晴らしい作品に、こんな題をつける神経で、平然とPRしていたら本当にこれを観てほしいと思っているのかどうか。

オランダの田舎町。
ひとり身のフレッドがバスで帰ってきて隣家を見ると、その家の教会世話役カンプスとみすぼらしい男が庭にいた。
てっきり、また男が金をせびっていると思ったフレッドは、前に渡したガソリン代を詐欺だという。
そして、恵んだお金の代償として草むしりをさせ、ついでに夕食を食べさせてやった。
男は、聞いたことは理解できるが、自分からは一言もしゃべらないし、どうもすることが幼稚っぽい。
その日フレッドは男を家に泊まらせて、翌朝を迎えた。
二人の奇妙な生活が、このようにして始まり出して・・・・

映像としての場面は、何の変哲もなく二人のなすことを淡々と映す。
フレッドは亡くした妻への思いが忘れられない。
息子ヨハンもいなくなったその寂しさもあって、二人に芽生えた友情は一風変わっている。
そのうちに村人たちは、二人が変な関係ではと思ったりして。

夕方6時きっちりに、お祈りをして食事をするフレッド。
身だしなみもチャンとしなければ気が済まず、几帳面で神経質。
それと対照的に男テオは認知症を患ってか、何事にも無頓着。
一件単調そうな内容にみえても、観ていると妙にクスクス笑い出したくなる。

この単純そうで、ポケ〜と観ていても内容を見落とさない作りが、実は巧妙な話術であることが終盤近くになってわかってくる。

「これが私の人生」と歌うヨハン。親子の和解。
妻との思い出のマッターホルンの裾野に立つフレッドとテオ。
隣人カンプスも含め、それよりもっと、もっと広く深い、人間に対する賛歌。
その打ち震える感動に、観ていてラストで思わず嗚咽しそうになってしまった。

これがオランダの、俳優もしているというディーデリク・エビンゲの初長編監督作品とは、とても思えないほど納得のいく素晴らしい出来だった。
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忘れ得ぬ作品・5〜『ケス』

2016年05月08日 | 1960年代映画(外国)
制作されてから27年後の1996年にやっと劇場公開なった作品『ケス』(ケン・ローチ監督、1969年)を、
当時、待ちに待った思いでミニシアターまで駆けつけた。
しかし、この作品はカラー映画なのに、記憶の中ではどうしてもモノクロのイメージが強い。
と言うことは、それ以前にテレビ放映されているから、その時に観ていてそれが記憶が残ったままだろうか。
そこのところがよくわからないが、この映画自体の印象は今でも鮮明である。

イギリス、ヨークシャー地方の炭鉱がある町。
母と兄の三人暮らしの少年ビリー・キャスパーは、中学卒業を間近に控えている。
家も貧しく、学校に行く前には新聞配達をしている。炭坑労働者の兄とも年が離れている。
その兄は自分のことが精いっぱいで、ビリーに愛情のかけらも持っていない。

ある朝ビリーは、森の中に一部だけが残っている廃墟の、高い石壁にハヤブサの巣を見つける。
そして、ヒナを育てて訓練したいと、本屋から「タカの訓練法」の本をこっそり盗む。
熱心にその本を読んだビリーは、とうとう巣から一羽のヒナを手にして・・・・



体格が小柄で貧弱なビリーは、勉強が好きでなく運動も苦手。要は劣等生。
その彼が、ハヤブサのヒナを育てて、自分の思うように飛ばせてみたいと、そのことに熱中する。
一人の少年が、ひとつの事に熱中し、鳥と交流しながら愛情を捧ぐその姿。
教室のホームルームで、「何か自分のことを話しなさい」と言われ、
グズグズしていたビリーが、徐々にハヤブサのことを話し始め、ついには夢中になって話すその口調。
その思いに先生やクラスメートも、遂には一言も聞き逃さないように引き込まれる。
そんなビリーに、思わず、何ともいえない深い感動を覚えられずにはいられない。

この作品は、少年と鳥との交流の単なる成長物語ではない。
直接的には描かないが、そこでは、弱者が生きていく社会背景が隠し絵のようにしてあぶり出される。
そして、鋭く冷静に描くその内容は、あたかもドキュメンタリーのようである。
寒い運動場でのサッカー。その時の教師の身勝手さ。
また、違反をしたと言って、生徒の言い分を一切聞かず罰を加える校長。なんの罪もない哀れな優秀生徒。
それを弾劾するのではなく、ユーモアさえ漂わせて客観的に描く。

ラスト、兄の約束を破ったビリーに悲劇が襲う。
そのビリーの悲しみが痛々しい。
映画は、社会の底辺にへばり付く労働者階級の貧困も含めて、その社会そのものを静かに告発する。
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忘れ得ぬ作品・4〜『情婦マノン』

2016年05月02日 | 戦後40年代映画(外国)
昔、映画館で観た記憶がないので、たぶんテレビだろうと不確かなのに、映像の方は鮮明に記憶されている作品がある。
題名は『情婦マノン』(アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督、1948年)。

時は戦後。イスラエルに向う貨物船が、出港時、亡命ユダヤ人の一団を乗船させる。
船倉をユダヤ人たちにあてがったが、そこには男女二人の密航者が隠れていた。
名は、ロベール・デグリューとマノン・レスコー。
二人を送り返そうとする船長に、ロベールはマノンとのなれそめからのいきさつを話し出す。

連合軍の上陸作戦によって解放されかかっているノルマンディーの町。
ナチと通じていたとして、町の住民たちが居酒屋のマノンを取り押さえ、髪を切ろうとしている。
フランス遊撃隊は、住民のリンチを止め、警察に引き渡すまでマノンを教会に監禁することにした。
そして、その監視役はロベールがした。
監視をしていたロベールは、いつしかマノンの虜になってしまい、パリへ向けて二人で逃走する・・・・



ロベールはマノンに夢中である。マノンだってロベールが好きでたまらない。
しかし、マノンは貧乏が嫌い、おまけに家事もイヤ、する事が奔放。そんな性格。
だからロベールが、親がいる田舎に一緒に行こうと言っても、パリがいいと言う。
いつしか身飾り品をつけ出したマノンを不審に思うロベールが、彼女の後をつけていけば、そこは高級売春宿。
ひと悶着あっても、マノンを手放せないロベールは許してしまう。
闇取引の相手の米軍将校が除隊となって帰国する時、その将校と結婚するというマノン。
そのマノンを追うために、マノンの兄レオンを殺してしまうロベール。
そして、ロベールとマノンの逃避行。

いきさつを聞いた船長は情にほだされ、下船するユダヤ人の中に二人を紛れ込ます。
これで一件落着の目出度しみたいだが、そうはいかない。ロベールとマノンにとって、これからが真の逃避行となる。
それに並行して、観る者の脳裏に一コマずつ映像が焼き付いていく。

イスラエルに向けて、荒涼とした岩肌をユダヤ人たちの後についていく二人。
現れるアラブの一団。撃たれるマノン。
死んだマノンの足を持ち、背負って砂漠を歩くロベール。
力尽きるロベール。マノンの顔だけを残して砂に埋めるロベール。
「死んで、やっと僕だけのものになった」と語り、マノンに寄り添うロベール。



アべ・プレヴォー原作の『マノン・レスコー』を現代に置き換えて、戦前映画と決別した後半の斬新な作りが印象強く残っている。
これが、「究極の愛」というものかと一人で納得し、現実にマノンのような女性と知り合ったらチョット困るけど、
それでも映画の中のマノンだったら魅力的でいいな、小悪魔的な“セシル・オーブリー”が絶対いいな、とその当時から変わらず思っている。
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