原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

ビートルズを聴きながら

2008年11月11日 11時56分16秒 | ニュース/出来事
つい先日、BSのある局でビートルズ研究会なるものを放送していた。我々、ビートルズ一世世代にとっては懐かしくもある青春の一頁を飾ったグループであり、二十一世紀の現在もまだ、多くの人を引き付けるそのカリスマ性にただ感心する。半分くらいは知った話であったが、その鮮度は少しも色あせていないのには驚かされた。ビートルズの曲はすべて好きであるが、特に好きなのは「The Long and Winding Road」。この歌を聴くと釧路湿原を流れる釧路川を思い出す。平らな平原を蛇行して流れる川と人生が重なるからだ。久しぶりに古いLP時代のアルバムをとりだしてしまった。
ビートルズについてはあまりに多くの出版物が出され、もう語ることが尽きたのではと思っていた我々にはまだまだ未知のビートルがいることにも驚かされた。そのなかで、気にかかった点が一つあった。ビートルが生まれたリバプールの街に話が及んだ時である。一人が「日本の東北の一都市のような小さな街で、ビートルズとサッカーしかない街ですよ」と語った。司会者がすかさず「昔は奴隷船の終結場所だった港町ですよね」というフォローをしている。街についてはこれしか触れなかった。時間の制約のせいで、知っていながら触れなかったのだと解釈しているが、東北の一都市という言及の仕方で終わるのは、不自然である。ビートルズの原点となった街であり、彼らを生み出す土壌が厳然と存在していたことをネグってはビートルズの核心に触れたことにはならないからだ。ビートルズを聴きながら、リバプールについて少し語りたい。ビートルズの原点が鮮明に見えてくる街がそこにある。
西海岸一の港町として十五世紀ころから拠点となったリバプールであったし、奴隷船の拠点の港としてあったのも事実である。しかし、この街を世界に知らしめた最大の要素は十八世紀を起点とする産業革命である。イギリス中部の地帯は「世界の工場」として機能し、大繁栄を迎える。その中心となったマンチェスターの玄関口が、リバプールであった。蒸気機関の開発が蒸気船を生み、リバプールとアイルランドを結ぶ蒸気船の定期航路が就航。アイルランドから大量の労働者が世界の工場の担い手として移住してきている。リバプールにもたくさんの移住者が住み着いた。ところが、産業革命時代の終焉とともに世界の工場は次々に閉鎖。労働者は一気に職を失う。リバプールにはこうして貧困階級と化したアイルランド系住民が大量に生活することになる。ビートルズのメンバーがこうしたアイルランド系の市民であったことはよく知られている。大英帝国は基本的には階級社会である。スコットランド、ウェールズ、北アイルランドなどのケルト系住民とアングロサクソンのイングランド系住民とには明確な区別がある。イングランドの中に存在するリバプールのアイルランド系住民がその差別に苦しむのは当然であった。あまり知られていないが、リバプールには大きな教会が二つある。一つは英国国教(アングリカン)の聖堂であり、一つはカソリックの大聖堂である。イギリス内で違う二つの聖堂がそろっている街はほとんどない。たしかリバプール以外では一つしかないはず。イングランド内でもこの街の特殊性が想像できる。アイルランド系の住民はカソリック、イングランドはヘンリー一世以来の英国国教(16世紀)である。キリストの旧教と新教が同居する街とり、現在まで続く北アイルランドとの紛争の火種でもある。
もう一つ、音楽に関する源流がある。それは第二次世界大戦の時である。ノルマンディー上陸作戦を計画していた米、英、仏の連合軍は隠密に行動し、1944年6月6日の作戦開始の前、主力部隊をひそかにリバプールに集結させていた。この時、リバプールの街に流れ込んだのがアメリカのロックンロール、R&B、ブルースなどのいわゆる黒人音楽。この時をきっかけに街にはアメリカンミュージックがあふれるパブが流行している。この土壌がのちにマージービート(マージーはリバプールを流れるマージー川のこと)と呼ばれる音楽を生み出すのである。1950年代はアメリカからプレスリーの音楽が上陸する。黒人音楽を身につけたロックンロールに若者は染まる。その中に若き日のビートルズの面々がいた。アメリカ上陸を果たしたビートルズが真っ先にプレスリーとの面会を求めた背景にはこれがあった。ジョン・レノンがプレスリーに語った「あなたがいたからこそ、我々ビートルズが生まれた」
アイルランド系住民の苦汁、アメリカからの音楽の直輸入。ここにビートルズの源流があった。英国女王から勲章をもらったビートルズではあったが、ジョン・レノンはそれを一時返還している。後に謝罪のコメントをしているが、当時の彼に中には、アイルランド系住民の苦汁や鬱憤が渦巻いていたとも言えるだろう。生活苦の少年時代、音楽に希望の活路を求めた彼らの鬱積も理解できる。ビートルズの背景にこうした時代があったことを知って、彼らの歌を聴くと一層味わい深いものとなる。
ビートルズの解散後、ジョン・レノンは「イマジン」を発表する(1971年)。現在この歌は反戦歌として知られ、イラク戦争の反対集会などによく使われていた。この歌は当時、頻繁におこっていた北アイルランドの過激派によるテロ活動に対する歌であった。アイルランド系のジョン・レノンだからそれは切実であったのだろう。彼がラブ&ピースを提唱したのは、アイルランド人としての苦しみや悲しみを体験したからこそ打ち出したものであった。
この事実は、昔から知られていたこと。しかし、現在はあまり語られることはない。あの番組が、この点にも触れてもらえれば、若いビートルズファンも、もう少し深く理解できたのにと思わずにいられない。ビートルにまつわる話はまだまだたくさんある。だが、原点はいかなる場合も疎かにしないでほしい。


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