やんまの気まぐれ・一句拝借!

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踊の手金星を指し夫を指し 香西照雄

2018年08月16日 | 俳句
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香西照雄
踊の手金星を指し夫を指し

東京と違って地方はたいてい八月の月後れの盆となる。指す手引く手の指先にぴかりと宵の明星が輝いている。目線の先には愛する夫の背中が見えている。爺ちゃんも婆ちゃんもこの里で生まれ育った。父母も苦労して私を育てた。そんな里帰りの今宵亡き人の面影と共に踊っている。盆の唄にはどこか哀愁を帯びている。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年4月10日)所載。
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何もかもあつけらかんと西日中 久保田万太郎

2018年08月15日 | 俳句
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久保田万太郎
何もかもあつけらかんと西日中
昭和20年8月15日玉音放送を聴く。戦争が終わった。何もかもあっけらかんとした空間を西日が焼いている。今の今まで死と隣り合わせの格闘が瞬時にして消えた。その続きにあるのはただ心の空虚のみである。空はそんな事はあずかり知らぬと白々と陽を回す。多くの大和魂が燃え尽きた夕陽は空を血の色染めている。:小島二郎「俳句の天才―久保田万太郎」(1997年7月20日)所載。
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骨に指添はせて捌く鰯かな 赤澤新子

2018年08月14日 | 俳句
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赤澤新子
骨に指添はせて捌く鰯かな

漁師とか手慣れた釣り人なら鰯は骨に指添はせて捌く。包丁やナイフを使わないところがみそである。今では季節感が微妙にずれて来たので今日あたりが鰯の旬なのかどうかはわからない。釣り人が嬉々として帰宅し男の手料理にとりかかる。自慢げに捌き夜食の主役を務める。家族はご主人の手柄話を聞くとはなしに聞かされてまずまずの団欒となる。天高く食欲の秋が暮れてゆく。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
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さまよへるちさき蛍や地蔵盆 五十嵐古郷

2018年08月13日 | 俳句
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五十嵐古郷
さまよへるちさき蛍や地蔵盆
地蔵堂に灯が入った。子供が盆の行事を楽しんでいる。その中に蛍がさまようように明滅している。もしかしたらご先祖様が蛍に姿を借りて子孫の様子を見に来たのかも知れぬ。爺ちゃまも婆ちゃまも私はここに元気でおります。線香花火で一緒に遊びましょうね。盆には幻想を巡らせる不思議な雰囲気がある。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。
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機関車のひとつD51炎天下 ひであき

2018年08月12日 | 俳句
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ひであき
機関車のひとつD51炎天下
鉄道マニアの間では人気ナンバーワンの機関車がデコイチ(D51)である。炎天下数多並んだ機関車の中にこれを見つけた。目を見張れば血湧き胸が躍る。ああ上野駅の歌では無いが昔は随分とお世話になった。トンネルに入ると窓を閉めて煙の侵入を抑えた。上下線のすれ違いにはボーーーっと汽笛を鳴らした。汽笛も鉄路を打つ車輪の音も男らしかった。俺もこんな逞しい男でありたいと往時は思ったものだ。:つぶやく堂ネット喫茶店(2018年8月5日)所載。
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月見草球児練習終へにけり 柏谷堅太郎

2018年08月11日 | 俳句
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柏谷堅太郎
月見草球児練習終へにけり
子供の頃に草野球でヒーローになった事がある。その後の進学の都度遊びの真ん中に野球があった。甲子園は東京都の予選で三年続けて敗退した。その時の三振は今も眼裏に甦る。大学では名門高校の球児がレギュラーを占めその他大勢は補欠に入るのも大変であった。お試し入部だけで早々に諦めた。今はテレビの甲子園にかじりついているだけであるがその後の人生の中にずっとあの三振を引きずって来た気がする。月見草、球拾い、ああ甲子園。:俳誌『百鳥』(2017年10月号)所載。
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朝顔の今朝もむらさき今朝も雨 秋桜子

2018年08月10日 | 俳句
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水原秋桜子
朝顔の今朝もむらさき今朝も雨
毎朝朝顔が咲き継いでいる。これが日々の楽しみである。二鉢とも紫なのだが微妙に差がある。すこし青味のある紫と少し紅味のある紫である。ここのところ降り継ぐ雨に光が宿っていよいよ美しさを増している。わが家では苦瓜と風船葛を添はせていてこれはこれで一興である。毎朝一日毎に秋が深まってゆく。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年4月10日)所載。
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さめざめと泣きし夢覚め明易き 富安風生

2018年08月09日 | 俳句
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富安風生
さめざめと泣きし夢覚め明易き
さめざめと泣いた。つと目覚めればああ夢だと悟る。近頃は夜も短く明け易い。短い睡眠の間に見た短かな夢。さて思い出そうとするが思い出せない。確かに泣いていたのに何故泣いたのか。このごろの夢はみんな辻褄が合わない。心の深層にある記憶の断片の繋ぎ合わせだから。それに色の無い白黒の夢ばかり。:角川「新版・俳句歳時記」(1990年12月15日版)所載。
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空蝉や店の奥よりカンタータ 満田春日

2018年08月08日 | 俳句
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満田春日
空蝉や店の奥よりカンタータ

今年は異常な気象だった気がする。蝉も種類を問はずに一斉に鳴きだした。まるで蝉のオーケストラの様であった。小ぶりの樹木には空蝉が無数に抱き着いている。そんな樹林の小径を行くと茶房らしき店に出た。店の奥からは澄んだカンタータが聞こえてきた。生命の謳歌は蝉でも人間でも変わらぬようだ。:俳誌「はるもにあ」(2017年9月号)所載。
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切株といふ秋風を待つところ 駒木根淳子

2018年08月07日 | 俳句
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駒木根淳子
切株といふ秋風を待つところ
手頃な切株があって腰を下ろした。楽にはなったが汗が引かない。もう立秋だと言うのに吹きそうで吹かない秋風だがこうしてこの目線を得て何とはなしに嬉しい。もう夏の峠は越えている。本当に秋がやって来てしまえば人生の落日もやってきそうだ。ほどほどの時間の進行を爽やかな風が渡ってくれれば文句はない。:俳誌「角川・俳句」(2018年8月号)所載。
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原爆忌の空を草田男翔(かけ)るなり 林翔

2018年08月06日 | 俳句
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林 翔
原爆忌の空を草田男翔(かけ)るなり
昭和20年8月6日に広島、9日に長崎と原子爆弾が投下された。時を経て反戦の思いに心滾らせた中村草田男の魂が空を翔ている。日本の平和も奇跡的に70年続いた。気が付かない内に反戦の思いが薄らいでゆくのが怖い。真っ赤な夕焼に孫悟空の幻影を見た後には草田男の駆ける姿も炙り出してみようか。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年1月15日)所載。
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爽かに山近寄せよ遠眼鏡 日野草城

2018年08月05日 | 俳句
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日野草城
爽かに山近寄せよ遠眼鏡
遥かより風が渡り爽やかである。遠き連山も澄みながら色づいている。遠眼鏡で山肌を眺めれば秋色が爽やかの源である事がわかる。野や山に色鳥が渡ってきて双眼鏡の出番でもある。カラス大、ハト大、スズメ大と肉眼で見定めて双眼鏡を当てれば鳥々の色彩が浮かび上がる。その美しさに魅せられて野鳥図鑑を片手に山野を逍遥する。爽やかな外気に触れ心は弾み命は喜んでいる。:山本健吉「鑑賞俳句歳時記」(1997年4月10日)所載。
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明易の夢の出口が見つからぬ 伊藤格

2018年08月04日 | 俳句
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伊藤 格
明易の夢の出口が見つからぬ
春眠は春眠で覚めにくいものだが今頃もなかなか目覚めにくい。明け方に夢を見ているのだが半分覚めた脳が起きねば起きねばと促している。でもこの夢から脱出出来ない。夢の出口はどこだろうと模索が続く。夢とは不思議なものだ。夢は白黒なのか色はあるのか。悪夢や金縛りと言う事もある。健康だから見るのか不健康だから見るのか。潜在意識の願望や恐怖の現れなのか。不思議な夢よ。:雄山閣「新版・俳句歳時記」(2012年6月30日版)所載。
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武者ねぶた指の先まで命張り 齋藤泰子

2018年08月03日 | 俳句
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齋藤泰子
武者ねぶた指の先まで命張り
各地で祭りのシーズンがやって来た。地方色豊かな有名な祭りから小さな市町村の祭りまで様々である。私の柏市の祭りには青森のねぶたが恒例となって現れる。怒った様な武者絵を大勢の人間が引き回す。指の先まで命が張り詰めたこの迫力は圧巻である。ラッセラッセの掛け声に夏の夜の熱気がクライマックスに達してゆく。人生は祭りだっ!と言ったのは誰だったか。:俳誌『春燈』(2017年11月号)所載。
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風鈴を吊つて薄倖さうな路地 池谷秀子

2018年08月02日 | 俳句
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池谷秀子
風鈴を吊つて薄倖さうな路地

路地には木造家屋が肩を並べ鉢植えの花が季節を彩っている。吹き抜ける風も窮屈そうに曲がりくねって来る。吊られた風鈴がりーんと鳴ってその一角が明るくなる。私の幼い時代は葛飾の青戸の路地裏で過ごして来た。貧乏と言えば極がつく貧しさだったが、その分人情と言う暖かいものがあった。両親が仕事で遅くなっても隣の叔母ちゃんがちゃんと飯を食わせてくれた。薄倖そうに見えてどっこいそうした豊かな人情に包まれて幸せであった。:池谷秀子「ジュークボックスよりタンゴ」(2018年7月30日)所載。
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