1997年に神戸で発生した連続殺人事件は、日本を揺るがすほど衝撃的であった。逮捕された少年は当時まだ14歳。その若さにも驚かされた。あれから18年を経過。少年はすでに32歳、刑期を終え、社会にでている。忘れかけた事件が、突然蘇った。この少年が事件のことを記述した本が出版されたからである。なぜ、いま?この本をめぐる賛否が湧きたつ。話題作りに成功したとも言えるのだろう。本の売れ行きはしごく順調で、増刷を続けているという。
妙な違和感が溜っている。この本の意義を説く人たちが結構いる。少年犯罪の参考になるとか、心からの反省が見えるとか。果たしてそうだろうか。この本を読む気にならなかったので読んではいない。それで批判めいたことを言うのは僭越だと思うが、この本の内容で少年犯罪の何が分かるというのか、はっきりいって疑問に思う。この犯罪は異常な精神状況の中で生まれたもの。それが分かったからと言って犯罪を防ぐ対策が生まれるということなど、無理な話だ。まして一般人がそれを理解することなどあり得ない。あるとすれば犯罪心理学者の参考資料にはなる程度。つまり専門家でなければ必要なものとはならない。あえて出版する意味はどこにあるだろうか。
この本の出版にあたって、著述者である少年Aの主導的意思で行われたものではないだろう。すべての仕掛けは出版社であるはず。むしろ嫌がる元少年を口説き落としたというのが真相なのでは。実際の文章も出版社が元少年の話をもとにまとめた可能性の方が強い。出版社はそのくらいのことはする(もちろん私見であり、推測にすぎない)。
いま、本が売れない時代、どこの出版社も売れる本を求めて必死だ。業界に携わっていただけに、その現実はよく理解できる。この出版社はもともと芸能プロダクションから独立した会社。ちょっと特異な本を多く出している。つまり他社が敬遠するようなものを大胆に出版する。「永遠の0」もそうであった。しかし、大ヒットを生み出したのは、先見性というより、物議を醸す話題作りをメーンテーマとすることを得意としているからなのだと理解している。自殺とか殺人に関する本も出版している。だからこそ、辿りついた一冊と言えるのではないだろうか。
はっきり言えば、商業主義に徹したところから生まれたもの。社会性とか人権とか、少年犯罪に対する提言など二の次だったのでは。もし、そうでないとしたら、少なくても被害者遺族に事前に了解を求める最低限の礼儀は欠かさないはず。それをしなかったのは、事前了解に失敗したら本が出せなくなるから。そこまでのリスクを回避したことでも分かる。
実際、遺族からクレームが出て、本の出版の差し止めまで要求されている。しかし、こうした騒動さえ、本の宣伝になる。そこまで意識していたかどうかはともかくとして、見事に出版社の戦略は成功した。本の売り上げは順調に伸ばしている。この印税の一部(?)は遺族にと、出版社は謳っているが、遺族は確実に拒否するだろう。気味の悪い違和感の根源がここにあることは言うまでもない。
アメリカに「サムの息子法」という法律がある。1977年にニューヨーク州で制定された法律。犯罪加害者が自らの犯罪物語を出版・販売をして利益を得ることを禁じたもの。アメリカという国は不思議な国だ。いろいろな意味で日本人とメンタリティーの違いを感じるが、ときおりきわめて参考となることがある。この法律もそうである。これは犯罪先進国家であるアメリカだからこそ生まれた法律であろう。日本も犯罪という面ではようやくアメリカに追いついてきたと言える。嫌なことだが、時代はそうした方向に向かっていることは間違いない。
アメリカでも問題となったのだが、この法律が表現の自由を侵すということであった。この辺がアメリカの無駄な理論の展開なのだ。日本でもこの法律が話題となった時、表現の自由問題を提唱する人がいた。人権派の矛盾を感じる。被害者の人権より加害者の人権を優先するかのような現法律、少年法も問題点、死刑制度などなど、日本の法律は数多くの矛盾に満ちている。どこかで整理しなければ、21世紀の日本は立ち行かなくなるような気がしてならない。
サムの息子法:犯罪活動の結果として直接取得した金銭を押収することを意図した法律。犯罪者が自らの事件を商業的に利用して得た金銭を奪うことにより、犯罪の収益性を除去するため、また、犯罪者が自分の罪の悪評を活用できないように作られている。多くの場合、書籍出版や映画化などから得た収入は犯罪被害者への補償となる。この法が制定されたきっかけは、出版社が「サムの息子」ことデビッド・バーコウィッツに多額の報酬を提示して手記のオファーを出したことが問題視されたためである。以降、数多くの改定を重ねて、ニューヨーク州は2001年に再び採択した。同様の法律は他の多数の州で制定されている。犯罪者による罪のビジネス化を防ぐ目的と同時に被害者・遺族救済のための法であり、日本でも同様の法を望む声が出ている。(ウィキペディアより)
この法律の施行により、被害者や遺族がこの収益金を受け取る例はほとんどないというのが実態。当たり前の話。世の中きれいごとですむわけがない。
妙な違和感が溜っている。この本の意義を説く人たちが結構いる。少年犯罪の参考になるとか、心からの反省が見えるとか。果たしてそうだろうか。この本を読む気にならなかったので読んではいない。それで批判めいたことを言うのは僭越だと思うが、この本の内容で少年犯罪の何が分かるというのか、はっきりいって疑問に思う。この犯罪は異常な精神状況の中で生まれたもの。それが分かったからと言って犯罪を防ぐ対策が生まれるということなど、無理な話だ。まして一般人がそれを理解することなどあり得ない。あるとすれば犯罪心理学者の参考資料にはなる程度。つまり専門家でなければ必要なものとはならない。あえて出版する意味はどこにあるだろうか。
この本の出版にあたって、著述者である少年Aの主導的意思で行われたものではないだろう。すべての仕掛けは出版社であるはず。むしろ嫌がる元少年を口説き落としたというのが真相なのでは。実際の文章も出版社が元少年の話をもとにまとめた可能性の方が強い。出版社はそのくらいのことはする(もちろん私見であり、推測にすぎない)。
いま、本が売れない時代、どこの出版社も売れる本を求めて必死だ。業界に携わっていただけに、その現実はよく理解できる。この出版社はもともと芸能プロダクションから独立した会社。ちょっと特異な本を多く出している。つまり他社が敬遠するようなものを大胆に出版する。「永遠の0」もそうであった。しかし、大ヒットを生み出したのは、先見性というより、物議を醸す話題作りをメーンテーマとすることを得意としているからなのだと理解している。自殺とか殺人に関する本も出版している。だからこそ、辿りついた一冊と言えるのではないだろうか。
はっきり言えば、商業主義に徹したところから生まれたもの。社会性とか人権とか、少年犯罪に対する提言など二の次だったのでは。もし、そうでないとしたら、少なくても被害者遺族に事前に了解を求める最低限の礼儀は欠かさないはず。それをしなかったのは、事前了解に失敗したら本が出せなくなるから。そこまでのリスクを回避したことでも分かる。
実際、遺族からクレームが出て、本の出版の差し止めまで要求されている。しかし、こうした騒動さえ、本の宣伝になる。そこまで意識していたかどうかはともかくとして、見事に出版社の戦略は成功した。本の売り上げは順調に伸ばしている。この印税の一部(?)は遺族にと、出版社は謳っているが、遺族は確実に拒否するだろう。気味の悪い違和感の根源がここにあることは言うまでもない。
アメリカに「サムの息子法」という法律がある。1977年にニューヨーク州で制定された法律。犯罪加害者が自らの犯罪物語を出版・販売をして利益を得ることを禁じたもの。アメリカという国は不思議な国だ。いろいろな意味で日本人とメンタリティーの違いを感じるが、ときおりきわめて参考となることがある。この法律もそうである。これは犯罪先進国家であるアメリカだからこそ生まれた法律であろう。日本も犯罪という面ではようやくアメリカに追いついてきたと言える。嫌なことだが、時代はそうした方向に向かっていることは間違いない。
アメリカでも問題となったのだが、この法律が表現の自由を侵すということであった。この辺がアメリカの無駄な理論の展開なのだ。日本でもこの法律が話題となった時、表現の自由問題を提唱する人がいた。人権派の矛盾を感じる。被害者の人権より加害者の人権を優先するかのような現法律、少年法も問題点、死刑制度などなど、日本の法律は数多くの矛盾に満ちている。どこかで整理しなければ、21世紀の日本は立ち行かなくなるような気がしてならない。
サムの息子法:犯罪活動の結果として直接取得した金銭を押収することを意図した法律。犯罪者が自らの事件を商業的に利用して得た金銭を奪うことにより、犯罪の収益性を除去するため、また、犯罪者が自分の罪の悪評を活用できないように作られている。多くの場合、書籍出版や映画化などから得た収入は犯罪被害者への補償となる。この法が制定されたきっかけは、出版社が「サムの息子」ことデビッド・バーコウィッツに多額の報酬を提示して手記のオファーを出したことが問題視されたためである。以降、数多くの改定を重ねて、ニューヨーク州は2001年に再び採択した。同様の法律は他の多数の州で制定されている。犯罪者による罪のビジネス化を防ぐ目的と同時に被害者・遺族救済のための法であり、日本でも同様の法を望む声が出ている。(ウィキペディアより)
この法律の施行により、被害者や遺族がこの収益金を受け取る例はほとんどないというのが実態。当たり前の話。世の中きれいごとですむわけがない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます