やんまの気まぐれ・一句拝借!

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​バレンタインの日なり山妻ピアノ弾く 景山筍吉

2020年02月13日 | 俳句
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バレンタインの日なり山妻ピアノ弾く 景山筍吉​
愛妻がピアノを弾いている。今日はバレンタインの日。二人の愛情は確かめなくても空気の様に命を支えている。~アベマリア♪。清く正しく慎ましくやって来た二人の空間がここに在る。チョコレートプレゼントやホワイトデーの慣習は宣伝会社が作り出した商業政策だろう。<義理でよし男はチョコを待っている やの字>。:雄山閣:「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
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​​陽春や漢ら担ぐ草刈機 佳音

2020年02月13日 | 俳句
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陽春や漢ら担ぐ草刈機 佳音
春の日差しが暖かい。農家は春耕の作業に取りかかる。漢らは重機で作業開始となる。手始めは草刈機で畦の草刈りである。空の雲も淡い春色となり鳶が舞っている。地上では田鳧が大地を啄んでいる。農業用の水路には小鮒や目高が散見されて春の臨場感が横溢する。やがて家の者からお結びとお茶が届き現場での昼食となる。陽は恵み生きとし生きるものへ喜びを届ける。流れ行く雲を眺めれば今年の豊作もまずは間違いないだろう。:ネット俳句:「つぶやく堂・俳句喫茶店」(2020年2月8日)所載。
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俊捨つるもの捨て終へ春の雷ひとつ 渡辺俊子
捨てるものを捨て終えた。そんな時間に春の雷。何か新しいものへの予感が横切った。曰く断捨離と言われ何を捨つるべきかふと迷う。写真?棄て難し。手紙、日記帳、句帳、、、捨て難いものばかりである。ぐずぐずとためらっていると雷が轟いた。思い切りが寛容なのである。どこかできっぱりと決心すべきである。それが出来ない。それが出来れば苦労は無い。そんな時間の春の雷である。自分が亡き後誰がこんなものが必要なのか、悟り切れぬ。:俳誌:「春登」(2019年5月号)所載。
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春隣浜辺に貝を拾ふ子ら 坂本禎子​

2020年02月11日 | 俳句
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春隣浜辺に貝を拾ふ子ら 坂本禎子​
暦の立春は過ぎたが春本番はこれからである。肌感覚では今は春隣となる。とは言いつつも気分は外へ外へと身を誘ってゆく。早春の浜辺に出てみれば波に弾ける光線も眩しい。子供らが小さな桜貝を見つける。さてそれからは貝拾いに夢中になる。老いの身にすれば人生何かに夢中になれる事が羨ましい。<流木を海に返して淋しい やの字>。:俳誌「百鳥」(2019年5月号版)所載。
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​新聞に肘ついて読む春の朝 小川軽舟​

2020年02月10日 | 俳句
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新聞に肘ついて読む春の朝 小川軽舟
のんびりとして朝刊を読む。肘を突く姿勢で読むのが習慣化している。窓からの日差しも柔らかな春の朝である。メジロの囀りも耳に心地良く響いてくる。今日も朝刊も大きな見出しで大騒ぎをしている。こんな世間の大事も何処吹く風のワタクシである。妻がお茶を煎れた。幸せ過ぎるなあ。:俳誌「百鳥」(2019年5月号)所載。
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立春の日差しのとどく朝餉かな 山下健治

2020年02月09日 | 俳句
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立春の日差しのとどく朝餉かな 山下健治
暦の上では先日からこのかた春である。まだまだ肌寒い春寒の候とは言え、日差しが食卓に届いて食材も春らしくなっている。食卓の菜の花漬けに蜆汁を口に流しつつそう実感している。我が身を振り返っても老化現象を思い知る毎日ながら散歩の都度春を感じて喜んでいる。犬ふぐりを見つ藪の鶯の笹鳴きを聞けば確かな春を感じるのである。こんな喜びも後何年賜われるのか。人間生きて何ぼ、百年は無理としても一年一年の一里塚を胸に秘めつつ歩くのみである。:備忘録より

紅梅や上着小脇に男来る​ 鈴木かこ

2020年02月08日 | 俳句
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鈴木かこ
​紅梅や上着小脇に男来る​

梅林だろうか紅梅が咲いた。厳しい冬を耐えて待ちかねた春の到来である。そこへ上着を小脇に男がやって来る。人生の春の出会いの機微は春風に乗ってやって来る。この男とのご縁や如何に。さてこの時期は三寒四温で服装にも気を遣う。厚着か薄着かそれが問題である。先人の知恵によって重ね着で行けば良い。暑ければ一枚ずつ脱いで行けば良い。我がちゃんちゃんこは小脇に抱えても様にならないが。:俳誌「はるもにあ」(2019年5月号)所載。
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あきらめて狸に戻る狸かな​ 三方元

2020年02月06日 | 俳句
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三方 元
​あきらめて狸に戻る狸かな

瘋癲の寅次郎ではないが奮闘努力の甲斐もなく今日も無念の日が暮れる。後は諦めてただのの自分に戻るだけである。この狸は何を夢見てどんな挫折したのだろう。それでも戻るべく自分があってそこへ戻った。等身大の飾り気のない自分である。小生も日頃何かにつけて高望みをしてしまう。届かぬ花は何故美しいのか。諦めきれないものを夢見て暮らす、これもまた良いではないか。:朝日聞「朝日俳壇」(2020年2月2日)所載。
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立春の日射しへ雪を抛り上ぐ​ 大滝時司

2020年02月04日 | 俳句
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大滝時司
​立春の日射しへ雪を抛り上ぐ​

春だ!春だ!ぞ今日からは。と、何となく気分が高揚する。残雪が足元に在り遠き山並みも光っている。足元に積もった雪を春の眩しい日射しの中へえいやっと抛り上げれば春が完成する。アナログに流れる時の流れが一瞬デジタルに切り替わった。肌に触れる空気はまだまだ冷たいが日射しは確実に春のものである。遠き雪稜を眺めれば旅心も疼く。:雄山閣「新版・俳句歳時記(2012年6月30日版)所載。
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鬼やらふ夫や豆撒く声弱し 宮原百々子

2020年02月03日 | 俳句
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宮原百々子
​鬼やらふ夫や豆撒く声弱し

今日が節分明日が立春。鬼は外!福は内!の声が聞こえて冬が飛去って行く。実際の寒暖はさておいて気分は冬へおさらばである。早咲きの大犬ふぐりや蒲公英等が春の訪れを告げている。今年も流行病にかからずに元気で過ごしたい。さはさりながら老いゆく歳には勝てそうも無い。鬼は外の声弱しの年齢を実感する。余談ですが鬼澤さんのお宅では鬼も内!福も内!だそうです。:俳誌「春燈(2019年4月号)所載。
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焚火して寺の修繕話かな 後藤丈平

2020年02月01日 | 俳句
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後藤丈平
焚火して寺の修繕話かな

近頃では焚火の出来る場所が限定されている。火災予防の観点からだろう。寺社仏閣の境内では神事でも火はよく使われている。そこで焚火などは境内でオーケイとなる。広い境内には落葉や枯れ枝などを焚きながら人々が取り囲んでいる。世間話もひとしきり終わったところで本堂の修理の話しへと話題が移る。築何百年となれば直し直して今日に至っている。修繕費の寄進手順にも慣れている。かにかくに焚火も話題も燃え続けてゆく。:俳誌「百鳥」(2019年5月号)所載。
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