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酒を友としてから何年経つのだろうか。思い出そうとしても正確な年数が割り出せない。それほどの長い付き合いということになる。自分では人が言うほどの酒好きだとは思わないのだが、世間はどうやらそのような目では見てくれない。それはそれであえて否定はしないが、酒好きというイメージにはどうも好意的な雰囲気を感じない。そこがかすかな抵抗感となる。なによりも、酔っ払いに対する世間の風は冷たい。昔から酒飲みはロクなやつがいないと言うイメージが定着しているからなのだろう。日本三大悪妖怪の一人「酒吞童子」などその典型。酒飲み=悪人を決定づけた。
たしかに、酒飲みと言えば、酒で身を持ち崩す、人格破たん者、落ちこぼれ、などなど、悪い風聞が吹きまくる。一種の風評被害がそこにある。しかし、本当にそうきめていいのだろうか、疑問を感じる。すべて酒のせいにするが、酒が悪いわけではない。酒におぼれる奴が悪いだけの話。酒にのまれたり、酒の勢いで行動する馬鹿な奴のせいで、すべての酒飲みが一つの規制にはめられるというのは酒好きの一人としてやはり納得いかない。
だいたい、酒に対して妙な言い訳が多すぎる。酒の席のことだから、とか、酔った勢いだから勘弁しろ、とか、酒が言わせているから、とか、こんな話こそおかしい。かつては酒を飲んでの犯罪は情状酌量の余地さえあった。これは酒飲みに対する侮辱以外の何ものでもない。
すべて酒が悪いなどというバカな常識を作る方がおかしい。だから、世界にはたくさんのおかしな法律というか常識が今も存在する。イスラム国家は21世紀の今日も戒律で酒は禁じられている。なぜ?とあるムスリムに無茶な質問してみた。彼は「とにかく駄目」「毒だから」と、理由にならない説明。これらの国では酒(アルコール類)は自由に買うことさえできない。もっとも外国人が宿泊するホテルは自由に買える。たぶんイスラム教の人は酒を飲むと人が極端にヘンになり、とんでもない事件を起こした過去があるのだろう。だから宗教で禁じたのだろうと勝手に想像している。しかし、それは個人の問題で酒のせいにするとは、疑問だ。そのこと一つで、あまり信じられる宗教とは思えなくなる。
インドネシアでこんな経験をした。仕事で出かけ、現地人の通訳とドライバーを雇った。彼らはムスリムである。夕食を一緒にした時、我々は当然ビールに始まりウイスキー、あるいはワインへと進む。インドネシアの人にも当然すすめたが、彼らはやはり拒否。初日はこうして過ぎていった。だが、酒を飲み続ける我々をじっと見つめる彼らの視線が気になっていた。二日目、再び食事に彼らに酒をすすめてみる。やはり拒絶する。三日目、再びすすめると、なんと一杯だけと言って受け付けた。後はなし崩し、残りの一週間は連夜の酒盛りとなった。
こっそり、聞いた。ほんとは酒好きなんだろう?彼らは言った「家では飲んでいいんだよ」だって。都合が良いぜ、ムスリムよ!
スウェーデンという国も酒の購入には厳しい規則がある。一日一瓶という決まりだ。自由に酒が買えない仕組みとなっている。外国人はその限りではないが酒を買うためにはパスポートが必要となる。この国もやはり過去に酒飲みが引き起こした辛い事件があったのではないのだろうか。
一度、スウェーデン人とヨーロッパ各地を回ったことがある。スウェーデン国境を出た途端、彼は酒屋を見るたびに酒を買いこむ。ワインはもちろんウイスキー、ウォッカなどなど手当たり次第。車のトランクはたちまち酒でぎっしり。これをそのまま自国に持ち込むと言う話。外国で酒を買うのは自由だからと彼は言った。そこまでしなくても、もっと自由に酒を飲ませる国になった方がこの国はさらに豊かになるのではと、思わずにいられなかった。
たしかに、酒にまつわるいろいろな言葉がある。キチガイ水とか狂薬、禍泉という言い方があるくらいだ。だが、全く逆の言い方もある。百薬之長はその代表で、福水、忘憂物、掃愁箒(愁いを掃くと言う意味)などもある。甘露や天の美禄というのもある。般若湯という実にうまい口実もつくり、お坊さんも酒を楽しめるようになっている。ようは、個人の責任のもとで楽しむことができれば、人生を豊かに幅の広いものになると言うことなのだ。もちろん酒を受け付けない身体の人もいる。彼らはそれに代わる楽しみを見つければよい。人生とはこうして豊かになるものだ。酒の規制で人の人生を規制してはならない。
酒の呼び名、いろいろ。
我酒:無理に飲む酒。やけ酒ともいう。
忘酒:酒席から逃げると言う意味。亡は逃げると言う意味。逃亡となる。
呼び酒:酔いを呼ぶという意味。迎え酒の意味もある
願酒:願をかけて酒を絶つ。禁酒の意味。
わらじ酒:いまはあまり使わないが、わらじは旅立ちの象徴。別れの際に飲む酒。別離の杯。
人の日常と酒は実に深く関わっている。と言いながらこのブログを書いている私は、昨日の深酒がまだ身体に残っている。二日酔いにはなっていないが、昔よりかなり弱くなっていることは確かだ。
*般若湯:般若は梵語で「知恵」という意味。中国の故事から生まれた言葉。唐の時代、ある寺を訪れた僧が酒を購入してきた。それを見た寺の住職は起こって酒瓶ごと庭の木に向かって投げつけた。瓶は粉々に砕けたのだが、酒は不思議に固まって木に付着してしまった。僧は般若経を唱えつつ別の瓶を木にあてがうと、酒は一滴も残らず瓶に納まった。この故事から寺の酒は般若湯と呼ぶようになった。お寺の僧は酒は飲んではいけない戒律があるが、般若湯は許される。
恥ずかしながら、名前を間違って覚えていることは私も多々ありです。しかし、いくら修正しようと思ってもどうしても一度刷り込んだ名前が先に出てしまう。人間の脳細胞は精密にできているからこそ、難しいようです。
「???…」。何のこと?確か、スコッチなんぞの話をしてたんですが・・。「酒のスペアー、のことかな」なんて思ったんですが、意味がつながらない。よくよく聞いてみると、実は「Shakespeare=シェイクスピア」のことでした。
「酒」を音で聴くとよくこの話を思い出します。