原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

「財界さっぽろ」に反論(後編)

2014年07月18日 09時41分02秒 | ニュース/出来事

 

記事によると、「裁判で訴えられた町立病院の前事務長のその後について、町役場は社会福祉法人標茶町社会福祉協議会(以下社協)に移動させることを決めた。社協の事務局長を更迭するために横やりを入れ降格させ。空いたポストに前事務長を充てた」、となっている。すでに終わったトラブルを継続させる、次の舞台を記事は用意していた。役場の不当な関与がこの他にもあったとも語っている。すべて風聞で構成され、恣意的で一方的な発言のままの記事である。裏付けを取れば虚偽であることがすぐ分かる。社協については事情が分からなかったので、ちょっと調べてみたら、簡単に分かった。こんな嘘話を見抜けなかった記者もいるのか、と思うばかりである。

 

まず時系列に見ると、裁判結果がでるころから、役場による社協の事務局長への風当たりが強くなったと語られている。タイミング的にあっているように思えるが、事情がまったく違う。記事では、些細なことをとりあげて事務局長を役場に呼びつけたとあるが、実は一昨年の4月から任務についた事務局長は数々の問題を起こしていた。完全なルール違反があった。普通ならクビとなる事情である。記事では細かなミスを調べ上げて叱責、とあったが、町役場が横やりを入れたとか介入したという話のレベルではない。そのために社協内部が混乱し、収拾がつかなくなっていたのである。前事務局長の降格も内部混乱を収束させるために、理事らに説得されて自ら申し出たもの。町役場の介入によって降格したものではない。

病院の前事務長は2014年4月に役場に移動となったが、移動は本人の強い希望によるもの。院長の交代も決まっていたので直前まで町長は慰留していた。事務長の希望が強くやむを得ず移動が決まった(住民課)というのが真実。社協への移動はその後のことなのである。

社会福祉法人が混乱状態では町としても放ってはおけない。事務局長が降格した後に混乱を解決するために新たな事務局長を選定する必要があった。そして病院の前事務長が選任されたのである。個人的な感想を言うと、町によるこの人事には多少の懸念を感じた。前事務長はまさに貧乏くじを引いたと思うからだ。彼は病院への訴訟でいわれのない騒動に巻き込まれ、裁判は勝訴と言う形となったが、一年以上にわたり針の筵の毎日だったはず。それらを考慮すれば、次の仕事場についてはそれなりの心配りが必要であった。まして、解決策のない空しい騒動によって恨みを持つ「者」を生みだしてもいた。彼を新たな舞台に出せば、それらを刺激することになる。だが、複雑怪奇の状況の社協に乗り込もうと希望する人は、そうはいない。他に適当な人材がいないという理由もあり、火中へ飛びこませる人事となった。少しばかり配慮が足りなかったと思っている。

案の定、この人事をネタにして問題が新たに提起された。財界さっぽろの記事に呼応した怪文書が登場したというのだ。その真偽はともかく、最初に「役場が人事に介入して、前事務局長を降格させ、パワハラをした人物にポストを押し付けた」とあったとか。新事務局長は罷免されるべきであると訴えているのである。雑誌の捏造記事をベースとした怪文書の登場である。が、これには基本的な間違いがある。パワハラということは裁判では却下され結審している。パワハラを言いだす根拠はもう存在していない。根拠のない言いだしの文章では、当然ながら後の話へのつじつまが合わなくなる。この怪文書の存在は確認していないが、事実なら書いたもののお里が知れる。こんな怪文書が出回るほど混乱しているということなのだろう。社協の問題をさらに混乱させようという腹づもりが見える。だが、見事な空振りである。こんな怪文書を誰が信用するだろうか。逆効果になるだけなのだが、迷惑であることは間違いない。

それでも新事務局長は淡々と仕事をこなしている。問題となった前事務局長について調査委員会が開かれ、事実が着々と整理されている。間もなくそれが町にも伝えられることになる(公になるかどうかは分からないが)。こうした動きに状況の変化が見えてきたとも聞いている。町の介入に怒り、前事務局長を擁護していたグループが、事態の鎮静化を図り始めたというのだ。笑うしかない。前事務局長の規則無視の事実を知らないで騒いでいたとしたら、愚かという言葉ではすまされない。財界さっぽろの記事を振りかざして、これは事実だと言い放った人もいたらしい(また聞きではあるが)。今頃になって無理な「付け火」が自分にもふりかかることになると気づいたとしたら、そうとうに血のめぐりが悪い。

 

ここまでくると、もう理解できるであろう。6月に記事が出ることに連動した怪文書の登場(さらに出回る可能性もある)。タイミングを図った一連の流れは実に作為的である。財界さっぽろの記事が記者独自の取材のものではなく、ある思惑を持った人の一方的な話をまとめたものであるということである。記事が一つも裏付けを取っていない理由も分かってくる。こんなことをする目的はどこにあるのだろうか?

その答えまで記事は出していた。記事の最後に登場する地元有力者の話がそれだ。要約すると「町内はもともと革新系と保守系に二分され、選挙などにもろに反映していた。その流れがいまだ根強く残っている。町と社協の軋轢もそこに根がある。秋の町長選挙や春の町議選に、この件によって町を二分にすることにならなければいいが」。

まさに噴飯ものである。ここに標茶町のタブーがあるということらしい。この結論に話を持っていくために、訴訟問題を出発点に懸命に考えた物語のようだ。十周遅れのガラパゴスを見た思いだ。完全なる「デマゴーク」である。それもかなり程度の低い悪質なものだ。昭和30年代ならある程度の効き目があったかもしれないが、今は無惨に思えるほど無理な話。こんな稚拙なデマゴークで世論操作などできるはずがない。現在の町民に大変失礼な話ではないか。いまどき、この程度の稚拙な概念で分離するわけがない(あるとすれば一部のガラパゴス派だけ)。陳腐としか言いようがない。この地元有力者(自分でそう思っているとしたら、さらに笑える)が語るようなことはあり得ない。町長選や町議選にある種の風を起こそうという目論見がちらりと見える。この有力者という人の思惑というか本音がここにあるとしたら、気の毒だ。思い違いも甚だしい。裏がミエミエなのだ。地元の有力者という人も、いかに空気の読めない人かがよく分かる。この一連の騒動の結果が今後どんな風に表われるのか、ある意味楽しみでもある。標茶町民の本当の力が試される時が来ているとも言えるからだ。

それにしても、財界さっぽろは、ただ頼まれて記事を書いたのか、何か報酬や利益を得るためにこんな記事を書いたのかは分からないが、自らを貶めるようなことをしたものだと思う。清水という記者の署名記事だが、実在の人物なのかも怪しい。もし実在していたなら、記者生命は限りなく終わりだ。デスクも含め、本人にその自覚はあるのだろうか。たぶん、ないだろうな。

いずれにしても、これ以上に標茶町民が愚弄されてたまるか、というのが言い分。「バカにするな!」の一言を「財界さっぽろ」に進呈したい。ついでに「地元の有力者」とかという人にも!

 


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4 コメント

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まだ続きそうですね・・・ (numapy)
2014-07-18 10:30:14
おはようございます!
一連の騒動と記事の関連がよくわかりました。
そうですよね。考えてみればそういうシナリオだったんですね。
それにしても人間と言うのは厄介ですね。自己保存のためには
結構な悪事を働く。しかも、ジャーナリズムを擬態したメディアは
エンターテインメントをまさに正義の騎士感覚で自作自演する。
小さい町の出来事とはいえ、大小問わず列島は同じになってしまったんでしょうねぇ。
怒りと言うよりも情けなくなってきますね。
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たぶん、もう収束です。 (genyajin)
2014-07-18 12:46:36
どう見ても奇妙な騒ぎであることは町民は知っています。これ以上騒げばマイナス効果であることぐらい彼らも気づくでしょう。昔なら、声の大きな人に正義がありました。だから騒げばそれなりの効果があったと思います。しかし今はそんな時代ではありません。インターネットなどで正確な情報はいくらでも得られます。嘘はすぐ見破られます。だから確実に収束すると思います。
今回このようなブログにしたのは、誰かが反対の意見を言っておく必要があったからです。無口は日本人の美徳の一つですが、黙っていると承認したかのように思われる傾向が現代にはあります。大いなる反対意見もあったと後で証明できるものが必要と思ったから、ブログにしました。捏造された従軍慰安婦問題の例を見ても分かりますが、反論しなければ事実となってしまう風潮に歯止めをかけただけです。
いずれにしても、我欲というか私欲に走るということは怖いですね。適正な判断力を失います。自分にも十分言い聞かせるべき事だと思っています。
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標茶の風土 (gsan)
2014-09-22 20:14:48
必ず収束するだろうけど、騒動の黒幕が役場の関与があるので、行き着くとこまで終えて落ち着くでしょう!役人のくだらないプライドが表面化、恥さらしにならなければ良いが。
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もう充分に恥さらしてます。 (genyajin)
2014-09-23 09:57:05
大山鳴動して、鼠一匹もでないかも。
それでも、意味はある。恥を知るという意味で。
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