ジョン・レノンのイマジンの歌詞で「想像してごらん、国なんてないことを」という一節がある。国際線に乗ってユーラシア大陸の上空を飛んでいると、いつもこの歌を思い出す。果てしなく広がる大地にはたくさんの国がひしめいている。しかしその国境線はどこにも見えない。それでも地図には明快にその境が記されている。国というものの存在が否が応でもそこにある。ジョン・レノンは宗教とか人種とか考えずにみな一つになればいいという。天国も地獄もない世界があるのではないかと言う。この歌は大好きなものの一つだが、現実はまったく違う。レノンもまたこの矛盾を痛いほど知っていたと思う。だからこそ、Imagineと言っているのだ。
ジョン・レノンがこの歌をリリース(オノ・ヨーコとの共作という噂も)したのは、ベトナム戦争が激しくなり、北アイルランドとイギリスの紛争でテロも横行し始めた1971年(ビートルズ解散後)であった。だがこの原曲はビートルズ時代の1969年に録音されていたという話もある。Imagine(想像してごらん)と呼びかけるフレーズは、オノ・ヨーコの詩集「グレープ・フルーツ」にあるもので、ジョン・レノンが気に入って使ったとか。もはや伝説的となった曲にはいろいろな話が付きまとう。
この歌は発売当時からヒットしたが、さらなる大ヒットを呼んだのは、ジョン・レノンが凶弾に倒れた後と、もう一つは2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ以後であった。オノ・ヨーコが出した新聞広告がきっかけだった。だが、テロ集団のアルカイーダに報復をと盛り上がる機運に水を差す反戦歌になるとして、放送禁止になった(一時的)。もっとも、それ以前にイギリスでは、葬式などにはこの曲を流さないように通達されていた。天国なんてないと思ってごらん、というフレーズが教会関係者には許せなかったらしい。全く別の話だし、詩を理解すればこんな風潮になるはずがないのと思うのだが。
ジョン・レノンだって、自らをDreamerと呼んでいるくらい、空想だと言っている。現実はそうではないのは先刻承知だ。目くじらを立てる話ではない。
ジョン・レノンは日本の神道にも興味を持っていたらしい。靖国神社も訪れていたと聞いた。一神教で育てられたジョン・レノン(彼はアイルランド系だからたぶんカソリック)が、八百万の神を認める日本の宗教をどのように感じたのか、たいへん興味深い。
久しぶりにジョン・レノンを聴きながら、日本を思った。日露間では北方領土問題が再び脚光を浴び、竹島では相も変わらず韓国の理不尽な言動に苛立つ。尖閣諸島に触手を伸ばす中国の影が日増しに強くなる。日本をとりまく諸外国の動きに、否が応でも国や領土、国境というものを意識させられる。こんな時代に、国がないことを想像してごらん、などと言ってられない。でもそれはやはり理想なのだから、現実的ではないが捨ててはいけない考え方である、とも思いたい。
だからと言って、日本は日本人だけのものではないと言ったルーピー首相を認めることは絶対できないし、外国人参政権も絶対反対だ。戦争は嫌だが攻撃されて黙っているわけにはいかない。日本が傷つけられたなら、相手がどこであろうとも許す事はできない。愛国心の前提に郷土愛があり、その根底に家族愛がある。ジョン・レノンだって自分の子供を守るために闘うだろう。必要なら武器をとるだろう。やはり人はパトリオティズムという意識から逃れられない。
ジョン・レノンの提示に対して、複雑な気持ちが去来する。やはり足りないのは想像力なのか。
訳詞:佐藤弘弥
Imagine there's no heaven, 想像してみよう、天国なんて無いと Imagine there's no countries, 想像してみよう、国なんてないと Imagine no possesions, 想像してみよう、財産なんてないって You may say I'm a dreamer, 君は僕を夢想家だと言うだろう |
3月はいつでもOKです。都合のよい時をお知らせください。スタンバイしてます。
モチロン年齢的なことや、彼らの音楽的な変化があったのかもしれませんが、インドの東洋哲学が彼らに変化を
もたらしたのかもしれません。
メソポタミア文明やシュメール文明では、八百万の神がいました。それがギリシャ神話に繋がっていく。
その意味でキリスト教が果たした役割はとてつもなく大きいと思います。
ただ、個人的には八百万の神がいたほうがウレシイ。
戒律に縛られない自由が好きだからですかね。
この辺のことを含めて、来月一献飲りたいですね。