ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『ヌーヴェル・ヴァーグの時代』を読んで

2018年08月29日 | 本(小説ほか)
前に、『ヌーヴェル・ヴァーグの全体像』(ミシェル・マリ著・矢橋透訳、水声社:2014年刊)を読んだ関係上、
『ヌーヴェル・ヴァーグの時代』(紀伊國屋映画叢書3、遠山純生・編集:2010年刊)を読んでみた。

1950年代末、フランスで起こった映画刷新としての「ヌーヴェル・ヴァーグ」、日本語にすれば「新しい波」。
この本はそれを総括しようと、作品に沿いながらその全貌を解読していく。

構成は、作品ごとの「解説」と「あらすじ」が主になっている。

作品としては、ヌーヴェル・ヴァーグの前段作品から始まり、1964年8月公開までの49作品が紹介されている。
当然、そこに網羅されている作品の監督群は、ヌーヴェル・ヴァーグにとって重要な位置を占める。
内訳としては、短・長編を合わせてジャン=リュック・ゴダールが10作品。
その次にフランソワ・トリュフォーが続き、
ジャック・リヴェット、クロード・シャブロル、エリック・ロメール、ジャック・ドゥミにアニエス・ヴァルダ等の名が出る。
そして、狭義のヌーヴェル・ヴァーグから言えば傍流かもしれないアラン・レネやルイ・マル。
異色なところでは「ヌーヴェルヴァーグの精神的父親」としてのジャン=ピエール・メルヴィルの2作品もある。
それらを含めて13監督の、濃厚な作品紹介となっている。

またこの本の内容は、監督ごとの作品紹介ばかりでもなく、「ヌーヴェルヴァーグ再考」としてヌーヴェルヴァーグの流れや、
「世界の“新たな波”、あるいはその余波」として、各国に与えた映画状況が示されている。
そればかりか、要所要所に、『美しきセルジュ』(クロード・シャブロル監督、1957年)についての翻訳記事、
『二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)』(アラン・レネ監督、1959年)に対する翻訳座談会、
『勝手にしやがれ』(ジャン=リュック・ゴダール監督、1959年)のカット割り台本のほか、興味深い翻訳記事が揃って充実した内容となっている。

ただ所々、作品の「解説」と「あらすじ」に、知りたい内容からずれた記事も見当たり、それがもどかしい印象を受けたりもする。
それでもやはりこの本は、ヌーヴェル・ヴァーグの作品を知るうえで最良の資料ではないかとの印象を受けた。
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『カメラを止めるな!』を観て

2018年08月20日 | 日本映画
盆も過ぎて、気持ちのうえで余裕も出来てきたので、『カメラを止めるな!』(上田慎一郎監督、2017年)を観てきた。

人里離れた山の中で、自主映画の撮影クルーがゾンビ映画の撮影を行っている。
リアリティーを求める監督の要求はエスカレートし、なかなかOKの声はかからず、テイク数は42を数えていた。
その時、彼らは本物のゾンビの襲撃を受け、大興奮した監督がカメラを回し続ける一方、撮影クルーは次々とゾンビ化していき・・・
(YaHoo!映画より)

ゾンビのサバイバル映画。
手持ちカメラによるワンショット、37分の短編映画。
その、俳優がいかにも大根ぽい低予算なインディーズ作品を、我々観客は観せられる。
それでも、音楽による盛り上がらせが巧みなためか、シロートぽいなと思いながらも十分楽しめる。

映画は、一か月前に遡る。
テレビの再現VTRの監督をしている日暮隆之に、TVプロデューサーの古沢がやってきて、ゾンビもの専門チャンネルを作ると言う。
その第一回放送で、ゾンビ映画の撮影クルーが本物のゾンビに襲われるというドラマを作るという話に、日暮も了承する。
昼の1時から30分間、生中継による「ONE CUT OF THE DEAD」。

この映画は、その俳優たちと一体となっている制作側のスタッフの裏側を、ドンドンあからさまに見せていく。
そこが無茶苦茶面白い。
成る程なと感心しながら、大声で笑ってしまう。
しかしよく考えてみると、緻密な構成にたった上でのユーモアであることがわかる。
その構成は、作品そのものがゾンビ映画を作る内容、その作品を作る裏方の全容、
そして、それらをひっくるめて作品にしている実際の目に見えないスタッフというように三重構造を形成。
そのうえで、そうか、ゾンビ映画中でのシロートぽさも計算の上でか、と納得する。

久し振りに、万人受けしながら、それでもって、これは傑作であると堂々と言える作品に出会って、多いに満足した。
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山瀬まみの『可愛いゝひとよ』

2018年08月07日 | 音楽
久し振りに音楽の話。

中学生の頃からポピュラー音楽に親しんできた関係上、日本の曲も自然と和製ポップスを聞いていた。
だから演歌にはトント縁がなく、その後はフォークソングへと流れていった。

だがそれも歳とともに、音楽との出会いが少なくなっていき、それでも1980年代後半に出てきた森高千里には新鮮な思いがした。
ミュージックビデオで今までに購入したことがあるのは唯一、森高のライブ版『非実力派宣言』(1990年)だけで、やはり熱が入っていた。



所で、未だ人に言ったことはないが、その頃他にも、とても気に入っていた曲があった。
それは、山瀬まみの『可愛いゝひとよ』(1987年)。

その曲をYouTubeから貼り付けておこうと思う。

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『人間の運命』を観て

2018年08月02日 | 1950年代映画(外国)
『人間の運命』(セルゲイ・ボンダルチュク監督、1959年)を観た。

戦後最初の春、幼いワニューシカを連れたソコロフ・アンドリューシャは、暗い過去に思いを馳せる。

ウォロネシで1900年に生まれたソコロフは、内戦で赤軍に入ったが1922年の時には農夫として働いていた。
そのため、この年の飢饉では助かったが1年後に故郷に戻ってみると、親兄弟ともに亡くなっていた。

天蓋独り身になったソコロフは、その後見初めたイリーナと結婚し、一男二女の子持ちとなって幸せな日々を過ごす。
だが、ソコロフが家庭を持って17年、突然戦争が始まった・・・

ソコロフにとっては、長男のトーリカが新進数学者として選ばれたりして、幸せの絶頂時期のドイツ軍による侵攻。
ソコロフも徴兵され、前線に駆り出される。

第二次世界大戦。

敵弾に負傷したソコロフはドイツ軍の捕虜となり、一度は脱走を図るが、その後の2年間、あちこちの収容所に送られあらゆる場所で働かされる。
最後に送られた第14収容所、過酷な労働のグチを言ったソコロフは、密告によりミュラー所長に呼び出されて射殺を言い渡される。
だが、最後の酒を勧められたソコロフの勇敢な態度を見たミュラー所長は、処刑を取りやめる。
そして、ソコロフはその後、陸軍少佐の運転手となり、隙を見て前線を突破してソヴィエト軍に戻る。

功績で休暇を貰ったソコロフが故郷へ帰ってみると、自宅は廃墟の跡だった。
妻も二人の娘も亡くなっていて、残る長男は軍に志願したと聞かされる。
生きる目的を失ったソコロフは、再び前線に戻り、その後、息子が大尉になったとの消息を知るが、その息子も戦死する。

失意のままのソコロフに終戦が来る。

戦後、車の運転手になったソコロフは、偶然、孤児のワニューシカと出会いトラックに乗せる。
哀れな姿のワニューシカを見て、思わず父親だと名乗るソコロフ。
喜び飛びつくワニューシカ。
ソコロフはその笑顔を見て、ワニューシカとともに生きていくことを決意する。

戦争とは何か。
否応なしに、それに巻き込まれる人々にとって、人生のすべてが崩壊されるということはどのようなことなのか。
重い主題を、ソコロフという一個人を通して、普遍的なテーマに昇華していく。
そして、その先にある、絶望の末から芽生える希望の芽をみる。

ボンダルチュクが監督をしながら、主演する。
渾身の優れた作品である。
そう言えば、この年のソヴィエト映画には『誓いの休暇』(グレゴリー・チュフライ監督)もあった。
体制に関係なく優れた作品は、どのような国からも生まれると痛感する一作品であった。
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