原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

ノーモア「捏造朝日」

2014年08月12日 09時36分21秒 | ニュース/出来事

 

8月5・6・7日の大紙面を使っての朝日新聞の告白はある意味大英断であったとは思う。しかし、言い訳の拙さもまた特筆ものだった。23年間の嘘を認めることができなかった理由さえ解き明かせず、騙された被害者であったという結論には呆れる。挺身隊の誤用は研究不足だったから?小学生並みの弁解。これらの間違いはすでに普通の日本人はみな知っていた事。当ブログでも何度も指摘していたし、最近では7月29日の内部告白者の正義でも記述している。気づかないふりをしていたのは朝日新聞だけ(毎日もそうだが)。これは誤用とか誤報というレベルの話ではなく、あきらかに捏造。さらに日韓問題がこじれた責任は朝日ではないとする姿勢には言葉がない。

 

日本国民は朝日の「長年の嘘」だけを怒っているわけではない。この告白後の言い訳のひどさに二重の失望をしたからだ。この新聞社には自浄能力がないと思わざるを得ない。こんな折、朝日新聞社の社内では若手を中心に大ブーイングが起きているという話が流れてきた。なんでこんな時期にこんな記事を出したのかとか、関係者がいなくなってから責任を押し付けられても答えようがないとか。残念ながら、こんな話さえ信用できない。何しろ社長自ら「歴史的事実は変わらないのだから、謝罪する必要がない」と言っている。国連の人権委員会がとりあげたクマラスワミ報告書の元は吉田証言である。責任がないなどと言わせない。慰安婦の強制があったことは事実で、その本質は不変だという言うなら、新たな証明が必要になる。強制が女衒や仲介業者の行為であるとしても、日本軍の責任であるという言い分は理解できるわけがない。不可解もいいところだ。

慰安婦がいたことが人権問題の本質と言うなら、当時のドイツやフランスはどうなのだろう?まして朝鮮戦争時代に米軍慰安婦を設定した韓国はどうなるの?それを利用したアメリカ軍はどうなるの?論理矛盾は彼らの得意技でもあるが、無惨な言い訳になっている。共産党の小池は、日本だけにある強制だと言っていたが、こんなウソはもう通用しない。

唯一の頼りであった吉田清治の話が捏造であったと認めた時点で、すべてが白紙にならなければおかしい。出発点が違っているのに結論が同じという論理は成り立たない。むしろ結論が先にあったので出発点にやみくもに飛びついたというのが真相なのだろう。それにしても原点がゼロになって結論だけ残る話などありえない。軍という組織的な力による強制については白紙に戻して検討する、とでも言い訳するならまだしも、結論は変わらないと言ってしまっては、朝日新聞のジャーナリズムは異常だ。廃業宣言に等しい。冒涜とも言える。読売やサンケイはさすがに異議を唱えているが、毎日などは擁護。国会で論議をという声があがると、報道の自由が侵されるという始末。捏造やウソを報道する自由は民主国家にはない。表現の自由と言った愚かな者もいたが、日本語もまともに知らないようだ。「報道」と「表現」が一緒になると言うのか。

少なくてもこの一連の記事掲載で、朝日の評価をさらに低める結果になったことは確か。一生懸命擁護する韓国のメディアがあるが、言えば言うほど韓国と朝日新聞のつながりを暴露しているようなもので、日本人の心がどんどん離れている。こんな原理原則も分からない韓国も哀しいが、朝日新聞という一つの時代を築いた新聞社の終焉が近づいていることだけは、確かのようだ。

 

朝日新聞の捏造の歴史は慰安婦問題だけではない。主なものを記述しよう(私が認識しているものだけ)。

まずあげられるのが、毛沢東の次の主席と言われていた林彪の事件。1971年9月13日に林彪は飛行機事故で死亡しているのだが、中国政府はこのことを1年半にわたり隠ぺいする。理由は林彪の毛沢東暗殺計画があったからで、その隠ぺい工作に協力したのが朝日新聞。西欧のメディアが林彪が行方不明だと騒ぎだすと、すべてのメディアが北京から追い出された。唯一許されたのが日本の朝日新聞とNHK。そして朝日新聞は堂々と林彪は元気で政務に励んでいると報道したのである。この嘘もまたサンケイが暴露している。

文化大革命(66~77年)を称賛し続けたのも朝日新聞。林彪の件からも当然の成り行き。その勢いのまま、当時のカンボジアで起きた内乱の主導的役割のポルポト派を、アジア的なやさしい党と大宣伝をした。この時、ポルポトは毛沢東の指示で三百万人と言われる人を虐殺している。これについても朝日はその後無言。もちろん謝罪などしていない。

極めつきは1989年に起きた天安門事件。学生をはじめ一般市民が大量に殺害された時、北京は平穏ですと記事にしていたのが朝日新聞。一人の血も流れていないとまで言っていた。見事なほど中国への追随ぶり。どこの国の新聞社かと思う。

現在も政治問題として残る課題のきっかけも確実に朝日新聞が出発であった。

南京虐殺事件。これは本多勝一という記者が中国を旅して南京事件を1971年8月から12月まで新聞に掲載した。ちょうど林彪事件が起きた時期である。この記事が1997年のアイリス・チャンによる「レイプ・オブ・ナンキン」の発行につながっている。この本には数多くの日本の歴史に対する事実誤認があったために日本での出版が中止となった。出版社があまりのひどさ(幼稚で)に間違いを訂正するようにチャンに求めたが拒否されたのが原因であった。本多勝一は記事掲載にあたって、言われたままを書いている。当然ながら裏付けとなる調査など一切行っていない。それは本人も認めている。だが、私にはこの南京事件の半年前に起きていた通州事件との類似性を強く感じた。通州事件は中国人に日本人が殺害された事件である。その時に殺された婦女子の殺害方法が南京で中国人がされたという殺害方法とそっくりなのである。しかも日本人がするとは思えない残酷さなのである。このことを指摘する歴史家もたくさんいる。南京虐殺なんか本当の話なのだろうかという疑いが噴出する。市民の人口20万人の南京でなぜ30万人の殺害ができるのか。しかも中国軍はその前日逃亡しているというのに。中国は的確な説明などしていない。なお、南京市にある、いわゆる虐殺記念館の設立に当時の日本の社会党が莫大な資金援助をしている。

靖国参拝問題も朝日新聞が起点であった。これが問題となったのは1985年8月7日、朝日の論説委員である加藤千洋が靖国にA級戦犯が合祀されているのに首相の参拝はおかしいと問題提起した。根本的な間違いがまずある。A級戦犯と彼は言っているが、昭和27年(1952年)日本がサンフランシスコ講和条約により主権を取り戻した時、国会において満場一致で戦犯の不名誉は消滅し、戦争犠牲者とすることを決議している。つまり戦犯はこの時から存在していない。この決議には社会党も共産党も賛成している。ところがである。1985年8月26日に社会党の田辺誠が訪中。そしてその翌日の8月27日に当時の中国の首相が、突然、「日本の首相が靖国に参拝するのは戦争責任を果たしてない」、と言いだした。それまで、58回も首相が参拝し、合祀された後も20回も参拝している時には何も言わなかった中国がである。社会党の訪中とリンクしていることは明らかなことであろう。その出発点に捏造記事を書いた朝日があったことも事実である。

 

在日韓国人の犯罪に対して本名を一切報じず、通り名を使って日本人であるかのように報道するのも朝日新聞である。凶悪犯罪の多くに在日の韓国人が関わっている事実は朝日はひた隠しに隠している。

どうも朝日新聞というのは中国と韓国のためにある新聞社で日本人が貶められたりすることには何の抵抗も感じない新聞社であるとしか見えない。

こうした流れから判断すると、慰安婦問題というものが朝日新聞の体質から生まれたものであるということがよく分かる。これこそがすべての問題の本質であると言えるではないか。

ある人がテレビでいみじくも言っていた。「朝日という新聞の終わりの始まりを見る思いである」。いずれにしてもこの新聞社が取り返しのつかないミスを2重3重でやってしまったことはたしか。とにかく、ノーモア捏造朝日、である。

 

現在、朝日新聞は特定秘密法案や集団的自衛権に異常なほどの反対キャンペーンを実行している。この本当の目的がどこにあるのかさえ疑われる。そういえばこの法案には中国や韓国までも反対している。誰のために反対しているのか?日本のためとはとても思えない。

こうしたた朝日新聞に追随するメディアも多い。毎日はもちろんだが中日(東京)などその代表。そして北の朝日と呼ばれる北海道新聞よ、大丈夫なのか?インターネットの時代では道内を網羅しているという発行部数など何の役に立たない。また朝日とともに躍った政治家、弁護士、学者、評論家たちよ、なぜ無口なのか。その反論を早く聞きたい。


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2 コメント

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メディアの責任! (numapy)
2014-08-12 13:17:28
実にひどかったですね。全部覆っちゃった。なのに、潔く認めようとしない!
昔から朝日にはそういう体質がありました。知識のない平民を我々はリードしてる…
そんなゴーマンさが、ず~と彼らにはありましたね。だから、戦時中、
戦後と決定的なミスリードをした!しかもそれに対する反省の欠片さえない!
いずれにせよすべてのジャーナリズムに言えるのが「ペンは権に弱し」ですね。
ところで、靖国の合祀のプロセスをご存知ですか?
知ってたら教えてください。
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合祀について (genyajin)
2014-08-13 09:40:27
合祀のプロセスについて簡単に記述します。
A級B級C級の区別についてはご存じだと思いますが、戦場かそうでないかでBとCに分かれ、A級とは平和に対する罪というそれまでの国際法に無い、日本を裁くためだけの罪状として生まれたものです。これを罪の重さで分けたなどと中国や韓国は宣伝してますがまったくの嘘です。
1952年に主権が回復した時、戦犯についての国家決議で戦犯たちの不名誉は消滅し「昭和殉難者」とされ、翌年には「法務死」とされています。つまり戦犯はいなくなってます。
B級C級については1959年から64年にかけて合祀が行われ、A級については1978年に合祀が行われています。ただし公表はされていません。79年に朝日新聞が報道し、一般的に知られるようになりました。
記事内で1975年に朝日の加藤が問題提起していたというのはミスです。1985年が正しい。そして中国がクレームをつけたのは同じ年の1985年です。記述間違いです。お許しを。
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