遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

雪 吊

2019-12-14 10:01:21 | 日記
令和元年12月14日(土)

白鳥庭園の雪吊

白鳥庭園の雪吊を眺める、、、

毎年の様に吟行で訪れる白鳥庭園は
春夏秋冬、夫々の草木の花々、
春の梅、桜、、秋の紅葉等が目を楽しませる。
冬季に入ると、、枯葉から冬の裸木へと移り
閑散ともの寂しい気配が漂うが、、、、
そんな中、庭園松の手入れ、、中でも雪吊は
真っ青な空に、ピンと縄を張った幾何学模様
はとても美しい。


雪吊は、庭木等の枝が積雪の重みで折れる
のを防ぐ為に、縄や紐、針金等を太い梢や
添木から枝に張り、吊り上げるもの。

幹に沿って一本の支柱を立て、縄を八方に
張り渡し、枝に吊り上げ雪の重みに耐えられ
る様にする。
これを、下から覗いて見るとその縄が幾何学
模様となり冬空に映える、、、、。


名古屋ではあまり積雪が無く、残念ながら
一度も、白鳥庭園の雪景色はお目に掛かった
事がない、、、、。


もう十年以上も前になるが、山代温泉行き
の帰路、金沢の兼六園を訪れた事があった。
初めての雪吊を眺め、、、、寒さを忘れて
感動した事は今も忘れられない、、、、。


今日の1句
雪吊のハープ奏でる山颪     ヤギ爺


枯尾花

2019-12-13 15:41:10 | 日記
令和元年12月13日(金)

枯尾花 : 枯 芒


穂も葉も枯れ尽したススキのこと。
風に吹かれる様は寂し気であるが、其処に
また風情がある。

古来人生の儚さの象徴の様に扱われて、、、
「枕草子」には、
「冬の末まで、頭の白くおほどれたるもしらず
昔思ひて顔に風になびきてかぎろひ立てる。
人にこそいみじう似たれ」と、書いている。
つまり、老人の髪が乱れ、風になびきゆらゆら
している姿になぞらえたものである。


西行法師は陸奥で、実方中将の塚を見て哀れを
覚え、「くちもせぬその名ばかりをとどめ置き
て枯野の薄かたみとぞみる」と詠んだ。

芭蕉は「おくのほそ道」の旅の後に、

ともかくもならでや雪の枯尾花   松尾 芭蕉

と句を詠んでいる。運命に任せた自分の境遇が
しみじみ感じられる。


古典では他にも、

我も死して碑に辺せむ枯尾花    与謝 蕪村

と、尾花つまり花穂の枯れようの哀れを中心に
詠んでいる。

現代になると、

美しく芒の枯るる仔細かな     富安 風声

宝冠のごとくに枯るる芒かな    阿波野 青畝



のように、華やかな枯芒も詠まれる様になった。

(新日本大歳時記 深見けんじ 記述より)


詩人、野口雨情の初期の作品「船頭小唄」には、
「枯すすき」を人生の儚さの象徴として描かれ
ている。

船頭小唄


作詞 : 野口雨情、 作曲 : 中山晋平

己は河原の 枯すすき
同じお前も 枯すすき
どうせ二人は この世では
花の咲かない 枯芒

此の詩は、雨情が詩人として未だ芽の出ない
失意の時に、自らの人生をかって訪れた潮来
の風物に託して詩を綴った。
それに中山晋平が曲を付け、大正10年
(1921年)に発表した。
丁度、第一次世界大戦後の不況の頃、演歌師
達がこぞって歌い、荒廃した人々の心に沁み
渡り、大ヒットした。
大正12年(1923年)、これを主題歌
とした映画が作られ、満員御礼となった。
(童謡の風景:合田 道人 著 より)


今日の1句

枯尾花終活始む我もまた     ヤギ爺


冬 日

2019-12-12 16:36:32 | 日記
令和元年12月12日(木)

冬 日 : 冬日向

冬の太陽、 冬の一日をいう場合もあるが
大概は冬の太陽をさしている。
冬の日脚は早く、日差しは弱く鈍い、、、
忽ち日が翳ってしまう。

それ故、冬日は掛け替えのない恵となる。
良く晴れた陽射しは、時に目に痛い程に
眩しく光り、曇った薄日の時には陽射しは
在ってもなぜか肌寒さを感じる。
何故か懐かしい侘しさを抱かせる、、、

冬至を過ぎる頃には、再び日脚が延び始め
次第に明るさを取り戻す様になり、、、
やがて春の訪れを知るであろう。

今年も後僅か、、
師走の街は慌ただしさが目に付き、、、
街の彼方此方で、そろそろ年用意をして、
ご近所の塀の中には庭師さんの鋏の音が
こ気味良く、、、

そんな事等つゆ知らず、、日向の猫や鳩
等は冬日の中ノンビリと、、、、、、


私も、ひょっとせずともご同類か、、、?

ビルを見上げれば、サンタが覗いていた。


今日の1句

冬日向喧噪の街何もせで     ヤギ爺


葛 湯

2019-12-11 15:25:04 | 日記
令和元年12月11日(水)

葛 湯


葛粉に砂糖を加え、だまが出来ないように
少量の水で溶いてから熱湯を注ぎ、攪拌し
て糊状になったところを食べるもの。
透き通らないときには少し加熱する。
少しの甘味と葛の香りを楽しむ。
滋養が在り、寒い夜や風邪ひきの時に飲む
と身体が温まる。消化も良いので病み上り
や疲労回復にも良いとされる。

葛 粉

葛の花


葛根

葛粉は、葛の根の部分を刻み、真水でよく
洗い、その搾り汁を溜め澱粉を沈殿させる。
灰汁抜きを繰り返し、不純物を取り除き、
良質な澱粉部分を採り出し、日陰干しで
乾燥させる。
本葛粉は、少量しか採れないため高価で
あり、市販の葛粉にはトウモロコシ(コー
ンスターチ)やじゃが芋等の澱粉を混ぜ
た物が多い様である。

葛根湯(かっこんとう

葛根に麻黄等の原料を混ぜた漢方剤。
強い発汗作用があり、葛根には鎮痛作用
がある。
風邪、血行障害、神経痛等に効能がある。

幼い頃、私が風邪などで発熱すると母が
直ぐに葛湯を作り、飲ませてくれた。
半透明の白っぽいドロッとしたのを、

スプーンで飲む。
ホンノリ甘く、食欲のない時にはとても
美味しい食べ物(飲物?)であった。
暫くして眠った後、汗ビッショリとなり
寝巻(パジャマ)を替え、亦眠る。
明くる朝、ケロっとして、、、、、。



今では、色々な種類の葛湯があり、
汁粉、抹茶、生姜湯等、、その時の気分
で抹茶入り等を、、、、

砂糖も適量入って居り、熱湯を注ぐだけ
とても便利である。


今日の1句

はふはふと母の振る舞ふ葛湯かな    ヤギ爺


港町 落語会2

2019-12-10 15:19:50 | 日記
令和元年12月10日(火)

落語 ねずみ(左甚五郎)古典人情噺


奥州(仙台)の宿場町
旅人が子供の客引きに誘われて、小さな「鼠や」
という宿に泊まる事になった。
腰を痛めた主と、九歳の男の子の二人だけで
やっている居る貧しい宿。
男の子は「布団を借りてくるから」と宿賃を
先に請う。宿への道順を教えられ、、、、、
右手には大層立派な「虎屋」と言う宿、、
その前には、みすぼらしいあばら家、、確かに
「ねずみ屋」とある。
宿には腰の悪い主が出迎える。
旅人は「よく働く賢いお子だ、」と褒め、、、
「女中の一人も置けば、、、」と主に勧め、、
それとなく話をする頃、子供が帰って来た。
「おじさん、今晩ご飯を食べる、、?」
「勿論、頂くヨ、」「今から支度は大変だから
お寿司でも取ろうか、5人前程?」「そんなに
は食べられないヨ」「だってオイラもお腹空い
た、チャンもお寿司大好きだよ、」驚いた客は
「判った判った、ではこれでな、酒と残りは
お寿司を好きなだけ買ってきなさい、、、」
「オイラ酒は飲めないヨ」 「酒は私だヨ」

子供が出かけた所で、主は宿の来歴を話始めた。
「以前、私は虎屋の主として宿を営んでいた
が、5年前に、妻に先立たれ、迎えた後添い
は、腰を悪くした宇兵衛(主)とその子供に
辛く当る様になり、番頭とつるんで「虎屋」
を乗っ取られてしまいました。追い出された
私は、その向かいの物置小屋を仕立て直し、
小さな宿を拵えました。宿の名はその物置に
棲んでいた鼠にちなみ、ねずみ屋とした。」
と涙ながらに話をした。


この話を聞いた旅人は、自らの名を左甚五郎
と名乗り、、主に木片を探させて、、、、
木片から「ねずみ」を彫り、、「盥に水を」
と、木彫りの鼠を浮かべた。
これを旅立つ朝、宿に置いて行った、、、。


彼の彫った精巧な鼠は、まるで生きている
様に水の中を、泳ぐように動きまわる。
これが忽ち評判となり、宿は繁盛し、、、、
大きな宿屋となった。
一方の「虎屋」は、前の主人を追い出した
悪行が吹聴されて、客足が途絶えて行った。
虎屋の主人(元番頭)は、「ねずみ屋」に
対抗して仙台の匠、飯田丹下に虎を彫らせ
る。飯田丹下は金だけ取り、弟子に虎を
彫らせた。
店先にその大きな虎が、ねずみ屋を見下ろ
し、途端に木彫りの鼠が動かなくなった。

暫く後に、その噂を聞きつけた左甚五郎が
「ねずみ屋」を訪れ、自分の彫った鼠が
動かなくなったのを目にする。
甚五郎には、それは出来損ないの虎に見え
「なぜあんな出来損ないの虎に怯えたか?」
と甚五郎は鼠に聞いた。
鼠は「え、あれは虎だったの、猫に見えた」

古典の人情噺、、柳家緑君、実に旨い、、
ジックリ語り、時に笑いを取りながら、、


この後、前座の恋志亭うららさん(南山大学
落語研究会)を交えての懇親会。
南山落研の女性{湯屋番」をテレもせず見事
に演じた。「もっと勉強したい」「それなら
卒業せず留年を続ければ、、、」 「ン、、」
柳家緑君「名古屋は地元、同窓会の様で、
楽しい、」「緑君、ご結婚お目でとう、、
出来ちゃった婚?」「そうでーーーす?」
色々な質問にも全て即答、、ユーモアを混じえ、
本当に話題、常識、なんでもござれ、、、
それに何よりなのが勉強家、所帯を持っても
「歌舞伎見物は続けまーーす」との事。
応援、シテマース。   (名古屋より)


今日の1句(俳人の名句)

寄り添へば小春日和の匂ひして    室生 犀星