原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

台湾シリーズ⑧―日本を残そうとする台湾

2013年02月22日 08時09分29秒 | 海外

 

今週の読売新聞(2月19日)の記事に注目した。「日本レトロ」台湾でブーム。日本の統治時代に建てられた日本家屋が台湾の歴史的建築物として評価され、民家やカフェなどに再利用されているとのこと。民間だけのブームではなく行政院(政府)も協力している、という。実は2000年頃から、台湾は日本ブームとなり、日本時代の古い民家や宿舎などが再利用される動きが目立っていた。そのまま観光施設となった建物もたくさんある。蒋介石の呪縛が解け、民主化運動の大きなきっかけとなった影の主役として、日本の存在があったことはたしかであった。

 

台湾民主化のきっかけとなったのは、直接選挙で選ばれた台湾の初代総統「李登輝」(1988~2000年。当時は国民党の総裁)の登場であった。このことは以前のブログで紹介している。その後、2000年から2008年まで政権与党が、国民党から民進党に変わり、脱中国路線が鮮明になったことも大きい。なんとそれまで台湾の学校で教えていた歴史は中国の歴史。台湾の歴史ではなかった。1950年からの蒋介石政権以来、一貫して歴史の授業は中国であった。1990年代の後半からようやく台湾史が登場したのである。

その中で当然日本の統治時代(1895~1945)が語られる。蒋介石時代の白色テロから継続していた戒厳令の時代と比べて、日本統治時代の輝くような歴史が呼び覚まされた。まだ昔を知っている人が多かったことも幸いした。その思い出に若い人たちもまた動きだす。哈日族(ハーリーズー)と呼ばれる日本文化を愛する若者が登場。日本ブームに火をつけた。したがって、現在の日本ブームは第二次から三次のブームと言える。

 

(左上、昔の交番を改装して郷土資料館に、豊田村。右上、日本時代の駅舎今も使われている、後壁)

(左下、日本の民家を改装して喫茶店へ、花蘭。昔の派出所がそのまま使われている、内湾)

 

私が台湾を最後に訪れたのが2007年の終わり。この時すでに日本ブームの真っ最中。温泉はもちろんのこと、レストランやホテルにも日本文化が浸透していた。ハーリーズーは街にあふれ、日本の原宿を見るようであった。その流行はさらに進化して継続していたのである。

 

日本統治時代の台湾とは、どういうものであったのか。残念ながら、日本では正確に語られない。戦後の教育が、日本の侵略戦争を強調するあまり、戦前の日本の台湾統治を欧米の植民地政策と同じレベルにされていた。実態はまったく違うのだが、戦前は『悪』という前提で語られるので、自然に真実は語られなくなっていく。そのいい例が韓国で、いまだに戦後補償ができていないとか、韓国文化は日本の植民地政策で壊されたとか主張されている。台湾と同じように統治し、しかも台湾以上に金を投資してインフラ整備をした日本のことを韓国人は決して認めようとしない。彼らの日本統治時代以前の生活がいかなるものであったか、歴史の真実を見ようとしない。

 

(左上、日本人社宅を観光資源として公開。右上、炭鉱の食堂が再現されレストランに)

(左下、保存された二宮金次郎の像。右下、炭鉱時代の警察派出所を再現し、交番としている)

*上の写真はいずれも金爪石の鉱山跡。テーマパークのようになっていて公開されている。

 

台湾は日本統治時代の後にさらなる暗黒時代を迎えたので、より鮮明に日本時代の良さを知ることができた。日本が当時の台湾に完成させた住宅やインフラはまさに近代文化社会であった。例えば今ではどこでも普通に敷かれている水道などもそうだ。ダムをつくり電気を配ることもそうだ。中国大陸から台湾に逃げてきた国民党軍の兵士たちが、台湾の住宅を見てびっくりした。そんな近代的な生活など全く知らなかったからである。彼らは立ち去った日本の住宅を乗っ取り、初めて近代的な生活を知ったのである。

その後が悲惨だった。台湾人を徹底的に弾圧した白色テロ(2・28事件をきっかけに起こる)と戒厳令。半世紀も続いた蒋介石時代がこれであった。日本統治時代を懐かしむ人が増えて当然であった。しかし、蒋介石は徹底的に日本的なものを破壊していくので、彼らは日本のことに対して口をつぐむしかなかったのである。

 

(左上、今も公衆浴場として人気の滝の湯、台北。右、日本時代に建てられた台湾総統府)

(左下、日本料亭「梅屋敷」、孫文ゆかりの家で今は記念館となっている。日本庭園もある、台北)

 

こうした抑圧された気持ちが、民主化によって一気にはじけたのが2000年からだった。台湾の人たちは、自分たちの歴史の一部として日本統治時代を受け入れたと言っていいのではないのだろうか。残念ながら、日教組をはじめ古い左翼思想の人たちはこの現実を見ようとしない。戦前日本は『悪』なのだから、何が何でも駄目の一言。これでは正しい歴史教育は成立しない。日本では昔からある日本文化や伝統が年々消滅していっている。その中で、台湾に日本が残っていく不思議な現象を、我々日本人はどうとらえればいいのだろうか。いつの日か日本と台湾で日本の文化の逆転現象が起きていくような気がする。日本文化を知りたけりゃ台湾に行け、というような時代が来るかもしれない。

 

*巻頭の写真は宣蘭に遺された歴代支庁長の公邸。記念館として公開されている)

*今日、2月22日は竹島の日。日本人は忘れてはいけない日でもある。 

 

(過去の台湾シリーズ)

①、2009年2月3日、西郷菊次郎を忘れない台湾の人

②、2010年12月24日、元日本人

③、2011年12月16日、明石元二郎

④、2012年2月3日、本省人と外省人

⑤、2012年3月16日、芝山巌事件

⑥、2012年8月28日、八田與一物語(1)

⑥、2012年8月31日、八田與一物語(2)

⑦、2013年2月1日、神に祀られた日本人


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2 コメント

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台湾シンパシー… (numapy)
2013-02-22 11:24:18
写真を見ると、まるでかつての日本のようですね。
懐かしい風景…。確かに日本を知りたきゃ台湾へ行け、
という時代が来そうな気がします。
ご存知のように、母親は台湾生まれです。そのせいかどうか、台湾には理由のないシンパシーをもってます。
中国と違う中国、というのも理由の一つかもしれませんが、
向こうがシンパシーを感じてくれてると言うのも大きな理由になるでしょう。
ところで、中国は大丈夫なんでしょうかね。軍部が暴走している気配がないでもない。
世界の邪魔大国にならなければいいですが…。
いつの日か逆転 (genyajin)
2013-02-22 12:49:44
日本から和風がどんどん消滅していくなかで、和風がどんどん復活する台湾。どこかで逆転するような気がします。どうして日本人は和風から離れてしまうのですかね。台湾の人はみな和風が好きなのに。
中国と台湾は明らかに違いますね。昔、DNAを検査した人が言ってました。明らかに中国大陸のものとは異なっていると。やはり多民族国家である台湾は混合がいち早く進んだせいだと言うことです。どちらにしても、中国は分裂破滅の道を行き始めてます。チベット、ウイグル、モンゴル族、満族などなど、次々独立するでしょうね。
かつて明石元次郎がロシア革命を工作したように、誰かが中国にしかけるといいのですが。ゴルゴ13にでも頼みますか。

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