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伝説とか神話は本来、真実の話でないことが多い。今さら伝説に難癖をつもりはさらさらないのであるが、阿寒湖の天然記念物「まりも」に関する伝説(神話)には多少の違和感を禁じえない。ほとんどの人が知らないと思うが、まりも伝説は現在二つある。一つは悲恋物語であり、一つは湖の妖怪(妖精とも)物語となる。いずれもアイヌの人たちの物語となっている。しかし、一つはアイヌの人とはゆかりもない人が作った話。どちらが本物であるかは、すぐ分かるであろう。悲恋物語は大正時代(これとても随分古いのであるが)に朝日新聞の記者(青木という人)が創作したものであった。
阿寒湖のまりもが国指定の天然記念物となったのは大正10年である。たぶんこの頃にまりもの宣伝の意味をかねて、まりも悲恋伝説が作られたのであろう。
簡単に伝説の概略を言えば、酋長の娘である美しいセトベと下男であるマニベの悲恋物語である。身分の違う(当時のアイヌに階級があったかどうかも定かでない)二人の悲恋は哀しい結末を迎える。誤って殺人を犯してしまったマニベが湖に身を投げて自殺する。その後を追いセトベも自殺する。二人の魂が「まりも」となって湖に生まれた。
ロミオとジュリエットの阿寒湖版ともいえる。この物語がどうとかと言うつもりはまったくない。こうした恋物語のイメージが重なることでまりもが注目されることには、異論はない。
ただ、これがアイヌの人たちの伝承物語とするのには、いささか抵抗があるのだ。
(マリモの唄の碑。晴れれば浮かび曇れば沈むというマリモも真実ではない)
かなり前のことだが、更科源蔵氏がある本で書いていた。まりもはアイヌの人たちにとって、忌み嫌うものであった、というのである。まりもを「トーラサンペ」と呼んでいた。意味は湖の妖怪である。まりもが増えると魚が取れなくなるという理由から、嫌っていたのであった。そして彼らが語り継いでいたまりも伝説は次のようなものであった。
昔の阿寒湖にはベカンベ(菱の実)がたくさん実っていた。ところが湖の神(トウコロカムイ)はこのベカンベが嫌いであった。湖が汚れるという理由からであった。そしてとうとうベカンベを阿寒湖から追い出してしまったのである。ベカンベは湖の神になんとか阿寒に住まわせてくれることを懇願したが許されなかった。彼らは泣く泣く塘路湖(標茶町)に移動したのである。阿寒湖を去る時、ベカンベたちは悔しさのあまり、水辺の草をむしって湖に投げつけた。この草がまりもとなった。アイヌの人たちの主食でもあったベカンベが、塘路湖にあって阿寒湖になかった理由をも解く伝説である。
恋物語のイメージを持つまりもと、忌み嫌われるまりも。どちらが阿寒湖観光に都合がよいかは言うまでもない。だが、伝説とか神話はただ古い話というだけではない。その中にはモラルとかルールという基本をベースに生まれている。アイヌのユーカラ(叙事詩)などは歴史的な意味も含めた物語なのである。そこには宗教的な精神も含まれている。都合がいいからと言って、無縁の話をねつ造して良いということにはならないだろう。アイヌの人たちが「まりも」を忌み嫌っていたのには、必ず理由がそこにあったからと思うからだ。
(養殖のまりもも存在する)
阿寒湖と同じ「まりも」があることで知られるアイスランドはバイキングの末裔の国でもある。彼らには「サーガ」という伝承物語が残されている。ユーカラと同じようなものである。彼らはそれを今も最高の教書として現代に生かしている。バイキングの教えが詰まった物語であるからだ。伝説は民族の歴史的な精神支柱となり、現代にもつながることを、サーガはアイスランドの人たちに伝えていた。
朝日新聞の記者には申し訳ないが、アイヌの人たちの生活と関係ない物語、それもシェークスピアをもじったような話(この話も元はギリシャ神話)には、やはり違和感がある。これは捻くれた精神を持つ私だけの感想なのかもしれないのだが。
毎年、10月になるとまりも祭りが開催される。この祭りは昭和25年から開かれるようになった。実はこの年から天然記念物の保護のため、まりもの採取が禁止された。このことをアピールし、保護政策を推進させるために祭りが行われたのである。祭りは3日間にわたる。アイヌの酋長が湖に出かけまりもを迎え、そして守り、最終日に再び湖に送るという儀式が行われる。まるでアイヌの人たちの伝統的な儀式に見える。が、更科源蔵氏も明記しているが、アイヌの人にとって、まりもは基本的に祭りの対象とはならないもの。忌み嫌っている「まりも」を神聖に扱うはずがない。造られた歴史にはやはり無理を感じてしまう。
(阿寒湖の自然はいつの時代でも素晴らし遺産だと思う)
近年、阿寒の観光客が激減していると聞いた。昨年は中国映画の影響で中国人が少し増えたらしいが、全体としては低迷のままだ。まりも人気が昔ほどではないことが一番の原因とも言える。いまどき、悲恋物語に心を動かされる若者などいない。
昔からまりも観光のお土産と言えばまりも羊羹がすべてであった(いい意味でも悪い意味でも)。最近は「まりもっこり」が人気という。もはやこれまで、と思ったのは私だけではないだろう。
昔は、塘路湖にはベカンベ祭り、阿寒や川湯には熊祭り(熊送り)があった。多くの人を集めたのは遠い過去の記憶でしかない。こうした祭りや行事を復活させることの方が、変なお土産や物語を捏造するよりずっと確かなような気がするのだが、簡単にいかないのが今の世の中なのか。
*熊祭りは残酷だという批判からかなり前に北海道知事の指示で禁止された経緯がある。数年前にこの禁止は解かれているが、一部アイヌの人たちの祭りとして残っているにすぎない。ベカンベ祭りはまったく開催されていない。理由は定かではない。
ニューファウンドランド島というよりオールドファウンドランド島という訳です。
どうやら、伝説と地図から説き起こしていったようです。
アイヌは何故文字を持たなかったんだろう?
自然とともに生きるということは文字は必要なかったのかもしれませんね。
アメリカ合衆国の建国200周年の時、故事にならって帆船で大西洋を渡るのですが、出発した港はアイスランドの首都レイキャビックでした。最初に大西洋を渡ったバイキングの名前も判明していて、レイブル・エイリックソンといいます。彼の銅像がレイキャビックにありますが、贈ったのはアメリカです。コロンブスはあまり評判が良くないですね。
アイヌが文字を持たなかったのは、他との交流がなかったからなのでは。必要性もなかったと思います。